第38話 帰る場所、ここに
<注意>この話から読むのはお勧めしません。
(視点:ドワルガ)
「――行こう? さすがに」
書類の山に埋もれる私の手から、セリナがペンを奪い取った。
「働きすぎよ、ドワちゃん。 前に約束したでしょ? 『次の休みは、ちゃんとどこかへ行こう』って」
「そんな約束をした覚えはないわ」
「した。泥酔してた時に『うん』って言った。証人は空の酒瓶よ」
……たしかに、「ああ」とだけ答えた記憶が、薄っすらとある。
あれはいつだったか。アルが死んでから、もう三ヶ月が経つ。
季節は巡り、雪解けの風が吹く頃だ。
幸か不幸か、仕事は悲しみを薄める。
書類の山は登れば減る。
登り続ければ、感情は息切れして、私の背中から滑り落ちていく。
領地の件も、あの頃ヴェルトランから連絡があった。
『アル殿の遠縁にあたる“叔父上”を見つけた。優秀な男だ。 彼を名義上の領主代理に据えて、再興を継続したい』
私はその書類に、中身もよく見ずに判を押した。
あの場所を潰したくない。アルが命を削って作った場所だから。
それだけの理由で、機械的に承認した。
(……私は、結局何がしたかったのかしらね)
ペンを奪われた手を見つめる。
この手は、あの子を守れなかった手だ。
「……分かったわ。行きましょう。 どうせ、ここにいても気が滅入るだけだわ」
魔導トラックの揺れは、どうにも心地がいい。
助手席でウトウトしている間に、景色は灰色から白、そして新緑の色へと変わっていた。
「着いたよ、ドワルガ。よく寝てたわね」
「……寝ていた?」
「ええ。三回ほどいびきかいてた。かわいいのと、重機みたいなのと」
「後半は削除しなさい」
目の前には、懐かしい屋敷。
かつてアルが住み、私たちが再建の拠点にした場所。
門がギィと開き、私たちは中へ入った。
空気が、違う。
主を失った「喪中の屋敷」のはずなのに、そこには確かに「生活の熱」があった。
台所から漂うスープの匂い。遠くで聞こえる作業音。
……妙に、暖かい。
玄関広間。 ヴェルトランが、いつもの仏頂面で書類束を抱えて待っていた。
「ようこそ、参謀殿。……顔色が悪いな」
「大きなお世話よ。 で? 例の『叔父上』とやらはどこ?」
「ああ。ちょうどそこにいる」
ヴェルトランが顎で示した先。
奥の扉が開き、一人の男が現れた。
黒いローブ。
顔を覆う無機質な仮面。
底の厚い靴で身長をかさ上げした、奇妙な姿。
「はじめまして、ドワルガ先生。 開発地支援ルートの責任者及び領主代行——“アル殿の叔父”と申します」
低く、加工された声。 完璧な礼儀作法。
――なのに。
その立ち姿。 重心のかけ方。 仮面の奥からこちらを見る、視線の角度。
私の心臓が、早鐘を打った。
(……まさか)
私は無言で、一歩近づいた。
足が震える。
期待してはいけない。そんな奇跡があるわけがない。
でも、私の「技術屋」としての目は、その身体的特徴をごまかせない。
「……仮面を、外しなさい」
声が裏返った。
仮面の男は、一瞬だけ沈黙し、 観念したように肩を落とした。
ゆっくりと、手が伸びる。 カチ、と留め具が外れる音が、やけに大きく響いた。
「……すみません、先生」
仮面の下から現れたのは、 照れくさそうに、申し訳なさそうに笑う――
アルの顔だった。
「……おい」
声が、うまく出ない。 呼吸が忘れたように止まる。
「おい……おい……ッ!」
アルは、その場に深く頭を下げた。
「黙ってて、ごめんなさい。 生きてます」
「勝手に、死んで……勝手に、生きて……ッ!」
言葉の順番がうまく並ばない。
怒り、安堵、脱力、歓喜。 感情のダムが決壊して、目からボロボロと涙が溢れた。
「……っ、あんたねぇ!!」
私はアルの胸倉を(背伸びして)掴み、思い切り揺さぶった。
「どれだけ……どれだけ心配したと思ってるのよ! 葬式の時、私がどれだけ泣いたか! 復讐のためにどれだけ危ない橋を渡る準備をしてたか! 全部……全部……ッ!」
「すみません、本当に、すみません……!」
アルは抵抗せず、ただ謝り続けた。
セリナが、私の肩に手を置いた。
「……ごめんね、ドワちゃん。 騙すなら、まずは身内からって言うでしょ?」
「言わないわよ! なんで私にだけ!」
「あんたの涙が必要だったのよ」
セリナは、真剣な目で私を見つめた。
「あの葬儀の時。 ドワちゃんが本気で絶望して、本気で悲しんでくれたから…… 敵(宗派)は『アルは本当に死んだ』と確信して、警戒を解いた。 あんたの演技じゃない涙が、あの子を生かす最後の鍵だったの」
ヴェルトランが補足する。
「王都は形式、領地は実体。 名義は“叔父”、実務は本人。 これで、宗派の目を欺きつつ、領地経営を続けられる」
私は、へなへなと座り込んだ。 ……完敗だ。
セリナも、ヴェルトランも、そしてアルも。
私を傷つけてでも、私を騙してでも、「最善の結果」をもぎ取った。
「……よくもまあ、そこまで非情になれたものね」
「先生が教えてくれたんですよ」
アルが、私の前に膝をつき、目線を合わせた。
「『感情で動くな、結果を出せ』って。 先生に教わった通り、一番生存率が高い方法を選びました。 ……先生に泣かれるのは、死ぬより辛かったですけど」
あまりにも馬鹿で、あまりにも優秀な教え子。
私は、涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、思い切り鼻をかんだ。
「……減給よ。 一生タダ働きしなさい」
「はい。喜んで」
アルが笑う。
その笑顔は、あの舞踏会の夜に見た最期の顔じゃなく、泥まみれで現場を駆け回っていた、いつもの少年の顔だった。
「行こう、ドワちゃん」
セリナが私の背中を叩く。
「今日は書類禁止。 まずは湯。次に飯。それから、積もる話。 あんたがいつもレポートに書いてた『幸せの順番』でいきましょ」
「……命令口調ね」
「共犯者だから」
私は立ち上がり、涙を拭った。
アルが、手を差し出してくる。
その手は、温かかった。 幽霊じゃない。ちゃんと、血が通っている手だ。
「……分かったわ。 湯に行く。顔を洗いたい。 それから、あんたたちの悪巧みの全貌、洗いざらい吐かせてやるわ」
屋敷を出ると、雪解けの庭に、光が差し込んでいた。
広場の方から、ガルドの声、リオの笑い声、ネーヴの爆発音が聞こえる。
あの日失われたと思っていたものが、全部ここにある。
背後で、セリナが小声で言った。
「ドワちゃん」
「なに」
「おかえり」
私は空を見上げて、深く、深く息を吸い込んだ。 冷たくて、美味しい空気。
「……ただいま」
その言葉は、
戻ってきたアルに向けたものか、
感情を取り戻した自分に向けたものか、
それとも、この“帰る場所”に向けたものか——
全部だ。
私は、湯の国の参謀として、
そして、この問題児たちの保護者として、
もう一度、ここから歩き出す。
これから1時間ごとに投稿します。1章完結45話、クライマックスまでお楽しみください!




