【第2話】
久しぶりの夢を見ていたよう、でワシは胸が暖かくなっておった。
いつまでも、もう一度、と、その余韻に浸っておりたくなったのじゃが……
残念ながら、今日は病院へ定期検診をしてもらいに行く日での。
ここ最近はずっと検診結果が悪化していて、医者の先生には『次が最後の検診になりそうですね』
と言われておる。
具体的な余命を告げられたのはかれこれ1年ほど前のこと。
まぁ、10年前にも大体の余命を聞かされたのぅ。
来たる日がいよいよ来る、というだけのお話。
……だとは分かっておる。
それでも馴染みの顔をした焦燥感が胸におるのは、本能かのう。
……「この町も、随分と賑やかになったのう」
そんな独り言を漏らしながら、ワシは商店街の角を曲がった。
昔は小さな文房具屋だった場所に、今は煌びやかなスイーツチェーン店ができていて、若者たちが外のベンチで笑い合っておる。
「あの頃……」
ふと名前を呟きそうになって、喉元で止めた。 そんなことをするのは、まるで傷を自分から撫でるようなものじゃ。
彼女とは、高校までずっと一緒だった。
けれど、卒業と同時にワシは父親に連れられてカナダに行った。
帰ってきたときにはもう、彼女はどこにもおらんかった。
電話番号も、住所も、まるで最初から存在していなかったみたいに。
「会いたかったのう……せめて、一度でも」
胸の奥がきゅうっと縮む。
時間が癒すというのは嘘じゃ。慣れるだけで、癒されはせんのじゃよ。
ワシは電光掲示板に目をやる。
巨大な画面には、まるで夢のような映像が流れておった。
【“最後の旅”を考えてみませんか?──セカンドライフ、体験説明会はこちら】
緑の草原。寄り添って歩く老夫婦。
その映像の後ろで、小さく表示された文字が目に留まった。
【本人と、大切な人を、もう一度──】
目を閉じた。 わかっておる。
今まで通り、「保存は不要」と告げて終わる。
──そう決めていたはずなのに、胸のどこかが騒いでおる。
あやつの笑顔が、不意に浮かんで消えた。
雑念を振り払うように、ワシは駅前の横断歩道を渡った。
頭上には初夏の陽射し。
日傘を差した婦人たちが足早に行き交い、観光客らしき若者がスマホを掲げてはしゃいでいる。
ここがあの静かな町だったのかと思うと、時の流れとは面白いものよのう。
***
受付を済ませ、検査を終え、静かな待合室で順番を待つ。
掲示板の電光数字が「25」を示したとき、構内アナウンスが響いた。
「鈴木 悠さま、二十五番診察室へお越しください」
腰を浮かせるたび膝が軋む。だが車椅子を勧められても、最後まで自分の足で歩くと決めておる。
円形廊下をぐるりと半周し、目的の扉をノックした。
「失礼するぞい──」
中には、白衣姿の若い医師。
出会ったころは頼りなく見えたが、今や堂々たる主治医じゃ。
彼はワシの歩みに合わせ椅子を引き、そっと肩を支えてくれる。
支えられぬようで支えられておる。この距離感が有難い。
「悠さん、座れましたね。お疲れさまでした」
「先生、毎度世話をかけるのう」
モニターに並ぶ数値は見なくても分かる。
良い話でないことなど、とうに覚悟しておる。
だが先生は意外にも、口元にわずかな笑みを浮かべた。
「実は……鈴木さん宛てに、預かりものがあります」
差し出された封筒は、古びた便箋を思わせるクリーム色。
宛名を見た瞬間、鼓動が跳ねた。
──望月 志緒。
「志緒が……わしに?」
「はい。十数年前、当院で行われた治験の際に、もし鈴木さんが希望されたら手渡してほしい──そう預けられたものです。今日がおそらく……その時だと判断しました」
震える指先で封を切る。
滲んだインクで綴られた文字は、確かに彼女の筆跡だった。
ねぇ、ユウ。 私はまだ、この想いを諦められません――
読み進めるほどに、年月が剥がれ落ちていく。
気づけば頬を涙が伝い、便箋の角を濡らした。
「……先生」
声が掠れる。医師は静かに頷いた。
「セカンドライフへの参加、今なら間に合います。志緒さんのデータはしっかりと保存されていました。お二人を同じ世界にインプットする手配も……私が、責任を持ってやります」
「頼む。……あやつのいる世界へ、連れて行ってくれ」
眼鏡の奥、医師の瞳がわずかに潤むのを見た。
「全力を尽くします」と短く言い、立ち上がる。
その背を見送りながら、ワシは便箋を胸元に抱き締めた。
「待っとれ、シオ──」
半世紀前から約束された冒険が、やっと始まる。
終わりを受け入れていたはずの身体が強く、脈打ち始めた。