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二人の幼子を追って変なところに戻った母は、この運命に再び翻弄される。

幼い二人の兄弟を探していた母は、土地者という悪党に騙されて女郎にされようとするところを、何とか逃げ出すことに成功した。

[電子版]  推理 もう一つの野麦峠 (第六話)


十九、脱出


 見上げると、山を下りて来た雪雲が薄化粧を白く残して、また山へと返って行くところだった。


 ここからは、薄っすらと白くなった峠が月明りに映えている。そこに小さな草履の足跡が二つ並んで、奥へ奥へと続く。


 溶けた雪が、足袋の中へと容赦なく沁み込んでくる。少女の足は、およねから貰った大きめの足袋が水分を含んで、余った布がいっそう冷たく足に纏わりついていた。


 その足跡は、輪郭のはっきりしない大きくいびつな特徴を残した。二人の子供は足袋など履いていない。素足をそのまま草鞋に突っ掛けているだけだ。


 治助が「良かった。正も源も無事だ」と、およねに複雑な眼を向ける。


 およねは、死んだ三郎と五平のことで、頭の中が一杯だ。だが意識だけは「お前さんたちの仇は、この母ちゃんがきっと討つからね。だから見守っているんだよ」と、口の中で呼びかけていた。


 腰には五平の忍者刀が、そして残していった一振りの小柄を、帯の間に忍ばせている。女工も、あのぼろぼろに刃こぼれした打刀を、蓑の下に隠して雪の峠をのぼる。


 重そうな風呂敷を、治助が取り上げるようにして背負った。打ち刀も取り上げるようとすると、それをおよねが強引にひったくり、ぼろぼろの刃に晒しを巻き付けた。


 そして「あんた、名前はなんていうのかい」と聞く。少女は少し躊躇った様子をみせながら「まつ」とだけ、小さく答えた。治助が「じゃぁ、おまっちゃんだ」そう言うと、およねが治助の次の言葉を止めるように「まつさん」と繰り返して覗き込む。


 「お城のお姫様と同じ名前だね」と言う。治助は「へえ」と驚いて、少女のあどけない顔を覗き込んだ。


 やがて峠に近付くにつれ、つづら折りの曲がりくねった道へと差し掛かる。が、見上げても、その先は急峻な地形に阻まれて見えない。


 手前の角を曲がると、雪が少し深くなった。二つの小さな草履の跡も、次第に埋もれがちになる。そして次の角を曲がると、足跡は一つになった。およねは足跡の様子から、兄の正太郎が弟の源次郎をおんぶしていると思った。


 雪の冷たさに堪え兼ねている源次郎を背負って、峠越えするつもりなのか。この時、麓から馬のいななきが遠く聞こえた。


 道端にある大きめの石を見付けると、雪を払って耳を付ける。伝わって来る蹄音にじっと耳を凝らした。そして顔を上げると「こっちに向かって来る馬が二騎」そして、蹄音が聞こえなくなると、もう一度耳を付けて「乗馬を諦めたのか、人が引いている」と伝えた。


 そして付いた雪を払いながら「さっき雪道に変わったあの辺りで、一頭が麓に引き返した。もう一頭は歩きながら馬を引いて登って来る」と、様子を伝えた。


 治助は「じゃぁ、どうすれば」と聞く。「もう少し様子をみたい」と答えた。


 少し狼狽い気味の治助に比べて、まつの眼は据わっていた。そう言えば、この娘の狼狽えた姿をこれまで観たことが無い。あれ程、壮絶な場面に直面しながら、この落ち着き払った態度はどこから来るのか。と、不思議に思っていた。


 再び馬のいななきが聞こえる。さっきのいななきとは明らかに違って聞こえた。「これは滑ったのよ。雪に足を取られて思わず鳴いた時の声だ」と、まつが言う。


 「あんた」と、およねがその少女を覗き込んで「馬を飼っていたのかい」と聞く。松は小さく首を振りながら「近くに馬小屋があったので」の言葉が終わらないうちに、またいななきが聞こえた。


 まつは「馬が嫌がっている。追手は引く馬を諦めて、捨てて来るかも知れない」と伝えた。およねは「急ごう。厄介なことにならなきゃいいが」と、脚を速めた。


 しかしこの様な追跡は、追いかける方が断然早いと分かっていた。それを知っているのか、まつは先頭に立って黙々と進む。


 追っ手からすれば、もう時間の問題と思われた。それに、更なる討伐隊も駆け付けて来ると思われる。その追跡を振り切るには、先ずは下に居るこの追手を、何んとかしなくてはならない。


 およねは辺りの様子を注意深く観察しながら登った。そして自らに言い聞かせる。「子供たちを守るためだ」と、腹を括った。


 治助は不安を残してまつを追う。およねは次の角を曲がった先の、一本だけぽつんと立っている樅の古木に身を隠した。道脇から、枝が大きく傘のように張り出し、その根元には雪が無い。足跡を晦ますことで、追手からの追跡をかわす為だ。


 そして治助と松に急ぐようにと促す。そこで、手裏剣としている小柄を後ろ手に握ると、幹の根元から追手を待った。途中で治助が心配そうに振り返るが、およねは手を上げて早く行けと尚も促す。


 まつが言ったように馬を捨てたのか、追手の姿はまだ観えない。およねは、凍える両手を摩りながら機を待つしかない。


 やがて、道下に追手の羽織が近づいてくると、いかにも荒い息遣いが、雪の中を伝わって来る。


 その姿がすぐ下の曲がり角に見えると驚いた。刀を鞘ごと老人のように、杖にしているではないか。こいつ本当に侍なんだろうかと疑った。


 そればかりか足取りは、まるで老人のように観える。険しい雪の峠道を踏みしめるように、一歩また一歩とおよねたちの足跡を辿って来るのだ。


 およねがそうしたように、この追手も足跡から、全ての情報を読み取ろうとしている。それにしても、馬で追い掛けて来るような役人のくせして「こいつ見かけ通り、本当に老人なのだろうか」およねはまだ疑っていた。


 他人を欺き陥れる、何かと一筋縄ではいかないのが、この変なところなのだ。


 追手は、編笠を目いっぱい深くかぶっていた。本当に老人なのか、まだ判別できない。梢に付いている粉雪を、気まぐれな風が撒き散らす。


 追手は、およねが潜む幹に近付くと、付いている足跡を再度確認するかのように、編み笠の下に在る眼が見つめている。そこは、およねが自分の足跡を、そのまま後ろ向きに辿りながら後ずさりして来たところだ。


 だからおよねの足跡だけが二重になっている。追手は雪の無い木陰の、その境目に注目した。そしておよねの方角にゆっくりと視線を移す。


 すると、笠の下にある眼とおよねの眼が合った。その時、追手の脇腹に小柄が突き刺さっていた。急所を大きく外れたところだ。追手は刀を振りかざし、およね目掛けて迫って来る。


 羽織の下から出っ腹が飛び出していた。成程と思った。太った追手は、丸腰のおよねを観ると、笠の下で薄く笑った。


 その顔がおよねには、まだ見えていない。そして追手の剣が大上段に振りかぶる。小柄を受けたとはいえ、丸腰の女に一刀両断のつもりがなければ、こう構える必要はない。


 これは、殺意以外の何ものでもないと覚った。こうして袈裟斬りにするのかと思った瞬間、およねの前頭部が、笠の下の顔面を突き上げていた。間髪を入れず、追手の脇腹に刺さっている手裏剣で止めを刺す。


 追手はそのまま転がって下の沢に転落した。


 激しい飛沫がここまで飛んで、朝の静寂を破る。樅の枝の傘は犯行の痕跡を隠していた。


 当分の間、この死体は上がらないと思われる。だが同時に、およねは自らの手で人を殺めた。他にも方法があったのではと、後悔が残る。


 ふと見上げると、そこには治助がいた。やっぱりおよねが心配になり、途中から引き返して来たと言う。そして今の死闘の一部始終を目撃したと明かした。


 まだその興奮が残っているのか「およねさんは、やっぱり凄い」と、驚きを隠さなかった。そして尚も、手裏剣を指して「天も味方している」と言う。


 この時の治助は、敢えて言葉にはしなかったが、およねさんは死ぬ気でいると悟っていた。

 

 そこで坂の上から、いつでも飛び出せるようにと、五平の脇差を握りしめて機を窺っていたのだ。


 ふたたび雪がちらちらと舞い始める。すると、たちまち吹雪になった。降りしきる雪と強風で足跡が埋まれば、追手を巻くことが出来る。が、それでも役人たちは、間違いなく討伐隊を編成して、どこまでも追って来るはずだと、一瞬の希望を打ち消した。


 治助は、かつてこの峠では、落ち武者狩りがあったと言う。その時に使ったとされる近道が、まだ在るとか聞いてる。そんな近道から先回りして、不意打ちでもされたら一溜まりもないと危惧した。


 やがてつづら折りを登り切った踊り場から、道下の眺めがきくようになる。すると乗り捨てた役人の馬が、樅のある急坂の遥か下に、立ち往生しているのが見えた。


 あの様子では、馬での峠越えなど絶対に出来るはずがないと判断した。


 正太郎と源次郎の助けになると、一旦は期待もしたが、同時に馬での追跡はもう無い事を証明していた。


 東の方角にある雪雲が ぼんやりと白んでいる。これは夜明けが近い証しだ。明けきらないうちに、一歩でも峠に近付いていたい。治助もそれを解っているのか、少し深くなってきた雪の中を黙々と登って行く。


 やがて小さな足跡が雪に埋もれてくると、まつの足跡だけが際立って点々と続いた。その上を踏みしめるように、治助が辿る。尚もその後を、およねが倣いながら登った。これで足跡は一人分だ。不自然だが、もう少し降り続けば、それらしくなると期待した。


 だが雪は小康状態になってしまった。追跡を振り切るには、せめてもう少し降り続いてくれと、祈るような思いで急ぐ。


 二人分の風呂敷を背負った治助が声を掛ける。「およねさん。峠が見えてきた」と指さす。そうは言っても、まだ遥か先だ。それでも見覚えのある風景は、確かに峠が近いことを実感させた。


 あれは、もうずいぶんと昔の事だ。五平の後について反対方向から、この峠を越えて来た。二度目は正太郎をおんぶしてこの道を登る。三度目は源次郎をおんぶして正太郎の小さい手を引きながら、休み休み超えていった。


 ふと、足跡を観て、この兄弟はいま雪の中でどうしているのだろうか。どこかで倒れていなければいいがと、不安ばかりが浮かんでくる。


 最初に来たとき、五平さんと休んだ岩が、今は雪をかぶって見えてきた。そこで腰かけながら、梅入りのおにぎりを並んで食べていた。


 あのとき五平さんが言うには、これから行くところは、鬼がいっぱい居る処だと言っていた。だがこの時のおよねには、そんな事など耳に入っていなかった。


 我に返ると治助が、先を行くまつを指して「およねさんが言っていた、病を治すには、これしかないんだよ、と、あの時の言葉は本当だった」と感嘆したような声で言った。


 およねは「復習を果たしたことで、あの娘の病が退散したんだ」と返す。そして、雪に続く少女の足跡を眺めるように観た。


 やがて、空が薄く明けてくると、治助が小さく歓声を上げた。峠に着いたのだ。


 ここまで来てしまえば、まずは一安心だ。更に振り切るには、この峠を越えた先に見える谷川を渡らなければならない。


 あと少しと頑張るが、もう脚がついてこない。どころか既に感覚さえないのだ。この雪の冷たさに、改めて過酷なものを覚らされた。源次郎をおんぶしている正太郎はもっと過酷に違いない。


 このとき奉行所の羽織を纏った男が二人、突然およねの前に立ちふさがった。


 心配していた事がとうとう起こったのだ。


 一人分の足跡が功を奏したのか、羽織は先行する治助に気が付いていない。およねの前に立ちはだかった一人が、両手をいっぱいに広げた。そこで異変に気が付いた治助が、追っ手二人の背後に忍び寄る。


 こんな時の雪は、治助の気配を消していた。二人とも全く気が付かないでいる。その一人の羽織に、後ろから包丁で体当たりした。


 もう一人は、治助に驚いて一瞬怯んだが、そのままおよねに向かって斬り付ける。その刃を分厚い忍者刀がもろに受けた。その瞬間、切りつけた打刀は、安っぽい金属音を残して鍔元から折れていた。その刃が宙を飛んで、雪の下の土に突き刺さって揺れた。


 手に残っている柄を、およね目掛けて投げつける。そして例の近道なのだろうか、飛び出して来たと思われる、狭い脇道の中へと雪を蹴散らせて逃げ去った。


 そこからの峠道は、見通しのきく緩い尾根沿いとなり、道幅も荷車がすれ違い出来る程の広さがあった。だが近道となっている脇道は、尾根から外れるためかここからは全く見通せない。


 あの二人だけが討伐隊ではないはずだ。まだまだ新手がやって来るものと、もう一度脇道の更にその向こうまで見つめるが、入り組んだ山並みと悪天候では無理があった。


 すでに感覚の無いこの足で、よくもここまで戦えたものと我ながら驚く。


 そのおよねの手を、治助が強引に引いていた。時間的な余裕はすでに無いのだ。それに、近道はここだけとは限らない。若しかすると別の追っ手が、もう近くに潜んでいるかも知れないのだ。


 一刻も早く正太郎たちに追いつかなければと、およねは脚の早い治助に遅れまいと走った。その時うしろから追いかけて来る別の足音が、雪のなかで迫って来た。


 一瞬治助が振り返ったが、およねにはそんな余裕は無い。治助が「五人だ」と叫ぶ。


 追手は、外した編み笠を雪の中へ投げては、羽織のまま追いつこうとする。武士の魂であるはずの刀を杖がわりにしたり、折れた柄を投げつけたりと、この五人もあいつらと同様に修業というものを行ったのだろうかと疑った。


 おそらくは、剣術さえも知らない形ばかりの盆暗役人を想像させる。


 それでも五対二では、とても勝ち目はない。だが、ここで一人を倒しておけば、四対二になる。それでも勝ち目があるとは思えないが、それに賭けるしかない。そして、帯の中にある手裏剣を掴んだ。


 逃げる者よりも、追いかける者が速いは生けるものの摂理だ。


 このままではすぐに追いつかれ、惨殺されることになる。例え自分は生き残れなくても、治助が助かってくれれば、正太郎たちを生かすことに繋がると信じた。


 草鞋で雪を蹴る音が迫って来ると、至近距離だと判断して治助の手を放した。


 その瞬間、バランスを崩したおよねは、迫り来る先頭の羽織姿に向かって、小柄を投げつけた。


 最後に受けた武道の修練は娘時代の事だ。かれこれ十年余りも昔のことである。すっかり忘れていたと思い込んでいたが、なんと身体は覚えていた。それとも、本当に天が味方したのか。


 体勢をあそこまで崩しながら、投げた手裏剣は羽織姿の顔面を貫いていた。


 続く四人は、倒れた羽織に躓いて将棋倒しになる。慌てて立ち上がろうともがくが、一たび転倒した身体は雪に手足を取られたり滑ったりと思うに任せない。


 この隙に体勢を立て直したおよねは、忍者刀を構えた。すると四人の追っ手たちは突然踵を返して逃げ出す。背中を見せて去って行く羽織には、間違いなく藩の家紋が入っていた。


 倒れている羽織から小柄を抜き取る。


 気が付けば雪は止み、空はすっかり明るくなっていた。遠くには朝の青空がある。


 治助はまず、およねを背負って谷川を渡った。まつも一人で渡ったのだろう。そのあと風呂敷を取りに戻る。二つの風呂敷は谷川の水で、ほとんどずぶ濡れになった。重くなってしまった風呂敷を背負いながら、二人は、小走りに雪道を下り始める。およねは、先を行く若造の背中を観て、あの治助がいつこんなに頼もしくなったのだろうかと、改めて見直した。


 今度は麓に近付くにつれ、雪は少しずつ浅くなる。それに同期して足跡も浅くなる。点々と続く一人分の足跡は、いかにも小さく歩幅も狭い。間違いなく子供の足跡を思わせた。


 これは、先行している正太郎の足跡を、まつが踏みながら進んでいるからだ。九歳の歩幅に、無理やり合わせている様子が窺い知れた。本来なら身軽になったまつは、さっさと麓に下りればいいだけの事だ。ここまでやる必要はないのに、そんな律義さ以上の何かを感じた。


 峠道に積っていた雪は、いまはもう無い。そう思った矢先だ。道を逸れた枯草の雪に、兄弟のものと思われる。小さな足跡を偶然にも発見した。


 その足跡が松林の中へと続いている。そこから奥に掛けて、雪の消えたあとの枯草が一面に続いていた。


 およねは若しやと思い、一目散に駆け寄る。


 一際高い根元に向かう小さな足跡が、薄っすらと残った雪に付いていた。


 およねの気配に気が付いた二人の兄弟は、途端に声を上げて泣き出した。


 正太郎は、およねを見上げると「ぼく、もう歩けなくて」と言ったあとは言葉にならない。およねがその小さな足に触ると氷のように冷たい。


 無理もない、裸足に粗末な草鞋だけで、雪の中を歩き続けて来たのだ。それも途中からは、源次郎をおんぶしての事だ。


 正太郎は涙ながらに「どこまでも走ろうとしたけど、峠を越えるまではゲンをおんぶしていたから走れなくて。それで、峠を越えてからまた走ったんだ。でも途中からはもう足が動かなくて。ごめんなさい」と謝る。


 源次郎も「ぼくが歩けなくなったから、兄ちゃんのせいじゃないんだ」と泣きながら訴えた。


 母は二人を抱きしめるしかない。


 谷川を渡った時の冷たい水が、小さな身体から滴る。もちろん着替えなどは無い。とにかく、正太郎の足を擦り続けようとするが、それを何故か治助が止めた。「こんな場合は、擦るのは良くないと聞いている」と言うのだ。


 抱きしめても、紫に変色した足に、血の色が戻らない。


 治助が辺りを気にしながら、湿った枯れ草に火を付けようとしている。そして「俺のじいさんは凍傷が元で死んだ。その時のことを子供心に思い出すと、晒を巻いてゆっくりと温めていた」と説明した。


 火打石のカチカチ音が妙に心細い。およねは追っ手の動向が気になっていた。峠を越えたとはいえ、このまま安心していいのだろうか。奴らにしてみれば二人の弔い合戦だ。いや、小柄を顔面に受けた羽織姿を思うと三人になる。そうなれば、きっと麓までも、あるいはどこまでも追いかけてくるに違いない。


 そんなおよねの顔色を観た治助が「足跡なら消して来た」と、ぽつりと言って、束にした笹の葉を見せた。


 そして、なんとか火を起こそうと頑張るが、北風が容赦しない。手の中から細い煙が一瞬上がったのは、それからずいぶん経ったときだ。


 およねは取り敢えず凍傷の足に晒しを巻きながら、このままでは大事な足を失うことにもなり兼ねないと危惧した。それでも正太郎は、母にごめんなさいを繰り返す。


 母はそこに横になって、我が子の足を懐に入れた。擦るのは良くないと聞いたばかりだが、自然と手が行ってしまう。


 気丈と言われた女も、我が子のこととなると冷静ではいられない。が、ついまた擦っている自分の手に気が付いて、冷たい小さな足をまた抱きしめていた。


 そんなことを繰り返すうちに、小さな火種から炎がやっと上がった。


 治助は周りからも枯れ草を集め、やがて小枝から太めの枯れ枝へと、炎を大きくしていった。


 熱を感じられるようになると、峠道を指さして「この下に、畑が見えたから、大根があるかもしれない。一っ走り行って来る」と言う。


 およねが「大根が」と繰り返す。「大根のしぼり汁が効いたと思い出した」そう言い残して駆け出した。


 源次郎が、薪代わりになる枯れ枝を抱えて来ては火にくべる。責任の重さを痛感しているのか、兄を気遣い母を気遣いしては、小さな体が役に立ちたいと頑張っているようだ。


 願いが通じたのか、いつしか火も大きくなり焚火のようになってきた。


 峠から下る場合は松林の死角になるが、峠方向に振り返れば丸見えだ。小さな源次郎でさえ発見される。そこで枯れ枝を立てて並べてみた。そこに小枝やら枯草やらを掛けて、にわか作りの垣根とするがどう見ても不自然だ。


 垣根の内側には濡れた晒を掛け、火の近くには風呂敷を敷いてみた。ずぶ濡れの足袋からは、絞った雑巾のように水が流れる。


 正太郎と源次郎の斑点も火の近くに広げるが、寒空も北風もやっぱり容赦しなかった。


 枯れ枝を更に積み上げたことで、取り敢えず親子の三人だけは身を隠せるようになった。


 正太郎の足を巻く晒は、もうずいぶんと温かくなっている。だがその隙間から見える肌はいぜん紫色のままだ。それに、焚火の反射熱なのか、内部から来ている、温もりなのかの判断がつかない。


 そこで、本当に擦ってはいけないのだろうかと、またおよねに迷いが現れた。晒に指先をそっと入れてみる。


 すると少しの温もりを感じるが、内部から来ている温もりではないと解った。やっぱり少しぐらいは軽く擦ったほうが、効果的なのではとまた思い始めた時、治助が大きな大根と、手ごろな石を抱えて戻って来た。


 「農家が見つからず、おろし板が借りられなかった」そこで石を拾って来たと言う。石の上に晒しを敷き、細かく潰した大根を更に小石ですり潰した。


 それを正太郎に絞りながら与える。そして「追っ手は今のところ来ていない」そう言って、およねを安心させた。


 尚も治助は、まつの足跡を追って暫くは追いかけてみたが、日陰の雪もすっかり消え、諦めざるを得なかったと説明した。


 それから半時も経っただろうか、突然だった。正太郎が痒みを訴えると、そのあと更に痛い痛いと、巻いてある晒を自ら解こうとする。


 その様子から治助は「神経が通い始めたんだ」と、快方の兆しを伝えた。だがこれ以上の治療法はもう記憶に無い。


 こうなると正太郎の意志に沿ってやることしかできないと思った。その時、晒に残っている搾りかすの大根を、直接肌に当ててみた。すると正太郎は、気持ちがいいと言う。そこで砕いた大根を、晒に巻き込みながら患部の包帯としてみた。


 一行が麓に下りたのは、陽も傾き始めた午後のことだ。そこから一刻ほど歩いた先の宿場町は、およねの記憶にしっかりと残っていた。


 その一角に見覚えのある旅籠があった。前を通りかかると、そこの主が自ら飛び出してきて、おんぶされている正太郎の足を見るなり「難儀なさったねぇ」と如何にも同情的な言葉を掛けてきた。


 五十過ぎだろうか、顔は柔和なくせに、およねを観るときの眼光は鋭い。


 並んでいる治助と見比べて、およねに何かを言いたそうな顔を見せた。

一瞬だったが、また元のにこやかな顔に戻して正太郎を観る。「こんなに大きくなって、あの時の坊やかい」と聞く。


 およねはそれ以上を聞かれる前に、治助が親戚であることを説明した。主はそんなことは分かっているとばかり、如何にもという眼差しで、およねの話に調子を合わせてくる。


 この男、五平さんは信用していたようだが、元は土地者と呼ばれていた男だと知っていた。そして、再び正太郎の足を観て「若しかして凍傷かい」と聞く。「それなら風呂が一番だよ。ぬるめの風呂でゆっくりと温めれば、凍傷なんて治ちゃうさ」と笑いながら、正太郎を誘うように言う。


 だが背中の小さい手がいやいやしていた。何故か分からないが、およねにも、この主には良い印象が無い。


 それにこの先、もっと感じの良さそうな宿が、まだ二軒も控えているのだ。無理にこの宿に泊まる必要こそない。


 そう思っていると、主が「あれは昼前のこと、いやまだ朝のうちだ。蓑を被った娘さんが上田の方に行ったよ」と言う。


 およねも治助もまつの事だと直感した。


 すると主は二人を一瞬ギロリと観る。尚も目を輝かせて「それが、蓑も着物もずぶ濡れで、下には血がついていたり、足が腫れ上がって何かを隠し持っているようで、とにかく只事ではない様子だった」と語る。


 そして「悪い事は云わないから、今夜はここに泊って、坊やの足を治してやりな」と、誘った。


 こんな言葉を掛けられたら、母としては弱い。


 治助は、まつの事が気がかりでならなかった。およねもまつのことでは、確かめなくてはならないことがあった。


 先を急ごうとするおよねと治助の顔色を読んだのか、主は尚も引き止めようとする。


 そこで女中に言いつけて、正太郎と源次郎に団子を持ってこさせた。そしておよねの代わりに治助が持っている、五平のごっつい忍者刀を見て、あれ以来何かと物騒だと忠告した。


 あれとは、戊辰戦争のことで、この先の道中は時間的にも危険だと言うのだ。


 更に「お代のことは考えなくていいから、いつでもいいから、あとでここを通り掛かったときでいいんだよ。五平さんとは昨日や今日の仲じゃないんだからね」と諭すように言う。


 五平が死んだことを知らないのだ。そして主は正太郎の足を指して「これ以上寒気に晒すのは命取りだよ」と続けた。


 この一言が決め手となった。


 主は「今日のお客さんは、二人だけだから直ぐに風呂に行くといいよ」そう言って案内した。


 それから一刻ほどして、自力で歩く正太郎を連れたおよねが、風呂から上がって来た。治助はその回復ぶりに驚くばかりだったが、やっぱり「痒い痒い」と正太郎が連呼する。


 朝になると、今度は源次郎が騒ぎ出した。およねが何事かと起きてみると「助にいが居ない」と言うのだ。


 治助は隣の間に寝ているはずだった。襖をあけると布団がきちんとたたまれて、確かにいる気配がない。


 これはどうしたことかと思っていると、主が駆け付けてきた。「お連れ様は、先ほどお立ちになりました」と言う。


 驚いたおよねが詰め寄る。「まつ様と仰る方が、迎えに来た」と言うのだ。そんな筈はないと尚も問いただすが、まつの名前を知っている。


 これ以上を問いただすのもどうかと思い、主の話を聞くことにした。


 すると、昨日の朝方に蓑を被って通り過ぎた娘が、また今朝方早くにやって来て、人探しをしていると言う。


 聞けばおよねさんと治助さんの名前を言ったので、娘の言葉に偽りはないと思い、中へと案内した。そこへお連れの治助さんが起きて来て、二人でなにやら話し込んでいた。


 そのあと二人は慌ただしく発ったと言うのだ。そしておよねさんが起きたら、伝えてくれと言い残したのが「これからまつさんの家に行かなくてはならない。二~三日で戻るから、この旅籠で待っていてくれ」と伝えた。


 主は「確かに伝えたよ」と、念を押して「お代のことなら、いつでもいいんだからね」と、昨日の言葉を繰り返した。この時の主の懐には、宿代として、まつから過ぎた金を受け取っていた。


 それから二日たち、三日たっても治助もまつも戻らない。四日目になると、途端に主が豹変した。「いったい、どうなっているんだ」と言って、およねを責め立てる。


 そして五日目の夕方。主はおよねに向かって、五日分の宿代を請求してきた。


 正太郎の足はまだ治癒したわけではない。なのに昨日までの主は、宿代など、いつでもいいと言っていた筈だ。


 これでは話が違うではないか。それも、こんな夕暮れになって突然請求されても、今の持ち合わせは治助と子供たちの分を合わせれば、二日分をやっと支払えるていどの金額しかない。


 また、およねの顔色を読んだのか、主は昨日までの優しい声色に戻った。「まあ。こんなこと言っても、持っていないものは致し方ないね。そこでおよねさん、ものは相談だが、この先の奥に一寸した料亭が在ってね」と言う。


 尚も、顔色を窺いながら「そこで女中を探しているんだよ。どうだい、良かったら行ってみないかい」と聞いてきた。


 更に正太郎を見て「あの子に付ける薬だって、只じゃないんだよ」と、一瞬すごむ。


 確かに得体の知れない薬を、たのんでもいないのに何度も付けられていた。それとも、と言って五平の形見の忍者刀を指して「あれでも売ってみるかい」と、薄く笑う。


 正太郎には、もう少しだけでも養生させたい。せめてあと二日だけと思うと、女中の仕事を引き受けることにしてしまった。途端に主は、にこやかな顔に戻って「早いに越したことはない」と言い終わらないうちに、忍者刀を取り上げていた。


 先ずは、およねを油断させる様な言葉をかけて、一瞬の隙を狙う。物取りに加えて、これこそが土地者の技なのだった。


 更に「こんなものを持っていたら、あちら様が何を言い出すか分からないからねぇ。物騒なものは私が預かるよ」と畳みかけた。およねは今日明日の辛抱だからと自らを言い聞かせ、同じ事を二人の子にも言い聞かせた。


 しかし、およねを連れ出した主が戻って来ると、その態度は今度こそ豹変していた。


 寝ている正太郎を睨みつけて「何時までそうしているんだ。さっさと起きて洗い物をしろ」と、怒鳴りつける。そして布団を乱暴にはね除けた。これに驚いて泣き出したのは弟の源次郎だ。


 自分の身に何が起こっているのかを、正太郎は理解していた。そもそもはこの宿に入るときから、いやいやをしていたのは正太郎自身だ。


 かつて、その正太郎を取り上げた産婆が、これまで取り上げてきた何人もの赤ちゃんのなかで「この子には不思議な力がある」と、そう言われて誕生したのだ。


 それからというもの、母に起こっている難儀を報せたり、漁に出ている五平の危険を報せたりと、不思議としか説明のつかない事が何度も起こっていた。


 そして今度も、きっと危険な何かを予知していたのか、あの時のいやいやは、正太郎の不思議な力を示したと思った。


 それからまた二日が過ぎても、およねは帰らない。この頃から正太郎は、源次郎に「僕は殺されるかもしれない」と、呟くようになった。


 そのとき突然主がやって来て「いつまで風呂の火を焚いているんだ」そう怒鳴ると、正太郎を思いっきり蹴り飛ばした。九歳の正太郎は毬のように転がって、部屋の中央から廊下の端まで飛ばされた。


 尚も階段を転がって下の土間でやっと止まった。主は鬼の形相で下りて来ると、正太郎の胸倉を掴んで「さっさと消してこい。薪がもったいないだろうが」と、風呂の方向へまた突き飛ばした。


 源次郎は泣きながら主に向かって「母ちゃんは何処だ。返せ、母ちゃんを返せ。返せ返せ」と割れんばかりに泣き叫ぶ。


 夕暮れの街道は、想像以上に人通りが多い。何事かと足を止め、中を覗く者たちが次々に人だかりをつくった。


 これには主も驚いた。今日の客はもう無いと決めて、雨戸だけ残すと慌てて戸締りをした。


 人だかりたちは口々に「え。前から何度もあったことだって」と噂する。「じゃあ、あの子たちは何度も」別の誰かが「そうじゃない。あの旅籠に泊る子連れ客が狙わるんだ。毎年のようにこんなことが起こる。子供をどこかに売り飛ばしているらしい」と叫ぶ。


 すると一斉に「なに。人買いをやっているんだって」その一人が「人買い宿か」と、揶揄する。


 そんな事をいいながら、どよめきが上がる。それにつられて、人だかりはまだまだ増えそうな勢いだ。


 着流しに二尺もあろうか、脇差を腰に差した目付きの悪い男がやって来た。人だかりを掻き分けて、旅籠の低い鴨居をくぐった。髷を手拭いで隠している。どことなく妙な出で立ちだ。


 主は「これからお前たちは、この人の屋敷に行く。だから言うことをよく聞いて、大人しくするんだ」と、二人の兄弟に言い聞かせようとした。


 だがあんな事があったばかりだ、二人がそう簡単に大人しく従うはずがない。源次郎が再び「母ちゃんを返せ」と泣きわめく。


 主は、道行く人だかりを気にしていた。正太郎が弟に一瞥すると、ビタッと泣き止んだ。あれ程なにを言うが脅そうが賺そうが、叩くなどしようものなら尚のこと、火が付いたように泣き叫ぶ。その子が、兄の一瞥で泣き止んだのだ。


 着流しの男を、主はギンジと呼んだ。そのギンジが正太郎を急き立てて、宿を出ようとしていた。


 主が正太郎を睨みつけて「お前の弟がいない」と詰め寄る。外はすでに暗くなっていた。その暗い中に源次郎がぽつんと立っているではないか。


 そこから小さく「お兄ちゃん」と、開いた戸板の外から唇で声をかけた。だがその声に反応したのは主だ。「おお、そこにいたかね」と、奥に居る正太郎をまた睨みつけ、表に出ろばかり顎で指図した。そして蓑の束をギンジに渡す。


 一番新しい蓑をギンジが取り、残りの二つを正太郎に渡した。子供用の蓑などあるはずがない。源次郎が被ると、蓑の裾を引き摺ることになる。


 それに、あちこち藁が抜け落ちて、いくつもの穴が開いた様な状態になっていた。


 異臭も酷く我慢の限界だが、足のことを思うと正太郎も被り続けるしかなかった。


 その同じ蓑を、源次郎は何故か平気で被っている。蓑に付いている傘は、あご紐を結んでもガサガサと動いた。源次郎はそれにも、はしゃいでいるように見えるのだ。


 人通りが一旦治まった宵闇の街道だ。やがて、どこか見覚えのある道に入ると、次第に源次郎が遅れがちになった。


 ギンジは主から貰った酒の徳利を、肩から傾けては飲んで歩く。暫くすると、源次郎の覚束ない足取りに、イラつき始めた。酔っ払いは大声で急げと怒鳴る。


 正太郎は、この見覚えのある道を観て、本当に母が居るという屋敷に向かっているのだろうかと、不安になった。暫くすると人通りは絶えて、すでに人家らしい建物は見当たらない。


 やがて星明かりに照らされた道が、山に向かって細く続いているのが分かった。源次郎に、酔っ払いがまた捲くし立てる。だが振り返ると、ついて来る筈の姿が見えない。


 酔っ払いは、近くの草むらに腰を下ろして待つことにした。正太郎は心配になり後戻りする。二~三十歩も戻ったのだろうか、蓑を被った源次郎の姿が、暗闇にやっと確認できた。


 酔っ払いの怒号がまた飛ぶ。源次郎が「僕、おしっこ」と返した。今度は聞こえたのか、手を上げた酔っ払いは、懐から何かを取り出すと盛んに噛み始める。


 正太郎は、源次郎の所まで駆け寄ると、引きずる蓑の下から「これを持ってくれ」と、あの忍者刀を正太郎に見せた。「お前、これ盗んで来たのか」と兄が聞く。


 後ろ向きに、用を足している弟は「取り返したんだ」と居直る。尚も「これは、元々父ちゃんの刀だ。それを盗んだのは、あのおやじだ」と叫んだ。まさにその通りだった。


 ところで、正太郎が知りたかったのは、いつどうやって持って来たのかという事だ。


 その答えは簡単だった。あのおやじとギンジが、何かを話し込んでいるうちに、突き止めていた隠し場所に行って、刀を持って来ただけのことだと明かした。


 もう暗かったから背中に隠して、風呂場から表に出た。そこで兄ちゃんを待っていた、と言う。


 正太郎は源次郎の抜け目なさにまた驚いた。


 「まだか。行くぞ」とギンジの怒号が飛ぶ。


 源次郎が言うには、あの時のおやじとギンジの会話のなかに「いけなきゃ斬ってしまえ」と、聞こえたと言う。


 源次郎は「だから殺されるのは、兄ちゃんじゃなくて、僕なんだ」と怯えた。正太郎が、それは「どういうことかと聞く」すると、兄の方は欲しがっている人が居るから、間違っても傷つけるなと言っていた、と言うのだ。


 それでも正太郎は、自分だけが助かるとは勿論考えなかった。


 それよりもいまは「本当に母ちゃんが屋敷で待っているなら、会えるまではついて行ってみよう」という期待があった。


 それに今ここで逃亡しても、逃げる道はあのおやじが居る宿場町へと戻ることになる。なおも、今引き返せば母ちゃんとはこれっきりになりそうで、それだけは絶対に嫌だと思った。


 怯えている弟を励ましながら行くと、ギンジがそこに待っていた。そして「こっちだ」と言って、丸太を並べただけの粗末な橋を指した。そこから先は、見覚えのある道ではなかった。


 その事が、源次郎には母親に近付いていると、早合点させたようだ。それで少しは安心したのか、なんとなく足取りも軽くなった。刀も正太郎の蓑の下に隠した。


 そして兄は「もしものときは、この刀で源次郎を守る」と、まだ見えていない母に約束した。


 すると母への不安がまた過る。居るという場所には、本当にこの道で良いのだろうか。そこで正太郎は、母親が今どうしているのか、どんな事をしていのか、女中とはどんな仕事なのかと質問攻めにした。


 酔っ払いは、始めのうちはそれらしく答えていたが、次からは「うるさい」に変わった。そして最後には「そんなこと知るか」と、居直った。


 この瞬間正太郎は、こいつ知らないのだと覚った。ということは、これから行くという屋敷に母は居ない。


 僕と源次郎を連れ出したのは、なにか別の目的があってのことだ。僕には傷を付けるなと聞いたのは、母ちゃんとは関係ない別の理由からだと、小さいながらに推測した。


 このままギンジに付いて行っても母ちゃんには会えないと結論してみる。すると、母ちゃんは居ないという話に、全ての辻褄が合うのだ。凍傷だった足は、いまのところ強いかゆみも痛みも無い。やっぱり逃げることを考えようと正太郎は思った。


 よく見るとギンジの足元がふらついている。どこかで鐘の音がした。今のは亥の刻(午後九時)だ。これ以上ついて行くことは、母ちゃんとますます離れていくような気がした。


 ギンジは後ろを振り返り振り返り、身体を揺らしながら先に立って歩く。時々手招きしながら早く歩けと怒鳴っては、二人のまだ幼い兄弟を暗闇から睨みつける。


 そのとき源次郎の足が大きくもつれた。心配になった正太郎は「大丈夫か」と声を掛ける。


 源次郎はあの雪の峠越えをする時、兄の足が失われるかも知れない。と、そんな危機に追い込んだのは、自分のせいであることを、よく理解していた。だから六歳の源次郎は、兄に対して二度と我がままを言うまいと、小さな拳を握り締めていた。


 だが言うことを利かない足は、自分の意思ではどうにもならない。とうとうその場に倒れてしまった。


 また正太郎が駆け寄る。そこへギンジが戻って来た。鬼の形相を想像したが、星明かりにニタニタと笑っている。徳利をそこに置くと、二尺の脇差を抜いて源次郎に「小僧。タテ」と脅した。


 言われるまでもなく源次郎は、立とうとしているのに、酔っ払いは執拗だ。


 感覚の無い足で何とか立ち上がる。


 それを待っていたかのように、ギンジは刃をその幼い子に向けた。驚いた正太郎が割って入ると、ギンジをこれでもかとばかり睨みつけた。


 蓑をすっぽりと被っている子供の顔は笠の下だ。上から見下ろすギンジには、正太郎の目どころか表情さえ認識できない。


 なのに、九歳の子から発せられるこの妖気に、ギンジは思わず(おのの)いた。


 更に、暗がりの中でもう一つ見えていなかったものがある。それが五平の忍者刀だ。


 正太郎は、その刀を鞘のまま、刃を上向きにして構えていた。ギンジが振りかぶれば、その瞬間、鞘を弾き捨てて突進する覚悟だ。


 これが五平から伝授された最初で最後の剣術だった。


 絶対に負けない必殺法として、正太郎は頭の中で熟達していた。九歳ながらその自信が、ギンジを威圧したのだろうか。

 それとも、酔っ払いの神経に何かが過剰反応したのか。あるいは「上の子に傷一つ付けるな」と言っていた、あの言葉なのか。


 ギンジは振り被ろうとした脇差を、しぶしぶ鞘に収めた。結果として正太郎は、振りかぶる瞬間への合わせを、実戦的に学習した。


 酔っ払いのギンジは、子どもたちの後ろに回って「歩け」と尚も急き立てる。


 ここからは緩い坂が、暗闇に真っ直ぐどこまでも続いていた。


 山中へ消える道はますます寂しくなり、僅かな田んぼが川の周り残されているのが暗く分かった。もちろん人家らしきものなど無い。やがて山道は、闇の雑木林の中へと囲まれていた。


 こんな先に、屋敷らしい建物が本当に在るのだろうかと思った時、遠からせせらぎの水音が聞こえて来る。さっきまで平行していた川の支流なのか。明かり一つない闇の山並みに、ギンジが言う建物など見当たりもしない。


 長い直線が終わるころ、源次郎は体力も気力も限界を超えていた。それでも、おんぶすると言う正太郎の言葉を拒んだ。


 そしてとうとう、蓑のままはいはいを始める。いや、そんな風に観えたのだ。


 それは、源次郎が道に落ちている小石や砂粒を、小さな手にいっぱい拾っていた。そのはいはいが酔っ払いの神経を逆なでした。


 先を行く正太郎を、後ろから睨みつけては「さっきは小僧に邪魔されたが」そう言って再び柄に手を掛けようする。


 その瞬間を、源次郎は逃さなかった。立ち上がると同時に「兄ちゃんと」叫ぶ。


 握った小さな手が、覗き込もうと前かがみになったギンジの目を、小石や砂粒が直撃した。


 僅か半間(およそ九十センチ)に満たない距離が、小さな手に味方した。


 一旦は、大上段に振りかぶった瞬間、視界を失ったギンジは振り下ろす機を狂わされた。これも味方した。


 源次郎の「兄ちゃん」と叫ぶ声に、全てを察した正太郎がギンジの下っ腹に、狩猟丸ごと体当たりしていた。


 二人はそこから一目散に走る。


 緩いとはいえ上り坂だ。源次郎のどこにそんな体力が残っていたのかと、驚くほど走った。


 とにかくギンジが倒れているところから、少しでも遠くに脱したかったのだ。


 道は一本道、登るよりほかに逃げ道など無い。結局ギンジが目指していた先と一致する事になる。


 徐々に足の遅くなる源次郎の手を強引に引っ張りながら、体力の続く限り走った。すると正太郎も、力尽きて枯れ草に倒れ込んだ。


 枯草からは、夜の冷気が伝わってくる。暫くして、源次郎が「兄ちゃん。腹減ってない」と突然きく。


 たった今起こったばかりの血統を、過ぎ去った夢の如く言ってのけた。そういえば、昨日の昼におにぎりを一つ食べただけで、他には何も口に入れてなかった。


 あのおやじの前で、御飯をくれなどといおうものなら、すぐに叩かれたからだ。それで二人ともひもじさを我慢するしかなかった。そこで正太郎は、源次郎の差し出す手に驚いた。


 それはギンジが酒を飲みながら、何かを噛んでいた。


 その何かか源次郎の手にあるするめだったのだ。「おまえ、それをどうして」と聞く。源次郎は「あいつの懐から取って来た」と自慢した。


 兄は、改めて弟の抜け目なさにまた驚かされた。するとなぜか、ギンジを刺したときの感触が、突然掌に蘇って来る。ところが、源次郎との会話が始まるとなぜか忘れる。


 その源次郎がうとうとを始めたとき、遠くに一つの明かりが、小さく揺ら揺らと降りて来るのを見た。


 何だろう。「狐か」と正太郎は思った。源次郎は、もう眠ってしまったようだ。それを観て、これでは逃げられないと覚った正太郎は、忍者刀を構えて待つことにした。


 今度はなぜか、ギンジと対峙した時のような、心臓のバクバクも緊張感もない。


 揺らぐ明かりは意外なほど早く、正太郎の所へと近づいて来る。間違いなく提灯の明かりだ。持つ男の輪郭をぼんやりと照らし出していた。


 きつねではない。確かに顔がある、手があるじゃないか、いくら暗くても間違いなく人間だと確信した。


 その人間が「おい。お前たちギンジに連れられて来たのか」と声を掛けた。正太郎はそうだと言う。


 尚も近づいて来る男は、ギンジと同じように手拭いで髷を隠し、着流しに長い一本刀を差しているのが分かった。


 正太郎は、小太りのこの男に自然と身構えた。一つの修羅場を搔い潜ったことで肝が据わったのか、男の挙動を冷静に見据えることが出来た。


 迫って来る顔は、あのギンジよりずっと年寄りに見える。


 すると、手招きしながら「ぼうや、驚かなくていいんだよ。お前たちを迎えに来た」と言う。「この先に宿があるから、そこまで案内する。何も心配ないからついておいで」と促した。


 正太郎が源次郎を起こそうとすると、男は「いいから、いいから」と、言って「おじちゃんが抱っこしていくから」と言うなり、源次郎を蓑ごと「くせぇ」と言いながら鷲掴みに背負った。


 ちょっと乱暴だ。正太郎は蓑の下から忍者刀の柄を握っていたが、源次郎を人質に取られては致し方ない。


 そこで男は「ギンジはどうしたんだい」と聞く。


 正太郎は「酔っ払って下で寝ている」と答えた。男は「またか」と鼻で吐いて「しょうがねえ野郎だ。それで、どの辺りにいるんだい」とまた聞いてくる。


 そこで「下だ。ずっうと下だ」と繰り返した。男は「ずうっと下とは、どの辺りかい」としつこい。


 尚も「橋を渡る前か後か」と聞く。正太郎は、まさかギンジを倒したあの場所だとは言えず、ずっと下の道中を思い描いて「橋の前だ」と答えた。


 あまり近い場所を言えば「そこまで戻る」などと、言いかねない。すると男は「酒はどうした」と聞く。


 正太郎は、この男がなぜ酒の事を知っているのかと、反射的に疑問したが、いまは黙るしかない。だが咄嗟にギンジが飲んでしまったと答えた。


 男は「じゃぁ、ここにはねえのか」と言いつつも、辺りを探すような目で、正太郎の周辺の暗がりに視線を移していく。そして独り言のように「酒を待っていたはずだが」と、吐いて、提灯を正太郎に持たせると「さあ。歩きな」と、ギンジと同じように怒鳴った。


 いまは月こそ無いが、冬晴れの星明かりは提灯など無くても、歩くには事欠かない。それでも男は「おい、小僧。俺の前を照らせ」と、また怒鳴る。


 正太郎は隠し持っている忍者刀が重くて仕方なかった。腰紐に差してあるのだが、歩く度にずり落ちていく。それを左の脇で押さえてやっと止めていた。源次郎はこの重い刀を持ったまま来たのだ。それを思うとまた驚かされた。


 前を照らせという言葉に従って、左前に出てると右手で提灯の柄を持つ事になる。左手は、蓑の下でずり落ちようとする刀を、止めることに成功した。これなら左手は男からの死角となり、動きも不自然さも覚られることは無い。


 だが、咄嗟のときこの刀を使うことができない。結局正太郎は、男の動きに注意しながら歩かなければならず、そのことで更なる疲労へと追い込まれた。


 冬の夜道は、山の中腹へと続いているのが確認できた。その中ほどに、ぽつんと小さな明かりが見えている。


 男はそれを指して「あれが今夜泊る処だ」と言った。正太郎は「母ちゃんのいるところ」そう質すと「まあな」といい加減な返事が返って来た。


 それに屋敷だと聞いていたが、処に変化した。例え屋敷だとしても、やっぱり嘘だと思った。それに、こんな山奥の、たった一軒だけの屋敷なんてあるもんか。幼いながらにも、この男もギンジと同じように騙すつもりなんだと思った。


 源次郎は、男の肩ですっかり寝入っているようだ。さっき倒れ込んでいた草むらの中よりは、男の肩の方がまだ寒さを凌げるとは思った。


 忍者刀の重さで鈍くなりがちな持つ手の位置を、変えながら耐えるしかない。肩にいる弟の姿を改めて観ると「こうなってはすっかり人質だ」そう思った。男が言った「おじちゃんが、おんぶしてやる」の言葉の意味がいまになって分かった。


 この小太りの男は、酒の他に何故自分たち兄弟がこんな夜道に居るのか、その理由をどこで知ったのか。と、九歳の頭にまた新たなる疑問が沸く。


 そこで思い出したのが、母親を料亭へ案内すると言って連れ出す少し前の事だ。その主が手紙を書いていた。


 正太郎が不思議に思ったのは、手紙と一緒に銭を包んでいたことだ。これは手紙の受け渡し代だったと、いまになって合点した。


 直接渡すなら、わざわざ銭を包む必要はないのだ。あの手紙は、小太りのこの男に届ける為だったと確信した。


 忍者刀を持つ手に思わず力が入る。男の足元を照らしながら危険が迫っていることを改めて覚った。


 ぽつんと付いていた建物が見えて来ると、正太郎が想像した通り屋敷なんてものではない。どう見てもこれは、農家が農繁期に使う作業小屋だと思った。


 もちろん辺りには、家らしい建物など見当たらない。ここは深い山の真っただ中だ。


 ぽつんとある小屋は、峠道を外れて脇道から少し上がった所に建っていた。


 六畳ほどの土間の奥に、十畳以上もある板の間があり、真ん中には大きな囲炉裏が燃え残った炭火を輝かせていた。


 見えていた灯かりとは、この囲炉裏から漏れたものだ。男は薪を入れると、残り火から火を付けた。


 そこへ源次郎が被っていた蓑を投じる。「こんな臭えもの、よくも被っていたもんだ」そう言いながら次の薪を入れる。


 源次郎は眠ったまま起きそうにもなかった。正太郎は源次郎が被っている笠の紐を外すと、男が、土間の隅に積み上げてある干し草を指して「そこに寝かしてやんな」と、ギンジと同じようにあごで指図する。そして「おめえもな」と言うなりごろりと横になった。


 蓑に隠した忍者刀を脇に置くと、干し草の上に横になった。だが土間からの寒気ですぐには眠られそうにない。


 源次郎から貰ったするめを、男から見えないようにして噛んた。時々囲炉裏の火がパチパチと音を立てる。男も時々手を伸ばしては、薪で火をつついていた。


 遠くで鹿の鳴き声だろうか、何とも悲しげに聞こえた。母親のことを聞きたかったが、やっぱり怖くて出来ない。そのままいつの間にか眠ってしまった。


 早朝、源次郎の泣く声で目が覚めた。母ちゃんはどこだとわめいている。男が起きてきた。「泣き止まねえと、本当にぶった切るぞ」と怒鳴って、刀を抜く。


 正太郎は、蓑の下から忍者刀を構える。男は「おめえ。まだそんな臭えもの持ってんか」と正太郎をじろりと睨んだ。その男を正太郎も睨み返した。


 すると男は、一瞬にっこりしたかと思うと、隅に置いてある竹籠を前に出した。そこから握り飯を取り出して、正太郎と源次郎に一つづつ手渡しした。


 源次郎は途端に泣き止んだ。男は尚も「お前らが早く来ねえから、おめえの母ちゃんは、先に出ちまったんだ」と、また源次郎に嘘を言う。そして「母ちゃんに会いたきゃ急いで歩くんだな」と二人に怒鳴った。


 正太郎は、そんな嘘に騙されるもんかと思ったが、いまは聞いたふりをするしかない。


 握り飯の表面は、干からびて固い。男はそこに味噌をぬって食べた。が、二人の兄弟はそのまま食べるしかなかった。


 表に出ると登り始めた朝日が眩しい。森を抜けたところに、桑こき後の広大な桑畑が拡がっていた。これを観て正太郎はなるほどと思った。この建屋は桑の葉を出荷するための作業場だ。


 いつかお父うと、こんな小屋に雨宿りした事があった。その父ちゃんも母ちゃんも今は居ない。若しかすると、母ちゃんもこの世には居ないんじゃないのかと、そう思うだけで不安になった。


 また、この事を聞けば「死んでる」と、決定的な答えが返ってきそうで、その一言が最後まで聞けなかった。


 男は「昼前にあの峠を越える」と指さす。木々の間から観える山の中腹には、九十九折りの細い峠道が垣間見えた。


 来るときとは明らかな違いがある。峠に近づくにつれ日陰にはまだ雪が残っていた。


 源次郎も正太郎も、この急坂と昨日からの疲れで、もう脚が動かない。道が曲がるたびに、倒れこむように蹲った。


 男はいぜん怒鳴るが、動かない脚は自分でもどうにもならない。すると男は、源次郎の襟首を掴んで、昨夜と同じように肩に担ぎあげた。


 仕方なく正太郎は後に続く。その周りの景色から、まったく別の峠であるとはっきり認識した。


 朝から隙を見ては、隠れそうな雑木林や脇道を探しながら来たが、そんなに都合よく見つかる筈がない。


 やがて峠道は、登るにつれ北風の冷たさがいっそう身に染みる。治りかけていた凍傷が疼いていることに、また不安が沸き起った。今のところ痛みこそないが、このままではいずれ酷くなると思った。だが、今はどうにもならない。


 やがて長い長い日陰の急坂を抜けると、ようやく開けた尾根に差し掛かった。そこは、九歳と六歳の子にも峠の最頂部であることが分かった。


 男は源次郎を下すとまた急げと怒鳴る。その尾根を越えると、途端に日当たりが良くなった。こんなことで傷が癒えるわけではないが、凍傷の足には確かな温もりを感じた。


 山の中の峠なのに、こんにも広大な平が開けている。よく見るとそこは湿原なのだろうか、閉ざされた氷の表面から、何かの葉やら水草の茎やらが一面に突き出ていた。


 源次郎は峠を越えたことで、黙々と歩くようになった。それとも男から言われた、急いで歩けば母ちゃんに会えると、本気で思っているのだろうか。こんな弟の姿を見るのは初めてだ。


 下に集落でもあるのだろうか、粗末な家が冬を迎えた田んぼを避けるように、数件が建ち並んで遠くに見えた。その一郭からこっちを観ている人影に気が付いた。


 正太郎は、近づくにつれ腰の曲がった老婆だと思った。老婆は田んぼのあぜ道に杖を突いて、この奇妙な三人連れを遠くから観察でもするような眼で眺めていた。



二十、再会


その頃およねは、街道目指して走っていた。追いかける数人の男は、みんなギンジと同じ出で立ちだ。


 頬かむりで髷を隠し、着流しに長い打ち刀を差した一団だ。その男たちが血眼になっておよねを追いかけている。


 真冬の田圃が続くあぜ道を走りながら、後続の男に「おい。聞いたか、伴治の野郎、片腕を折られてのされていた」と叫んだ。


 後続の男は「なに、あの伴治が。まさか、腕を折られてのされたって。あの女にか」と訊く。


 前を行く男は「そうだ。あんまりいい女だから、野郎むらむらっときて、閉じ込めてあった蔵の錠を開けたらしい。そこで腕を折られて気絶していたと聞いたぞ」後続は「確かにいい身体だったが、大の男の腕をへし折って、気絶させるなんて、信じられねえ。あの女の何処にそんな力があるのか、この目で見るまではな」と、懐疑的だ。


 街道から一歩外れると、そこの地形はおよねの記憶には無い。どの方向も初めて見る景色ばかりだ。


 記憶を巡らせるも、連れてこられる時は、西の山並みに夕焼けの雲が掛かっていた。その違いで、山の稜線や特徴がいま一つ思い出せない。


 そこで陽のある方向と時刻から、目に残る稜線の変化を想像してみる。更には、水墨画に出てくるような特徴の山が、近くに見えていた事を思い出した。


 いま近くの山といえば、この先にある平地の正面に、ぽつんとした小さなあの山しかない。尚も、記憶していた水墨画の特徴とも明らかに違う。


 もう一度、陽のある方向を確認すると、やっぱり別の山だと判断した。だが近づくにつれ、山全体の規模と周囲からの位置関係は同じだと想定した。


 すると正面の山は、連れて来られた時とは逆方向から見ているため、記憶とは違っているのではと推測した。すると、進むにつれ変化する景色は、水墨画のような特徴が少しづつ見えてくる。


 背後の山並みも、稜線の形から徐々に記憶と一致してくるのが確認できた。その向こうへ抜ければ、記憶にある街道にきっとたどり着けると期待する。他に選択肢のない今は、掛けるしかないのだ。


 ここから暫くは、田んぼが連なり平坦な土地が続いている。更に向こうの麓には、あの時越えてきたと思われる低い峠が観えた。これは記憶と一致している。もう間違いないと確信した。


 そこは峠と言うより、全行程にある緩い起伏と言った方が正しいのかもしれない。


 道の両側にある針葉樹の並木にも見覚えがあった。五平さんは「俺たちは、この道を行く」と、言った。枝分かれする、ずっと平坦で広い道より「並木の方が近道で、地元の人たちもこの道を通る」と、案内された。


 だから、およねも本道とされる新道は、通ったことがなかった。ただ道の両側に並木が立ち並んでいるのは、旧街道である印だと覚えていた。あの時の五平の言葉が、背中を強く押した。そのことで峠を越えようとして、正面のあぜ道に飛び出した。


 途端に「いたぞ」と、こっちを指している男が後方の遠くにあった。この距離であれば、とりあえず追いつかれることはない。だがその後は逃げきれるか否かは定かではなかった。


 閉じ込められていた蔵では、一対一だったから相手を倒すことが出来た。しかし今度は複数だ。それも何人追って来ているのかさえ分かっていない。(逃げる者は、必ず追いつかれる)ここは戦う以外に、逃げ切る道はないと腹を括った。


 緩い峠に差し掛かると、両側の並木は身を隠しやすい松の古木だ。途中で拾った枯れ枝を握って、何も無いよりはいいと思った。いや、むしろ枯れ枝のほうが戦いやすい。

 

 すると別の後方からも「こっちだ」と仲間を呼んでいる。およねは近くの大木に駆け上がると身を潜めた。そこへ二人の男が息を切らせながらやって来る。


 見通しのきく前後を探るように、眺めまわしては「もう追いついてもよさそうなもんだが」そう言っている。うち一人は「たかが女だ。そんなに遠くまで行けるわけがない」などと返す。


 並木を一歩外れた外側は、ちょっとした崖っぷちになっていた。およねはこれを利用しようと考えた。


 二人の男は、前後左右を繰り返し眺めまわすが発見できない。その一人が、並木を指して「おい。呼吸(いき)を合わせろ」と、もう一人に怒鳴る。


 二人は一、二、三、で一斉に木の裏側に回って、首を突き出した。同時に前後も見渡す。「居ない」と一人が言う。


 もう一人は「まるで狐にでもつままれているようだ」そう言って、反対側の並木に向かった。そこで同じことを繰り返す。


 追う者は前後左右に注意を払っても、頭上には注意が向かないものだ。


 突然一人が悲鳴とともに倒れる。枝からから飛び降りたおよねが馬乗りになっていた。透かさず脇差を鞘ごと奪い取ると、バランスを崩していた男は、谷底へと転がった。


 それを助けようと、もう一人がダッシュした瞬間、いきなりつんのめった。勢い余って、そのまま転落する。つんのめった枯草の中には、持っていた枯れ枝が突き刺さっていた。


 その枯れ枝を地面から引き抜くと、忍者走りで走った。間もなく緩い起伏の峠に差し掛かる。


 ここまでは人家らしい建物は一切無く、牛を牽いた農家の老人だろうか、並木のずっと先を小さく横切るだけだ。奪った脇差で、枯れ枝の先端にある二股だけ残して、木刀代わりに整えた。


 暫く行くと、並木に切れ間が見えて、老人と牛が消えて行った脇道を過ぎる。そこで峠までの道程が、直線的に一望できた。緩い頂上まではもう少しだ。


 およねは、牛が消えて去った脇道まで一旦戻って、自分の足跡がその脇道に入ったように見せかける。小石を起こして、牛の足跡に繋げた。そして並木の外側から迂回して元の峠道に戻る。


 この細工に引っ掛かるか否かは分からないが、何もしないよりは可能性に賭けてみようと思った。


 振り返るも追っ手の姿はまだ見えない。辺りにも人影が無いことを慎重に見極めた。緩い峠の頂点らしきを越えると、さらに視界が開けて冬の田畑が遠くの平地にまで続いているのが分かった。


 だが、さすがのおよねもここまで来ると体力に限界を感じる。追いつかれたときのことを思うと、少しでも温存していなければ戦えない。そこで直線が続く限りはと、歩くことにした。見通しがきくうちは、追っ手の気配を知ることができるからだ。


 するとどうだろう、正面に望む景色こそ、五平さんが言っていた見覚えのある近道に間違いないと確信した。


 後ろにはまだ人の姿が無い。時間的には、新手に追いつかれてもおかしくない頃だ。


 本当に牛の脇道に入ったのだろうか。緩いとはいえ、頂点の向こう側は死角で観えない。だが、もう一度振り返ると期待は一瞬にして消えた。


 峠に立つ馬の姿がそこにあった。一声いななくと、およね目指して駆けてくる。遠目にも二人乗りだと分かった。


 蹄の音がたちまち大きくなり、地響きに変わった。


 道は開けた田畑の中を突っ切るように、遠く見える旧道へと続く。そこからは身を隠すような物など無い。およねは馬上の男が、槍を持っていることに危惧した。しかも足軽が持つ長槍のように見える。


 そんなものを障害物の無い、冬の田畑などで振り回されたら迎え撃つ術がない。


 そこで畦道の上にある、薪などを積み上げた簡易的な長小屋に向かった。屋根だけの長小屋には、農作業に使う長尺物が収められているはずだ。


 まだこんなところで死ぬわけにはいかない。正太郎と源次郎の為に、戦ってやると意を決した。それを天が味方しているのか、およねの運はまだ続いた。


 たしかに有る。そこには稲穂を掛ける頑丈そうなはぜ掛けが、薪と屋根の間に隙間なくぎっしりと横たわっていた。それを取ろうとして、畔に上がった事で、疾走してくる馬の様子がはっきりと見て取れた。


 すると、どこか様子がおかしい。およねは乗馬ぐらいなら出来るが、馬について詳しい訳ではない。ところがこの馬、手綱を握る男の意思と馬の意思がちぐはぐに観える。


 そこで更によく観ると、後ろの男が手綱を握る前の男に、何やらを指図している。


 なるほどと思った。手綱の男は、おそらく馬の飼い主で、後ろで槍を持っている男は、逃げ出して来たあの屋敷の用心棒に違いないと判断した。


 槍の男は、馬の習性も扱い方も知らないのだ。だが飼い主は、男の指図を利かなければならないのだ。だから、ちぐはぐな動きになったと覚った。


 一旦は、はぜ掛けで対抗しようと考えたが、疾走して来る馬には時間的な余裕が無かった。そこでおよねは、積み上げてあるはぜ掛けや、薪を結わえている縄を手あたり次第切断しながら逃げた。


 すると絵に描いたように崩れ始める。それが所せましとばかり、凍り始めた田んぼに散乱する。疾走してくる馬はコース変更を余儀なくされた。


 馬は、およねの目の前にある、薄氷の下のぬかるみに急停止する。嫌がっているが、後ろで槍を構えている男は強引だ。およねは、そのぬかるみを越えて立ちはだかった。槍の男は、何をこしゃくなとばかり、馬を突進させる。


 蹄はぬかるみに取られ、つんのめった弾みで後ろの男を投げ出した。馬が転倒するまでには至らなかったが、飛ばされた男は宙に大きく弧を描くと、およねを越えて後の土手に投げ出された。


 男の槍がおよねの足元に転がる。すると飼い主は、そのまま元の街道へと逃げ去った。その背中は、継ぎ接ぎだらけの野良着だった。


 宙を、これでもかとばかり飛ばされた男は、槍がおよねの足元に転がっていることを知る。こんなことでこの俺様が怯んでたまるかとばかり立ち上がった。


 逃げた女郎など、煮て食おうが焼いて食おうが俺様の勝手よと、脇差を抜いく。その構えから、少しは武芸の心得があると分かったが、この男たちの素性は元々野武士だと知っていた。


 剣術を本当に修業した者であれば、これほど矛盾する構えにはならない。およねは既に勝負するまでもないと思いつつ、枯れ枝を構えた。


 男は女郎のくせにと、薄笑いを浮かべて唾を吐く。尚も、およねの様子に、脇差がありながらわざわざ棒切れを太刀替わりにするとは、その様が気に食わなかった。そこで「なめるな」と唸って斬り付ける。


 ところが、男の切っ先がおよねに達するまえに、枯れ枝が、小手から面を打ち、次には両眼を狙っていた。二股の先端が、人類最大の急所で寸止めされていたのだ。


 ここで男は、やっと自らの立場に恐怖した。余りにも実力の違いを見せつけられたからだ。


 およねはあの峠道に在った雪の樅の木で、役人を殺めている。そのことが奥深くに刻み込まれて、いざというき咄嗟の対応が出来るのだろうかと、自らへの不安があった。真剣では一瞬の躊躇いが生き死にを決する。だが、枯れ枝なら躊躇うことなく反撃できる。これが枯れ枝を木剣とした理由だ。


 男は視線を外すと逃げ出した。およねは、これ以上厄介なことにならないようにと、正太郎と源次郎の運命を掛けて、足元の槍を男の背中に投げつける。するとあっけなく倒れ込んだ。


 だが新手にたちまち囲まれた。その一人は弔い合戦とばかりに、刺さっている男に足を掛けて、力任せに槍を引き抜く。それをおよねに向けると、四人目の男が加わった。たかが女郎一人に、この物々しさとは一体なんだ。まだ増えそうな気配がある。


 およねが閉じ込められていた屋敷には、広大な敷地に蔵がいくつも並んで建っていた。その一つに閉じ込められていたのだ。


 だから他を見たわけではないが、男たちの話しぶりからすると、常に四~五人の用心棒が居ると想定していた。


 ところが、こうして次から次へと現れる新手は、いったいどこからやって来るのか。そこで、あの男の言葉を思い出した。「女は売り物だから傷つけるな」と言っていた。


 これは、狩り集めた女たちを、あの屋敷から売りさばく為の拠点としているのではと仮定してみた。


 ということは、やっぱり奴らの正体は、人買いなのだ。だから捕らえた女を、女郎と言っていることに合点した。


 奴らにしてみれば、例え一人でも逃げられたら、そして奉行所などに駆けこまれては大変な事になる。もみ消そうとすれば莫大な金も掛かる。何がなんでも連れ帰るか、最終手段として殺すほかはない。おそらくその為の用心棒として、抱えていたに相違ないのだ。そこへ五人目の新手が加わった。


 対峙する五人も、同じような着流しで、言葉にも旅籠の主と同じ訛りがあった。


 それが、およねをあの屋敷に連れてきた理由と繋がった。すると、拉致した女の内、指先の柔らかい少女は製糸業に、そうでない女は女郎という事なのか。


 槍を構えた正面の男を除いて、みんな同じように二尺ほどの脇差を抜いた。どこか遠くで馬の蹄が聞こえる。およねが後ずさりすると、男たちも前に進み出る。槍の男が威嚇突きを繰り返して、徐々に間合いを詰めてきた。


 他の男たちは遠巻きに「この女郎はできるぞ」となどと言いながら、互いに目配せする。


 そして口々に「おまえ行け」などと、先陣の押し付け合いを始めた。すると槍が「ゆっくりと詰めるんだ」と、如何にも手慣れたふうな口を利く。


 およねもゆっくりと後ずさりするが、薪やはぜ掛けの竿が散らばる中へと導いているように観えた。命取りになり兼ねないような足場に、わざわざ男たちを引き込んでいるのだ。


 囲もうとする四人は、まさか薪や竿が災いするとは考えもしなかった。いまは、およねを取り囲んで動きを封じる。そこを生け捕りにしようという意図が観えていた。


 土手と田んぼの間には枯れた用水路がある。およねは、その土手を背に構えた。後ろに回られない為もある。


 そこで、用水路のへりからはぜ棒が突き出ている事に気が付いた。


 四人の男は、あと一太刀分まで詰め寄ったところで、およねの動きを封じたという自信があった。


 あとは槍の男が穂先を突きつけ、縄を掛ければ一件落着のはずだった。


 ところが男は、顔面を覆ったまま倒れ、持っていた槍が転がる。ヘリから突き出ていた、はぜ棒の先端をおよねの足が、弾みをつけて踏みつけたからだ。ヘリを支点に、てこの作用点を踏みつけた事で、力点が大きく跳ね上がり、前屈みになっていた男の顔面を突き上げていた。


 元々男は猫背のうえに、尚も顎を突き出していたのが災いした。


 だが顔面を突き上げる前に、はぜ棒は男の両腕と槍の柄を直撃していた事で、威力は半減した。これが間合いの均衡を破った。


 先陣を切った一人は、次の反撃を覚って思わず躊躇った。およねが枝と打ち刀で、二天一流に構えてみせたからだ。一瞬の恐怖が過る。女に傷を付けずに生け捕りにせよとの命令が、これほど重いものだったとは、今更ながらに思い知らされた。


 槍の男は、出血と顔面からくる激痛で顔をゆがめながらも、槍を杖代わりに立ち上がる。およねに逃げ場はもう無い。


 後ろに回られないためには、街道への土手を上がるしかなかった。


 それでも、五人の包囲から逃れることは出来ない。冬枯れの土手は日当たりがよく、溶けた霜で滑りやすかった。背後に回ろうとする若い男が強引に登る。


 その脚に切りつけた。切っ先がやっと届いた程度で傷は浅い。それでも若い男の戦意を封じた。


 手負いの槍が、およねを狙っている。透かさず死角になるようにと、動けないでいる若い男の影へと入った。そこはすでに街道にある路肩だ。


 一段高くなった街道からは、土手下の男たちを見下ろす形になる。およねに比べて、体重の重い男たちは、滑りやすい土手に足を取られてもたつく。


 そこでおよねは、見覚えのある方角へと走った。いまここで戦えば、もう一太刀ぐらいはあびせられたかもしれない。だが多勢に無勢、およねも手傷をおう可能性は十分にあった。傷を負えば、次の敵とは戦えない。それは自らの死を意味し、同時に正太郎と源次郎の死をも意味する。


 逃げる者は、何時か必ず追いつかれる。例えこの場を凌いでも、追ってくる五人から逃げ切れるとは思っていなかった。


 雪の中で立ち向かったあの時のように、今度は街道脇の並木にある低い枝の下を、わざと潜り抜けた。そして打ち刀を構える。今度は躊躇いが無かった。


 追いかける者の習性は、同じようにして潜り抜けようとするものだ。


 この一番手の男は、槍に目配せされていた男だった。刃を光らせながら、頭を低くして枝の下からかま首を突き出す。


 およねはその一瞬を捉えた。


 気合の代わりに正太郎の名を叫んだ。切っ先は、真っ直ぐな軌跡を残すと、地面に寸止めする。


 鈍い音と共に首が転がった。


 それを間近で目撃した槍の男は、二番手に「お前行け」と怒鳴る。ところがこの男こそ、落ちる首をもっと間近に見てしまった男だ。しぶしぶ前に出たものの、およねに続こうとはしなかった。


 槍の男は、三番手に向かって「行け」と怒鳴る。三番手は、最後尾に向かって「お前だ」と、割れんばかりに怒鳴った。最後尾は、およねの一太刀で戦意喪失した若い男だった。

    

 それが、いつ戦意を取り戻したのか、脚の傷を抑えながらダッシュした。およねがいくら大女の俊足でも、若い男にはかなわない。


 そこには、四辻となった一角に、高い杉の古木が二本並んでいた。周囲はまた田んぼに囲まれた平地だ。


 およねは並んでいる杉の間をわざと抜ける。追いかける者には、本能的な性というものがある。こんな時こそ、その性が現れるものだ。


 若い男は、あの時の一番手がそうしたように、およねの後ろを倣うように、杉の間を抜けて来る。


 そこでおよねは幹を一回りし、若い男の背後につけようとした。だが若い男は、およねの背中が幹を回り込む直前で思い止まると、逆に後ろへと退いた。「そうはいくか」とばかり振り返る。


 これがまた災いした。勢い余ったおよねと衝突する寸前で、今度こそ若い男の太ももに脇差が貫通していた。弾みでそうなったが、刃の激痛でもう立ち上がれない。


 結果として、若い男もおよねも、これ以上の殺生を回避した事になった。


 だが槍を持つ男は、鼻血も顔面からの激痛も、あの女郎さえ居なければこんな事にはならなかったと、降りかかった不遇の全てをおよねのせいにした。


 鼻は曲がったまま。観えるはずの視界もピントが合っていない。あん畜生、みんなに回した後でこの槍が止めを刺してやるそれまで待ってろと、生け捕る事をすっかり忘れてしまった。


 天誅が起こったのはこんな時だ。ピントの合わない眼がおよねの姿を見失った瞬間、松の枝が痛めた男の顔面を更に直撃した。


 直接武器とならなくても、利用できるものは何でも利用する、源次郎が握った砂粒も、はざ掛け棒も(しな)らせた松の枝も、自然界の全てが武器なのだ。


 仰向けに倒れた男の顔面は、再び真っ赤に染まっていた。だがおよねは、囲まれた手下の刃で身動き出来ない。


 それを観て起き上がった槍の男は、およねを眺めて薄く笑う。そして二人に「今度こそ逃がすな」と、怒号を浴びせた。


 そしておよねに穂先を向けると、再び「そうだ。ゆっくりだ。もっとゆっくりとだ」と、間合いを詰めさせる。


 およねも、再び用水路を背にしたが、今度は幅も広く一跨ぎ出来るようなものではない。更に、深さもあり真冬の冷水が音を立てて流れている。一歩間違えば流される危険さえあった。


 右には槍、左からは間合いを詰めて来る男が二人、狭い街道の路肩でとうとう動けなくなった。


 槍の男は、およねの首元に穂先を突き付ける。そして「刀を置け」と怒鳴った。


 仕方なく右手前に刀を置き、左手前に木剣代わりの枯れ枝を置く。左から迫って来る一人は、槍と交差するように打ち刀を突きつける。もう一人は、刀の下緒を解き始めた。およねを縛り上げるつもりだ。


 この瞬間、およねの右足が置いた刀を蹴り上げ、槍の男狙って飛んだ。同時に、帯の間から根付のように揺れている小さな房を掴んだその瞬間、槍を持つ男の首が宙を飛ぶ。


 その眼は、何が起こったのか理解できなという表情を残して転がった。


 馬の息遣いと風圧に続いて地響きが過ぎる。


 ついさっき遠くで、蹄が聞こえていたのはこの馬なのか。すれ違いざま、馬上の黒装束と眼が合った。その眼こそ五平さんの眼だと、一瞬の錯覚が走った。


 馬は勢い余って、およねの元に引き返す。すると黒装束が馬上から「姉上」と叫んだ。その声は、間違いなく七郎太の声だ。


 頭を失った二人の着流しは、転がっている首を越えて逃げて行く。それを見届けた七郎太は「正太郎と源次郎は、この地へ向かっている」と叫んだ。


 その頃、もう二人の義弟である九郎太と十郎太は、作戦を遂行するため峠へと続く街道の宿場に差し掛かっていた。


 その十郎太に限らずこの兄弟はみんな長身だが、特に九郎太は五平を超える巨漢だった。その巨漢が羽織袴に二本差しの出で立ちで馬に乗って、野良着の十郎太が手綱を引く。


 両脇に荷を括った馬がその後ろに続くと、まさに百姓が藩の役人を案内しているかのように観えた。


 二人は暫く行くと、街道沿いに在る一際大きな建物を見つけた。


 治助から聞いていたあの旅籠だ。凍傷の治療をする為に正太郎を宿泊させていた証拠が、開け放った間口の外にあった。


 それは軒を支える太い柱に、主と思われる男が後ろ手に縛られて蹲っている。近づくにつれ、その頭上には張り紙が下がってるのが見えてきた。「この土地者、女子供をたぶらかす人買いなり」と、役人が書いたのか、でかでかと張られていた。


 近所の住人たちは、主を指して「やっぱり人買いだった」などと唾する。別の住人は「変なところから来た、変な猿よ」と叫ぶ。すると一人が「猿のくせに」と、また吐く。


 確かに、繋がれた猿のように見えた。


 また別の一人が「隣の宿場に、神隠しに遭った子が三人もいる。それもこいつの仕業じゃないのか」そう言い出すと、みんなが同調した。すると「おう、報せてやろう」と口をそろえる。その一人が、被害に遭ったと思われる家を目指して走り去った。


 馬上から九郎太が「ここの役人も、小憎らしいことをする」と笑う。馬を引く十郎太は「いや、痛快と言え」と、強調した。九郎太が「同じ事だ」と、笑いながら過ぎていく。


 それからも、噂を聞きつけて来る住人は次から次へと後を絶たない。その中の一人が「お姫様が帰って来たというぞ。その話聞いたか」と、皆に向かって叫んだ。


 すると別の男が「いや、そのお姫様なら、ずいぶん前に死んでいると聞いていたが」と、聞き返す。


 まだ髷を結っている年配の男が「その話は、鶴姫様のことで、帰って来たのは妹君の松姫様のことだ」そう説明した。


 そこで、別の男が「へえ。妹君も拉致されていたのか」と質す。「そうだ。その松姫様が拉致されたのも、ずっと前のことだ」と尚も説明した。


 そこで散切り頭の若い男が、峠の向こうを指しながら「それが、変なところから逃げて来たそうだ」また、職人風の一人が「変なところって、何かと言い掛かりをつけて、他人の物を盗み取るあの変なところか」そう聞き返す。


 すると別の男が「どころか、人まで食うって聞いたぞ」そう答えた。「そうだ。奴らの事を人食い賊と言うんだ」そう言いながら白髪の老人が「そいつの眼をよく観てみろ」と、縛り付けられている主を指した。


 そして「そうだ、この眼だ。一見輝くような眼に観えるが、よく観てみろ。これが死人の眼なんだ。土地者は、みんなこんな眼をしている」そう言って髷を掴むと、うなだれている主の眼をみんなに向けた。


 鉢巻きをした男が、峠の方向を指して「ほれ。その変なところに姫君は捕らわれていたそうだ」と、続ける。


 また年配の男が進み出て「若い衆。悪いことは言わん」そう言うなり、口に指を当てて「内緒にするんだ。その話だけは内緒だぞ」と、鉢巻きの男に鋭く注意した。


 それを遠巻きしていた女たちの中に「捕らわれていた」と言う言葉を聞いて、涙を流す女性がいた。


 そんな人々を後ろに、松姫の馬を引いて治助が行く。柱に縛り付けられている主に一瞥した。すると主は慌てて目を伏せるが、身体の震えは止まらない。


 その震えは、治助のあとに続いて来る、馬に跨ったおよねを観た瞬間から始まっていたのだ。


 実はもう震えどころではない。江戸時代が終わっていたとはいえ、馬上は、その身分を表している。この場で手討ちにされてもおかしくない時代が、つい先ごろまで続いていたからだ。


 そんな様子を観ながら、およねと七郎太の馬が続く。振り返ると、旅籠の人だかりは、いっそう大きくなっていた。馬を観た何人かの者たちが、珍しそうに一行を振り返っている。まさか、噂の本人である、松姫が行くとも知らないで。


 その頃、正太郎と源次郎は、峠から下に見えた小さな集落の入り口へと差し掛かっていた。


 見た目には小さいが、近づくと奥は扇状に拡がった大きな集落だと分かった。その一角には名主を思わせる一際大きな家がある。


 そこの土塀には、桑こきの終わった枝がうずたかく積まれていた。その家を背景に、杖を突いた老婆がゆっくりと近づいて来る。「坊や。どこから来たのかい」と聞く。


 正太郎にこの辺りの土地勘などはない。峠を指して「あっち」と答えた。老婆は暫くの間、通り過ぎて行く一行を眺めていた。


 そのあと、着流しの男を杖で指して、峠を越える前はどこにいたのか、どこの生まれだとか、その人は坊やたちのお父さんか、などと立て続けに質問した。


 すると男は、正太郎との間に割って入ると「ばばぁのくせに、余計な事を聞くんじゃねえ」と怒鳴った。


 そして源次郎を、また乱暴に担ぎ上げると、正太郎の手を強引に引いて急かせる。老婆は正太郎の足に気が付いて「その足、凍傷じゃないのか」と、逃げる男に叫ぶが、止められるはもがない。更に「お前も、人買いじゃないのか」と後ろから大声で叫び続ける。だが出て来る人は最後まで一人もいなかった。


 そこからどれほど下っただろうか、藪を過ぎると細い谷川の畔に出た。


 すると源次郎が暴れ出す。堪り兼ねた男はまたも乱暴に下した。


 源次郎は男の様子を窺うようにして、暫くの間はおとなしく後に続いていた。だが次第に正太郎に近付くと、耳元で「ぼく、この川に来たことある」と突然話し掛けた。


 驚いて源次郎を見る。すると谷川を指さして「父ちゃんと、あそこでウナギをとったんだ」と言う。


 正太郎は「それは家から川伝いに来たのか」と質す。源次郎は「そうだよ。家の前から漁をしながら、あそこまで来たんだ」と言う。


 正太郎はこの言葉に混乱した。ギンジにしろ前を行くあの男にしろ、いくら嘘を言ったところで、上田方面へと向かっているはずだ。と、そう思っていただけに、この状況が呑み込めない。


 源次郎は「この川を下って行けば、いやでも家にたどり着くと、父ちゃんが言っていたよ」と更に訴えた。


 そう聞けば、正太郎も家の前で「この辺りある全ての川は、家の前の川へ続いている」そう言っていた父親の言葉を思い出した。更にあの時、四方を大きく描いて「すり鉢のように、取り囲む山並みの一番低いところがあの湖だ。だからこの盆地を囲む峠を越えない限り、どこで迷っても川の流れに沿って、下へ下へと下って来れば、いやでも家の前の川に出るんだ」と確かにそう言っていた。


 という事は、あの雪の峠を越えたあと、いま越えて来た峠から戻った事になる。


 その正太郎が、見覚えのある山並みを見つけたときは、既に陽が落ちようとしていた。


 男はなにやら呟きながら、不機嫌そうな眼で「急げ」と二人を急き立てる。こんな時の男の眼は、夕陽を反射しているのか異様に光っていた。思えば、旅籠の主もこんな眼をしていた。


 暮れの冷たい風が、正太郎の足に痛い。それを見て、敏感に反応したのは源次郎だった。


 不機嫌な男に向かって、休もうと言うが、聞き入れそうにもない。源次郎の訴えは道行く人々にまで及び、更にはわめき声で叫ぶ。すると男は小さく「人目が無ければこんな小僧、叩き斬ってやる」と呟いた。正太郎は蓑の下の忍者刀を握りしめる。


 あれ以来、この男に立ち向かおうとする自分が、なぜか別人のように思えてならない。そんな感覚に不思議なものを感じる。


 そしてあれ以来なぜか、恐怖に対する恐れが薄らいでいるのを覚った。これを代弁すると、肝が据わったのだ。あれとは、弟を助ける為にギンジを倒した時の事だった。

 

 男はしぶしぶ近くの土手に、どかっと腰を下ろし、夕暮れの空を見上げた。


 この男、結局は源次郎のいう事を聞いている。弟のどこに、こんな力が備わっていたのかと、兄の正太郎はまた驚かされた。


 そして夕暮れの景色からも見覚えがあった。これは、間違いなく家のある方向へと下っていることを、今こそ実感した。


 その途端、母親のことが思い出される。昨日は死んでいるとも思ったが、家に近付いていることが束の間の希望へとつながった。


 その一方で、治助兄もどうしているのかと、また不安に襲われる。すると、やっぱり母親には会えないような気が襲って来る。弟の前で涙を見せる訳にはいかないと、じっと堪えた。


 源次郎は、兄まで不機嫌になっていく理由が理解出来ない。


 その頃およねは、峠を越えたばかりの道を下っていた。


 湿地帯が近づいてくると、夕陽の空の下では長い影を引き、道にある微細な凹凸を鮮明にする。その中に、小さな足跡があった。


 先頭を徒歩で行く治助が、雪の中で観た小さな足跡と同じだと思った。これは正太郎と源次郎のものに違いないと、馬上のおよねに報せる。


 およねは堪らず治助の前に出て、馬を引きながら先頭を歩くことにした。


 確信こそなかったが、こんな山の中に残る歩幅の狭い足跡は、治助の言う通り正太郎と源次郎以外には考えられないと判断した。


 だが、陽が落ちつつあるこの峠道で、再び発見する足跡は無かった。


 一刻も早く追いつきたいおよねは、馬を走らせたい気持ちをじっと堪えるしかない。


 松もまた、峠を越えて来たばかりの馬に、これ以上の駆け足はもう無理だと覚っていた。


 あの足跡は無事でいる証拠だ。いまはその無事を祈るしかない。


 やがて両側から尾根が迫り狭い谷間を抜けると、集落が観えて来た。腰の曲がった老婆が居たあの集落だ。


 今は閑散として、老婆どころか生物の気配さえ感じられない。


 集落への入口が狭いため、今は数軒の家しか見えていない。松は、その中に名主らしき一際大きな家を観ていた。そこの土塀には桑こきの終わった枝がある事を見逃さなかった。


 一方、二人の幼い子を連れた男は、暗くなった空を見て「おめえらのせいで、また酒が飲めねえじゃねえか」と、遅れがちな源次郎を睨みつける。


 更に「このくそ小僧」と鼻で笑うと、また乱暴に担ぎ上げた。そして正太郎に「急げ」と急かす。その一行が、立派な門のある屋敷の前にたどり着いたのは、既に深夜だった。


 そこに立った正太郎は、陽の暮れたあとの空に浮かぶ大屋根を見上げた。その脇にはこんもりとした針葉樹の森が、山の奥へと続いている。どれもこれも大木だ。暗くなり始めた空を、鬱蒼と覆う大木の乱立と枝で尚も暗くしていた。


 正太郎の微かな記憶に、こんな光景をいつかどこかで見たことがあると思った。


 すると源次郎の手を引いて上田へと向かって夢中で走っていた、あの時のことがまた思い出される。あの時はもっと遅い時間だったように思う。

峠道で振り返ると、家があるはずの河原が真っ赤に燃えていた。あの家は今どうなっているのかと、この現実からも男からも逃げ出したい衝動に駆られるが、もう脚も心も動かない。


 兄弟は屋敷から出てきた若い男に案内されて、長い渡り廊下を歩かされた。辺りは闇に包まれて何も見えない。


 突き当りの小さな間口には灯の燈った提灯がぽつんと下がっていた。


 そこは離れなのか、小さな茶室のようなところへ通された。


 連れて来た若い男は、いつのまにか見えなくなっていた。部屋を照らすたった一本のろうそくは、今にも燃え尽きようとしている。狭く薄暗い部屋に二人だけ取り残されると、何も解っていない源次郎は「母ちゃんはどこか」と盛んに聞いてくる。


 半時ほど経って、また同じ若い男がやってきた。


 源次郎だけを連れ出そうとしている。その目を盗んで、忍者刀を弟に持たせた。


 若い男は渡り廊下に出ると、下がっていた提灯を取って母屋へと戻っていく。辺りは真っ暗になった。


 忍者刀を持たされた源次郎は、促されるまま後に続いた。前を行く若い男からは、源次郎の背中にある刀は見えない。


 正太郎は、ぽつんと遠ざかっていく提灯の灯を、間口の外に出て眺めていた。源次郎だけが、なぜ母屋に戻されるのか想像もつかなかったが、とっさに渡した忍者刀が、きっと守ってくれると信じた。


 母屋の広い部屋に通された源次郎は、敷いてある布団の上に横になるなり、気を失うように寝入った。


 茶室に戻ってきた男は何故か目を合わせようとしない。そのまま燃え残りの蝋燭を持って、再び出て行った。その横顔がにやりと笑って、不気味なものを残す。


 明かりのない小さな部屋は真っ暗だ。どこかでカラスが鳴く。正太郎は仕方なく、手探りで一枚しかない掛け布団にくるまった。


 その頃およねは、すっかり暗くなった峠道を馬の背中に揺れていた。自身でも分からないが、何か大きな力に押されているような気がする。「早く行け」と、馬に向かって口の中で叫ぶ。すると突然、正太郎が生まれたあの頃が思い出された。


 その時の産婆が「この子には不思議な力が宿っている」と言ったのだ。この一言がなぜ今になって蘇るのか、得体の知れない何かを感じた。


 その頃、幼い兄弟が眠りについて半時ほど経った真夜中、暗い屋敷のなかで源次郎は突然目が覚めた。


 耳には、何か動物が出す悲愴な叫び声が残っていた。


 これは息絶える直前の断末魔ではないのかと、幼い頭脳が想像した。


 それから暫く経ったころ、暗い中を源次郎は夢中で走っていた。屋敷から奪い取った蓑の中で、形見の狩猟丸を確りと抱えてどこかを目指した。


 大木が立ち並ぶ森の中を、かすれる意識を奮い立たせるようにして走る。


 すると大きな建物が二つ三つと見えてきた。そこを過ぎると突然目の前が開けて、下に続く石段があった。


 そこを過ぎると広い通りに出る。来た時とは全く別の風景で異世界に迷い込んだような錯覚を覚えた。


 その後、どこをどう彷徨ったのか、気が付くと見覚えのある河原の土手だった。


 その土手に登ると、ただひたすら歩き続ける。やがて力尽きて重い忍者刀を枯草に置くと、また気を失うように眠ってしまった。


 どれほどの時間が経ったのだろうか、気が付くとそこには美しい娘の顔があった。薄明りに照らし出されたその姿を観て、葦の茂る河原に居た、あの時のお姉ちゃんだと思った。すると、安心したかのように口元が一瞬ほころんぶ。


 松は源次郎の冷たくなった体を蓑のうえから抱き締めると、馬に跨ろうとする。それを振り切って、忍者刀を取りに後ずさりした。すると、控えていた大柄な甲冑姿の男が、忍者刀を一早く掴取っていた。


 その白刃を薄明りに照らして、切っ先から鍔元までを丹念に見定める。そして、これは間違いなく兄上の、狩猟丸であると松に報告した。


 それを受けて「この刀が全ての証拠となろう」そして源次郎を改めて見つめると「よくぞここまで守り抜いた。こんなに小さな身体で、本当に大儀であった」と、深く一礼した。


 源次郎は、鎧武者の大男に向かって「七郎太おじちゃん」と叫んだ。叔父は「おお。覚えていたか」と言って源次郎を抱き上げる。が、あの大木の森の方向を指し示すと、大きな瞳から涙が溢れ出て止まらなくなった。


 薄明りを反射しながら大粒の涙が、凍った地面に落ちては霜を溶かす。そしてもう一度、森の方向に指しすると、その途端に小さな身体は、ひきつけを起こしたように硬直し、もう問いかけには反応しなくなった。


 松は、控えているもう一人の八郎太に向かって、先行している九郎太と十郎太に合流するようにと、目で合図した。


 八郎太の馬が、蹄の響きを闇に残して遠ざかる。七郎太八郎太も九郎太十郎太もみんな五平の義弟にあたる。


 七郎太は、反応しない源次郎の冷たい身体に向かって「ほれ。八郎太も来ているぞ」と、駆けて行く馬の方向を指し示した。


 七郎太の思いが通じたのか、小さな身体から少しづつ硬直が抜けていくのが分かった。松はその源次郎の蓑を脱がすと、自らの帯を緩めて「私が温めましょう」と、開いた懐に冷たい源次郎を包み込んだ。


 そして「正太郎のことが心配です。一刻も早く行かなければ」の言葉が終わらないうちに、七郎太は狩猟丸を背中に結び、馬に跨っていた。


 このはやる気持ちが馬に伝わるのか、低く嘶いては足踏みをしている。


 松は源次郎の指さした方向を睨んで「分かるのか」と、正太郎の居場所を聞く。七郎太は「下調べはついてございます。既に姉上と治助殿は別の道から、その方角に向かっているものと思われ、そろそろ到着する頃かと」馬上から答えた。そして、指を天に向けると「合図します」と、言って走り去った。


 続いて松も馬を進める。源次郎は松の懐で痙攣を繰り返していた。ついこの間まで、生き地獄に居た松は「きっとこの子も、地獄を観て来たのだ」と、呟いた。


 この辺りは底なし沼が続いている。一歩外れるとこの馬でも単独では脱出できない。それを知っているのか、馬は自ら道の中央を案内するように進んだ。


 やがて暗い山並みの麓に、寝静まった集落が見えてくる。そのとき薄暗い夜空に狼煙が上った。


 北極星の西側だ。これは八郎太が上げたものに違いない。九郎太十郎太に合流した合図でもある。それに答えるように西南の麓からも狼煙が上る。今度は七郎太が現在地を示す狼煙だ。およねと治助に合流した合図でもあった。


 沼地を過ぎると、松は少し急いでみようと思った。体力の回復した馬の上で、懐の源次郎が躍るのをたすきで抑えながら、常歩(なみあし)から速歩(はやあし)へと変えてみた。


 そこは広い田ぼがいくつも続いている平地の真っただ中だ。その正面には、あの大木が乱立する大きな森が控えていた。


 まぎれもなく源次郎が抜け出して来た森だ。この時わき道から八郎太とおよね、そして治助が姿を現した。


 七郎太が、松姫をこちらへと案内する。そこは正太郎と源次郎の兄弟が、さっきまで捉われていた屋敷の正面だった。七郎太は、その屋敷を指して「ここは原林九兵衛という者の屋敷で、今はこんな立派な構えをしていますが、元はただの野武士です。ゆすり集りの末、博打から強盗に至るまで、そして現在は人買いを生業とする悪事の結果がこの代物で」と、屋敷を指した。


 その声が震えている。そして、辺りの家々を指して「ここにいる連中も、みんな盗賊やら盗人やら人買いなどと言われていた同じ賊の郎党に間違いございません。かつては人食い賊などとも言われていた、野武士の末裔であり、女工狩りのゴロツキたちを束ねる元締めたちであります」と説明した。


 七郎太は屋敷の脇を回り、更に奥へと案内する。そこには長い渡り廊下が森の奥へと続いていた。その突き当りに、茶室に見立てた小さな離れが建っているのが、漏れてくる明かりで分かった。二人の子が最初に案内された部屋だ。


 馬から降りようとしている松に、尚も震える声で「松様は入られないほうが」そう言って止めた。


 そして、およねに向き直り、姉上も入るなと同意を求めるが、およねは当然のように入ろうとしている。


 七郎太は、手にしていた狩猟丸を握りしめて「わしが入ったとき、奴らは鍋を囲んで酒盛りをしており、そこで生首をおもちゃに玩んでいる最中でした」と言う。


 途端におよねは動揺した。だが、七郎太は、大きく息をすると「男が五人。いや、獣が五頭。わしは気が付くと、その獣をなますにしていました。そのあと隣の部屋から異様な気配が…そこで隠し扉を探し当て、開けると一頭の雌に三頭の雄が交わっておりました。これで雄の全ては成敗しましたが、雌には逃げられました」そう言って松に深く頭を下げた。


 松は「後で人相書きを描かせよう」と、答えた。


 尚も七郎太は、興奮冷めやらずの形相で「裸で逃げる雌は、人ではなくまさに獣だった」と、語った。


 松はその雌が仲間のところへ駆け込み、事態の急を報らせることを最も危惧した。突然、懐で源次郎が暴れだす。


 辺りの景色から覚ったのか、尚もおびえて泣き続けた。松の懐からおよねが抱きかかえると、途端に源次郎は「おっ母のばか、おっ母のばか」と繰り返して、小さな拳が母の顔を叩く。


 そして、益々手足をばたつかせて暴れた。それを尚も抱き締めるが、源次郎の鳴き声はいっそう闇に響き続けた。


 やがて泣き疲れた源次郎は、突然、屋敷の裏を指さして「正兄ちゃん」と叫んだ。みんな反射的にその方向へと向かう。細いあぜ道を過ぎると、そこには畑が広がって、月の薄明りに凍り付いた畝が整然と並んでいた。


 源次郎はその一角を指して「正兄ちゃん」と、再び母親に叫んだ。


 そこは掘り返したばかりの跡で、まだ凍てついていない。素手でもたちまち掘ることが出来た。そこから出てきたのは、凍傷にかかっていた正太郎の両足が、月明りに冷たく照らされた。


 先行していた十郎太の狼煙が北西の夜空に上る。


 これは製糸工場から女工たちを連れ出し、打ち合わせどおり目的地に向かっている合図だ。あまりにも早い展開に一同は「おお」と驚いた。


 そんな中でおよねは、ただ茫然と事の成り行きを観ていた。峠から下りて来るとき、強いものに背中を押されるようなあの感覚は、いったい何だったのだろうか。


 そんな事が、今になってなぜ思い出されるのか、凍傷を負った正太郎はいったい何のためにこの地へと戻ったのか。


 正太郎が誕生したとき、取り上げた産婆は「この子には不思議な力が宿っている」と語った、あれはいったい何だったのか。


 そして、正太郎は獣たちの餌になる為に、このおなかを痛めて生まれたのか。


 およねは、次から次へと浮かぶ怒りを打ち消そうとするが、逆に増幅するのを止められない。


 それを悟っているのか、松姫が七郎太に手紙を渡しながら「私がおよね殿の配慮で、復讐を果たせたように、同じ配慮をするように」と言う。そして「この敵は必ず討つように。この私の身に例え何が起ころうとも、支えてやっておくれ」と、受け取るその手に呟いた。


 そこは正太郎と源次郎が二刻半(およそ五時間)前、男に連れられて下ってきた峠への道だ。


 河原の土手に上がると、川下の方角から女工たちが列をつくってやって来る。それが、夜目にも遠く分かった。


 先頭を率いているのは馬に跨った十郎太だ。


 野良着姿だが、忍者刀を腰に差して手には素槍を構えている。これは馬の荷から取り出した武具の一つだ。


 次第にざわつく声が近づいて来る。


 やがてこの先の峠道で合流する手はずだ。十郎太は「工場には居るはずの、ゴロツキどもがいなかった」と訴えた。


 そして作戦じたいは、不気味なほどトントン拍子に進んだ。と、事の次第を説明した。


 また、松が予想していたゴロツキどもの、蜂の巣を突いたような追撃は今のところ兆候も無い。だが、あのゴロツキどもがそのまま姿を消すなどあり得ないと疑問した。では何処に行ったのか。


 今はこの長蛇を、速やかに峠越えさせなくてはならない。


 それにしても、二列に並んだ隊列はどこまで続いているのか、暗がりからの最後尾は、いまだに見えなかった。


 九郎太の作戦では、女工たちの解放は松が居た工場だけに限る、と計画していた。ところが、女工たちは勝手に近隣の工場へと走り、次々に開放の連鎖が始まってしまったと言う。


 こうなると、もう止められない。それでこのような長蛇に膨れ上がったのだと説明した。


 松は、この長蛇にはいったい何人の女工が居るのだろうか、あの工場では百人と聞いていから、およそ二百人以上は居るものと推定した。


 これほどの長蛇を引き連れての峠越えだ。安全に越えるには、作戦どおりこの峠道を戻ることを最善とした。そしてしんがりには七郎太八郎太十郎太と最強の三人だ。尚も隊列の中ほどには、巨漢の九郎太を配置した。少人数とはいえ、これは頼もしい限りだ。


 松を先頭に、源次郎を抱いたおよねの馬が続く。


 治助は荷を背負った馬を引き、女工たちを先導した。ここはまだまだ平地の内だが、取り囲む山々の尾根が視界を邪魔して、方角しか分からない。


 進むにつれ平地は次第に狭ばり、来るときとは逆工程を辿る。


 まだ遠くの尾根筋に並ぶ木々の間から、何かが一瞬光った。それが一つ二つと並んで、治助には見えた。その明かりが何を意味するのか、漁師の治助には分かりかねていた。


 やがて、後ろに続く少女たちの中にも、その明かりを観たという者が出てきた。治助に続く後ろの二人と、次に続くもう一人だ。


 この三人は、鬼火とか狐火とか言って騒いでいたが、内一人が自分たちに迫りくる危険だと予測した。


 そこで沸き起こったざわめきは、すぐさま後続へと伝播して行く。みんな次々に尾根を指さして、光った方向を追った。


 そして馬上のおよねも気が付いて、ざわめきの理由を知る。


 それを松に伝えると、眠っている源次郎を預けて、最後尾のしんがりへと馬を走らせた。


 松は預かった源次郎を抱きながら、少女たちが混乱しないようにと、平静であるように努める。


 およねの馬が後方へと下がったことで、松の背中が薄明りに映し出された。馬上ではあるが、その姿に一人の女工が「まさか」と気が付いた。「あれは、おまつさん」と驚く。


 治助が内緒だと告げながら答えた。すると、女工たちは口を塞ぎながらも「死んでいると思っていた」とか「おまつが生き返った」とかという言葉に変わった。


 その言葉が、隊列を駆け下る。


 暫くするとその後方から、歓声にも似たざわめきが起こった。同時に、さっきまでの張り詰めた緊張が緩んでいく。


 やがて、歓声が起こった辺りでは「ええ。おまつさんはお姫様だったの」と誰かの声に、いま一度静かな驚きに変わった。だがそれも一瞬にしてざわめきに戻った。


 東の空が白んでくると、尾根筋に並んだ人影が小さいながらにも認識できる。奴らは鍬や大鎌などの農耕具を肩に担いでいるのか、中には脇差と思える刀を差し、長槍まで担いだ者がいた。これは間違いなく、工場から姿を消したゴロツキに違ないと思った。


 また暫くすると、空に明るさが差してくる。尾根沿いを行く、その風体はやっぱり百姓なのだと想定した。


 戦国時代には、その百姓が雑兵として戦場を駆け巡ていた。後方攪乱から槍や弓に時には鉄砲などと、部隊を構成する傭兵として何でもこなす。これが足軽という最下級の武士だ。当然の如く、忠義もなければ主従関係もなく、ましてや美談などある筈がない。


 形勢不利となれば、一早く離脱し城主でさえ裏切る。そのくせ、乱取りとなれば、一早く駆けつけて略奪の限りを尽くす。特に女には目がないといわれてきた。いい女であれば嫁にもするが、そうでなければ宿場女郎か飯炊き女として売る。大陸からの人身売買がここに存在していた。そして略奪の習慣は、戦国以前から引き継いできた、悪党というDNAによるものだ。


 製糸工場のゴロツキたちは、この悪党である元足軽を乱取り隊として招集したのだ。それが尾根筋に並んだあの隊列に違いない。


 その中に工場から姿を消したゴロツキが、現場指揮官のように要所要所に配置されている。


 その総数五十はくだらないと読んだ。この短時間でよくもこれだけ集めたものだ。


 そこに、馬に乗ったおよねが戻ってきた。狩猟丸を腰に差して、乱取り隊の尾根を見上げる。そして「これは、一戦始まらなければ収まらない」と呟いた。


 白み始めた空が、徐々に北の方角にまで拡がっくる。松はこれから越えようとする峠の方向を見つめた。


 峠が見通せるわけではないが、山の稜線はやがて狭まり、両側の山が迫り出してくる様子を、記憶から想像した。


 先にある峠道の平地はいっそう狭くなって、谷間を隠す尾根の先は見えない。そこで視界の限り尾根筋を辿ってみた。


 すると稜線を乗り継ぐかのように、狭い山道がほぼ直線的に続いていることが認識できた。


 その一方、田んぼのある平地は、直線的な山道を迂回するような形で、三日月形に湾曲しているようだ。


 つまり尾根筋にある山道は、峠に出る為の最短ルートである事を示している。その最後にはキレット状の断崖が、谷間の方向へと待ち構えていた。山道を行く者は、最後にこのキレットを下降しなければならない。それでも乱取り隊は、まだ暗い尾根道を黙々進んでいた。目撃した光とは松明だった。


 五十の乱取り隊は、キレットを回避して、先にある集落の平地から進入してくるのか。あるいはキレットを下降して尾根伝いに峠の手前から進入してくるのかが、判断の分かれ道になった。


 そこに松の迷いがあった。それを覚ったおよねが、この辺り全体の地形から、奴らは挟み撃ちにする作戦である事を伝えた。即座に松は、中央にいる九郎太を最前列に配置換えするようにと指示した。それを伝えに治助が走る。


 あどけないこの少女たちを、土地者なんかの餌食にしてなるものかと、そんな悲惨な状況は、誰よりも松自身が知っていた。


 こうして、明くなりつつあるなかで少女たちの隊列を眺めると、以外にもみんな明るい表情をしている。あの娘もこの娘も、工場にいた時とは別人のようだ。


 やがて、下りて来る時の集落へと差し掛かる。するとどうだろう、動き出したのはおよねでも、駆け付けた九郎太でもなかった。


 女工たちは、それぞれにたすきを掛けて、あの名主と思われる土壁を目指して走る。


 正面から玄関へ向かう者、畦道を駆ける者、田んぼを越える者たちで、土壁に積まれた桑の枝めざして一斉に黒だかりした。


 年長と思われる女工たちが、力を合わせて崩しに掛かる。


 うず高く積まれていた桑の枝は、小さな地鳴りとなって田んぼに散乱した。


 それを少女たちは先を争って掴み取る。一人が二本三本と、中には数本を束にしては選別を始めた。


 桑こきした枝は真っ直ぐで、しなやさが残っている。長さも六尺(約百八十センチ)以上あり、少女たちの柔らかい手には持ち重りしない適度なものだ。


 ただ古くなったものは強度が無く、全く頼りない。それを選り分けながら、空中で鞭のようにしならせては武器になりそうな物を選別した。


 武器となる枝を掴んだものは、架空の敵を鞭のように打ってみせる。それは、松が工場を脱出した時、ゴロツキの一人を同じ桑の枝で倒したのを、みんなが知っていたからだ。


 こんな物でも使い方次第では武器になると、松がそうしたように倣ったのだ。


 それまで、逃げ出すことしか考えなかった少女たちが、いまは戦うことに向かっている。


 あの製糸工場で、松があれほど「戦えと」呼びかけても、何度号令しても指一本動かそうとしなかった女工たちが、いまは自ら戦う事に目覚めたのだ。その姿勢がたまらなく嬉しかった。


 桑の枝を取れなかった女工たちは、沢にある石ころを懐や袖に詰め込んでは、投げつける技を教えあった。それは襷や手拭いを使って、投石器のようにより遠くへと投げる技だ。


 なぶり殺しにされるくらいなら、奴らの顔面にせめての一撃を浴びせたいという、闘志が感じられた。


 こうして奴らを迎え撃つ姿を観ると、殺されるのを待つだけの豚ではなかった。


 桑の枝を武器にする女工たちを笑っていた九郎太も、これならきっと勝機はあると、士気の高さを信じてみることにした。


 しんがりにいた七郎太が松のもとに駆け付けて来た。製糸工場のゴロツキたちと、乱取り隊との間には、女工を巡っての利権争いのようなものがあったと言う。


 尚も工場主たちは、そこに付け込んで三つ巴が始まっている筈と報告した。


 松の記憶にも、少女の補充役と使用役、指の固くなった女工の廃棄役の三つ巴という噂を聞いていた。この三者が少女たちをたらい回しにし、最後には女郎とする。それぞれ、この取り分を争っていると言うのだ。そんなゴロツキたちは、いまでこそ乱取り隊に従っているが、分裂するのはもはや時間の問題だと説明した。


 そして七郎太は、女工が持っている桑の枝を取ると、彼女たちに向かって「奴らは、女をいきなり斬り付けてはこない」と説明した。


 女工たちは「ええ」と驚く。


 同じ人間をあれほど奴隷にしてきた土地者が、斬り付けて来ないこないなどとは、凡そ信じがたい言葉だったからだ。


 だが奴らにとっての女は「売り物」だという七郎太の言葉に、全てを納得した。


 すると、生け捕りにされた後の悲惨な光景が観えてきた。続けて「奴らが見せる隙とは、売り物か否かの瀬戸際にあるんだ」と、攻撃の機を教えた。


 彼女たちも、その機に賭けてみようという決意を示した。


 またそれ以上に、今更引き返すつもりなどないと口々に訴える。


 更に七郎太は桑の枝を手に取ると、仮想した奴らの目に近づけて激しく振りながら「目こそ最大の急所であり、どんな豪傑でも目を失えば戦意まで喪失する」と、大声で指導する。


 尚も「絶対に一人では攻撃するな。先ずは三人一組で、敵の一人を囲むんだ。一撃したら、次の組へと目まぐるしく交代を繰り返せ」と、足軽戦法の基本を教えた。


 尚も「人間という動物は、得意とする技を逆手に取られると、対応できない性を持っている。いまこそ奴らの足軽戦法を、逆手に取る時だ」と叫んだ。


 そして「分裂寸前の敵には必ず勝てる」そう言い残すと、後続する次へと指南する。さっきまでは緊張に縛られていた女工たちも、次第にほぐれていった。また暫くすると、笑い声まで混じるようになった。


 明るくなり始めた尾根筋に、もう松明はない。やがて、白み始めた空を背景に、奴らの動きが分かるようになってきた。


 すると、およねが予想したように、二手に分かれたことを確認できた。


 キレット状の急傾斜を降りて、更にその向こうの尾根へと向かっている。


 この先にある狭い谷間に、尾根から進入しようというのだ。それを待ち伏せ隊とした。


 松は、自らたすきを掛けると鞍の下から二槍の素槍を取り出し、その一槍を治助に渡した。


 およねは馬から降りて源次郎を抱き上げ、もう一方の手で手綱を引く。すると二人の女工が源次郎を守るからと言って、一人が抱っこした。それを数人の女工たちが、取り囲むように護衛体制をとる。およねはその先頭に立った。


 一方、女工の最後尾が集落の平地から抜けようとしたとき、想定が起こった。


 平地の後方から乱取り隊が現れたのだ。


 およそ三十名も居るのだろうか、冬の田んぼを横に拡がりながら追い上げてくる。


 そして女の姿を観た途端に、不気味な喚声を上げた。対してしんがりの八郎太が、馬の踵を返すと素槍を構えて迎撃体制をとる。


 凍り始めた冬の田んぼを、乱取り隊目掛けて失踪した。


 黒装束に大鎧をまとった本物の騎馬武者を観るのは、百姓にとっては初めての事だ。


 迫ってくる騎馬の迫力に身がすくむが、着流しの指図に従って徐々に半月形になりながら、八郎太を遠巻きに対峙した。


 そんな乱取り隊に向かって「うぬら、所詮は百姓よ。群れの中にいなと単独じゃ何もできねぇ腰抜けめ」と、野良着を観るなり、高らかに笑い飛ばした。


 そこに戻った七郎太は、半月上に囲む前列に向かって素槍を高く投げる。すると、放物線を描いて田んぼに突き刺さった。


 その槍を中心に列が後退するが、その中にいる着流しの一人が、槍を奪おうと前に出た。


 透かさず八郎太が、その着流し狙って馬を急発進させる。その迫力に驚いて、腰を抜かした着流しが思わず馬の下になっていた。それを竿立ちさせると、馬の下から這い出す。顔面は蒼白だ。


 ゴロツキも百姓も、また一歩後退するが、遠巻きの陣形だけは崩さなかった。


 そこで七郎太は、急発進を繰り返し回転させたり斜対歩させたりして馬術の技を見せる。これには馬を知らない百姓もゴロツキも、騎馬の極意と畏敬した。


 だが、一人だけ、列の後ろから弓を構えた着流しがいる。その隣には如何にも親分格を思わせる太った羽織の男が、横で構えている弓矢を横取りして七郎太を狙った。


 その瞬間、射撃音と共に、羽織は弓を持ったまま大の字に倒れる。


 その寸前に放たれていた羽織の矢が、力なく宙から戻って倒れた足元に刺さった。


 同時に、周りにいた数人の野良着までも倒れる。百姓たちには、これが何を意味するのか理解できなかった。


 その射撃音とは、七郎太の斜め後方で片膝立ちに短銃を構えている野良着の十郎太だ。


 それを護衛するように馬上の八郎太が、抜き取った素槍で牽制していた。更に投げる仕草を見せると、遠巻きする陣形全体がおののきと共に後退した。


 乱取りどもは、七郎太が火縄を用意しいる様子を見ていない。思えば、野良着の懐から取り出すと、いきなりぶっ放したのだ。


 周りで倒れている男たちも、腕や身体にいくつかを被弾したはずだが、何とか立ち上がるも激痛に顔が歪んでいた。


 散弾を発射する馬上筒は、古くから伝えられてきたものだが、聞いていた火縄銃と十郎太の銃とは、余りにも違いがありすぎる事を知った瞬間だ。乱取りの男たちは、この新型銃に尚も驚くことになる。


 十郎太は、その馬上筒を構え続けていた。


 よく観ると筒が二本並んで、現在で言うショットガンだ。いくら百姓とはいえ、この短銃の仕組みぐらいは、何となく想像できた筈だ。詰まり、二発目の弾がまだこっちを狙っていると恐怖した。


 それでも、相手はたった三人だけだ。俺たちは「十倍も居るんだ」と、叫んだ。

 それに押されて均衡を破ったのは、やっぱり着流しのゴロツキだった。


 前列の仲間を盾にすれば、ここまで飛んで来る鉄砲弾など、絶対に無い筈だと高を括った。そこで助走をつけて、手製の槍を十郎太に投げ付けた。よっぽど腕に自信があったのだろうか、槍は隊列の頭上を高く越える。


 だが十郎太に到達する前に、二連式のもう一方から発射された無数の散弾が、男たちをばたばたとなぎ倒した。その中の小さな一発が、着流しの眼球を直撃していた。


 手製の槍は十郎太の手前に力なく落下する。


 懐から二丁目の短銃を取り出して、遠巻きする一人一人に銃口を合わせせた。すると三日月形の陣形がまた一歩、大きく後退した。


 それを追いかけて馬上の七郎太が「俺はたった今、お前らの仲間八頭の獣を、この手でなますにしてきたばかりだ」そう怒鳴った。


 陣形は、低いどよめきを残して更に後退する。素槍を引き抜いた七郎太も、忍びの額当てと面当てとで全身が真っ黒だ。その黒備えが「まだまだ斬り足りねぇ。俺の息が絶えるまでに、お前ら全員をなますに出来る」と言うなり、もう一度大きく嘶きと共に棹立ちさせた。


 更に、片手で槍を高く回転させる。この戦国最強の素槍に怯んだ一人の百姓は、堪らず逃げ出す。


 それに釣られて、もう一人の野良着が逃走を始めた。


 残っている野良着も、いつ逃げ出そうかと迷っている。すると、今度は陣形全体がじりじりと後退を始めた。


 その列に向かって、尚も「どうだ腰抜け。俺と勝負してみろ」と、また怒鳴る。


 途端に隊列は、陣を崩して一斉に逃げ出した。だが着流しの男が四人、隊列から取り残された形となっていた。そこで七郎太に対峙する。


 四人とも手製の槍を構えた。七郎太は素槍をもう一度田んぼに突き刺すと、慎重に馬から降りる。何気なくだが、そこに隙などはない。


 ところが、武芸を知らない四人には、隙の無いその仕草さが理解できていない。ただ単純に、四方から囲めば、内一人は七郎太の背後回る事になると短絡的に読んだ。


 その予想どおり、背後の槍を交わすと同時に、その槍の柄を伝って七郎太の刃が走った。


 一方、弾込めを終えた十郎太は、片膝立ちのまま腕組みをして観ていた。その目前で、男の手が槍の柄から一瞬ぶら下がったあと、落下を始める。


 その手が、田んぼ表面に到達する前に、首が落とされていた。


 他の三人は、転がった首に我先にと散っていく。七郎太は「みろ。あの腰抜けぶりを」と笑う。これで、追い上げてきた乱取りの全員が、逃げ去ったことになった。


 残るはキレットに向かっている待ち伏せ組だ。


松もおよねもその数二十足らずと読んだ。先頭はキレットの急傾斜を下降し、次の尾根へと登り始めていた。


 見た目には、ほとんど断崖絶壁のキレットだが、物理的な斜度を言えば七十度ほどだろうか。


 部分的に点在する岩を避けて、つづら折の猟師道を下降すれば、長槍を担いでの、草鞋履きでも降りられるようだ。


 こうして次の尾根には、一人また一人と農具を手にした野良着が隊列をつくり始めた。


 その尾根も一歩踏み外せば、崖下を流れる谷川へと転落する。そんな危険を顧みない男たちが、女を簡単に諦める筈がない。


 暫く行くと、明かるくなった峠道は、迫り出した斜面が圧迫するように狭めている。左側の谷川は、連続する小滝が大量の水を階段状に落としていた。


 次の角を曲がると、両脇から藪が始まっている。また次の角からの藪は人の背丈を超え、葉こそ無いが絡み合った小枝や蔓が巨大なケージのように観えた。


 その蔓には鋭い棘を持つものまである。馬を降りたおよねは、この藪を何とか利用できないものかと考えた。松姫の眼も自然の地形を読み、目測しては、密集するケージの状態を読んでいる。


 峠道と並行する尾根には、野良着の男たちが松の隊列を待ち構えていた。


 道の右からは、迫り出す尾根ごとに曲がりくねって続く。


 狭められた峠道での男たちは、一列縦隊で襲うしかない。更に農具など狭い空間では、振りかぶることも横に振り抜くことも出来ない。


 松は並び始めた野良着を観て、九郎太に使いを出していた。その治助が息を切らせて返って来る。


 馬から降りている松をかばうようにして先頭に立った。暫く行くと、出刃包丁で枝打ちを始めた。


 九郎太もその意図を読んで、払った枝を次々と束ねては茂木として並べる。


 ただ置いただけだが進入しようとすれば、絡みついた枝を避ける為に両手がふさがる。手が使えなければ、両脚までも拘束されているいるようなものだ。


 そして松の居る側は、枝を払ったことで空間が広がった。取り敢えず短い素槍であれば、扱う空間が確保できそうだ。


 これで待ち伏せの一人に対して、二人で応戦できる。だが、それもつかの間だった。待ち伏せ組はこの逆茂木を観て、越えられないと判断した。引き返すと、作戦変更したのか峠道を大きく迂回し始めた。


 すると一方は山側から、もう一方は谷川から、藪をこいで迫って来る。二手に分かれて挟み込むように進入するつもりだ。


 その動きは驚くほど素早く、山歩きに慣れた野良着にたちまち女工の列へと包囲された。


 急いで藪のケージの中へと逃げ込むも、空間には限界がある。三十人ほど入ったところで既に手狭となった。


 ケージの外からは男どもが薄笑いを浮かべ、よだれを垂らして、少女たちを眺める。


 それでもあどけない顔には、まだ笑みが見られた。それぞれに円陣を組んでは、まるで作戦会議でもしているかのように打合せする。


 すると藪の隙間から、いきなり桑の枝が男たち顔面目指して突き出る。覗き込んでいた男は、驚いた拍子にのけぞって小滝の淵に飛沫もろとも転落した。


 谷川の冷たい水から、やっとの思いで息継ぎの顔を出す。そこへ女工の石礫が顔面を掠めた。絡み合った小枝が邪魔しなければ、直撃していたところだ。


 また一人の新手が加わると、山側からも合わせるように加わる。


 そこへ鉈を持った男が、谷川から進入する空間を開けようと、絡みつく枝やら蔓やらを切断する。


 治助と九郎太が、槍を突き出すもあと一歩届かない。ここで思わぬ事がが起こった。


 霧隠れの素槍は六尺。女工の持つ枝も六尺余りだが、なぜか藪を貫通して男の顔面にとどいているではないか。


 それは握った片腕いっぱいに、藪へと突っ込むことでより長く使えたからだ。そして七郎太が見せたように激しく振って、男の眼を狙った。両手が塞がっている男は、その顔面を背ける以外の防御はできない。


 尚もその顔面には石礫が飛ぶ。入れ替わり立ち代わり次々と、目まぐるしく顔面に飛んだ。


 更には後続からも、手ぬぐいや襷などを使っての投擲はもっと強力だった。狙いこそ確かではないが、その猛攻に鉈の男は谷川に退くしかない。それでも諦め切れず川伝いに藪の無い後続へと向かっていった。


 それを追い掛けてきた治助が、少女をかばって男を突き刺した。これでむきになったのか、こんな傷など浅いと言わんばかりに、身体ごと藪に向かって突進する。だが藪の防壁は想像以上に少女を守った。


 男たちはまた数を増し、谷側だけでも数人が加わった。その中の一人が、藪を掻き分けるようにして迫って来る。


 そこへ山側からも手を伸ばし、同時に囲み込もうという作戦だ。


 少女たちの注意を二つに分散させる事で、まずは一方から突破しようというのだ。


 山側から詰めて来た男が、今まさに掴みかかろうとしていた。ところがその両腕を、逆に三人の少女が掴む。すると、他の女工二人が加わり力を合わせて、掛け声と供に藪から引きずり出した。


 その弾みで、男はもんどりうって狭い峠道に大の字に倒れる。そこへ、待ち構えていた後続の女工たちが一斉に石礫を浴びせた。至近距離からの礫だ。石もそこそこには重く、角が当たれば怪我もする。それを観た男たちは、女工たちの思わぬ反撃にたじろいだ。


 峠道の女工たちは、馬のために狭い空間を開ける。次に来る馬にもまた道を譲る。乱取り隊を退散させた七郎太の馬は、開けた空間を余裕で走ることが出来た。その後を十郎太が追う。八郎太はしんがりを守り続けていた。


 このとき峠道正面の逆茂木から、最前列にいる九郎太を狙って長槍の穂先が突き出た。不意を突かれた九郎太の腹を刺す。それを観ていたおよねが、長柄を切断しようと構えた。だが九郎太はそれを笑って止めた。そして、刺さった柄を片手のまま掴み返していた。


 九郎太の怪力は、突いてきた男が逆茂木の向こうで動けないほどだ。更には穂先が刺さったまま、その長柄を力任せに持ち上げる。


 この時、松姫と目が合った。すると「存分に」と返ってきた。九郎田はそのまま持ち上げて谷川の上まで半回転させる。


 男は宙ぶらりんになるしかない。堪らず手を放したが既に遅かった。


 足場を失っていた男は、谷側への斜面を転落する。この時、深渕で首まで浸かっていた男が、ちょうど這い上がって来たところだった。そこへ転落して来た槍の男と絡み合って、今度こそ本流に飲み込まれていった。


 羽織の九郎太は、およねに向かって懐を開けて見せた。そこには、真っ白な晒しが幾重にも巻かれ、五平が防寒替わりにしていたものと同じ板があった。その板を突いた跡が生々しい。


 女工たちは、ケージの外から覗く男の眼に向かって、めまぐしく応戦を繰り返す。七郎太の言葉通り入れ代わり立ち代わりの波状攻撃だ。


 山側では、一人の男が何とか桑の先端を掴み取ってはみたものの、それ以上手の施しようがなかった。そこへまた石礫が続く。松は、この無言なる連携こそ、製糸過程で培ってきたあんうんの呼吸だと理解した。同時に、あんな男たちの奴隷になるくらいなら、死ぬ覚悟で抵抗してやるという闘志を感じた。


 最前列に向かう七郎太は、女工たちの奮闘がいつまでも続く筈がないと危惧していた。馬を降りたことで視界が低くなると、道を開ける女工の表情をまじかに観る。


 この少女たちは、自らの身は自らで守る事を学習したのだ。いや、それにも増してもっともっと強い何かを感じてならなかった。


 やがて峠道の藪が厚みを増し、女工たちが籠城するケージの中へと入る。そこは奮闘なんてものではなかった。修羅場とはまさにこの事だ。


 そこに治助が、峠道に横たわっている男の死骸を、山側の藪に寄せているところだった。それは妨げでもあるが、藪の中に置くことで進入路を塞ぐという効果を狙ってのことだ。


 それを三人の女工が手伝おうとする。その死骸に目をやった七郎太が、思わず目を逸らせた。人としての形が無かったからだ。


 他にもう一体、同じような遺体が横たわっていた。それを女工たちが平然と移動させようとしている。その脇に、血のりの付いた大きな石があった。男でも一人では持ち上げられそうもない大きさだ。


 このとき七郎太は「これは、復習だ」と、納得した。これまで背負わされてきた苦難や苦痛の数々に対する復讐なのだ。強い何かとは復讐の事だった。


 その時、女工たちの悲鳴が轟くと、源次郎が男の脇に抱えられて暴れていた。


 奪い取られた女工たちが、取り返そうとしているが、傷を負った一人がそこに倒れていた。出血がひどく、およねが止血しようとしている。そこへ別の着流しが現れて、およねの姿に「やっぱり、あの女郎だ」そう叫ぶと、背後から斬り付けようとした。


 馬を引く七郎太との間には、十人もの女工たちが居る。そんな中での手裏剣は使えない。だがその時、一槍の素槍が女工たちの頭上を飛んで、斬り付けるゴロツキを倒した。


 その投槍力に通じるものがあるのか、網を打つ治助の姿と重なった。およねは、我が子を取り戻そうとゴロツキを追い掛けて、雑木の茂る斜面を登っていく。対して治助は、最前列に向かって走り出していた。


 そこには、松姫を奪い合っている野良着と着流しの男が二人居た。ちょうど藪が切れた辺りだ。治助は、およねの足元に倒れている男から槍を抜き取ると、今度は奪い合っている着流しに向かって投げた。鈍い音と共に倒れた男の胸には、治助の槍が貫通していた。


 七郎太は、治助の投槍力に再び目を見張った。


 目の前で目撃した野良着は、侵入してきたばかりの男に駆け寄ると、何やらを指図している。そこへもう一人が加わった。


 三人で力を合わせて、松姫を拉致しようというのか。その三人もみんな百姓で剣術も兵法も知るはずがない。何をしてくるか分からない悪党に、松を人質にされては全てが終わると危惧した。


 三人の隙をついて、再び槍を抜き取った治助は、松を馬に乗せると峠に向かって走った。越えてくるとき観えていた獣道があったはずだ。


 そこを超えれば、この先にはもう進入路は無い。そこまでは、どうしても辿り着かなければならないと思っていた。


 しんがりのように馬の後ろに回り、追尾してくる男を槍でけん制する。三人の男たちは距離を保ちながら尚も追って来る。すると治助は、とうとう囲まれてしまった。


 その瞬間、一人が首を抑えて倒れる。房の付いた小柄だ。それを観た残り二人は、雑木林の中へと逃げ出していた。見るとそこには、七郎太が次の小柄を構えている。


 治助は、例え何があろうと、松には生きてほしいと思った。それというのも、少女たちの中には、あの湖を渡る前の松と同じ不自然な表情がいくつもあったからだ。


 これは、松と同じ体験を表している証だ。そんな娘たちの病を治すには、復習を果たすしかない。その力を持っているのは松姫しかいないのだ。


 谷川を挟んだ崖上の尾根は、やがて来る獣道と交差している。男たちは、その獣道から侵入ししていた。これが最後の進入路だ。松姫は治助と共に、既に越えてていた。


 下にある崖は、規模こそ小さくなっても、急峻であることに変りはない。尾根から獣道の途中まで滑り降りて、谷川の中ほどに在る岩に飛び移っては、峠道へと侵入する。


 その尾根には、まだ数人の男たちが順番待ちをしていた。岩に飛び移った瞬間は、当然の如く無防備となる。そこで、攻撃されないタイミングを見計らっているのだ。


 それを知った九郎太は、奪った長槍で飛び移る隙をついた。なかなか飛び移れない事に、しびれを切らせた一人が強引に滑り降りて来る。


 それを援護するつもりなのか、後続の男も長槍を構えた。同じ長槍どうしでは、上からの方が断然有利だ。大柄な九郎太に向かって、槍で殴打しようと構えた。


 その瞬間、十郎太の馬上筒が火を噴いた。発射音と共に、槍の男は弧を描いて谷川へと転落した。


 奴らのは、士気というより執念だと思った。


 尾根に並ぶ一人が、十郎太を狙って投擲する。それは、女工たちがそうしてきたように、男たちも、同じように投擲の準備をしていたからだ。


 上からの投擲ほど有利なものはない。九郎太は、血の滲んだ頭を抱えていた。撃ち尽くしたのか、十郎太は次の弾込めをしない。忍者刀を抜いて九郎太を助けようと進み出るが、石礫の射程内に入ることが出来ないでいた。


 一方、男の一人が突然倒れる。その胸には、峠道の上から放った、治助の素槍が刺さっていた。そのまま、崖下へと転落する。更に治助は、拾った石礫を男たちに投げ返す。


 その時だった。地鳴りと共に、峠から駆け下りてくる騎馬の一団が大地を震わせた。そして、崖下に降りた男に向かって、何かが大きく放物線を描くと、爆発音とともに吹っ飛ばした。それが投擲用の爆裂弾だ。


 騎馬隊は、総勢十二騎で編成されていた。


 それぞれに、爆裂弾を振り回している。遠心力を利用して、より遠くへと投げる為だ。古くは村上水軍が使用した投擲法とも言われている。


 一発目に爆発した目標目指して、五発が一斉に爆発した。残り六発は、崖上の尾根で連鎖的に爆発する。その衝撃で、並んだ男たちの尾根筋自体が、山から剝がれるように崩れ始めた。水飛沫を上げて谷川へと崩落するその様は、まさに山体崩壊を思わせた。


 そんな様子を対面する山から見ながら、着流しの男たち三人がおよねを後ろ手に縛りあげていた。


 その一人は、正太郎と源次郎の二人を連れて来たあの男だ。あの時と同じように、源次郎を肩に担いでいる。さるぐつわをかまされ暴れるがどうにもならない。男たちは下に騎馬隊の一団を遠く眺めて「ここなら、馬では来れまい」と薄く笑った。


 従う一人が「この女どうします」と聞く。すると「シャムにでも売るさ」とまた薄笑いする。


 その時、狩猟丸を担いだもう一人が「売る前に、やることをやってからだ」と言って、帯の結びめに眼をやる。後ろでに縛られている手首の辺りから、あの房が小さく揺れていた。


(第七話に続く)


悪党には人食いの習わしまであった。

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