第15話 僕と『力』
「ボクが……フィルを生かしている……?」
キュルルが瞳の端に涙を浮かべながらその言葉の真意を問う。
「そう、君はフィーたんの髪を食べた。
その代わりにフィーたんは君の身体を食べた……」
リブラは、にやりと笑った。
「そして……
フィーたんが食べた君の身体の欠片達は、
彼の身体の中で今も生き続けている」
「きゅ……?」
「お母さん……それって……?」
キュルルとアリエスが同時に疑問の声を上げる。
「スライムの最も優れた特性はその生命力……とりわけ環境適応能力にある。
普通の環境から高原、雪原、溶岩地帯、猛毒地帯……その場その場の環境にすぐに対応し、その環境に適した身体構造に自らを作り変える……これはどの魔物にも見られない、スライムだけが持つ特性だ。
それがどんな過酷な環境でも……
普通ならどんな生物でも耐えられないような場所でも……
そう、生き物の身体の中でさえもね」
「ま、まさか……そんな!!??」
アリエスはそのとんでもない仮説に思わず声を張り上げていた。
「フィーたんが接種したキュルルルンの身体の欠片達は、一切外に排出されることはなく、彼の体内に留まり続けた。
おそらく胃や腸といった内臓だけなく血中、骨、間接の隙間、細胞の隅々にまで行き渡った。
そして、本来なら魔力不足で出来ないはずの生命活動を……
キュルルルンの欠片達が代行している、という状態なのさ」
「―――!!!」
キュルルはその瞳を驚愕に見開いた。
「そ、そんなの……聞いたことないよ!!」
「そりゃ当然だろう。
普通、スライムを食してしまったら間違いなく死ぬからな」
「えっ!?」
キュルルはアリエスとリブラの問答内容に、強く反応した。
スライムを食べたら、普通は死ぬ……!?
「魔物は様々な生物から魔力を捕食する。
そして魔物の肉にはその様々な生物の魔力がブレンドされている。
人間にとって他生物の魔力を大量に体内に取り込むのは非常に危険なんだ。
血液型の違う血液を輸血されるよりも数十倍ね。
何とか比較的安全な魔物の肉を食べようとする好事家もいるらしいが……
よい子は絶対に真似してはいけない行為だな」
リブラはやれやれ、とでも言いたげに顔を左右に振った。
「だがそんな魔物の中でもスライムの身体は決して食用には出来ない。
スライムの雑食性は魔物の中でも随一だからな。
もはやどの生物の魔力がブレンドされてるかも定かではない。
ゆえに、一口でも口にしたら命の保証は出来ないんだ。
『本来は』、な」
リブラはちらりとキュルルを見つめた。
「なあキュルルルン。
君は今、歳は5つということだったね。
つまり、フィーたんと出会った年に生まれたということだが……
君、フィーたんに会う前に何かを捕食したことはあったかな?」
「え……?」
そのリブラの質問内容が意味する所は……
「きゅる……ボク……フィルの髪を食べるまで……
お水ぐらいしか飲んだことなかった………
他の皆に意地悪されて何も食べさせてもらえなかったの……」
「な……え……あ……!!」
「察したかい、アリりん。
そう、フィーたんがキュルルルンの身体を食べた時……
キュルルルンがそれまでに食べていたモノは、フィーたんの髪だけだった……
キュルルルンの身体に蓄積していた魔力は、フィーたん本人の魔力しかなかったのさ。
だからフィーたんはキュルルルンを食べ、魔力を取り込んでも死ななかった。
自分の魔力なのだから当然だな」
アリエスは、空いた口が塞がらなかった……
「まったく、なんという偶然の積み重ねだろうね。
いや実におもしろい」
リブラは、そのあまりの『かみ合わせ』に思わず口端を吊り上げていた。
「あ、わかってると思うが今現在のキュルルルンの身体は決して食べさせてはいけないよ。
もう他の生物の魔力が混ざってしまっているからね」
「そ、それよりも……!」
キュルルは身を乗り出してリブラに詰め寄った。
「フィルの身体に残っているボクの欠片達は……
ただフィルを生かしてるだけじゃなく、
フィルに何か……
もっと何かしてあげてないの!?」
キュルルはその可能性に強い希望を抱いた。
自分が貰っただけでなく、自分からも何かをフィルに与えられていたのなら……!
「例えば、身体が傷ついてもすぐに再生してくれるとか……!
ボク、ちょっとしたケガならすぐ直るよ!!」
「………………………………………」
「リブラ………?」
リブラはすぐには答えてはくれなかった。
「残念ながら……」
そんな言葉を真っ先に発し、リブラはキュルルの質問に答えた。
「話を聞く限り、フィーたんの身体機能の何かしらが劇的に変わったということはなさそうだ」
「そっ、そんなっ!!」
キュルルは、その顔を悲哀に染めた。
「人間、いや生物には自らの身体状況を常に一定に保とうとする恒常性という機能があるのだが、おそらく君の欠片達はその機能の役割を果たそうとしているのだろう。
それは身体機能が低下するのを防いでくれるが、同時に過度に強くなりすぎることも防ぐんだ。
過剰な身体機能の変化は良くない影響も引き起こしかねないからな。
それと、魔力が無くなったからと言って虚弱体質が変化するわけでもない」
「きゅる………うう………!」
それでは結局………
自分はフィルから『力』を奪っておきながら………
自分からは、本当にただ生かしてあげているというだけ……
こんなの……何にもしてないのと一緒………!
キュルルの瞳に、再び涙が溜まり始める……
「ただ…………」
リブラが、静かに声を発する。
「まだ確証を得てはいないが……
一つ『仮説』がある」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「くっくっくくくくくく………!」
レディシュさんの笑い声が森の中に響き渡る……
アリスリーチェさんが鳴らしたベル……
それは彼女のお付きの人達を呼べるマジックアイテムらしい……
だが………
彼女達は、一向に姿を現さなかった………!
「ど………どう……して…………!」
アリスリーチェさんが、振り下ろしたベルを見つめながら困惑の声を上げていた。
「なあ、貴族さんよぉ。
アンタには確か言ったはずだぜ?
『クライアントからこの鎧やら、例の便箋やらの仕事道具を受け取った』ってな。
仕事道具がその2つだけとは一言も言ってなかったよなぁ?」
レディシュさんは、まるで手品の種明かしをする子供のような、楽しそうな声を出していた。
「なあガキ……
お前この森に入って、聞こえて来た音を頼りにここまで来たんだよな?
いやあ、マジ助かったぜ。
お前がそのまま森から出て、誰かを呼びに行ったりしてたらどうなってたことか」
「え……?」
「おかしいと思わねぇか?
そこそこ派手な音が鳴ってたんだぜ?
そこの貴族様の叫び声だって中々に喧しかっただろ?
なんで未だに誰も来ねぇんだ?」
それ………は…………?
「ま………さか…………!
結……界……………!?」
アリスリーチェさんが、信じられないモノを見ているかのような顔で、声を発した。
「さっすがぁ!!大正解!!
スーパーマジックアイテム『サイレンス・ストーンズ』!!
これを五角形を作るように置けば決して中から外へ音が漏れない!魔力も通さない!
あらかじめ配置させてもらってたんだよ!!
この森の入口からここまでを囲むようになぁ!!」
「馬鹿な………そんな……
マジック……アイテム………
一体………誰が…………………」
魔法の事も、マジックアイテムの事もまるで知識のない僕には分からない……
だが、アリスリーチェさんの反応はこのアイテムが決して容易に作られるものではないということがありありと感じられた……
「まあ、そこは別にどうでもいいじゃねぇか。
どうせお前らには関係ない話だろ?
今から死ぬお前らにはなぁ?」
「―――っ!!!」
僕は膝をつくアリスリーチェさんをかばうように前に立つ!
なんとか……なんとかしないと………!
必死にそんなことを考える僕の背後で―――
「《エミッ……ション・………フレ……イム》」
「えっ…?」
『魔法名』を唱える、微かな声が聞こえた………
そして、とてもとても小さな炎の蝶が、僕の顔のすぐ横を通り過ぎ―――
「あ?」
レディシュさんの眼前まで飛び―――
―――チッッ……!
その目をかすめた………!
「――っ!!
ああああああッッッ!!!」
レディシュさんは目を押さえ、その場にうずくまる……!
「アリスリーチェさん!?」
僕は背後を振り返った!!
右手の人差し指を震えながら差していた彼女は………
―――ドサッ………
力尽きるようにその場に倒れた………
「あ、アリスリーチェさん!!」
アリスリーチェさんの顔は蒼白で、嫌な汗が噴き出している……!!
「アリスリーチェさん!!!
そんな身体でなんて無茶を!!!」
僕が必死になって声をかけていると……
彼女の口から、とても微かな、かすれた声が聞こえてきた……
「フィール………さん……………
今の…………うちに…………………
はやく……………逃げ……………………………」
――――っ!!!!
逃げる?
こんなアリスリーチェさんを置いて?
僕だけが?
「嫌です」
「―――え?」
それは奇しくも、彼女と初めて出会った時に交わした会話で出てきた言葉。
「僕は『勇者』になります」
勇者様のようになるために。
貴女に負けないために。
『あの子』と、いつか対等に戦うために!!
「だから」
僕は、彼女の前に立ち……
彼女の命を脅かす『敵』を見据える。
そして、無意識のうちに……
柄だけの木剣を取り出し、握りしめていた!!
僕は……叫ぶ!!!
「絶対に、逃げない!!!!」
その時――
僕の身体の内側から――
何かが湧き立ってくる感覚がした――
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「その『仮説』は、ひょっとしたら――――
彼の『力』となるかもしれない」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「…………っ!!
くそがぁ………!!」
俺はゆっくりと目を開け、視界が確保できることを確認する。
どうやら少しかすっただけで何とか失明はしていないようだった……
くそっ!!あのクソ貴族が!!
絶対に許さねぇ……!!
楽には殺してやらねぇぞ………!!
視力が回復した目で俺はあのクソ共を睨みつける!!
「………ああ?」
そして、俺は見た。
あのガキがいつの間にか………
『黒い短剣』を手にしているのを。