冬の竜②
「こっちだよー」
手を振るフィアを見ながら、ふたりが微笑む。
「どこか、ソフィアに似てきましたね」
「うん。ちょっとずつ、しゃべり方とか、ふふ、偉そうなところとか?」
ソフィアにはまだまだ劣るが、魔法を自分の思うとおりに出せるようになってきているフィアは、以前と違い自信に溢れている。心に穴が開いているような日すら、今はないと言ってもいい。
「元気ですね」
「きっともうすぐこけるよ」
そんなフィアを一番に追いかけるのは、フォギーだった。フォギーはフィアのそばにいることを好んでいる。
それは、それだけ魔力が高まってきているから。
フォギーにとって、フィアはとてもいい匂いなのだ。
そして、……。
「すごーい。ジョン、早く、はやく。見てーっ――っ」
ぴょんぴょん飛び跳ねたフィアが、雪を踏み抜いた足のせいで、顔を雪の中に突っ込んでいた。そのフィアの背中に、フォギーが満足そうに飛び乗った。それを見たふたりが「ほら、やっぱり」と笑い合う。
それから、オズワルトが雪に顔を突っ込んだままのフィアを抱き起こし、その雪を払っていたベルナンドは、彼女の後ろに広がる光景を見て、飛び跳ねた理由を知った。
「すごい」
「すごいでしょう?」
ベルナンドの手が止まってしまったので、自分で雪を払いながら、真っ赤な鼻のフィアが嬉しそうに自慢する。一番に見つけたことが嬉しかったのだ。
「初めて見た。これが、コォノミ?」
オズワルトも呆然とその光景を見つめていた。
泉の周りには光輝く星が、無数に落ちていたのだ。太陽の光を吸い込むように輝きを増している丸い氷の結晶。真っ白い光に包まれた泉は、今日の空を映し、青く輝いている。
とても綺麗だった。
「きれい」
フィアが両手を祈るように合わせた時に、パキンと音がした。
魔力が壊れる音。
「フォギーっ」
フィアが叫んだのは、フォギーがコォノミを食べていたからだ。コォノミの中にある魔力が、フォギーによって食べられている。何の感情もないはずなのに、とても美味しそうに、次から次へと口の中へ入れては、牙を立てて、割っていく。
「食べ尽くされる前に取らなくちゃ、ソフィアに怒鳴られるな」
まじめな表情のオズワルトに、ふたりはそろって頷いた。
ベルナンドが背負う背負子に半分くらい溜まったころ、そして、フォギーがお腹いっぱいに満足して、丸く眠り始めたころに、フィアが「そろそろ帰ろ」と声をかけた。
あんまり重たくなると、ベルナンドが疲れてしまう。
「そうだな」
オズワルトもフィアに答えた。ベルナンドだけが「まだ半分だけど……」と少し不満そうにする。
ベルナンド自身は荷物持ちにまったく異論はないのだが、フィアとオズワルトはいつも申し訳なく思っているのだ。
例えば魔物が襲い掛かってきた場合を考えれば、フィアとオズワルトが荷物を持っているよりも、ベルナンドが持つ方がいいのだ。だけど、そもそも、強力な魔力持ちソフィアが傍にいる森にいる魔物たちは、それほど狂暴ではない。
おそらく、ソフィアがそうしているのだろう。
フォギーを見ているだけでもよくわかるのだ。常に魔力に満たされている彼らは、よほどのことがない限り、人間を襲ってこない。
もちろん、絶対ではないから、幾度かそんなことに遭遇しているが、ほんとうにフィアのまやかしくらいで、十分に逃げられた。
しかし、やっぱり、重たいということは知っているし、申し訳ないのだ。
「たくさんあっても納屋に入りきらないと思う」
フィアがたくさん考えた言い訳をベルナンドに言えば、オズワルトも同意して、彼を促した。
「帰りましょう」
その言葉に合わせたように、空が陰った。
あれだけ輝いていたすべての光が、遮られたのだ。
大きな雲……に見えた。
全体的には白。ところどころ灰色。
狙われたのは、フィアだった。
白い竜がフィアに向かって大きな口を開けて飛び込んでくる。魔法……を。真っ白になる頭でフィアはイメージしようとするが、できない。
竜だ……。それに囚われてしまう。
オズワルトの声が聞こえた。ベルナンドの声も聞こえた。
ここは、違う。
動けない。
視界が遮られた。黒色の、大きな、暖かな毛皮に包まれた……。
「フォギーっ」
フィアは自分の叫び声に驚いて『今』を見つめた。
膨らんだフォギーが竜の口を覆っていた。そして、振り回されて飛ばされる。木にぶつかる音。そして、落ちる音。ピシリという、魔力の欠ける音。
嫌な音しかしない。
「ふぉぎーぃ」
小さなフィアには追撃はできなかった。ただ、フォギーに駆け寄り、その小さくしぼんだ体を抱き上げる。そして、睨むしかできなかった。それなのに、次の瞬間、狙いが変わっていた。
――ほぅ。そうか。助けたければ望めばいい
深い闇に落ちるような、そんな声が頭の中に轟く。
――そのまま我に捧げよ
フィアに言われているのかと思った。しかし、違った。ベルナンドが虚ろだ。そのベルナンドを庇うオズワルトが強靭な爪に飛ばされた。
「オズっ、ジョンっ」
竜の声だ。この竜が、ジョンを食べちゃう。
フィアのイメージが過去へと戻る。すべてを飲み込んだ、あの風。集まってくる風が逆巻き雪を巻き上げる。
それ以上に膨らんだ魔力に警戒した白い竜が、フィアに炎を吹きかけ、焼き殺そうとする。
しかし、フィアの風が炎までをも飲み込んだ。
フィアの風のイメージは、すべてを搔っ攫うもの。怖くて怖くて、悲しくて。
残酷で。
炎がうねる。すべてを飲み込む。そして、……命もろともに呑み込む。
あとは、覚えていない。気づけば、何も残っていなかった。
雪も、泉も。
あのコォノミが輝いていたあの美しい景色全部。
黒い大地に、遺ったコォノミが、まるで泣いているように。
何も見たくなかった。
あの時と同じように、ソフィアの声がした。でも、何も見えない。見たくなくて。
ただ、声だけが頭の上から降ってきた。
「よくやった。だから、泣くな」
と。
第一章
『竜の国ティリカ』了