第3話 ドワちゃんのありがとう (挿絵追加 11/30)
(視点:ドワルガ)
「――ありがとう」
私がそう言った瞬間、向かいのソファーで優雅に足を組んでいた美女が、飲んでいたワインをこぼしそうになった。
「あらあら〜? ちょっと待ってドワちゃん。今、なんて? 七年分の耳垢をほじくってから聞くから、もう一回言ってくれる?」
「やめなさい汚い。そして二度と言わないわよ」
夜の参謀室。
本の塔と機械部品の森、そして酒瓶の海に沈むこの部屋に、似つかわしくない妖艶な花が一輪。
セリナ。
褐色の肌に流れるような銀髪、尖った耳。
胸元が大胆に開いたドレスから、甘い香油の匂いを漂わせている。
表の顔は大陸中にその名を知られる吟遊詩人。
裏の顔は――影ギルドを束ねる女帝。
そして、私の腐れ縁だ。
「いやぁ、“ありがとう”ねぇ……。あの鉄壁のツンデレ・ドワルガ参謀の口からその単語が出るとは。明日は槍でも降るんじゃないかしら?」
セリナはクスクスと笑いながら、長い指でグラスを揺らす。
その仕草ひとつひとつが、計算されたように色っぽい。
悔しいけれど、絵になる女だ。
「うるさいわね。事実を述べただけよ」
私は不機嫌そうにグラスを傾けつつ、机の上に広げられた報告書に視線を落とした。
そこにあるのは、今日の魔力測定の結果データ。
そして――無残に砕け散った測定器の残骸(の写真)。
「で? これが、七年かけて探し出した“滅領の子”のスペックってわけ?」
セリナが身を乗り出す。ふわりと、彼女の髪が私の肩にかかる。 紅い瞳が、すっと細められた。 さっきまでの茶化すような色は消え、獲物を見定める“影”の目になる。
「波形が、変ね」
「変どころの話じゃないわ。異常よ」
私はグラフの特異点を指で突いた。
「普通の人間なら、魔力の波形は山と谷を描くわ。感情や体調でブレるのが当たり前。 でも、あの子を見て。最大出力に近づくほど、波が消えて“一直線”になるの」
「……定規で引いたみたい。気持ち悪いくらい安定してるわね」
「おまけに、その直後に測定器が自壊しているわ。 暴走じゃない。過負荷でもない。 『器のほうが、注がれた水(魔力)の密度に耐えきれず圧死した』と言ったほうが正しいわね」
セリナが口笛を吹く。
「へぇ。規格外もいいとこね。 やっぱり、七年前の“あの光”の影響かしら?」
――七年前。 北の辺境領が地図から消えた夜。
燃え盛る屋敷の上空に、一筋の奇妙な光が降りたという目撃情報。
「十中八九ね。 あれが女神の加護か、あるいはもっとタチの悪い“何か”かは知らないけれど…… とにかく、あの子は普通の枠には収まらない」
私はため息をつき、もう一杯ウイスキーを注いだ。
「だからこそ、頭が痛いのよ。 こんなデタラメな魔力を持ったガキを、王女殿下の同級生として軍学校に放り込んだんだから。 火薬庫の隣に松明を置くようなものよ」
「でも、ドワちゃんはそうしたかったんでしょ?」
セリナの紅い瞳が、再び悪戯っぽく光る。
彼女はソファーから立ち上がり、私の背後から首に腕を回してきた。
甘い匂いと、冷たい指先。
「普通に保護して、田舎に隠すこともできた。 でも、あの子を“表舞台”に上げた。 ……どうして?」
私はグラスの琥珀色を見つめたまま、しばらく黙り込んだ。
脳裏に浮かぶのは、かつての友人の顔。
馬鹿正直で、お人好しで、領民のために泥だらけになっていた領主夫妻。
「……普通にやって守れたなら、あの領地は消えていないわ」
ぽつりと言葉が漏れる。
「王都の手続きも、定石通りの布陣も、教会の祈りも。 “普通”は全部、間に合わなかった」
あの夜、私は王都で書類の山に埋もれていた。
報告を受けたときには、もう全てが終わっていた。
あの無力感。あの後悔。
だから私は、普通をやめた。
酒に溺れかけていた私をひっぱたいたセリナに「権力を取れ」と言われ、なりふり構わず参謀の座に就いた。 すべては、あいつらの忘れ形見を見つけ出し、今度こそ守り抜くために。
「あの子には、力が必要なの。 理不尽をねじ伏せるための、圧倒的な力が。 そのための場所を用意するのが、私の役目よ」
セリナが、ふわりと微笑んだ。 いつものからかうような笑みではなく、どこか母性すら感じる優しい顔で。
「……ドワちゃん。 あんた、“守る”って言葉を使うときだけ、本当にいい顔するわよね」
「うるさいわね。酔った?」
「シラフよ。……ねえ、もう一回言って?」
「なにを」
「最初のやつ」
「言わないって言ったでしょ!」
私は顔をしかめ、残った酒を一気に煽った。
だが、喉の奥から出かかった文句を飲み込み、代わりに小さく呟く。
「……見つけてくれて、助かったわ」
「うん。私も、見つかってよかったと思う」
セリナが私の頭を(子供扱いして!)ぽんぽんと撫で、窓際に歩み寄る。
夜風が吹き込み、彼女の銀髪と、私の机の上の書類を揺らした。
「アル・エルンスト。 七年越しで見つけた、私たちの希望。 ……さて、この“異常な魔力”が、吉と出るか凶と出るか」
「どっちに転んでも、支えるのが大人の仕事でしょ? “イイ女”なら、それくらいやってのけなきゃ」
「あははっ、かっこいい〜! 今のセリフ、次の詩に使っていい?」
「印税をよこすなら許可するわ」
二人で笑い合い、グラスを軽く掲げ合う。
カチン、と澄んだ音が響いた。
七年分の後悔と、これからの期待。
その両方を飲み干して、私たちはようやく“始まり”の夜を迎えたのだった。




