第10話 フィルと『なりたい』ものに『なる』為に
「フィール様!?」
ファーティラは思わず声をあげた。
フィルが……その小さな身体が、目の前の乱撃の舞台へと歩を進めていくのを見て。
まさか……貴方も戦いに行くおつもりか……!?
いくら何でもそれは無茶だと、ファーティラは未だ疲労の抜けぬ身体に無理を押してでも止めようとした。
勿論彼の『力』については彼女も知ってはいる。
その破壊力は格上の相手にも通用するのだろう。
だが……今この場で問題になるのは破壊力云々ではない。
単純な身体的性能の差だ。
彼の圧倒的な破壊力も、当たらなければ意味がない。
今のあそこにいるのは―――不敬であるということを重々承知の上で言わせてもらうと―――あまりにも常識外の怪物なのだ……!
彼では……おそらく触れることすら……!
「フィール様……!
お待ち、ください……!
誠に、失礼ながら………貴方では………!」
「そうですよ、フィルダンテ様。
絶対瞬殺されちゃいますって」
ファーティラの近くにいたフェンスが同意を示しつつ警告する。
昨日も観戦したのだし折角だから、ということで彼女は今日もこの場にいるのだが……その声掛けはどことなくおざなりであった。
どうやら昨日の醜態によってすっかり冷めてしまったらしい。
そんなファーティラ達からの言葉に、フィルは―――
「かも、しれませんね。
でも―――」
足を止めず、前を見据えたまま、答えた。
「僕もなりたいんです……『勇者』に」
「フィール、様――?」
ファーティラはその言葉聞きながら、何の躊躇もなく前へと歩を進める彼の姿を見つめていた。
「だから、行きます」
そしてフィルは……深く腰を落とす。
「『なりたい』と思ったものに……『なる』為に!」
目の前に向かって……駆け出す為に!!
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
その姿を、キュルルとアリーチェ、そしてグリーチェも捉えていた。
小柄な少年……フィル=フィールがこちらへ駆け出そうとしている姿を。
「きゅるッ!?」
「フィル!?」
グリーチェを相手取りながらその少年の姿を横目に見つけた2人は驚いた声を出す。
彼女達が思うこともまたファーティラ達と同様であった。
――フィル!駄目!危ないよ!!!
――フィル!無茶ですわ!お下がりなさい!!
そしてグリーチェはそんな少年の姿を見て、フッ……と笑った。
「そうよね……!
フィルくんだって一緒に遊びたいですものね……!
ふふッ……!いいわ!いらっしゃい!!」
グリーチェの挑発的な言葉に乗るかのように、フィルが『黒い包丁』を正面に構える!
そんな今にもこちらへ駆け出してきそうな彼の姿を見つめつつ、彼女は思った。
―――ふふ……まあ、流石に有無を言わさず瞬殺っていうのも可哀想だし、少しくらいは対応してあげてもいい―――
―――トッ………
「―――――――――え?」
その時の彼女は―――紛れもなく驚愕していた。
無理もない。
こちらに向かって走り出してくるのだろう―――
そう思っていた少年が―――
一足飛びで眼前まで移動してきたのだから―――
「―――ッ!!!!!?????」
少年が構えていた『黒い包丁』が自身に触れる―――
その刹那―――!!!
グリーチェは信じられない程の反応速度で長剣を自身と『黒い包丁』の間に滑り込ませた!!
―――ギィィィン!!!!!
長剣が『黒い包丁』を受け、その身に傷が付くことを防ぐ。
が、その瞬間―――――!!!!
―――ドォッッッッ!!!!
グリーチェの身体が―――凄まじい勢いで後方へと弾き飛ばされる!!
「ぐぅぅぅぅッッッッ!!!」
彼女は床をガリガリと削りながら、何とか両足を踏み締め続け―――
どうにか威力を殺しきり―――壁に叩きつけられることを防いだ……!
そして、彼女は即座に少年へと視線を向ける!!
その少年は……先程まで自身が立っていた場所で、静かに佇み……
ぽつりと、呟いた。
「うん……僕は『なれる』」
そして、嬉しそうな声で―――叫ぶ!
「あの時思い描いた、『なりたい自分』に!!」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
この場にいる少年以外の全ての者は、言葉を失っていた。
自分が何を見たのか、即座に理解出来る者などいなかった。
今のは………一体………!?
この時、間違いなく……全ての者が全く同じ思考を抱いていた。
そんな驚愕も抜けぬままに、その原因である少年……フィルは再び腰を落とし、駆け出そうとする構えを取った。
そして―――制服の襟の左側を押し込み……
―――キィン……!
自身の身を包む制服を――青色へと変えた。
「――――ッ!!!」
それを見たグリーチェもまた長剣を構えた。
彼女の顔からは……もう、笑みは消えていた。
そして、フィルは―――
「はぁッ!!!」
―――トンッッッ……!
飛んだ。
「――――ええッ!?」
それは果たして誰が発した声だったのか――
フィルは、自身の頭上―――10メートル以上先の高さに存在する、このパーティ会場の天井まで飛び―――
その身を翻し――天井に立った
「な……あ……!?」
誰もが、その光景を瞠目しながら見つめていた。
「はぁあああああッッ!!!」
―――トッッ…!
フィルはそのまま天井を蹴ると―――グリーチェの背後へと降り立つ!!
そして――素早く襟の右側を押し込み――
―――キィン……!!
赤色の制服に身を包んだフィルは―――
「でやぁッ!!」
その手に握る『黒い包丁』を振るう!!
「―――ッ!!!」
―――ギィィィイイイイイン!!!
グリーチェは―――その攻撃も受け止めた―――!
しかし、それはつまり―――!
―――ズドォッッッッッ!!!
「うッくぅぅうぅぅぅうぅうッッッ!!!」
先程を超える、凄まじい衝撃がその身を弾き飛ばすこととなる―――!!!
―――ガリガリガリガリィッッッ!!
今度は両足で踏み締めるだけでは堪えられぬと判断したグリーチェは―――
「くぅッッ!!」
―――ザンッッッ!!
長剣を床に突き刺すことで―――再び威力を殺しきることが出来たのだった……
「はぁッ……!はぁッ……!」
肩で息をするグリーチェに、もはや余裕の色は全く無かった……
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
―――トッ……トッ……トッ……
部屋の奥から、少年が歩を進める音が響く。
その少年……フィルが部屋の中心に立つ。
それはまるで、先程までのフィルとグリーチェの立ち位置がそのまんま入れ替わったかのような状態であった。
そんなフィルを……キュルルとアリーチェがそれぞれ左右から見つめる。
未だ目の前で繰り広げられた光景の衝撃から抜け出せずにいる様子の2人だったが……
「フィ……フィル!!
い、今の!!今の!!なに!!??
なんか!なんか凄く、凄かったよ!!??」
いち早く我に返ったキュルルが興奮した様子でフィルに詰め寄り……
それから少し遅れてアリーチェが何かを呟き始める。
「先程のあの動き……ただの高速移動とは何かが違いますわ……
特に……あの天井にまで届く程の跳躍……あんなことはファーティラ達にさえ、おそらく不可能……
あんな、重力を無視しているかのような―――」
そこでアリーチェはハッ!と顔を上げた。
「フィル!!まさか今のは……質量操作魔法!?
自分自身の質量を……重量を、失くした!?」
驚愕と共にフィルを見つめるアリーチェだったが……彼女は思い出した。
フィルは……自身の身体に取り込んだキュルルの欠片達によって増加した体重を、自身の魔法によって相殺しているのだということを……!
そう、彼は既に―――その魔法を使っているのだ……!
「質量操作魔法――《バニシング・ウェイト》」
フィルは―――静かにその『魔法名』を呟いた。