魔女を信用してはならない①
休まる時と言えば、ほんの少しの間、空を見上げるその瞬間だけだった。眠っていても、食べていても、いつたたき起こされるか分からない。その時はいつでも出動だ。
簡単な鎧を身にまとい、剣を手に持ち、数秒で準備する。
しかし、静かだ。
静けさはオズワルトを過去へと誘う。ヒルダの最期に、リリカの花とバルジャミンの言葉。そして、……。
昼間に届けられた一通の手紙。ベルナンドからだった。
『君のサインだけで通すことができるから』
そんなこと望んでなどいないのに。
『君が死ぬのは僕の後だ』
馬鹿なことばかり書いてきていた。破り捨てようかとも思ったが、なんとなく奴らしいなと、胸のポケットに入れたままになっている。
オズワルトがここを退くなど、するわけがないのに。
ほんとうに、馬鹿な奴だ。今、お前がいなくなれば、全てが無駄になるじゃないか。
負けるわけにはいかないのだから。
空だけは変わらない。その馬鹿の瞳の色は、空の色をしていた。
その空に白い太陽が昇り、白い月が昇り、闇に光を与えようとする。
〇
戦場へ。国境近くまで、そう思って歩いてきた。今の私ならきっと役に立てる。
だけど、ふと、ディケの存在を考えたのだ。
ポチはフィアと一緒にいるしかないものだ。しかし、ディケは……。
こんなことばかりに気を取られてしまう。
たぶん、役に立てる。でも、また振り払われるかもしれない。追い払われるかもしれない。
何か壁にぶつかると、振り返りたくなる。封印したはずの不安が漏れ出してくる。
だから、アリアにディケのことを相談してみた。すると、一人預かってくれそうな者がいるとのことだった。
「アレックスなら気に入ってくれるわよ」
実際のところ、魔女なんて信用ならないのだけど、ディケは人懐っこいが竜である。竜だからそんなに簡単に殺されたりは……しないだろう。しかも、その御仁を紹介してくれたアリアは「魔女会に行ってくるわ」と、突然行ってしまった。近く行くとは思っていたが、どうして今の今に、突然、消えてしまうのだろう。箒に帽子、マントを被った小さな魔女が空高く消えていくのを、ただ見つめるしかなかったフィアは、仔牛とキツネという不思議な連れを残されて思った。
フィアの魔力ではこの幻術は解けない。牛と狐を連れて歩くなんて、今度はフィアが目立って仕方ない。
今まではその視線が良くも悪くもアリアにあったのだ。
しかもアレックスの屋敷は近いと言われたのに、なんと数十キロ戻らないといけない場所に加え、一山越えなければならない場所にあった。
「せっかくここまで来たのに? 私、空は飛べないんだよっ。戻らせるなんて……」
魔女の所業そのものじゃないのよっ。
フィアは何もない水色に向かって大いに叫んだ。しかし、他に心当たりもないフィアは、素直に歩いていくしかない。
やっぱり、魔女なんて信用ならないのだ。
そして、その考えは大きな驚きと共に、覆されたのだった。
二日後の朝、とてつもなく怪しい魔力の漂うその玄関の呼び鈴を押したときに。怪しい魔力の中に混じって、とても懐かしい魔力があって、扉を開いたのは、その懐かしい魔力の持ち主だった。
黒髪に緑の瞳。見慣れたソフィア。やっぱり白き乙女は他にいたんだ。そんな思いに駆られて、嬉しくなる。
「ソフィアっ……ソフィアぁ……」
「まったく、もう少し早く向かわせるかと思っていたのに……ほんと、気ままな奴」
ソフィアの言葉の意味は分からなかったが、フィアは、ソフィアの声を聞いて、まず泣き出してしまった。
止められなかったのだ。言いたい言葉が募り過ぎて喉に痞える。痞えた尻から、別の言葉が浮かんできてしまう。どうすればいいのか分からないまま、「ソフィアなんて大嫌いだぁ」と泣きついた。
どうしていなくなったのよ。
どうして、助けてくれなかったのよ。
ヒルダが……オズワルトが……ベルナンドが……。
竜が……。
ソフィアがいないから……。
零れてくる涙に、フィアは言葉が出てこない。だけど、きっと、ソフィアは全部聞いている。だけど、黙って聞いてくれているのだ。それも分かった。だから、こうも言葉にできずに叫んでしまう。
違うの。
ソフィアのせいじゃなくて、ソフィアが悪いんじゃなくて。
私が、弱くて何にもできなかったから。
魔法はたくさん使えるようになったの。
制御もできるようになったの。
それなのに。
どうしたらよかったの?
オズワルトもベルナンドも何にも教えてくれないの。
ヒルダを……
その言葉は心が拒否した。