苦戦
思っていたよりも苦戦している。
きっと、相手側はそう思っているのだろう。
バルジャミンはそんな考えの元、天幕の中で石を敷き詰めた地図を見つめた。まだ何とか持ちそうな形は保っている。地上だけなら。先ほどまでは共に石を並べる者もいて、頭を付き合わせていたのだが、やはり問題は空なのだ。彼らも同じ考えだった。
あちらの飛翔部隊は、巨大な翼を広げる竜だ。我々が扱えるちいさな翼竜でもなく、飛翔魔物でもない。
キメラと違いそれぞれの属性をもつ強力な竜と同等の偽物の竜。最近はこの竜ばかりだ。どこか自分を殺されたような、そんな瞳を持つ寂しい竜。
竜を操る者が現れるなど、伝説上でしか考えてこなかった。まさか、一般の人間が竜を操るようになるなど、思いもしなかった。
自由を制限されたようにも見える偽竜に乗るのは、戦闘訓練を受けた一般の兵。竜の巫女でもなんでもない。
いや、……。あの時、もう少しでもベルナンドの言葉に真実を見出していれば、この事態は避けられたのだろうか。
天幕を打つ雨の音が、後悔の足音のようにして耳に響く。
ここ数日ずっと雨が降っていた。竜に限らず生き物は雨の日に外に出ることを嫌う。おそらく、ヒェスネビも急襲するようなことはしないだろう。
地上戦における奴らには今、急襲で勝ち切る術はないのだから。かと言って、雨の中押し進めるだけの体力が、こちらに残っているかと言えば、賭けになってしまう。
時間を稼げば、後退させている現状をよく知る部隊が王都に近づける。竜を内容に入れた新たな作戦を立て、準備させられる。
おそらく、魔法使いの部隊になるだろう。現在竜討伐に加わっている魔法使いと結界を作っている魔法使いを使うことにはなろう。魔法使いの数は確実にティリカの方が多いのだから。勝算は高くなる。
ティリカ国内での竜の暴走は減ってきているのだ。今は散っている魔法使いを集めれば、空の問題が片付く。
おそらく、これはヒェスネビの手に竜の巫女が入らなくなった結果だ。しかし、風の噂に『白き乙女』を見たという者がいると聞く。
フィアが……と考えた。
しかし、中には緑の瞳だという者もいる。フィアは確か茶色の瞳だ。
バルジャミンには魔力量だとか、魔力の種類だとかを感じる能力がない。ベルナンドなら、何か感じているのだろうか。だが、緑の瞳だけを取り出せば、それはソフィアのものでもあった。
竜を一瞬で仕留めるとなれば、それはソフィアでしかない。いや、その弟子でもあるフィアでも可能なのかもしれない。
ただ、この戦場で使われていた本物の竜の数が減っているのも確かであり、そのおかげでこちらは苦戦を強いられているのもある。本物の竜がいた頃に比べると偽物の竜が現れる場面が増えているのだ。
しかし、何かが変わってきている、そう思えてならない。例えば、『焦り』を誘発させるような。だから、その先にあるかもしれない綻びを待ちたいという気持ちにすらなってしまう。全ての竜の頂上たる陽光の竜を持つ白き乙女の噂が広まれば、現れれば、属性竜などでは立ち行かないはずなのだ。
バルジャミンはもう一度頭の中を整理する。
そのようなことをあのふたりができるという確証がない。
ほんとうに『白き乙女』が現れているのだろうか。
報告によれば、拐かしの件数も減っているという。
現在報告されてくる竜の被害も『竜』でなくキメラを進化させたのかと思わせる『偽竜』だ。
竜の巫女の数が減れば、確かに竜をけしかけられない。
焦っていることだろう。そもそもの地力はティリカが上なのだから。
それなのに、力押しでは進めない。
どのように造っているのか、偽竜だけが重く伸しかかってくる。それなのに、ソフィアとフィアを探したいとは、不思議と思わないのだ。
ベルナンドが言うこの国と国のぶつかり合いに、力を持ち過ぎる彼女たちが巻き込まれればどうなるか……。
下手を打てば、謂われのない罪に問われてしまう。
特に普通の少女であるフィアなどは、その重圧に耐えきれないだろう。
天幕の外で和やかな声が聞こえてきた。護衛と誰かの声のようだ。護衛の声からするに、信頼している誰かなのだろう。そして、護衛がその天幕の簡易扉を開く。
敬礼をするふたり。一人はもちろん、護衛の兵だ。
小柄な三十代半ばほどの兵が野菜のスープを持ってきていた。天幕の外にいる護衛にも、常套句のように同じことを訊かれてはいるのだろうが、バルジャミンはまた同じことを訊く。
「所属と名を」
急襲の確率は少ない。だが……。
「はっ、第二部隊所属・翼竜軍少尉・ムラバトにございます。陛下に温かい食べ物をお持ちしました」
ほんの少し人懐っこい笑顔が見える。そう、疑いに値する者ではないということも分かる。しかも、翼竜軍ということは、今回の前線で一番の最前線を護っている者でもある。
キメラと竜に真っ先に切り込む部隊。
「礼を言おう。下がってよいぞ」
「はっ」
姿勢よく敬礼し、去っていく背中を見つめる。おそらく、信用たる者だ。
しかし、バルジャミンはその背に、悪いなと胸の奥でつぶやいた。
急襲はないだろう。しかし、こんな日は頭取りに都合がいい。どこか間延びする日々。雨の靄がわずかに現実を霞ませる、一日。そんな日があってもよいとは思う。
いつもと違う食べ物。温かい感情からの何か。皆がそんな一瞬を分かち合ってくれても良い。きっと、外は今それほどまでに、静かなのだろう。
しかし、器を持ったバルジャミンは、その野菜スープを天幕後方の小さな隠し扉の外へ、迷わず流していた。
温かさだけが掌に残る。
倒れるわけにはいかないのだ。














