新月の夜
満月の夜は魔女の集会へ。
虹が架かった朝は、人間の国の会議へ。
そして、今日、新月の夜は薬を漬け込む日。
「フィア」
名前を呼ばれる。
お母さん?
「フィアっ」
風に飛ばされてしまった私に手を伸ばすお母さんがいる。私も手を伸ばすが、届かなかった。
「フィアっ 起きろっ」
「あいっ」
慌ててよだれを拭きながら返事をすると、魔女のソフィアが怒っていた。
「言っておいた薬草が足りない」
静かに燃える火のように、ソフィアの声がフィアの耳に届いた。
「えっ? ちゃんと、ちゃんとあるよ」
「ないわ」
怒ってる。慌ててポケットに手を突っ込み、ソフィアのくれたメモを見る。
じりじり草にそわそわの実。トンガリ草とチノキノミ。
セミンミンの抜け殻とトンポゥの羽。
ニュルリ茸に……朝焼けの水……あっ。
虹色月華が足りない……。
新月から次の新月までの間ずっと月の光を浴びてやっと花を咲かせる、そんな花。途中に雨が降っても、曇っていても咲かない、とっても珍しい花なのに。二重丸までしてあるのに。
早朝に起きなければならなかった朝焼けの水と季節外れのセミンミンの抜け殻探しで、忘れてしまっていた。
「ご、ご、ごめんなさいっ」
ソフィアはつんとフィアを見つめたまま、「ほんと人間って役に立たない」と冷たく言い放つ。
「取ってくる」
「無理よ」
「行くっ」
「夜目も利かないような奴が何言ってるの? 夕方になるまでに行けって言ってたでしょう?」
新月の夜は魔物がいつもよりも多い。
「じりじり草を毟りながら居眠りするような奴が、魔物に食べられずに崖向こうに行って帰ってこられるって言うの?」
じりじり草を眺める。小さなとげとげがあるから、気を付けなさいと言われていたもの。その棘を茎から剥がしていた途中だった。これもまだ半分しか取れていない。
「王様に怒られるわねぇ」
「今日しか咲いてないお花……」
フィアの気持ちは「どうしよう」で溢れてしまう。どうしよう……。
「そうねぇ、アンタの心臓で代用はできるけど?」
にたりと笑うソフィアは魔女そのものだ。王様にあげる薬だって言ってた。王様が怒ったら、ソフィアは殺されるかもしれない。ソフィアは魔女だもん。一緒に住んでいる私だって殺されちゃうかもしれない。
一番忘れちゃいけないもの、忘れちゃった……。どうしよう……殺されたくないよぅ。死にたくないよぅ。
「心臓あげるぅ」
泣きながら、覚悟を決めてそう言うと、今度は呆れたような声を出した。フィアは一生懸命なのに、ソフィアは酷い。
「いらないわよ。そんなちっちゃい心臓」
「でも、ソフィア、王様に殺されちゃう。私も死んじゃうぅ。うわーん。いやだよぉ」
酷い魔女だけど、王様だって怖い。言うことを聞かない人を王様は殺してしまうことがある。お母さんが読んでくれた絵本には、そんな王様もいっぱいいた。ソフィアは命の恩人なのだ。だから、私のせいで殺されちゃうのはとっても嫌。ソフィアがいなくなったら、私も死んじゃう。どうすれば、ソフィア、殺されない?
フィアが慌てて目を擦ろうとすると、その腕を掴まれた。
「これで勘弁してあげることにしたわ」
目の前には透明な瓶。いつの間に取り出したのかとは、もう驚かない。でも、何が入っているのかわからなくて、「何で?」とぽかんとして尋ね返していた。
「白金の髪を持つアンタの涙。こんなんじゃ効果は落ちるけど、人間には分からないでしょう、きっと。ほら、早く棘を毟る。新月の時間だって限られてるんだからね」
よく分からないまま頷いて、あぁ、と思い出した。
ソフィアにとってフィアの髪は特別だったということを。
でも、これは単なる髪の毛。お祖母ちゃんみたくなっただけ。フィアのお祖母ちゃんも、こんな色だったよ。
本当に効くのかなぁ……?
あの出来事のしばらく後から、フィアの亜麻色だった髪は白色になっていた。ほんの少し金色を帯びた白。ショックでそうなったと人間のお医者様には言われたけれど、ソフィアはそのフィアの髪を手に取って、何故か謝った。
「ごめん……」
よく分からないけれど、フィアの髪は白髪ではなく、白金で、それはソフィアのせいらしい。
そして、謝罪はその一度だけ。それ以前は厄介払いしたくて仕方がなさそうだったのに、それだけは気にしてくれている。
お婆ちゃんになれば、白くなるものだからそんなに気にしなくても良いのに。それに、フィアのお祖母ちゃんとお揃いだから、別に構わない。ソフィアが来てくれなかったら、私も死んでたんだし……。
「ぼーっとしない。棘には気にならないくらいの毒があるって言ってるでしょう? 体中にかいかいができて膨れるわよ」
村をなくして、行く当てのなかったフィアは、その時からソフィアの元にいる。追い払われないのだから、多分嫌われてはいないんだろうな、とは思うけど。
まだ七つのフィアは他に生き残った子ども達と一緒に孤児院に行くという話もあったのに、ソフィアに縋った。どうして縋ったかというと、フィアは多分、恩返しがしたいと思ったから。
そして、人間嫌いなくせに、ソフィアはフィアの同行を許している。……魔女のお友達もいないから、他人嫌いともいうのかもしれないソフィアが、フィアを傍に置いている。
「あー。言っておくけど、私は王様なんて全然怖くないから。それ終わったら、すぐに寝る、いいね? 明日はアンタが怖いその王様のところにも行くんだからね」
大鍋の材料をから煎りしはじめたソフィアが、毟り終わった棘の入った笊をかっさらいながら、言葉を捨てていった。