置き手紙
ヒルダから話は聞いた。
置き手紙があったらしい。
そこで、バルジャミンは頭を抱える。
ベルナンドの傷は分かっていたつもりだ。自分のせいで母親が死んだと思っているのだ。いくら否定しても、それは崩れなかった。
誰も責めはしなかったはずだ。生きていただけで、それだけで皆が喜んでいたのだから。あんなに幼い子に何ができたというのだ。
だから、いずれベルナンドも乗り越えるだろうと、その姿を見守るに留めた。
いずれ母の死も乗り越えられると思っていた。
浅はかだったのだろうか。
ただ、置き手紙の内容に安堵した部分もあった。卑下した結果の行動ではなさそうだったのだ。乗り越えるための冒険のようなもの……。
いや、でも冒険が過ぎる。
『白き乙女を連れて参ります』
おそらくソフィアかフィアのことを言っているのだ。
ソフィアの場合は直接的に竜を退治できる者として。フィアの場合は、その髪色だろう。どちらにしても、彼が白き乙女として捉えそうな者は、そのふたりだけだった。
幸か不幸か、そのソフィアがいる場所はティリカリカにほど近い峠道にある森の手前だ。
道中も街道が整備されていて、まっすぐ進めば凶暴な魔物がいる道はない。六時間ほど歩けば、比較的安全に辿り着くだろう。今なら暗くなる前に辿り着く。幸い、護衛役見習いとしてベルナンドに付いているヒルダの弟のオズワルトが共にいるだろう、とのこと。
「ヒルダの弟は十五か……」
もちろん、ベルナンドよりは世間を知っているが、まだ子どもの域を抜けていないと言ってもいい年齢。ベルナンドのわがままに付き合わされている形なのだろう。腕は同世代では立つ方だと聞いているが、遭遇率の低い魔物よりも人間の方が厄介なふたりだった。
詐欺や拐かしにでも遭わなければ良いが……。
まぁ、庶民にしては良い身なりをしているのだから、人間相手だとこちらに何かしらの要求をしてくるだろうこちらは、すぐに手の内に入るのだが……。
一応、責任を取るようにと、ヒルダには追いかけさせてはいるが……。早馬には乗せてあるが、追いついた頃だろうか。バルジャミンは溜息を付いて、ソフィアの機嫌を損ねるのだろうな、と大きな溜息をもう一つ付いた。
ソフィアに向けて手紙を書いた。君に会いたいらしい。色々な問題もあるだろうから、ベルナンドの身分はこちらで預かる形にしておく。十三歳の働き手としてこき使ってやってほしい、と。
仕置きと言うよりも、奉公に出すようなものなのだ。
ベルナンドは一度ここから離れた方がいい。きっと今連れ戻しても結局、別の形で同じことしかしないだろう。
だから、ベルナンドの母のことを気にかけることのない者の場所で。
ソフィアはちょうど良い。
ベルナンドがソフィアにとって役に立つかと言えば、フィアが思い込んでいる犬の『ジョン』くらいの働き手だろうが、しっかり働いてみればいい。
バルジャミンはそう思い、やはり、頭を抱えた。
〇
窓の外にはぽっかりと月が見えていた。まるでソフィアをあざ笑うような、そんな月が腹立たしい。今夜はティリカリカの宿で朝を待ち、子ども達を峠手前のソフィアの家に連れて行くことになっている。
とりあえず、ちびどもの声が五月蠅い。
宿代に加え、慰謝料として請求すべきだな。
そう思っていると、おまけで付いてきたヒルダが「ご迷惑をお掛けしています」と謝った。
「本当に、いったいどういう仕組みで、こんな仕打ちを受けなくちゃならないのよ」
ソフィアのキリキリ声とは違い、ヒルダの返事はとても落ち着いたものだ。
「陛下はソフィア様のことを信頼なさっておりますので」
そう言うと同時に、その陛下バルジャミンの手紙とサイン入り額なし手形を差し出した。
「お金でなんでも動くと思ってない?」
そう言いながら、ソフィアも遠慮せずに手形を引ったくった。そう、金額の問題じゃないのだ。どうして、こんな面倒なことを仰せつからなければならないのか……。国指定魔女だから主従関係は、確かにあるが、ソフィアは非常勤。単なる使い捨て。
どうしても、腹が立つが、今の契約上どうしようもできない。
「ふっかけてやるから」
「はい、ティリカが潰れないくらいであれば、いくらでもふっかけてくれてよい、と陛下が申しております。あと、私、掃除洗濯、お料理全部得意です。あの子達の身の回りの世話はご心配なくで」
ヒルダがにんまり笑うのも腹が立つ。まるで逃げられないことをちゃんと心得たような微笑みだ。
「不束者ですが、よろしくお願い申し上げます」
ソフィアは「ふんっ」とそっぽを向いた。
やはり、子ども達の声がやかましい。フィアだけでも十分だったのに、三倍だ。
三倍……五月蠅い。
確かにあの子らの面倒を見てくれるというヒルダが一緒に来てくれるのは、非常に助かる。
「アンタへの給金はないからね」
「心得ております。私は多少の減給で、そのまま国に仕えていることに変わりありませんので、お気遣いなくで」
そんな偉そうな口ばかり叩くヒルダに「やな奴ね、アンタ」とソフィアはにらみ返した。
そして、その子ども達は今『ジョン』についての討論をしていた。フィアはその様子を見つめながら、不思議そうにしている。オズワルトとジョンが呼び方についての喧嘩をしているのだ。
主にオズワルトが納得しない。
「ですから、自分は『ジョン』とは呼べません」
そこにフィアが「どうして?」と首を傾げる。
「どうしてって、君は知らないのだろうが、」
「いいんだって、ジョンで。逆に本名の方がややこしくなるから。僕の名前、みんなの前で呼ばれる方が、目立つだろ?」
「ジョンは嘘の名前なの?」
「フィアはそのままジョンで全然いいの。こいつが頭固いだけだから」
フィアは何故か叱られた気分になって身を竦めてしまう。ベルナンドが王子様だったというだけでも、驚きなのに、まさかの『ジョン』ではない疑惑まで出てきて、どうすれば良いのか全く分からないのだ。
「ですから、そこは譲っているでしょう? 自分は呼べないとだけ」
フィアだけが蚊帳の外の気分だった。だけど、喧嘩はよくない。そもそも、ジョンとオズワルトは友達なのだから。どうすれば、仲良しに戻るのだろう?
フィアはふたりを眺める。
私よりもお兄ちゃんなのに、何をそんなに喧嘩するのだろう。
そして、ふと寒気を背中に感じた。
ソフィアが怒ってる……。
「五月蠅いよ、アンタ達っ。名前なんてどうでも良いのよ。フィアとジョンとオジーでいいでしょ、もう」
「おじーさん?」
ぽつりと呟いたフィアの言葉にオズワルトが睨んだような気がしたが、それよりもソフィアの怒りの方が勝っているように思えて、フィアは震えた。