ティリカリカ
ソフィアとフィアの住むティリカの王様が欲しがったのは、不眠のお薬。でも、ソフィアも睡眠薬ではなく、不眠症の薬を用意した。
最近寝付きが悪いらしい。きっと、最近頻発している竜の暴走が王様を悩ませているのだ。フィアはそう思っている。
そもそも、竜が暴走すること自体、過去にほとんどなかったのだ。
今までの彼らが人里を襲っていた理由は、人間が領域を侵した時に限られていた。
何が変わったのか、今の彼らは無作為に人里を襲う。城下は魔法使いがいるから、結界を常時張っているが、全ての町村に配備できるほどの魔法使いはいない。
だから、魔女が使われるようになった。
ソフィアは国指定魔女だ。
国の魔法使いが正規なら、彼女は非正規の公僕である。ただ、その報酬は膨大。だから、あんな悲惨な場所にも進んで派遣されるのだ。
もちろん、全信頼を受けているわけではないから、正規の魔法使いも付いてくる。
あの時も、駆けつけていた白い法衣の魔法使いはいたのだ。生き残った村の人を王都まで運んでくれた馬車にも兵隊さんがたくさんいた。それなのに、村に入ってきたのは、ソフィアだけだった。
それは、魔女なら死んでも構わない。国の魔法使いが減るのは困るという現実だということと、ソフィアが彼らを邪魔者扱いして村の外に残していたということを、フィアは知らない。
そして、そんな白い法衣の魔法使いもいる城下町ティリカリカを、不眠症の王様にお薬を届けるために、ふたりは歩いていた。
ソフィアの服装は紺色のワンピースと皮を鞣したマント。その色はキャメル色。フィアは草木色のフード付きのワンピースを着ている。そして、フードを目深に被らされた。
そのフードの先から二つに結った尻尾のような白い髪が、ちょんちょんとはみ出ているのを見て、フィアは急いでそれをフードの中に隠した。
ソフィアはフィアの髪が人に見られるのをとても嫌うのだ。きっと、罪悪感が生まれるんだろうな、とフィアは思っている。
「フィア、遅い」
そして、ソフィアはいつも怒っている。
「だって、足の長さが全然違うもん。ソフィアが言ってたもん」
本当は賑やかな街に見とれていただけのフィアが頬を膨らませて、ソフィアに反論した。
「だからなんなの」
ソフィアが呆れたように息を吐いた。
そんな言い訳を思いつくのは、この間森の中にいる小さな魔物に追いかけられた時に掛けられた言葉からだった。
キツネみたいなフォギーは、悪戯好き。いつもは人を化かしてからかうくらいなのに、フィアはいつも追いかけっこをして遊ばれる。そして、自分の足に絡まり転けると、自慢気にその背の上に座られるのだ。大概は石像になっている。重くて動けなくなる。そんなフィアを見つけると、ソフィアはいつも「足が短いから仕方ないよね。だから、こんなのに捕まる」と柔らかくなったフォギーの首根っこを掴んで下ろしてくれるのだ。フォギーは悔しそうにソフィアを見上げ、尻尾を巻いて逃げていく。
「言ってたもん」
ソフィアには、フィアの伝えたいことはよく分からない。だけど、ムッとする。
「置いてくよ」
「いやだぁ、待って」
待ってくれないと、すぐに見失うくらいの人集りだ。いつも住んでいる森の中の家と違い、城下町はとても賑やかだった。そして、たくさんの楽しいとたくさんの怖いがあることも分かった。迷子になったら大変だ、くらいはフィアにも分かるのだ。
本当はもっとお店をゆっくり見ていたいんだけど……。
町にはサーカスが来ているらしく、いつも以上に活気にあふれている。見たいものはたくさんあった。
フィアは歩くスピードを変えずに前を歩くソフィアの背中を見つめて、よそ見をして、またソフィアの背中を見つめ、よそ見をする。
色とりどりの果物カゴに、不思議な色の羽根がたくさん入ったカゴ。水晶玉や光る石のあるカゴに、たくさんの武器が置いてある木箱。
綺麗なキャンディの瓶に美味しそうなパンの匂い。こんがりとお肉を焼く匂いがお腹をくすぐり、大道芸人の賑やかな声がフィアを誘う。そして、楽しそうな笛の音が聞こえてくる。
パンっていう何かが弾ける音。風船が割れたような。銀色の花片が目の前に散っていく。
丸くて赤いお鼻を付けた大道芸人が花を差し出した。
瞳はとても綺麗な銀色を混ぜたような水色。
お嬢ちゃんにどうぞ
虹色月華……?
「フィア、遅いって言ってる」
右手が温かくなる。
「あれ? お花は?」
「何言ってるの? 今度は立ちながら眠ったの?」
「違うもん」とフィアは慌てて頭を振った。
あれ? 大道芸人さんもいないや。笛の音もしない。
ソフィアが珍しくフィアに視線を合わせると、その緑の瞳に吸い込まれてしまいそうだった。そして、不思議なことをいう。
「フィアの瞳は茶色。忘れないで。髪は亜麻色。元に戻してあげるから」
真剣なソフィアの言葉には、よく分からないまま頷かされることが多い。
よく分からないけど、きっと間違っていない。だけど、もう一度フードを目深に被せてきたソフィアに、フィアは頬を膨らませ、「見えないもん」とほんの少しだけフードを上げて、髪束を押し込んだ。
大丈夫、髪は見えていない。
今度はソフィアに引っ張られながら歩いた。背の高いソフィアに繋がれると、背の低いフィアには、ほんの少し大変だった。だけど、安心するのは確か。
それから、町を引き摺られるようにして歩き、王城の門の前に辿り着いた。大きな門だった。金色の門。太陽と竜の模様は王様の模様。四角四面の兵隊さんがふたりいて、ソフィアにお辞儀をすると、その一人が小さな門の鍵を開けた。
大きな門から入るのはお客様。とくに馬車に乗ってやってくるようなお金持ちの貴族や王様のお友達だけらしい。
魔女のソフィアはお金持ちらしいけど、お客様ではないし、馬車もない。
「どうぞ」
ソフィアに対しては感情のない静かな声で促した兵隊さんは、ぺこりと頭を下げたフィアには、優しく微笑んでくれていた。
きっと、良い人だ。
フィアが思っていると、ソフィアが「誰と比べているの?」と不機嫌そうに鼻を鳴らした。