第2話 お忍び王女様との友人契約 (挿絵追加 11/30)
「……ねえ。『滅領の子』って、そのあだ名、なんとかなりません?」
私は扇子で口元を隠しながら、心の中で盛大にツッコんでいた。
王立軍学校、入学式。
厳かなはずの大講堂は、まるでスズメの巣みたいにざわついている。
原因は、たった一人。
「ほら、あの子よ」「北の……」「生き残りの……」
ひそひそ、ひそひそ。 うん、丸聞こえよ。
貴族のマナー講師が聞いたら卒倒するレベルでね。
視線の集中砲火を浴びているのは、講堂の中央に立つ一人の少年――アル・エルンスト。
茶色の髪に、どこにでもいそうな顔立ち。 けれど、その立ち姿だけが異質だった。
周りが「関わっちゃいけないモノ」を見る目で遠巻きにしているのに、彼は――
(……あくび、噛み殺した?)
今、絶対したわよね?
「校長の話、なげーな」って顔したわよね?
教科書に出てくる悲劇の場所、『魔族戦争で消滅した北の辺境領』。
その唯一の生き残り。悲劇のヒーロー。
……のはずなのに、彼からは「悲壮感」が家出していた。
「殿下、顔。眉間が寄ってますよ」
背後から、蚊の鳴くような声が飛んでくる。
護衛兼付き添いの女騎士だ。
私は扇子の裏で、表情筋を必死に「王女スマイル」へと矯正する。
「……寄ってないわよ。観察しているだけ」 「はいはい、“観察”ですねー。あ、こっち見た」
言われてハッと前を見ると――目が合った。
アルは、周囲の雑音なんて存在しないかのように、真っ直ぐこちらを見ていた。 でも、その目は「王女様だ!」と崇める目じゃない。 かといって、「値踏み」する貴族たちの目でもない。
まるで、道端の猫を見るような、フラットすぎる視線。
(あ、そっか。今の私は“ただの新入生”設定だった)
今日は一般生徒と同じ制服。ティアラもなし。 だから正体はバレていないはず……なんだけど。
彼は人混みをかき分けるでもなく、自然な足取りで、私の近くまで滑り込んできた。 そして、ポツリと言ったのだ。
「……胃、痛くないの?」
「はい?」
第一声がそれ? 「ごきげんよう」でも「いい天気ですね」でもなく、胃の心配?
アルは周囲のひそひそ話を顎でしゃくった。
「こんなに見られてるのに。……あ、もしかして君も『ワケアリ』?」
「っぶ……!」
吹き出しそうになるのを、咳払いで誤魔化す。 違う、見られているのは私じゃなくて、あなたよ! この子、自分が噂の中心だって気づいてないの!?
「……あなたこそ、気にならないの?」
王女口調を忘れて、思わず素で聞き返していた。 アルはきょとんとして、それから「ああ」と気の抜けた声を出した。
「僕のことか。慣れてるよ。見られるのは」
「慣れてるって……『滅んだ領地の子』って言われてるのよ? 悔しくないの?」
「事実は事実だしなぁ」
彼はポリポリと頬をかいた。 怒るでもなく、拗ねるでもない。 ただ、「雨が降ってるから傘をさす」くらいの、当たり前の顔。
「それに、ここは空気がいい」
「空気?」
「北の冬はさ、空気が痛いんだよ。吸うと肺が凍るくらい」
アルは深く息を吸い込み、嬉しそうに吐き出した。
「でも、ここは痛くない。『冷たい』より『おいしい』って感じる。 息がしやすいってだけで、今は十分だよ」
――息が、しやすい。
その言葉に、胸の奥を小突かれた気がした。
私はどうだろう。
王女という肩書き。
過保護な城。
貴族たちの期待と値踏み。
綺麗に整えられているけれど、息苦しいあの場所で。
(……変な人)
悲劇を背負っているはずなのに、私よりずっと自由に見える。
「かわいそうな子」だと思って観察していた自分が、急に恥ずかしくなった。
「……強いのね、あなた」
「強くはないよ。ただ、長く息を吸うのが得意なだけ」
「なにそれ、変な自慢」
ふふ、と笑いがこぼれた。
作り笑いじゃない。
お腹の底からの笑い。
“王女が一般人と軽々しく話してはいけません” 脳内の教育係が警鐘を鳴らすけど、知ったことか。
「私、エリシア。よろしくね、同級生」
手を差し出す。
王女としてではなく、ただの一人の少女として。
アルは一瞬だけ驚いた顔をして、すぐにニカっと笑った。
人懐っこくて、飾らない笑顔。
「アルです。こちらこそ」
握り返された手は、温かくて、少しゴツゴツしていた。
その瞬間、壇上から「新入生代表、エリシア=フォン=……」と呼び上げる声が響く。
会場がざわめき、アルが「えっ」と目を丸くする。
(あ、驚いた顔もちょっと面白い)
私は悪戯っぽくウインクをして、彼の手を離した。
「じゃ、行ってくるわね」
背筋を伸ばして歩き出す。
背中越しに聞こえる「え、あの子が王女様? マジで?」というアルの間の抜けた声。
そして、周囲の「滅領の子」という陰口。
……不思議と、さっきより空気が軽く感じた。
(肩書きなんて、案外、最初の一歩で越えられるのかもしれない)
王女でも、滅領の子でもなく。 ただの「エリシア」と「アル」として握手をした、あの数秒間。
その温もりが、私に初めての勇気をくれていた。
「よし。エリシア“新入生”、行きます!」
小さく気合を入れて、私は光の当たる壇上へと踏み出した。
これからの学園生活、きっと退屈だけはしなくて済みそうだ――そんな予感を抱きながら。




