第30話 獣人たちはどこへ行けばいいのか、あるいは「籠の中の歌姫」
(視点:エリシア)
「——獣人を王都から追い出せー!」
教室の窓の外から、その声が聞こえた。 ドンドンドン、と太鼓の音。怒りのリズム。
「……まただわ」
私は教科書を閉じて、そっと窓の外を覗き込んだ。
学校から見える王都の大通りには、プラカードを掲げた人々の波。
建築ギルドの旗、商人組合の紋章。
「臭い! 不潔だ! 俺たちの仕事を奪うな!」
「獣人は森へ帰れ!」
好き勝手な言葉が、秋の冷たい空気に混ざる。
投げられた石が、逃げ惑うウサギ獣人の親子をかすめるのが見えた。
(……ひどい)
胸の奥が痛む。
でも、教室の生徒たちは「またか」「うるさいな」と顔をしかめるだけ。
誰も、止めようとはしない。
放課後。
王城に戻った私は、そのまま「御前会議」の末席に座らされていた。
王女としての公務。
……いいえ、ただの「飾り」としての仕事だ。
「陛下! もう限界ですぞ!」
建築ギルドの長が、唾を飛ばしてまくしたてる。
「王都近郊のスラムはすでにパンク状態! それなのに獣人どもは図体ばかりデカくて、食う量は人間の倍! そのくせ水浴びの習慣が違うから異臭がする! 市民の不満は爆発寸前です!」
父である国王は、小さく咳き込みながら力なく頷く。
母様が亡くなってから、父は日に日に弱くなっている。
今の父には、彼らを諌める気力も体力もない。
「ならば――」
重たい杖の音が響く。
黒い法衣、金の刺繍。
宗教派の総長、グレオスが一歩前に出た。
「“線引き”が必要でしょうな」
彼の声は、ビロードのように滑らかで、そして冷たかった。
「王都から南へ数キロ。 あの荒れ地を柵で囲い、『獣人保護区』とするのです」
「保護区?」 宰相が問う。
「ええ。 信仰も言葉も違う“異物”が混ざるから、争いが起きる。 ならば、分けてしまえばいい。 彼らをそこに集め、管理し、王都の民と切り離す。 そうすれば、治安も衛生も守られましょう」
貴族たちが「おお」「名案だ」と頷き合う。
私は、ドレスの裾をぎゅっと握りしめた。 「保護区」なんて綺麗な言葉を使っているけれど。
「……それ、牢獄とどう違うのですか?」
思わず、声が出ていた。
会議室が静まり返る。
父が不安そうに私を見る。
グレオスだけが、爬虫類のような目で私を見て、柔らかく笑った。
「殿下。牢獄は『罪人』のためのもの。 ですが彼らは、まだ罪人ではありません」
一拍置いて、続ける。
「――これから罪を犯すかもしれない、予備軍です。 ですから、『予防のための囲い』とでも申しましょうか。 彼ら自身の安全のためでもありますよ?」
(……嘘つき)
まだ何もしていないのに。
ただ、住む場所を追われて逃げてきただけなのに。
それを「犯罪予備軍」と決めつけて、柵の中に押し込める。
それが、この国の「正義」なの?
私は唇を噛んだ。
反論したかった。
でも、私には権力がない。
「歌うこと」しか求められていない、ただの象徴だから。
会議は、「保護区の設置」であっさり決着した。
獣人たちは強制的に移住させられることになるだろう。
部屋に戻った私は、窓枠に額を押し付けた。
無力感が、鉛のように体を重くする。
「……アル」
思わず、同級生の名前を呼んでいた。
夏休みの間、北の領地へ帰っていた彼。
新学期に戻ってきた彼は、なんだか一回り大きくなった気がした。
背が伸びたとかじゃなく、纏っている空気の種類が変わったような。
(あなたなら、どうする?)
もしアルがここにいたら。
「獣人は臭い」「邪魔だ」と言われたら。
きっと、困ったように笑って、でもはっきり言うはずだ。
『臭いなら風呂を作ればいいじゃないですか』
『食べる量が多いなら、その分働いてもらえばいい』
『追い出すなんて“もったいない”ですよ』
……そう言って、本当にやってのけるに違いない。
北の領地から届く噂。
「最後の楽園」。
人間も、獣人も、魚人も、みんなで同じ釜の飯を食い、同じ湯に浸かっている場所。
「……いいなぁ」
羨ましくて、涙が出そうになる。
私は王女なのに。
一番高い場所にいるのに、誰一人守れない。
アルは「滅領の子」なのに、何もない場所から「みんなの居場所」を作っている。
胸元のペンダントを握る。
教室で光った、あの不思議な熱は、今は感じられない。
ただの冷たい金属の塊だ。
「……私、飾りでいるのは、もう嫌」
窓の外、南の空を見る。
そこには、これから獣人たちが押し込められる荒れ地がある。
歌うだけの人形は、もう終わりにしたい。
アルが北で戦っているなら、私はここで戦わなきゃ。
彼が「もったいない」と言って拾い上げる命を、 私が「仕方ない」と言って見捨てるわけにはいかない。
「……待ってて、アル。 私だって、あなたの“同級生”なんだから」
私はペンダントを強く握りしめ、 誰もいない部屋で、小さく、けれど確かに決意した。
これが、のちに「南の動乱」と呼ばれる事件の、 静かなる前夜だった。
これから1時間ごとに投稿します。1章完結45話、クライマックスまでお楽しみください!




