【第3話】
医師が席を外して数分。
戻ってきた彼は、俺の正面に静かに腰を下ろし、数枚の書類を差し出してきた。
「本来であれば、セカンドライフの世界をテンプレートの中から選んでいただいたうえで細かい設定を詰めていくのですが……望月志緒さんがデータを残された際に、『広大なファンタジー世界が良い』というご希望と、容姿に関する指定も添えておられましてね。すでにAIによって基礎世界が構築されています」
そう言って渡された資料の表紙には、《セカンドライフ参加者用初期概略書類》とあった。
そこには、これからワシ達が生きる世界の地図や制度、そして現地文化の一端が描かれていた。
世界名:《リュゼア大環界》 モデルタイプ:《海峡横断・多文明共存型》
「“大陸縦断型”をベースにしつつ、志緒さんの好みを反映し、海と陸の境界が多様に絡む世界観へ調整しています。舞台となるエリアには複数の言語と信仰、そして政治体制が存在しており、それぞれが均衡を保ちつつ緊張関係を抱えています。プレイヤーにはその中での選択と歩みが問われます」
俺はページをめくりながら、内容に自然と引き込まれていた。
「……すごいのぅ、本当に作られてるのか、世界が」
「そうです。ただし」と医師がトーンを落とした。
「この世界はあくまで“シミュレーション空間”に構築された仮想的な現実です。AIによって物理法則や文化、天候や生態系まで再現されておりますが、完全な予測制御はされていません。ランダム性が非常に高く、環境や出会う人物の行動にも、予期せぬ揺らぎが生じます」
まるで、もうひとつの本物の世界。
先生の声が、危険のある世界なんだとワシに伝える。
「それから、参加にあたって、注意していただきたい項目があります」
医師が別の用紙を手に取る。
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《セカンドライフにおける基本ルール》
1. プレイヤーは一度限りの参加です。 セカンドライフは「最期の人生」を送るための一回限りの旅です。再参加・再挑戦はできません。
2. 現地住民は転送の5分前に生成されますが、それ以前の人生経験を持っています。 プレイヤーは“急に現れた存在”として見られる可能性があり、振る舞いによっては異質な存在として警戒されたり、排除されたりすることもあります。
3. 通貨のやり取りは、握手などの軽いボディタッチと、双方の合意意思表示によって成立します。 決済時には軽い発光現象が確認されます。現地ではこの方法が常識として扱われています。
4. “アイテムボックス”機能に関して: プレイヤーは物体(生物を除く)を収納・取り出し可能な空間を持っています。内部では時間経過が停止するため、食料・水・医薬品の保管にも便利です。ただし、プレイヤーのボックスは現地人のものに比べて「容量が桁違い」「異常な操作速度」などの差異があり、不用意な使用は不信感を招く可能性があります。
5. 現地民から「異常な存在」と見なされないよう、現地における常識的なふるまいを心がけてください。 セカンドライフ世界では、過去に不審な能力使用をきっかけに拷問・投獄されたプレイヤーの前例もあります。
6. 死んだら終わります。 プレイヤーがセカンドライフ世界で死亡した場合、肉体的・精神的にもそのまま完全に活動停止となります。現実世界への復帰手段はありません。慎重に行動してください。
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「準備が整い次第、ご案内します」
医師の言葉に、ワシは小さく頷いた。
ワシは医師に案内され、装置の前まで歩いてきた。
カプセルは無色透明。中には椅子が一つあるだけじゃ。
「こちらへどうぞ」
無言で頷き、腰を下ろす。
背もたれに体を預けると、自動でドームが閉じられた。
わずかな振動。
視界が薄い青に染まり、呼吸の音だけが聞こえる。
「記憶の読み取りを開始します。転送はその後です」
医師の声がスピーカー越しに響いた。
数秒後、意識の奥に光が差し込んだ。
懐かしい風景がいくつか、次々に浮かんでは消えていく。
そして――