サーカスのチケット
実りを謳歌しつくした秋も静まり始めた晩秋の頃。冬にはまだ少し間がある。ソフィアの小屋には、冬用の小枝がたくさん準備されていて、今年はオズワルトとベルナンドが薪もたくさん準備してくれていた。
もちろん、いつもならそんな準備はしないのだが、ソフィアは彼らがせっせと用意する様子を、馬鹿にするでもなく、褒めることもなくたださせていた。
だけど、フィアもそんなソフィアを不思議だな、とは思わなくなってきていた。
魔法に頼れば簡単に『暖』が取れる。
だけど、魔力のある人間は人口の約二割だと言われており、その二割のうち、七割はベルナンドほどの使い手なのだ。もちろん、その七割の中にはフィアのように訓練次第で使えるようになってくる者もあるのだが、数は少ない。
それに、もし魔法を使うとしても、この火が熾っていくという事象を想像できなければ、魔法は使えない。火に限らず魔法以外のそのすべては、すでにそこにあるものではなく、起きていくという過程があり、その加減を知っておかなければ、術者を殺すものとなる。
「ジョンとオズ、楽しんでるかなぁ」
暖炉に薪をくべたフィアが、ちょうどよくなってきている火加減に、満足そうにした。その薪の上にはヒルダが昼と夜に食べようと言って温めてくれている鍋が、くつくつとしてきているのだ。鍋の中にはフィアの大好きな木の実やキノコ、つくね、つみれが入っているのだ。秋の実りたっぷり鍋だ。
「よかったの?」
「うん。二枚だもん。お兄ちゃんたちふたりで行くのが、楽しいと思う」
ヒルダは昼ご飯の準備がひと段落したので、冬の準備を続けている。
「フィアも行きたかったんじゃないの?」
ヒルダは手元に視線を戻しながら、フィアに答えた。毛糸の帽子を編んでくれているのだ。フィアは白色にしてもらった。もっと鮮やかな色にすればいいのに、とヒルダは残念がってくれていたが、髪の色と同じ方が、目立たない気がするのだ。
十一歳を迎えたフィアは、ほんの少しだけ自分の髪が白いということを気にし始めていたのだ。
『おばあちゃんと一緒だから』の意味が自分の中で少し変わっていることに気づいてしまったのも、その理由にあった。
「いいの」
フィアは、また火の番に戻る。サーカスのチケットは二枚だった。フィアは思い出しながら、繰り返す。行きたくなかったわけではないが、どうするのが一番なのか分からなかったのだ。
魔女会の次の日に、ソフィアがフィアにサーカスの招待状をくれたのだ。二枚も。だけど、二枚しかなかった。
「どうすればいいの?」
と尋ねたフィアに、ソフィアが「好きな奴と行けばいい」とぶっきらぼうに言って、そのままベッドで眠ってしまった。最近の魔女会の次の日はいつもそう。今回はとても疲れていたようで、すぐに奥の部屋に籠って、眠っていた。なんにせよ邪魔をすると怒られる。
最近は、あまり一緒に薬草取りにも行かないし、魔法もあまり教えてくれない。
二枚しかない。好きな奴……と言っても。
はじめは大人のヒルダと一緒に行ってもらおうと思っていたのだ。だけど、ふとベルナンドとオズワルトの顔が過った。薬草取りの時や、小枝運び。狩りをする時や魚を釣る時。
荷物を持ってくれるのは彼らだった。フィアは小さいから、持ってくれるのだ。ソフィアはフィアに持たせるけれど……。
だから、ふたりにあげたのだ。ベルナンドは見るからに喜んでくれていて、オズワルトはいつに似合わず、頬が緩んでいた。
サーカスは、一年に一度くらいしかやってこない。だから、きっといつも王都にいる王子様でも見習いの見習い騎士でも嬉しかったのだ。
そのふたりを見て、フィアが嬉しかったのも確かだ。役に立ったというような。
「ヒルダも行きたかった?」
「いいえ。私は昔、一度行ったことがありますから。今はフィアの帽子を特別かわいくすることが、私の楽しみです」
編み棒から視線を上げたヒルダが気合いの入った微笑みを、フィアに向けた。
〇
ティリカリカの町はずれの広場に設置されているのは、生成りのテント。くすんだ赤や緑の縞が入り、にぎやかな装飾がなされた馬車がある。各国をこうして回っているのだ。
テントの外にいると人々の楽しい叫び声がその中から響いてきて、歩みゆく人々の足を止めていた。期間は10日ほど。歓声に悲鳴。叫び声に騒がしい。
白いライオンの火の輪くぐりに、黒熊の玉乗り。魔法使いによる虹と水の競演と、ピエロの狂言。蠱惑的なメロディと匂いに包まれるテントの中に叫ばれる歓声と時に悲鳴。
興奮に満ち溢れた世界。
人々は、決して危険ではないという安全の中の危険を感じ、それを娯楽と感じる生き物として、存在している。
危険だ、だけどその危険の一端に触れてみたい。
綱渡りから落ちたピエロに悲鳴を上げて、安全網の上で滑稽に跳ねて見せるピエロに歓声をあげる。終盤近くに風船売りがやってきて、小さな子どもが手を伸ばし、貼り付けの笑顔に本物の笑顔を見せる。
本物の笑顔が、彼らをまた笑顔にさせる。
風船を持った子どもの声がする。
「ありがとーっ。ねぇ、みて、赤色。パパ、ママ。ありがとーっ」
風船の中にも魔力が込められていているので、室内でもぷかぷか浮かんでいる。こちらも十日ほどは浮かんでいられる。
「手を離さないでね」
「うん!」
とても幸せな家族。ベルナンドもオズワルトも狭い長椅子に身を寄せ合い座っていたせいか、伸びをしながら、彼ら家族を見つめていた。
「フィアもやっぱり来たかったよね」
今になって反省に似た後悔に襲われていた。彼らの心中は、今同じく『大人げなかったかも』だった。
「次は、フィアに行ってもらわなくちゃね」
「ですね」
テントの外に出ると、始まりの時はなかった出店が、サーカスに負けないくらい賑やかに開かれていた。
どこか、うまくできているんだな、とルーアン先生を思い出してしまったベルナンドは、苦笑いした。
そして、どちらからともなく、お土産を売っている出店に足を向けていた。
〇
秋色に染まった夕暮れに、ベルナンドとオズワルトが帰ってきた。『ただいま』の声は満足そのものであり、楽しかったことを言わずと告げていた。
「おかえり」
と走って出迎えたフィアも、やっと自分の半身に会えたような、そんな懐かしさと嬉しさが重なったような声を上げる。
「ねぇ、ねぇ、楽しかった? どんなだった?」
ふたりを交互に眺めながら、その瞳を輝かせるフィアに、彼らは一瞬どう答えればいいか分からなくなる。だけど、ベルナンドはやはりまだ子どもでもある。どんなことがあったのかを詳しく知らせてあげなくちゃ、と張り切り始めた。
「楽しかったよ。あのね、大きな白いライオンがいて、火の輪をくぐってさ」
楽しい思い出としてその口から、どんどん楽しいが生み出されていく。そんな彼を眺める少し大人に差し掛かり始めているオズワルトは、すこし後ろめたい気持ちでお土産のぬいぐるみをフィアに渡す。
「そのライオンがこれで……」
「わぁ、これがライオン? すごーい。首にふさふさがあるんだ」
「たてがみっていうんだって」
今度はオズワルトが説明する。フィアはそのライオンの顔を見つめて、たてがみの頭をよしよしした。綺麗だと思ったのだ。
「かわいいっ。ありがとー!」
そして、白いライオンの瞳は緑の瞳。
実は、これですったもんだがあったのだ。要するに彼らの金銭感覚の違いだった。
ベルナンドは勧められるまま翠玉の瞳にしようとする。ガラス玉のものよりも桁が二つも違う。慌ててオズワルトがガラス玉にしようとすると、今度はベルナンドが「こっちの方が良いものだよ」と言うのだから、店主でなく彼を説得する方に時間がかかったのだ。
やっぱり、王子様というものは、厄介な生き物かもしれない。良いものであることくらい、オズワルトだって知っている。
もちろん、そんなことを知らないフィアは、あの家族の子どものような笑顔で、ふたりに感謝し、それを部屋の奥にいるソフィアに知らせに行った。
パキっ
魔力を壊す音がした。
「どうしました?」
ベルナンドの機微に細かく気づくオズワルトが彼に尋ねた。
「今……音が」
気づいているのは、魔力を持つベルナンドとフィアのみだった。だけど、気のせいだったのかもしれないというくらいの音。
「よかったわね」
そして、部屋の奥からソフィアのいつも通りの声が聞こえると、やっぱり気のせいだったのだろうと思えた。一番の魔力持ちであるソフィアが何も言わないのだ。きっと、気のせい。まだ、疑いが続かない幼いふたりはそう思った。
「ううん、気のせいだった」
ベルナンドはオズワルトに笑顔を向けた。