勇者の尻拭い、しなきゃいけませんか?(問題編:上)
勇者によって魔王が打ち倒されて三年が経った。世界は魔王討伐に向けられていた力を復興に振り向けている。瓦礫まみれになった街に家が建ち市場が拓かれ、路傍に打ち捨てられていた兵士の遺体は綺麗な墓石の下で眠りについている。そんななかで人々の口にのぼるのは勇者の行方である。
魔王討伐をはたした勇者は、王にそれを報告すると誰にも行方を伝えることなく、王国から去った。旅の途中で出会った女性と辺境で暮らしているとか隣国の姫君の婿になったとか噂はあるが、勇者と直接会ったという話はない。他にも魔王の貯め込んでいた莫大な遺産を元手に魔王に滅ぼされた国を再興した。あるいは魔王を倒した勇者の人気を恐れた王国が人知れず勇者を暗殺した、という話まである。
真実は分からないが、この三年で勇者は英雄から過去になり、伝説へ変わりつつある。
物事が過去になるということは、その帳尻を合わせなければいけないということでもある。例えば、戦争を行っている最中は、遮二無二で必要なものは何に変えても必要だ。その場を埋め合わせるものは理屈ではなく現物なのである。そんなわけで後から考えれば非効率なことやなぜそんな決断をしたのか分からないことがたくさんある。そのときに限れば必要だったのであるが、それが過去になると不必要だったと非難されることもある。何をいまさらと言いたい非難でも声が大きくなれば見過ごせなくなる。結果としてその声に向き合う必要が出てくるのである。
「ヴァレリー・バーネット・バーヴァンシー三等書記官。君はモンフェラィトとという町を知っているかな?」
私の上司にあたる男はこちらを試すような表情をした。確かに私がこの国に住むようになって年月は浅いものの国内の地名を知らないほどではない。
「アーカント法国との国境に近い南方の町ですね。温暖な気候に湿地帯が広がる地域で、香辛料や砂糖、宝飾用の貝が有名だと聞いています。そして、勇者が魔王討伐の途中に立ち寄ったことがある町だということも」
回答に満足だったのか上司は、口角をあげた。
「そう、モンフェラィトで勇者様は邪毒竜アパサンパを打ち倒し、町を毒から救った、と言われている。しかし、いまになってモンフェラィトから毒の被害が繰り返し報告され、勇者様は邪毒竜アパサンパを倒していないのではないか、と疑いの声があがっている。さらに勇者様が邪毒竜アパサンパ討伐のために町でツボや樽を破壊して集めた物資の返還を求められている」
「ならば、すぐに討伐隊を送って物資を保証すればいいではないですか?」
至極簡単な話だ。被害のもとになっている邪毒竜アパサンパを倒して、勇者が強奪したという物資を金銭で補えばいいのだ。町としては、物資を奪われたあげくに邪毒竜アパサンパが倒されてなかったということに騙された、と思っているのだ。騙されていたとしても三年ほどは平和だったということは全く忘れているのは図々しいが仕方ないことだろう。
喉元の熱さは人を馬鹿にするものなのだ。
「正論だ。だが、勇者様の功績が間違っていた、というのは我が国として認められない。我が国の勇者様が魔王を打ち倒した。この事実によって我が国は他国よりも一歩有利な状態にある。それにケチをつけられるようなことは避けるべきだ」
多くの国が、軍や英雄に憧れる若者を魔王を倒すために送り出した。だが、成功したのは唯一、我が国の勇者だけだった。現在の魔王なき平和な世界を作ったとして、我が国が他の国々を束ねられているのは勇者の実績が国の実績として見られているからだ。
それがなければ、魔王亡きあとの空白地は国同士の係争地になり、新たな戦争が始まっていたに違いない。
「……ということは今回のモンフェラィトのことはすでに納め方が決まっているということですか?」
「そうだ。邪毒竜アパサンパはすでに討伐されており、勇者様による物資の収奪は理由があり正当なものだった。そういう話になる。いや、君がそういう話を作ってくる、というべきかな」
「私のような新人には荷が重い話ですね」
「いやいや、我が国に仕官して日の浅い君だから諸外国も納得しようと言うものだよ。善き働きに期待するよ。ヴァレリー・バーネット・バーヴァンシー三等書記官」
こうして私は、結末の決まりきった調査のためにモンフェラィトに向かうことになった。
王都からモンフェラィトには、陸路で二日、海路で七日の時間がかかった。我が国の最南方と言っていいモンフェラィトの海は目が覚めるような青さと海に浮かぶように広がった木々の緑で内陸生まれの私には物珍しい光景だった。衣にまとわりつく湿気と、年頃の乙女のようにころころと降っては晴れる気まぐれな天候さえなければ最高だったかもしれない。
船が港に入ると水夫たちが荷下ろしの準備を始める。船内は一気に騒がしくなるが、港側には活気がない。数名の漁師や水夫がこちらの船を眺めているが、交易に胸を膨らませる商人やその人足の姿はまばらで記録で読んだような砂糖や香辛料の貿易が盛んなようには見えなかった。
不安定な木製の浮き橋で陸地に降りると船上から見えた様子は正しかったのだと分かった。港を中心ににぎわっていたと思われる広場と倉庫群は、人通りもまばらで荷車が残した轍もかすれて消えそうになっている。当然、倉庫のなかもぽっかりと何もない。目につくのは倉庫や家々の樋につけられた水がめで、雨水を貯めているようだった。
随分と陰気な町に来てしまった、という気持ちと原因となった勇者に対して文句を言いたい気持ちが沸き上がる。港の様子をつぶさに眺めていると、明らかに役人という固い顔をした女が数名の衛兵を連れて近づいてきた。
「あ、あのヴァレリー・バーネット・バーヴァンシー様でしょうか? 私はこのモンフェラィトの港湾整備官を務めますアシュリー・リーディナと申します。この度は王都からはるばるお越しいただきありがとうございます。ヴァレリー様のことは……」
長そうな口上が続きそうだったので、私は手を彼女の口元に伸ばして制止する。
「別に私は『様』をつけられるほど偉い人間ではありません。ヴァレリーでも三等書記官でも好きな呼び方をしてください」
「いや、しかし、そのー、ヴァレリー様を……」
困惑しきったアシュリーの顔に私は少しの諦めと譲歩をした。
「分かりました。ご自由にどうぞ。ただ、変に気を使って報告すべきことをしない。望まれている反応を捻りだす。そんなことはしないでください。それは私にとってもあなたにとっても大事なことです」
「はい。ヴァレリー様」
アシュリーの声から少しだけ硬さが消えた。
「で、私の迎えが港湾整備官なのはどういうこと? 王都からは勇者の業績確認。あわせて新しい脅威について調査を行うことが事前に通知されていたはずです。言い方が悪いですが、私の調査に港湾整備官が付くというのは違和感があります」
詰問するとアシュリーはあっという間に顔を青くしてあわあわと視線をさまよわせる。彼女の後方に控える衛兵たちも後ろめたさがあるのか口をへの字に歪ませて、アシュリーが何を言うか不安そうにしていた。
「そ、それは……。たまたま市長は腹痛をこじらせて自宅から離れられず。町の警護をつかさどる衛兵隊長も古傷である親知らずが腫れて誰とも話せない。そんな不幸が重なった結果、港湾整備官である私が派遣された……のです」
こちらの様子を窺うようにチラチラと彼女の瞳が私と空を何度も往復する。
きっと彼女の見ている空はどこまでも高く青いに違いない。
「なるほど、よく分かりました。そういうふかーい事情だったのですね」
私は絵本に登場するようなお姫様のような可愛らしい微笑みを作った。つられるようにアシュリーや衛兵たちがとてもぎこちない微笑みを返してくる。
「分かっていただけて良かったです」
「つまり、私の調査を迷惑に思っている、ということですね」
笑顔のまま時が凍りついた。
アシュリーにとって無限に近い沈黙のあと、彼女は頭を深く深く下げた。
「申し訳ありません! この町の者は、勇者のことをよく思っておらず。勇者の業績を守りたい王都の役人に何を言っても無駄だ、となっておりまして……」
折り曲げた腰と頭が脚につくのではないかと心配になるほどの状態で彼女は言った。それにしてもこの町での勇者の評価は最低のようだ。多少印象の悪い場所でも魔王を倒したという業績に敬意を表して『様』くらいはつけてくれるというのにここではその『様』さえつかない。
彼は一体この町で何をしたのだろうか。
「ほどほどの役職で面倒ごとを押し付けられやすいあなたが私の担当になった、と」
「そうです。私には断る自由もなく……」
「勇者は何をしてそこまで嫌われたのですか?」
嫌われている。ひとことで言えば簡単だが、嫌う、という感情には何らかの理由が根を張っている。稀に顔を見ただけで好き嫌いが決まるという者もいるが、多くの場合は、何かをきっかけに好悪を決まるものだ。アシュリーはさげていた頭を起こすと「ここではなんですから」とやや暗い声で港近くの大通りに面した建物に私を案内した。石造りの二階建で室内は落ち着いているが、それなりに金のかかった作りだった。特にガラスをふんだん使った明かり取りの窓は貴族の邸宅でもあまり見かけない。
湿度が多い地域だからか床には絨毯はなく、椅子や机が床に直接置かれている。それでも貧相に感じないのは家具の出来がいいからだ。腕置き一つにしても角はしっかりと面取りがされ、光を反射するほど磨かれている。
「良い場所ですね」
「一応は港湾管理官の官邸ですから。交易が華やかなときは内地商人や外地商人が途切れることなくやってくる場所です。いまは見ての通り来客もありませんが」
確かに一役人の屋敷としては豪奢だが、造りはやや役所じみている。広間の棚にはよく見なければ分からないように契約用の羊皮紙が積み上げられ、不正を許さないとばかりに秤が壁に掛けられている。
「それも勇者のせいだと?」
「はい。そう思っている人間が多いと断言できます」
「それはどうして?」
「私、いえ私たちが見た勇者はとてもまともではなかった。少なくとも同じ世界が見えている人ではありませんでした。言葉の通じない魔物だと言われた方が理解できたかもしれません、だから、私たちはいまだに勇者が世界を救った、と思えないのです」
かなりの嫌われようである。
「しかし、彼は邪毒竜アパサンパを倒した。……倒せてはいなくとも三年間は平穏だったのではないですか?」
「そうですね。確かに勇者は邪毒竜アパサンパを倒したのかもしれません。ですが、この三年間は平穏と呼ぶのは多くの町人が納得しない。なぜなら勇者の行いで私たちは邪毒竜とは違う危機にさらされたからです」
「違う危機?」
「そうです。ヴァレリー様は水を飲まずに生きられますか?」
水を飲まないなら葡萄酒を飲めばいいじゃない。そんな言葉が思い浮かぶが、別に彼女は飲み物の種類について語っているわけではないだろう。だとすれば答えは一つしかない。
「数日と持たないでしょうね」
「そうです。水がなければ人は乾いて死ぬのです。このモンフェラィトは海と川の境にある町です。肥沃な土壌と海産物に恵まれる一方で、飲める水はひどく限られています。井戸を掘っても塩が混ざってまともに飲めず。川の水は潮の流によって塩気が混じる。そのため、飲み水の多くは雨水になります。それなのに勇者はそれらを溜める水がめや樽をすべて打ち壊したのです」
ここに来るまで多くの水がめが置かれているのを見た。それらは飲料水を溜めるものだったのかと私はようやく気付いた。そして、それを打ち壊してまわったという勇者の行動が理解できなかった。
「いったいなぜ?」
「勇者は言いました。邪毒竜を倒すためには金と物資がいる。お前たちは水がめや樽の中に隠し持ってるんだろう! そして勇者は町中を荒らしまわりました。貧者も金持ちも関係なく勇者はすべての家々を回り壊しました。たまに金目のものが見つかると、やっぱり隠してるじゃないか! と高笑いをして次の水がめと樽を蹴り破り、剣を叩きつけました」
勇者による略奪は少なからず聞いたことがある。魔王を倒すためには良い武器がいる。良い防具がいる。あるいは魔物を焼き討ちするために油がいる。そんな理由で財宝が奪われた。それは魔王がいない平和な世界を求めるためには必要なことだ。だが、自分が奪われる立場なら、それが必要だから、と納得して許せるかと言われればそうではないだろう。
「勇者はあなた達から奪った金や物資で邪毒竜を倒した?」
「それが分からないのです。勇者が大暴れした翌日の夜には邪毒竜は倒されたという話でもちきりでした。でも、それよりも大変だったのは水を近くの町から買わなければならない、という純粋な危機で私たちの誰も邪毒竜の死を確認していないのです」
邪毒竜の死体を誰も確認していない、というのならアシュリーたちはどうしてその話を信じたのか?
「それでよく邪毒竜が倒されたと信じたものね」
「……いなくなったのです。邪毒竜が現れて以来、モンフェラィトでは毒で倒れる者がたくさんいました。密林の奥地から邪毒竜の身体からまき散らされる毒。それがこの町には少しづつ、でも確実に浸透していました。それがその日から緩やかになり、最初の水が輸入されたときにはすっかり落ち着いていました。だから、私たちはあの略奪者が邪毒竜を倒したと信じた」
そこまで語ったアシュリーの顔には理不尽に対する怒りが現れていた。
「でも、そうじゃなかった」
「そうです。最近になって邪毒竜と思われる毒で倒れる者が増えてきたのです。港の状況は御覧になりましたよね。近くの町は邪毒竜の危険があるモンフェラィトを見捨てたんです。自分たちまで毒に侵されてはかなわないと」
港の活気のなさは、そういうことかと私は納得した。
「ということは邪毒竜は勇者に倒されていなかった。あるいは邪毒竜は一匹ではなかった。そういうことですね。アシュリー。その邪毒竜を見た人は?」
「それが……いないのです。ですが、毒被害は確実に増えています。三年前も邪毒竜は密林の奥に潜み毒を町に広げていました。だから、今回もどこかで息をひそめながら私たちを狙っているのです。ヴァレリー様、急ぎ王国から討伐軍を送ってください。私たちはすでに三年前に邪毒竜の被害を受け、さらに勇者の横暴にも耐えました。町はようやく復興してきたところなのです」
この町に討伐軍を送るのは勇者に落ち度があったと公言するもので、王国の偉い人たちはあまりいい顔をしないだろう。だが、問題が解決しなければモンフェラィトの人々は勇者だけではなく王国に不信感を持つだろう。
そして、この場所は王国の最南端。つまり国境である。この町が隣国になびけば、王国と隣国は一気に関係を悪化させ、戦争が始まる。勇者が残した平和は三年という短さで終わり、魔族との戦いが隣国にすり替わり始まるだろう。
「善処することをヴァレリー・バーネット・バーヴァンシーの名において誓いましょう。ですが、私はこの件の調査を行う立場です。あなたの言葉だけで結果を決めることはできません。それは分かってください」
「……しかし、いまさら何を調査するというのです」
「邪毒竜を確認に行きます。次に毒の被害にあっている方の容態を調べ、答えを出します」
「それが王国に都合が悪くても?」
こちらを試すようにアシュリーが尋ねる。
「ええ、それが王国の都合に沿わなくても。なぜなら私は」
言葉を止める。それは語るべき言葉ではない。少しだけ悩んで私は「私は民草のための三等書記官なのですから」と繋いだ。ひどい欺瞞な気がしたが、アシュリーは頷いた。