第1話 勇者と魔王
《 - 5年前 - エンシェントフォレスト・上空》
2つの地獄が広がっていた。
1つは炎獄。
凄まじい高熱を放つ真紅の炎が渦を巻いている。
1つは氷獄。
あらゆる物を凍てつかせる極寒の吹雪が吹き荒ぶ。
そしてその2つの地獄の境界には―――1人の女性の姿があった。
否。その2つの地獄は―――彼女の両掌から生まれていたのだった。
「高等炎魔法 《ジャガーノート・インフェルノ》
高等氷魔法 《ジェノサイド・ブリザード》
2種類の高等魔法の同時使用………
全く、デタラメにも程があるわね」
2つの地獄の前に―――人影があった。
その人物は破滅的な光景を目の前にして、とても落ち着き払った様子で呟く。
「貴女が複数の高等魔法を使えるのはとっくに知ってたけど……
その内2つを同時に発動するなんて、しばらく見ない内に随分と器用になったのね、ウィデーレ」
両腕を広げ、炎獄と氷獄を生み出している水色の髪の小柄な女性……ウィデーレ=ヘイムは目の前の人物からかけられた言葉には何も返さなかった。
紅色の右目と藍色の左目で、ただ目の前の人物だけを見つめ――そして両腕を振りかぶると、虚空を抱きしめるかのように交差させた。
直後―――広がっていた2つの地獄が、動く。
それはさながら、開いていた本が閉じられるかのようだった。
目の前の人物を、挟み込むように―――
炎獄と、氷獄が―――閉じていく―――
そして、2つの地獄が―――
触れ合った瞬間―――
―――ゴアッッッッッッッッッッ!!!!!
炎熱と氷結が混じりあう事により生まれる凄まじい規模と勢いの水蒸気が、周りの木々を吹き飛ばし―――半径1キロメートルに及ぼうかという程の衝撃が辺り一面に広がる。
だが―――それはこの場所だからこそまだその程度で済んでいると言えた。
これが通常の環境であれば、被害はこの数十倍になっていてもおかしくはなかった。
森の上空へ浮かぶウィデーレは、先程まで人影のあった場所を見つめる。
常人であれば間違いなく、骨すら残らずバラバラに吹き飛んでいるであろう、その爆心地には―――
「グゥゥゥルォォォ………!」
先程までは影も形もなかった―――金色の鱗を持つドラゴンが、背に生えた翼で前方を覆い隠しながら佇んでいた。
「―――!
『ゴールデン・リフレクトドラゴン』……『魔法師殺し』……!」
ウィデーレは突然現れたそのドラゴンの名前と『異名』を口にする。
そして、前方を覆っていたドラゴンの翼が開かれると……
そこには、先程の人物が平然と立っていた。
「そう、三大『危険域』ドラゴンの一画。
この黄金の鱗はありとあらゆる魔法攻撃を反射する。
本来ならば反射された魔法によって相手は自滅する、って寸法なんだけど……
どうやら貴女の場合攻撃範囲が余りにも膨大で、反射した魔法がその場で搔き消されてしまうから反射したことに気が付かなかったのね……
はあ……本当にデタラメね」
余りにも規格外な『魔法師』を前に、その人物はもはや呆れるしかないとでも言いたげに溜息をついた。
「………………………」
一方でウィデーレは目の前の人物とドラゴンを無表情のままに見つめ続ける。
突如として現れた『ゴールデン・リフレクトドラゴン』に関しても、何も問わない。
ただひたすらに、その目の前の『脅威』から目を離さずに―――
「ギリュオオオオオアアアア!!!」
突然―――上空に浮かぶウィデーレに目掛け、長大な『何か』が森の中から伸びてきた。
それは―――巨大な赤色のムカデ……『ブラッドネス・タイラントセンチピード』であった。
その大ムカデはこの世のものとは思えぬおぞましい鳴き声と共に、猛毒の唾液を撒き散らしながら、大顎を極限までに開き―――ウィデーレを咀嚼せんと、彼女の足元に迫る―――
―――ボボボボボッッッッッ!!!
「ギッッ!?
ギュギョアアアアアア!!!!!」
ウィデーレが大ムカデの大顎に捕食される直前―――彼女に向かってまるで柱のように直立していたムカデの身体に無数の穴が空いた。
その身体の穴より紫色の体液を噴出させながら―――『ブラッドネス・タイラントセンチピード』は崩れ落ちる塔の如く、その身を森の中へと沈ませる。
そして、横たわる大ムカデの身体の上には―――1人の男と、7匹の巨大な蛇がいた。
だが……もしこの場に彼のことを知らない者が居たら―――果たして『それ』を人と蛇であると認識出来ていたかはかなり怪しかった。
7匹の巨大な蛇達は―――その全てが1人の男に巻き付いていた。
部外者が『それ』を遠目に目撃したのであれば―――7つの蛇の頭が生えている魔物か何かと思われてもおかしくはない異様であった。
「へぇ……『ヤマタノオロチ・スタイル』……初めて見たわね。
7匹全てを強化するなんて、相当無理をしているんじゃない? コーディス」
「君を相手に出し惜しみをする理由はないだろう」
7匹の蛇をその身に巻き付かせている男……コーディス=レイジーニアスはウィデーレと対峙していた人物に対し、淡々と応えた。
「もっとも……私は火力不足だから君の相手は他の皆に任せるしかないのだけどね。
精々魔物の掃討を担当するぐらいしか出来ないのが歯がゆい所だ」
そんなことを宣うコーディスの背後に―――いつの間にか、修道服の女性の姿があった。
「『黒鋼岩』の十倍の強度を誇ると言われている『ブラッドネス・タイラントセンチピード』の甲殻をあっさりぶち抜いておいて火力不足なんて言葉が出てくるのも中々におかしな話ですけどねー。
それはともかくコーディス、そろそろ内臓とか骨とかヤバげじゃありません?
はい《エクストラ・バイタリゼーション》」
―――シュアァァァァァ………!
緑色の長髪の修道服女性……ヴィア=ウォーカーからかけられた『人体強化魔法』によって、コーディスの身体の傷が癒える……だけに留まらず、その内臓器官、骨、血管、神経……細胞一つ一つに至るまで、あらゆる人体機能が超強化される。
ヴィアが最も得意とする『高等強化魔法』であった。
「ああ、すまないねヴィア。
魔力の方はまだ持つかい?」
「ええ、ええ。
まだ後50回ぐらいはいけますよ。
もし魔力が尽きても私は吸えますので、お気にせずー。
あ、それよりも―――」
ヴィアが上方向へ指差ししながら話を続けた。
「ロクスが叫びますので、もっと離れた方がいいと思いますよ?」
彼女が指を差した先……ウィデーレが浮かんでいる場所よりも更にはるか上空に―――
地上からでは米粒程の大きさにしか見えない人影があった。
ウィデーレとコーディスがそれを視認した瞬間―――コーディスに巻き付いている蛇の内の1匹が即座にヴィアに絡まり―――
2人は超スピードでその場から脱した。
直後―――
―――ドッッッッッッッ!!!!!!
上空の人影から―――
コーディス達と対峙していた人物へ向かって―――『何か』が降り注いだ。
それは―――『音』の塊であった。
「《デッドリー・ロアー》……相変わらず怖いですねー」
その『大轟音』から遠く離れた場所で、天日干しの布団のように蛇の上からもたれ掛かったヴィアが呑気な調子で近くにいるコーディスとウィデーレに話しかけた。
「やはりスクトがこの場に居てくれないのが中々に痛いな。
こういう時、彼の防御魔法があれば我々も動きやすいのだが」
「いつも通りあの子は悲鳴を上げることになると思うけどね」
「もう魔物から私達を守った回数より私達の攻撃から私達を守った回数の方が多いんじゃないんですかねー、彼」
コーディス、ウィデーレ、ヴィアが軽い調子で会話を交わす。
そんな中に―――
「おーーーーーーい………!」
と、上空から落下してくる男の声が聞こえてた。
「あ、ロクスが来ましたね。
ウィデーレ、お願いします」
「はいはい、《エンチャント・フロート》」
遥か上空から自由落下してきた男が地面へと激突する直前―――ウィデーレよりかけられた飛行魔法によてその身体がピタリと空中に留まる。
「ん"ん"っ……ありがとうウィデーレ。
やっぱあの技は遥か後方まで突き抜けちゃうから周りを考慮するとどうしても上から下に向けて撃たなきゃいけないのが弱点だなぁ……
使った後は他の人の助けが必須だし……
ん"っ、ん"っ……使うと少しの間、喉が痛いし」
病的なまでに細身の、色素の抜けかけた銀髪の青年……ロクス=エンドが掠れた声でウィデーレに礼を述べる。
ロクスはゆっくりと着地すると、喉に手を当てながら「ん"っ!ん"っ」と声の調子を整え始める。
「まぁでも、その技使った直後ならこうやって普通に会話することが出来るんですから、それは利点といえるんじゃありません?」
「物は言いようだね……
あ、そろそろ喉の調子直るから、僕もう黙るね」
そう言ってヴィアとの会話を終えたロクスは―――口を固く閉じ、一言も喋らなくなった。
そして―――4人は『大轟音』の直撃を受け、未だ土煙が漂うその場所を注視する。
その場所に居た人物が、果たしてどうなっているのか確かめる為に―――
「さて……ロクスの《デッドリー・ロアー》は魔法ではなく、単純な物理攻撃のはずだね?」
「うん、『喉』の方はともかくアレは本当にただの『音の塊』」
「『ゴールデン・リフレクトドラゴン』で防ぐことは不可能ではないでしょうけど……決して無事では済まないはずですね」
ロクスを除くコーディス達はそんなことを言い合い、その場所を見つめ続ける。
やがて―――その土煙が晴れ―――
「「「「―――!!」」」」
4人の目が驚きに見開かれる。
『大轟音』の直撃箇所には、深いクレーターが出来ていた。
ただし――ある人物を中心とした半径10メートルの空間以外に、であった。
その空間には―――ドーム状の半透明の『壁』が貼られていた。
そして―――先程の黄金のドラゴンの他にもう1体……銀色に輝くドラゴンの姿があった。
「『シルバー・フィロソファーズドラゴン』……」
ウィデーレがそのドラゴンの名を呟いた。
2体目の三大『危険域』ドラゴンの一画の名を。
「アレが『高等魔法』を唱えられると言われているドラゴン……『賢者の竜』か」
「与太話じゃなかったんですねー……
あの『防御壁』……スクトに匹敵しますよ」
その時のコーディス達の声色には――若干の焦燥感が加えられていた。
「そうなると、だ」
「ええ……三大『危険域』ドラゴン、最後の1体もいると考えた方が―――」
「クロちゃんは――『ブラックネス・ドラゴン』はここにはいないわよ」
「「―――!」」
彼らの会話に、その人物の声が割り込んだ。
「あの子は争いごとが嫌いで、どうしても連れてこれなかったのよ。
この大陸の人間達には近づく者全てを殺戮し尽くすだのなんだの言われてるけど……本当はとても優しい子なの」
2体のドラゴンの間に立つ、その人物……翠色の髪をなびかせる長身の女性は―――4人を真っ直ぐに見据えながら言葉を投げかけた。
そして―――
その女性の背後から———
「その気になれば無理やり従わせることも出来ただろうに」
雪のように白い髪を持つ少女が、話しかける。
「お前こそ―――相変わらず優しいじゃないか」
その少女……アルミナ=ヴァースは穏やかに言葉を紡ぐ。
「なぁ……ベリル」
自らの名を呼ばれた翠色の髪の女性は、背後を振り向いた。
「お早いお帰りね、アルミナ。
貴女が見かけたっていう人影についてはもういいの?」
「ああ、ここを戦いの場とする為に尽力してくれた者のご家族だった。
今は森の外まで避難させたよ」
「そう、よかったわ。
無関係の人をこの戦いに巻き込むのは余りに酷だものね………なんて」
その女性は―――にこりと微笑んだ。
「散々この大陸の人々を殺戮し尽くした『魔王』がそんなこと言うな!……って感じかしら」
「………………………」
アルミナは―――翠色の髪の女性の言葉に、何も返さなかった。
白い髪の少女は、ただ無言でその手に剣を取る。
そして―――ぽつりと呟く。
「出来れば、ずっとこうして話をしていたかったよ」
その言葉に―――翠色の髪の女性が返す。
「ええ、私もよ」
2人は――同時に呟く。
「「でも、これで終わり」」
その言葉を合図に―――
この場の全ての者が、動いた―――
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
《 エクスエデン校舎・第九天 》
「――――ん………」
『エクスエデン』校舎の最上部付近の部屋のベッドで眠っていたコーディスがその目を開ける。
「あの日の……夢……」
ゆっくりとベッドから半身を起こしつつ、コーディスは独り言ちる。
「感傷、か………この私が」
そんなコーディスの元に―――1匹の蛇が近づいてきた。
その赤色の蛇は、まるで何かを呟くかのようにコーディスの耳元へと頭を近づける。
「そうか……来た、か………」
コーディスはそう言うと―――頭上を見上げながら呟いた。
「では行こうか。
今度こそ、本当に全てを終わらせる為に」