第36話 最後のダンス、あるいは「逃げ場所」という名のプロポーズ
(視点:エリシア)
「……ねえ、アル君。踊ってくれる?」
気がついたら、そう口走っていた。
シャンデリアが輝く大広間。
周りには着飾った貴族や、目を皿のようにしている騎士たち。
本来なら、もっと無難な相手(公爵子息とか)を選ぶべき場面だ。
でも、知ったことか。
今日の主役は彼だ。
なら、パートナーも私が選ぶ。
アルは一瞬、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして、それから苦笑した。
「……光栄です、殿下。足を踏んだらごめんなさい」
「許すわ。私のドレス、鉄板入りだから」
「えっ」
「冗談よ」
彼の手を取る。 音楽がワルツに変わる。 私たちは人垣の中へ、滑るように出ていった。
アルの手は、温かくて、ゴツゴツしていた。 夏休みの間、北の領地で泥まみれになって働いていた手だ。 シルクの手袋越しでも、その「生活の厚み」が伝わってくる。
「……すごいですね、王都の舞踏会は」
アルが、眩しそうに天井を見上げて言う。
「灯りも、飾りも、料理も。全部がキラキラしてる」
「そう? 私には、あなたの領地のほうが楽しそうに見えるけど」
「ええ? あそこは泥と油と湯気の匂いしかしませんよ?」
アルは笑う。
「ゴブリンがニンジンの取り合いで喧嘩して、 獣人が風呂で歌って、 義足のおっさんたちが走り回ってる……そんな場所です」
「ふふっ、最高じゃない」
想像するだけで、胸の奥が緩む。 ここにはない「生きた熱」が、そこにはある。
「……ねえ、アル」
ターンに合わせて、少しだけ声を潜める。
「あの時の授業のこと、覚えてる? 『滅ぼす以外の道を探したい』って言ったこと」
「忘れませんよ。あの時、教室を凍らせた犯人ですから」
「私ね、ずっと考えてたの。 あなたがあの時言った『もったいない』の意味。 ……今の北の領地が、その答えなのね?」
捨てられた土地、捨てられた人々、嫌われた種族。 それらを全部拾い上げて、磨いて、役割を与えた場所。
アルは少しだけ真面目な顔になり、頷いた。
「はい。まだ途中ですけどね。 でも、やっと……『守りたいもの』の形が見えてきた気がします」
その横顔が、頼もしくて、少しだけ悔しい。 彼はもう、私よりずっと先を歩いている。
曲が終わりに近づく。 アルが、ふと顔を近づけて、誰にも聞こえない声で囁いた。
「――殿下」
「なに?」
「もし、王都がもっと息苦しくなったら。 耐えられないくらい辛くなったら…… 俺のところに、逃げてきてください」
心臓が、変な跳ね方をした。 ドキン、と大きく鳴る。
「……それ、プロポーズみたいに聞こえるわよ?」
精一杯の軽口で返す。 でも、アルは真顔だった。
「違います。避難勧告です」
「……ムードがないわね!」
「でも本気です。 あそこなら、身分も体裁も関係ない。 ただの『エリシア』として、腹いっぱい食べて、笑って、歌える場所を用意しておきますから」
胸が、熱くなる。
「王女」としての私じゃなく。
「象徴」としての私でもなく。
ただの私を受け入れてくれる場所がある。
それだけで、この重たいドレスが、少しだけ軽く感じられた。
「……ありがとう。 予約しておくわ、その避難所」
音楽が終わる。 拍手の中、私たちは離れる。
壇上に、宗主グレオスが立った。
黒い法衣。完璧な笑み。
でも、その目は笑っていない。爬虫類のような冷たさで、会場を見渡している。
「皆様。今宵は、若き英雄の凱旋を祝い、乾杯といきましょう」
従者が盆を持って回ってくる。 金色の杯。琥珀色の酒。
私の手にも、杯が渡された。 アルの手にも。
その瞬間。 背筋に、冷たいものが走った。
(……なに、この寒気)
第九感というやつか。 あるいは、胸元のペンダントが、チリリと熱を持ったせいか。
グレオスが杯を掲げる。
「アル・エルンスト殿に――女神の加護あらんことを」
アルが、杯を口元へ運ぶ。
「……待って!」
私は思わず声を上げた。 ダメ。飲まないで。
けれど、私の声より速く―― **「音」**がした。
ヒュッ!
風を切る鋭い音。 窓ガラスが砕け散る音。
「――敵襲!!」
誰かの叫び声。 黒い矢が、一直線に私に向かって飛んでくる。
動けない。 体がすくむ。
その時――
ドンッ!
強い力で突き飛ばされた。
視界が回転する。
床に倒れ込んだ私の目に映ったのは――
私を庇って前に立ち、 胸に黒い矢を生やした、アルの姿だった。
「……ぐ、ぅ……ッ!」
アルが膝をつく。
手から杯が落ち、カラン、と乾いた音を立てて転がる。
床に広がる液体が、赤く、赤く染まっていく。
「アル!!」
喉が裂けるほどの悲鳴が出た。
嘘。 嘘でしょ? さっきまで、笑ってたのに。
「逃げておいで」って、言ったばかりなのに。
「アル! アル!!」
駆け寄ろうとする私の体を、警備兵が押さえつける。
「殿下! 下がってください! 危険です!」
「離して! アルが! アルが……!」
ドワルガ先生が飛び出してくるのが見えた。
セリナさんが短剣を抜いて窓へ走るのが見えた。
会場中がパニックになり、怒号と悲鳴が渦巻く。
でも、私にはアルしか見えなかった。
床に倒れた彼が、 うつろな目で天井を見上げ、 最後にパクパクと口を動かした。
『逃、げ……ろ』
ガクリ、と首が落ちる。 動かなくなる。
「いやぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」
私の絶叫が、シャンデリアを揺らした。
世界が、真っ白になる。 「避難所」なんて、どこにもない。 あなたがいないなら、どこに行ったって同じじゃない。
グレオスが、壇上から悲しげな(ふりをした)顔で見下ろしているのが見えた。
(……許さない)
薄れゆく意識の中で、私は黒い感情を握りしめた。
私の、たった一人の「同級生」を奪った世界を。 絶対に、許さない。
これから1時間ごとに投稿します。1章完結45話、クライマックスまでお楽しみください!




