ものさし➀
外に出ると雨脚が少し強くなってきていた。フィアはマントのフードを目深に被り直し、もう一度、町の外から町の中、アリアが興味を持ちそうな印象の場所を巡る。
興味のある者のことは知りたい。
アリアの言葉の重みが少し分かった気がした。
今のフィアと同じだとは思わないが、もう少しアリアのことを知っておけば、こんなに路頭に迷わなかっただろうに。
石の舗装すらされていない生活道が泥水を溜めていく。日も暮れ始めているが、誰もその街灯に火を入れに来ないのは、きっと雨に諦めたのだろう。
多分、それも以前なら街灯などは陽鉱石で賄っていたのだろうが、今はどの町もそれをやめている。
「おい、上がったらしい」
「どっちだろう」
そんな男の声がして、雨の音しかなかった町の中がにわかに騒がしくなった。
扉を開けて人が出てくる。そして、泥を蹴って走り出す。
「若いらしい」
若い?
アリア?
上がったというのは、……。
人々の向かう足の先には、橋があるはず。だけど、アリアは魔女で、弱くなくて。
「今回は、当たりが良いな」
嫌な予感が走った。そして、フィアが町の端っこにある跳ね橋にたどり着いたときは、雨に似合わない人だかりができていた。
「すみません」
そう言いながら、欄干まで人を押しのけていく。
「ごめんなさい」
むっとされるたびに謝る。
やっと隙間から覗き込み、見えたのは河原に中年男ふたり。足元に何か。
「!」
フィアはその光景に言葉を飲んでしまった。兵が流れ着いているのだ。たぶん、上流であった戦の亡骸。
「あぁ、あっちの兵だな」
隣で見ていたのは、フィアと同じような年頃の少年だった。
「あっちって?」
「あっちはあっち。あ、あぁ。君ここの子じゃないのか。ヒェスネビの兵ってことさ」
そう言って、少年はにやにやしてその光景を眺めていた。楽しそうだ。そう思うと、思わず握りしめていた両手に力が入るのが分かった。落ち着け、落ち着け。彼らはきっと助けようと……。
そう念じる。
河原の男たちは、その溺死体から残っていた鎧を剥がし、その体を探り、何かを奪った後に、その体を川へと蹴り返したのだ。上がる歓声。まるで勇者のように、奪った戦利品を掲げる男ふたり。
多分、そう。肌身離さずに持っていたもの。
チェーンのついた何か。
きっと、彼にとってとても大切だったもの。
「そんだけかよっ」
「最近、あんまだよなぁ」
称賛の声に加えて、野次も飛ぶ。めまいがする。
「おーいっ、そろそろ、上げるぞ。流されちゃ、何にもならない」
増水する前に橋を上げるのだろう。そろそろと、人の波が引いていくのが分かった。それでも、フィアはまだ動けなかった。
「おい、大丈夫か? 顔色悪いけど」
同じように歓声を上げていた少年が、同じ声でフィアを心配する。大丈夫じゃない。だって、あの兵、あなたと同じくらいの年齢の……。私と同じくらいの……。あの花びらの砂糖漬けをくれた、あの少年兵とも言えそうな。この戦がなければ、旅の思い出を語りながら、一緒に盃を交わしていたかもしれない、そんな相手に。
「……流れてきたら、みんな、あんな風にするの?」
その問いに、納得したのか少年は自慢げに答えた。
「ティリカの兵はちゃんと引き上げるさ。でも、あいつはうちらの家族を殺したかもしれないヒェスネビの兵さ。弔う必要もないし、引き上げてやる恩もない。魔物にでもなんでも、喰われればいいんだ。仇を取ってるだけじゃん」
「でも……」
その言葉に今度は見るからに機嫌が悪くなった。まるで害虫を見るような、嫌悪感にまみれた表情をフィアに向けている。ここで反論してはいけない。だけど、認めてもいけない。彼の言い分も分かるから。
「ごめんなさい。初めてだったから……」
そう、初めて見た。
竜の被害ではなくて、戦の被害が、生きた人をこんな風に蝕んでいくなんて。
「ごめんなさい……」
一歩下がる。もう一歩下がる。誰に謝っているのだろう。
「ごめんなさい……」
オズが敵国に流れたら、こんな風にされるのだろうか。
ベルが敵国に捕まえられたら、……。
その死体を前に、歓声が上がるのだろうか。
フィアは、その場から逃げ出していた。
私は正気でいられるのだろうか。
私は、相手側の皇族の死体を見て、歓声を上げるのだろうか。
走り出したフィアは久しぶりに大きな動悸を抱えていた。
どうしよう。落ち着いて。
あれは、そう。
違うの。
何が違うのかも分からない。
雨がフィアに降りかかってくる。
戻らなくちゃ。
アリアは……?
でも、一度ポチとディケの様子も見て。
離れなくちゃ。
戻らなくちゃ。