勇者の尻拭い、しなきゃいけませんか?(問題編:中)
邪毒竜を探す。
言葉ではたやすいが、モンフェラィトの町から出ると一気に後悔が沸き上がってきた。王国の最南端であるこの地域は、常夏と言ってよい温暖な気候に恵まれる一方で、ころころと天候が変わる。抜けるような青空が一瞬で雷雨に姿を変え、それさえもすぐに流れていく。太陽と雨が育むので草木はあっという間に茂っていく。
それが海岸沿いの島々に鬱蒼と目隠しのように生えるものだから何かを探すということは難しい。
港湾管理官であるアシュリーに頼んで小舟と衛兵を借りて島々をめぐる。海の青さと空の蒼さが水平線で溶け合い、境界線があやふやになりそうな世界に緑の島が異質に見える。島にはかつての戦いを思わせる残骸が残っていた。大きく穴が開いた船の残骸に海水で錆びた剣や槍。ドロリと半分が溶けた鎧の半身。それらはすべて三年前に邪毒竜とモンフェラィトが戦った跡だと衛兵は言った。
かつての戦場には決まって草木が生えない場所がある。それは邪毒竜の毒が色濃く残っている場所らしい。
生物が見られない空白地に近づくと腐敗とも汚物とも違う刺激臭がした。胃が裏返しになりそうな匂いに私は布で口元を押さえると後ろに下がった。
「これでもマシになった方ですよ。三年前はもうこの場所に草木が生えることはないと思っていましたから」
衛兵は感慨深そうに目を細める。
「あなたも三年前に戦ったの?」
「はい、戦いました。でも、あれが戦いだったかといわれればただ逃げ回っていただけな気がします。訓練を一緒に受けていた仲間が毒液でグズグズに溶けていく姿に、体内に入ったわずかな毒に身体を蝕まれ腹から変色していく姿。どれも忘れられません。モンフェラィトの町は邪毒竜に三度挑んで三度負けたんです」
凄惨な戦いだったのはこの場所に残る過去の残骸だけでも十二分にわかる。
「幸運でしたね」衛兵は私の言いようが信じられない、という顔をしたので少しだけ言葉を足した。「三度戦ったことじゃありませんよ。生き残ったことがです」
「ああ、そうですね。俺は幸運だったのでしょうね。勇者が現れたのはそのすぐあとでした」
「でもその人は樽や水瓶を割って回った」
「後にも先にもあんなに楽しそうに樽や水瓶を割る人を見たことがありません」
なんとなくその姿が思い浮かぶ気がした。
何かを割るという行動は、壊すに似ているがその快感はまるで違う。
「最低な人ですから。きっと嬉々として暴れまわったのでしょうね」
「でも、それから三年間は平和がありました。矛盾しているのは分かっているのですが、勇者のことをひどい奴だと思う反面で、彼に救われた、ともモンフェラィトの住人は思っているんです。だから、こそ再び邪毒竜の被害が出たことに怒りを覚えるのかもしれません」
「複雑なものね」
人間は複雑なものだ。愛情や友情といったものもたやすく真逆な感情に置き換わることもあれば、その逆もある。モンフェラィトにとって勇者という存在はある一つの感情に縛り付けることができない存在なのだろう。
「せめて、勇者がどこにいるか分かれば尋ねることも怒ることもできるんですが」
勇者は世界を救ったと同時にその姿を消した。
理由は分からない。
「もし見つかるようなことがあれば、私が一番に殴りつけるわ」
勇者に対して様々な感情を持つ者は多いだろうが、彼を殴るという一点において私ほどその理由を有している人間はいない。私はそう自負している。
「では、お願いします。俺たちの分も含めて」
「ええ、任せてください。でも、この場所にも邪毒竜はいないようですね」
「三年前、邪毒竜は町を囲むようにグルグルと周りの島々に現れていました。今回も毒の被害が出ている以上、どこかの島にいると思うのですが」
視線をあたりの島に向けるが、そこは青い海に浮かぶ緑の渦で中に何がいるか見えるものではない。
「……勇者が邪毒竜を倒した場所っていうのは知られているの?」
「はい、分かります。ですがそれはもうすごい状態で、毒がいたるところに残って島にはまともに上がれませんよ」
「できるだけ調べたいの。案内をお願いするわ」
衛兵はすぐに船の準備を行うと島と島を抜けて邪毒竜が倒されたという島へ船首を向けた。十人乗りの小型船だが水夫六人が櫂をこぐので実質は四人乗りだ。鬱蒼と木々が茂る島を抜けて視界が開けると、島の岩肌がむき出しになった寂しい島が見えた。
木々が生えていないために島の海岸線は砂と岩がむき出しになっている。
ただそれだけなのに島に激しい違和感を感じる。なぜかと思い目を凝らすと島の周り一定の距離から海藻も魚も木々も虫さえもいない。生命が死滅しているようだった。
「あれが?」
「そうです。ひどい毒でこの先の海に入ればあっという間に死んでしまいます」
「つくづく思うけど勇者って生き物はそんな環境からも生きて帰ってくるとかよっぽど化け物よね」
衛兵は少しだけ間を開けて笑った。
「ええ、まったくです。アシュリー殿が俺たちの誰も邪毒竜の死を確認していない、といったのはこのせいです。島は邪毒竜の毒で上陸することさえできない。だから死体を確認できないのです」
確かに衛兵たちがあの島に上陸するのは無理だ。
「分かりました。あなた方はここで待っていてください」
私が船べりに立つと水夫と衛兵が慌てた顔をした。だが、私はそのまま海に向かって飛び降りた。
波打つ水面に立つというのは気持ち悪いもので、まるで生き物の上に立っているような気持になる。
「……水上歩行の魔法か」
衛兵が驚いた顔のまま水夫に問いかけるが、水夫も見たことがないのか顔を左右に振るだけだった。
「あまり沖のほうに行かないでくださいね。海の上を歩けるといっても歩けるだけで速さが上がるとか素早く遠くまで行けるような魔法ではないのですから」
私が声をかけると衛兵たちは生返事で了承した。
揺れる水面の上を歩いて島に近づくと、先ほども嗅いだひどい匂いがする。防毒の魔法をかけて島に上がる。砂と岩だけの灰色をした島は、なにか巨大な生き物の朽ちた骨のようだった。かつて、似たような光景を見た気がした。
足を止めて考えると、故郷の町だと気づいた。
海に近い場所だったわけでもない。
砂と岩が多い地形だったわけでもない。
似ていたのは灰色だった。
誰一人いなくなった廃墟の町。
焼け落ちて煤の黒ささえ失われた灰の色。
生き物のいない静止した風景。
「似ている」
誰に言いたかったのか言葉が出た。
もうどうしようもないし、どうにもできない過去の場所だ。私は止めていた足を動かして島の奥へ進む。やはり生き物はいない。動く物は風に舞う砂かたまたまこの島に流れ着いた流木が毒に侵され朽ちた残骸だけだ。
灰色の地面を歩く。
昔に似た場所を歩いたときは絶望しか感じなかったのに、いまはひどく落ち着いた気持ちだった。まるで故郷に帰ってきたような懐かしさと置いて行かれた疎外感。つくづく私は感覚がずれているのかもしれない。勇者ならこんなときどんな風に思うのだろうか?
馬鹿々々しい考えだった。
これでは勇者がまっとうな人間のようではないか。樽や水瓶を嬉々として打ち壊す男が参考になるはずがないのである。左右に頭を振って歩き出す。見慣れてくるとさきほどの既視感が失われて何者かがこの島で激しい戦いをした様子が見えてきた。
強大な力で砕かれ陥没した地面に鋭い爪で引き裂かれたようなかつての巨木。
そういう痕が点々と島には残っていた。それらを追っていくと一段と開けた場所に出た。そこには白骨と化しても巨躯を大地に刻んだ邪毒竜がいた。強引に断ち切ったのか胴体と頭とを繋いでいた首の骨が砕けて散乱している。
この様子を見る限り、勇者は邪毒竜を倒していたらしい。
三年の月日で邪毒竜の血肉はすでに腐り落ちて骨だけになっているが、この姿は竜そのものだった。
周囲を注意深く観察するが、勇者が残していったようなものはない。かけた剣の一本、毒に溶けた盾の一つない。あるのは彼の単純な強さの残滓である。彼がいったいなぜ樽や水瓶を壊したのかがこの死骸を見る限り分からない。
もしかすると本当に隠された金や物資を探していただけかもしれない。
馬鹿のような強さで邪毒竜を倒した勇者はやはり真っ当な人間には思えない。
「空振りだな」
私は行きとは違う気の重さで船に戻った。