勇者の尻拭い、しなきゃいけませんか?(解決編 下)
アシュリー・リーディナは水瓶から汲んだ水を患者に差し出す。それを震える手と唇で患者が受け取った。私はそれを無慈悲に叩き落した。木製の椀が寝台から転げ落ち、水があたりに零れ落ちる。
「な、なにをするのです!」
責めるような目でアシュリーが甲高い声をあげる。私は船員たちに与えたように魔法で水を生み出す。宙に浮きあがった水を患者に与える。患者は苦しさと困惑を示しながらも水を飲んだ。しばらくすると落ち着いたのか胸を掻きむしるのを止めた。
「ヴァレリー様、いったい何を?」
「そうですね。いま私が考えていることを率直にいいますと、私もこの町にある水瓶やツボを片っ端から叩き壊そうかと思っています」
「馬鹿な! あなたも私たちに三年前と同じ苦しみを与えるつもりですか? 勇者と同じことを繰り返してどうなるというのです。水瓶やツボは壊せても倒すべき邪毒竜は見つかっていないというのに」
「邪毒竜は見つかりません。だって勇者に倒されているのですから」
軽薄な勇者の顔がちらつく。腹立たしい顔だ。
「邪毒竜の死体が見つかったとしても、それが邪毒竜が根絶された証にはならない。そもそも邪毒竜が複数いたのならば倒されていないのと同じです。それはあなたもお考えになったことです。それとも孤独姫、あなたも所詮は王国の手先にすぎないということですか?」
王国から書記官として禄をいただいている身ではあるが、犬になった記憶はない。
「そうなれれば私の人生はもっと楽だったでしょうね。何も考えず、王国の指示のまま流されるまま生きる。とても楽でよいと思いますけど、私好みではないし。なにより楽しくなさそう」
「ならばなぜ?!」
「そうですね。きっとそれが手っ取り早いからです。勇者の尻拭いをするはずが、勇者を真似る羽目になるのは業腹ですけど」
勇者はいつも言葉が足りない。
だから、事実ではなく真実が必要になる。
もし、彼にもう一度会えるなら私には彼の頬を思いっきり叩く権利があるに違いない。
「手っ取り早い。私たちがまた渇きに苦しむことが?」
「ええ、私は勇者と違ってちゃんと言葉で説明できるので順を追ってお話をしましょうか?」
「……どうぞ」
アシュリーは困惑と怒気を抑え込んで、話を促すように頷いた。
「まず、最初に勇者がこの町で何をしたか確認をしましょう。一つは、町中の壷や瓶を打ち壊し、中身を奪い去った。次は、邪毒竜の討伐。そして最後の一つが町を毒から救った。この三つの出来事が勇者が成したことです」
「ええ、勇者は、私たちから物資を奪い。それをもとに邪毒竜を倒して町を毒から救った、といわれています。ですが、それは真実ではない。邪毒竜はまだどこかに潜み。三年後のいまになって私たちをまた苦しめている」
何をいまさらというようにアシュリーが抑揚のない言葉を重ねる。彼女の言葉尻にはこちらへの失望が見えている。
「三つの出来事を統合して生まれた真実が違う、ということは成されたことが実際には成されていなかった、と考えるのが唯一の答えのように思えます。ですが、三つの出来事から生じた結果が重複していたらどうでしょうか?」
「結果が複数あるなんてありえません。真実が一つであるのと同じで出来事の結果は一つしかない」
「私はそう思いません」
私が言い切るとアシュリーは理解できないものでも見るような顔をした。私もかつてそんな顔をしたことが二度あった。一度は自らの手を汚さずに結果を求める国民を見たとき。二度目はあの勇者に会ったときだ。
「出来事の結果が一つだ、というのは一つ目の出来事から二つ目、三つ目と連続していると考えるからです。もし、一つ目の出来事と連続しているのが三つ目だけだとしたら? 二つ目の結果は別にあるでしょう」
「それなら二つ目の出来事の結果はどこへ消えたのですか? 結果のない出来事なんてないはずです」
「ええ、結果がない出来事はない。ですが一つ目の出来事と二つ目の出来事の結果が同じだということはあるはずです。そして、そんなことになってしまったのは勇者が求めた真実が、勇者が町を毒から救った、という安直な結果だからです」
「勇者が町を救うなんて失敗しているはずです」
「より分かりやすく言いましょう。勇者は邪毒竜を倒して町を毒から救った。これは分かりやすいですよね。この町を襲っていた邪毒竜が倒されたことで町が救われた。語り継ぎやすい明確な物語です。ですが、もう一つは分かりにくい……」
私はため息を吐き出してアシュリーに語る。
「もう一つは、勇者は壷や瓶を打ち壊して町を毒から救った。こんな分かりにくい物語なんて説明されなきゃわかりませんね」
「勇者は壷や瓶を打ち壊して町を毒から救った? 私たちは勇者が壷や瓶を打ち壊したから渇きに苦しんだのですよ。それに壷や瓶が壊されたからといって毒から救われることがあるわけない」
「そう。あるわけがない。ですが、今回はあったのです。そもそも、勇者が壷や瓶を打ち壊してなにか得があったのでしょうか?」
「それは中に入っている物資を奪うために!」
「そこなんです。物資が欲しければもっと物資があるところから奪うべきです。倉庫とか町の有力者でもいい。きちんと金目のものがある場所を襲うほうが効率がいいし確実です。なのに勇者は壷や瓶を狙った。この町のつくりを知ればそれらの中に入っているのは水であって他の物が入っている可能性が低いことはすぐにわかるはずです。もちろん、勇者の頭のネジが馬鹿になっていなければですが」
「それは……ですが、勇者は壷と瓶を狙っていました」
「ええ、これほどの町のすべての壷と瓶を壊してまわる。すごい行動力です。物資欲しさにしても効率が悪すぎると思いませんか? それでも壊した。ならばその行動には理由があったはずです。勇者にとって町を毒から救う、という結果を得るためには邪毒竜を倒すだけでは不足で、壷や瓶を壊す必要があった」
「必要なんて……」
「ここから分かることは町を襲っていた毒は二つあったということです。一つは私も見てきた邪毒竜の毒。身体に触れれば溶け落ち、気化したものでさえ吸い込めば肺を蝕む猛毒。もう一つは……」
私は先ほど払い落とした水たまりに目を向ける。
床に零れ落ちた水の大半は床板の隙間から落ちていったのか板に吸収されたのか、水たまりというには少なく濡れているいうには多い。そんな半端な姿だった。その半端を布で拭うとアシュリーに突き付けた。
「これがどうしたと?」
人は慣れていることについて鈍感になる。きっとこの町の人にとってこの状態は普通のことなのだ。だから、分からなかった。分からなかったから他の脅威と混ざり合ってしまった。
「私も雨水ってもう少し綺麗なものだと思っていました。でも、考えれば分かることでした。雨水を貯めるということは、いくらでも他の物が入る余地があり、人以外の生き物も水を求めるのはおなじだということです。いまこの町で起きている被害は邪毒竜ではなく、この小さな虫によるものだと私は思っています」
布には目でとらえるのが困難なほど小さな虫がいくつかついていた。
「雨水ですから密閉などできません。ですが、川の水と比べればよほど綺麗です。それに雨水を飲んできたのは邪毒竜が現れるよりも昔からです。それをいまさら雨水のせいだと言われても」
アシュリーの考えはこの地で住む人間にとってはひどく当たり前なことに違いない。だが、それゆえに分からないのである。
「水を外部から購入している間は被害がなかった。しかし、壷や瓶が増えて雨水を飲みだしてから被害が増えた。雨水を疑う理由はあります。それに過去にも同じ被害はあったはずです。ただ、それを当たり前のことだとあなたたちは認識していた。日常の中の出来事で普通なことだと」
「そんな馬鹿な! いくらなんでも私たちがそこまで鈍感だというのは」
「失礼かもしれません。ですが、あなたたちはそれを不自然な形で気づいてしまった。それが邪毒竜です。吐きかけられれば身体を溶かすほどの猛毒。気化した毒を吸えば肺を蝕み胸を掻きむしる。そんな毒が現れて、あなたたちは毒の恐ろしさを知った。知った結果、同じような苦しみをする虫の害を邪毒竜だと思ってしまった。過去からあったものが邪毒竜のせいだと上書きされ、どこにもいない邪毒竜の影を追ってしまった。それが今です」
おそらく、この虫の害は大きくはないのだろう。だが、確実に幾人かは殺す。そういうものなのだ。水を沸かせば症状が出ない。酢や酒を混ぜれば罹らない。それくらいの手段で予防できるのかもしれない。だが、今のこの町のように貿易による利益を失い。貧しくなった町の人々のどれほどが喉を潤すためにだけに薪をつかえるのか。酢や酒を買えるのか。難しいに違いない。
「そんなはずは!」
「ない、とは言い切れない。なぜなら町人の多くは町から出ずにいる。それなのに毒の被害は出る。毒の源になる邪毒竜はおらず、毒の残る島は離れていて毒は届かないのに。つまり、源は別にある。そう考えるのが順当です」
私が言い終えると、アシュリーは頭を抱え込んだ。
「そんなの……。もう終わっているじゃないですか? この町に未来はなく。これまで私たちが積み上げてきたものは無駄だった。そんなことってありますか? ようやくここまで町は立ち直ったというのに」
彼女の嘆きは当然だ。
普通の人間なら故郷の崩壊を望まない。そう望まないものなのだ。
だが、私は滅びを願い。腕を振るった。この時点で私には、彼女の嘆きを慰める権利などない。いや、最初から何かをする権利などないのかもしれない。
「……アシュリー。この責任は誰のせいだと思いますか?」
「……誰のせいでもない。私たちは気づかなかったし、他の人たちも気づかなかった」
「いいえ、違います。この責任は勇者のせいです」
「それは違います。あなたの話が真実なら勇者様は町を救ってくれていた」
「確かに勇者は町を救ったかもしれない。だけど、その対処方法をあなた達に伝えるという義務を果たさなかった。つまり、すべての責任は勇者にあります」
アシュリーは私が何を言っているか分からないようだった。
だが、私がここへ何のために来たのかといえば単純なことだ。勇者の尻拭いである。しなければいけませんか? と問いたくなる仕事だ。だが、彼に救われてしまった私にはしなければならないことなのだろう。
「だからといってそれが」
「大切なことです。勇者が救うだけで、説明をおろそかにした。そのせいで被害が出た。これなら勇者が町を救ったという王国の事実を覆すことなく、勇者の怠慢を追及できるでしょう」
「そんなことができるのですか?」
「それをするために私がいるのです。孤独姫ではなく、王国の三等書記官としてヴァレリー・バーネット・バーヴァンシーはここにいるのです。魔法で脅してでも王国から支援を勝ち取りましょう」
王国の方針とはやや違うが反乱を防ぎ、勇者の功績を墜とさない。いい落としどころだろう。
私は微笑んで、少しだけ肩を落とした。
勇者が姿を消してから三年。ここにも彼の姿はない。私はもう一度、彼に会わなければならない。
悪をなした私が生きながらえている最後の理由は彼に会うことなのだから。