ベルナンドとフィアの日常
空は青い。だけど、その青い空から竜は突如やってきて、民に危害を加える。被害の状況はそれぞれだが、どの町も目も当てられないくらいに破壊される、とだけ耳にしている。国の魔法使い達が頭を付き合わせて、どうして暴走する竜があるのかを話し合っているそうだ。
だけど、分からない。
十三歳になったベルナンドは国の歴史教本から視線をあげて、やはり空を見上げた。あの空の奥から竜はやってくるのだ。あんなにも希望に満ちた色をしているにもかかわらず、僅かな影が災厄をもたらす。
歴史教本の一ページ目にはこの国と竜についてが書かれてある。このティリカの人々はかつてから竜とともに生きていた。決して竜を飼っていたとか、使役していたではなく、友として、崇める対象として。
国としてのティリカ初代女王は『白き乙女』だとされている。かつてこの国に闇がもたらされたことがあったらしい。
闇が世界を覆ったその時に陽光の竜と共に現れた白き乙女が、太陽の光を使って闇を打ち払ったのだ。
だから、国王一族は代々白き乙女の末裔らしい。
それなのに、何もできない。王の一族で、その太陽の魔法を使える者はいないのだ。
やはり、ベルナンドは集中できずに、窓の外を眺めた。
そして、あの日を思い出す。
三年前に出会ったフィア。その子の町も壊滅したと後から聞いた。
フードで頭をしっかり隠していたけれど、そのフードの隙間から太陽に輝く白が見えていた。それに、あの子からは、魔法の匂いがしていた。
太陽の魔法の匂い。
そして、ベルナンドの母の魔法も同じ匂いがしていた。しかし、母は、確か父に見初められて城に上がった方で、腕の良い靴職人の娘だった方だ。ベルナンドの靴も一度作ってくれていた。
だけど、だから、母は魔法使いではないのだ。本当ならそんな魔法の匂いはしないはずなのに……。
ベルナンドの考えはどんどん教本から逸れていく。それを見兼ねたルーアンが咳払いをした後に、彼を非難した。
「ベルナンド様」
恐ろしい声が頭上から聞こえてきた。
「集中なさってください。良いですか、貴方は将来この国を背負って行かれるのですよ。お父上のように、凜と国民の前に立つための威厳を身につけねばならぬ時、そんな状態でどうなさるのです?」
王室専属の個別指導係であるルーアンは、ベルナンドが真剣な顔をしていたので、彼に響いていると思って、続けた。
「良いですか、今現在も竜による被害は拡大しています。今や、白き乙女に頼ろうとする民衆までたくさん……」
そうなのだ。『白き乙女』を騙る輩すら出てきている。変な呪いに、詐欺にふっかけ。流血事件すら起きたことがあるのだ。この世はどこか狂ってきている。そう思わざるを得ないのだ。
だから、あの子を思い出した。きっと、あの子が本物なのだ。
本物の白き乙女が現れれば、とりあえずこの騙りに関わる犯罪は治まるのではないか、と思っていた。
「心得ております。ルーアン先生の仰るとおり、私は彼らの太陽の光となり、導かねばならぬ身」
しかし、ルーアンの好きなこの言葉をベルナンドはあまり好きではない。
自分自身の存在は確かに民衆の光として映った方が良いとは思う。だけど、こんな座学だけで、光になれるような気がしないのだ。
「だから、民衆を護るために力を付けたいと思っております」
例えば、魔法を覚えて、少しでも結界を張る役割を果たすとか……。
例えば、剣の腕を鍛えて、少しでも竜討伐に関わるとか……。
何か、役に立つこと。
いくら王太子になるための勉学に励んでいようとも、ベルナンドはやはり十三歳の男の子である。どちらかと言えば、体を動かしていたい。
目に見える結果を自分がもたらしたとすぐに感じたい年頃なのだ。
「よろしい。では続けますよ」
「はい、よろしくお願いします」
だから、ベルナンドは一つ面白い計画を立てていた。
それは、とても無謀で無鉄砲で、とても迷惑な。
☆
フィアは一本の指を見つめて、じっと見つめて、目を閉じた。
そこには火がある。温かいイメージの、優しいイメージの。
ほんの小さなイメージの。
呪文はなんでも良いらしい。求める火をイメージするのに必要な言葉であれば。
小さな火、足元だけを照らすような。
『ポン』
「ソフィア、できたぁ」
フィアは人差し指に乗っかった小さな火をソフィアに見せようと、叫んだ後、再び大きな声を出した。
「熱っあつーっいっ、きゃぁ、つめたぁい」
水が頭からかけられた。
「ひどーい」
爪先までびしょびしょになったフィアが非難の声をあげると、ソフィアが険しい顔で「何度も言っているでしょう?」と声まで怖くなった。
「魔法自体は何も護らないんだから、護るためのイメージも必要だって何回言った? ほんと、頭、悪い」
火力の調整が『ポン』『ボン』『ボボン』だというのは、仕方がない。フィアのイメージがそうなのだから。これには、文句は言わない。
「だってぇ」
「アンタの火でこの辺り一面が火事になったらどうするの? だから……」
だから、魔法なんて教えたくなかった。
ソフィアはそんな風に続けかけて、止めてしまった。教えたのは自分自身。教えると決めたのも自分自身。
ここに住んで暮らしていくなら、この辺りにいる魔物くらいは自分でなんとかしなくてはならない。
そう思うようになったのも、ソフィアがよく駆り出されるようになったからだ。
魔女会へ月一回ほど。
王都へは月二回ほど。
そして、国指定魔女としての会議とやらに月三回ほど。ここで、竜討伐の順番と方針を決めている。
さらに、追い打ちをかけるように、竜の生態分布図を作ると言う。そして、要所に魔法の砦を造っていく。確かに魔法使いの人数的に大きすぎるティリカには合理的な方法だ。
だが、竜の麓にある里が襲われるとは限らないので、合理的だが、非現実的でもあるのだ。
そんなことを思うと、また余計な仕事を増やしやがって、と悪態しか付けないのがソフィアである。
それよりも、何にもできないフィアを連れ回すことなんてできないし、フィアを家に閉じ込めて置くわけにもいかない。長いと一ヶ月くらい帰れないそうだ。
竜討伐に積極的ではない魔女会だけの所属だと、竜の動きがイマイチ分かりにくいのもあり、ソフィアは、まだ国指定魔女を止められない。
だから、諦めて教えることにした。
元々、何度も教えて欲しいと言われていたのだ。その度にソフィアはこう言って逃げていた。
「魔法でできることは、全部魔法じゃなくてもできる。単なる人間に負けるな」
実際、空を飛ぶことだって小型の竜である翼竜を使い飛ぶ奴らもいるのだから。
「じゃあ、今度はそのびしょびしょを自分で渇かしてみな。風で飛ばせばいい」
上手く使えば『火』でも乾かせるが、それは伝えない。今のフィアでは無理である。フィアの丸焼きが出来上がるだけ。
だけど、フィアは風の魔法が一番苦手だった。暴走させるか、全く出ないか。きっと、イメージが過去へ戻るのだろう。ソフィアはそれも知って、それを要求する。
それにある程度の風のイメージは大切だ。近距離ならイメージを的に直接もっていける。しかし、遠距離を攻撃するには、自然の風に乗せる以上に自分で距離を決めて、手元の魔法をそこへ『飛ばす』のだから。
風を切るイメージ、風に乗るイメージ。風にぶつかるイメージ。風の音、風の匂い。どれでもいい。
フィアはソフィアよりもきっとリアルにイメージできるはず。
そして、フィアの中に浸透してしまったソフィアの魔力は、まだ取り出せずにいる。彼女に魔法を教える理由はこれが一番大きかった。
ソフィアが魔力を取り出そうとすると、無意識のフィアが拒絶するのだ。さらには、元々ほんの少しあった自分の魔力と融合させてしまった。そんなものを無理して取り出そうとすれば命を削ることになる。取り出すのはもう無理かもしれない。ソフィアはそんな風にすら思い始めていた。
だったら、自分を護るための力が必須になってくる。いつか、きっと、この白金を求める者が、フィアを利用しようとするだろう。人間はすぐに何かと結びつけたくなるから。いつも傍にソフィアがいるとは限らない。
苦手は作らない方が良い。
ただ、フィアの呪文は本当に変。
『フー』
一生懸命息を吐き続けているのだから、教えた身としては、少し情けなくもなる。まぁ、その『フー』でも指先くらいは乾いたかもしれない。
まぁ、修行を続ければ、言葉でイメージを固めなくても、イメージだけで出るものなのだが……。
いつまで経っても風を起こせない、そんなフィアに見切りを付けたソフィアが『風がフーとは限らないかもしれない』と思いながら、フィアを一瞬で乾かした。
「はい、時間切れ。薬草、取りに行く時間」
「……はーい」
フィアの膨れた声がした。