-管理者-
フードの女を追ううちに、賑やかだった大都市から徐々に離れていき、いつの間にか地下空間のような場所へ足を踏み入れていた。
そして目に飛び込んできたのは、大都市の地下に広がる地上と同じ規模の街並みだった。
「驚いたな……地上の都市の下に、こんなにも発展した都市があるとは」
圧倒されながら周囲を見渡していると、吾輩を背負っていたフィルビスが足を止めた。
立ち止まった先には一軒の古びた家があり、その前にはフードを被った女とレオナの姿があった。
「話はここで聞くから、中に入って」
女に促され、吾輩たちは家の中に入る。
内装は外観同様に古びており、使い込まれた家具が並んでいた。その一部は壊れたまま放置されている。
「それで貴様、この禁書について何を知っている?」
いつもの口調で尋ねる吾輩に、フードの女は不機嫌そうに眉をひそめた。
「人に教えを乞う態度とは思えないわね。少しは礼儀をわきまえたら?」
「ぐぬぬ……そ、それは失礼した。どうか、この禁書について教えていただけないだろうか?」
吾輩はぎこちなく頭を下げた。すると、女はフードを外し、短い茶髪と澄んだ茶色の瞳を見せた。
「いいわ。でも、その前にひとつお願いを聞いてもらう必要があるわ」
「お願いだと?」
吾輩が聞き返すと、隣でフィルビスが苛立たしげに声をあげた。
「さっきから態度が鼻につくのよ。あまり調子に乗らないで——」
「落ち着け、フィルビス。まずは話を聞こう」
吾輩がなだめると、女は小さく息をついて話を続けた。
「私はサーレ。まずはあなたたちの名前を教えて」
「吾輩はリアだ」
少し前に使った偽名を名乗る吾輩に続き、レオナとフィルビスは本名を口にした。
名前をメモに書き込んだサーレは、机上に地図を広げる。
「私がお願いしたいのは、この国の裏社会で出回っている魔法アイテム『無神の薬』を手に入れてほしいの。この薬は飲んだ相手の能力を無効化するもので、地下組織『シヴィルス』が取り扱っている。今夜、この場所で輸送が行われるわ」
彼女が指差した地図には、シヴィルスの輸送拠点が印されている。
「よし、簡単そうだな。フィルビス、レオナ、ちゃちゃっと片付けるぞ!」
※
「おい、運び出せ! 慎重に運ぶんだぞ! これは滅多に手に入らない代物だからな!」
輸送現場では、馬車に積み込む作業が行われていた。周囲には数十人の護衛が目を光らせている。
吾輩たちは建物の屋上からその様子を見下ろしていた。
「作戦をお伝えします」
フィルビスが小声で言う。
「レオナが魔法で注意を引きつけます。その間に私が護衛を排除し、ヴァミリア様には『無神の薬』が入った箱を確保していただきます。その後、追っ手を撒いて指定の家に戻る——どうでしょう?」
「了解だ。それでレオナはどこに——」
「もう始まっています!」
驚いて目をやると、レオナが短い呪文を唱えていた。
「雷神の矢」
瞬間、無数の雷を帯びた矢が空中に現れ、馬車へと降り注ぐ。怒号と悲鳴が響き渡る中、フィルビスと吾輩は動き出した。
「おい! そこの野郎! まさかあの魔法使いの仲間か!」
護衛たちが剣を抜き、こちらへ向かってくる。その前に立ちはだかるのはフィルビスだ。
「ヴァミリア様、下がっていてください」
そう言うや否や、フィルビスは一人目の男を軽々といなし、彼の剣を奪う。疾風のごとき動きで次々と敵を制圧していく。
その間に吾輩は馬車の方へと駆け寄ろうとするが、突如、物陰から巨大な男が現れた。
「よくも好き勝手やってくれたな!」
男は巨大な斧を振り上げ、吾輩をめがけて振り下ろす。その勢いに目を見開く吾輩。しかし、フィルビスが間一髪で吾輩を抱え、攻撃を回避した。
「お怪我はありませんか?」
「ふ、フィルビス……助かったぞ」
彼女は吾輩を安全な場所へと下ろすと、表情を引き締め、剣を構える。
「大丈夫です。相手を任せてください」
間髪を入れず、フィルビスと大男の戦いが始まる。
フィルビスの剣戟は神速ともいえるものだった。最初は余裕そうだった大男も、次第に表情が険しくなっていく。
「くそっ……どうしてだ! 俺がこんな女に!」
「これで終わりです」
フィルビスはそう言い放つと、華麗な剣捌きで大男の手足を切り刻む。一瞬の静寂の後、大男は膝をつき、地面へ倒れ込んだ。
「さすがだ、フィルビス!」
吾輩が歓声をあげる中、フィルビスは涼しい顔で剣を収める。
「ヴァミリア様、急ぎましょう。『無神の薬』を確保して脱出を」
馬車の積荷を確認すると、目的の薬が詰まった箱があった。吾輩がそれを抱えた瞬間、背後から声が飛んできた。
「待て、貴様ら!」
護衛の増援が駆け寄ってくる。吾輩たちは追っ手をかわしながら、サーレの家を目指して逃げる。
※
「お帰りなさい。薬は?」
サーレが迎えると、吾輩は薬の入った箱を机に置いた。
「これが『無神の薬』だ」
サーレは箱を開け、確認する。その目が鋭く光る。
「ありがとう。本当に持ち帰るとは驚いたわ」
「これで約束だ。この禁書について知っていることを話せ」
吾輩が問い詰めるように言うと、サーレは一瞬ためらい、意を決したように口を開いた。
「その禁書の持ち主……そして、それを魔界に持ち込んだのは——」
サーレの言葉はそこで途切れた。突如、窓を割る音と共に煙幕が部屋を覆う。
「伏せろ!」
吾輩たちは身を低くした。その直後、黒装束の集団が家に乱入してきた。
「追っ手か……!」
フィルビスが剣を構え、レオナが呪文を唱える。戦いの幕が再び切って落とされた——。
爆風が周囲を吹き飛ばし、追っ手と思われる輩をレオナとフィルビスが瞬く間に片付けた。
煙幕が晴れると、そこには山のように積み上がった制圧された者たちの姿があった。しかし、肝心のサーレの姿はどこにもない。
「フィルビス! レオナ! 逃げられた!」
吾輩が声を上げると、レオナが禁書のあった場所に目を向ける。
「禁書……禁書がない!」
「くっ、やられたか……振り出しに戻ったな」
吾輩は崩れた屋根の隙間から見える空を仰ぎ、呟く。
数時間後、崩壊した家の中で、吾輩たちは次の行動を議論していた。
「ヴァミリア様、制圧した連中は私とレオナが騎士団に引き渡しました。それで、これからどうなさるおつもりですか?」
フィルビスが頭を垂れ、吾輩に問いかける。吾輩は胸を張り、力強く宣言した。
「決まっているだろう! この厄介事は吾輩……いや、吾輩たちが解決する!」
「ヴァミリア様!」
「そうだね。私たちでこれを終わらせないと、また余計な面倒が増えるだけだ」
そんなやり取りの最中、レオナは静かに立ち上がった。
「私は残っている痕跡を調べる」
彼女は魔法の詠唱を始める。しばらくして目を開くと、確信を持った表情で言った。
「見つけた」
「なんだと! サーレの居場所がわかったのか?」
吾輩が問うと、レオナは頷いた。だが、その直後に周囲の気配が変わった。
「その前に、どうやらお客さんが来たみたいね」
レオナの言葉に吾輩たちが身構えると、崩れた家の周囲を白装束と白フードを纏った者たちが囲んでいた。
「貴様ら、何者だ?」
フィルビスが問い詰めると、彼らは亡霊のように滑るような動きで近づいてきた。
「我らは禁書を管理する者……世間では『管理者』と呼ばれている。お前たちは魔界の者だな?」
その言葉にフィルビスとレオナは驚きの表情を浮かべる。しかし、吾輩にとって今はそんなことはどうでもよい。
「そうだが。目的は何だ? 吾輩たちの邪魔をするつもりなら……それなりの覚悟をしてもらうぞ」
吾輩は鋭い眼光を放ち、魔力を数パーセントだけ引き出して威嚇した。その圧倒的な気配に、一部の管理者が怯み、立ちくらみを起こす。
「さすが魔王の娘ヴァミリア様だ」
「なぜ吾輩の名を知っている? ……いや、今は詮索している暇はない。それで、お前たちの目的は何だ?」
管理者は薄笑いを浮かべながら答えた。
「我らの目的はただ一つ、禁書の回収だ。お前たちが持っている禁書を引き渡せ」
その言葉に吾輩は険しい顔をした。
「残念だが、吾輩たちも禁書を探している最中だ」
「そうか。ならば、我らも禁書を探すしかないな……“勇者候補”を使ってな」
管理者が手をかざすと、その後ろから黄金のドラゴンのシンボルを刻んだ鎧を纏う男が現れた。その姿にフィルビスが険しい表情を浮かべる。
「勇者候補……!」
男の目には強烈な殺意が宿り、吾輩たちを睨みつけている。
「どうやら、我らとお前たちの目的は似て非なるもののようだな」
管理者が静かに言葉を続ける。
「ならば、どちらが禁書を手にするにふさわしいか……決めるための勝負といこうではないか」
吾輩はその言葉に口元を歪ませ、笑みを浮かべる。
「良いだろう、その勝負……乗ったぞ!」