エキゾチックショートヘアの少女
あたしは毎日、学校に行くのが辛い。
誰もあたしに話しかけたりしない。それはいい。話しかけないのなら徹底的に一人にしてほしい。
あたしが前を通ると鼻をつまんだり、ゲロ吐く真似するの、やめてほしい。
あたしの席の横を通る時、カバンを蹴り上げて行くの、やめてほしい。
やめてほしいと思ってるだけ。もし口にしたらもっとひどい目に遭う気がして……
あたしが世界一のブスだからって、どうしてこんな目に遭わないといけないんだろう。
男の子なんて嫌いだ。
そんなあたしでも恋したいとか思ってる。
一生できないかもしれない恋に、憧れてる。
女の子はみんなあたしを無視する。
関わったら自分まで男子にひどい目に遭うかもって思ってるんじゃないかな。
いいよ。ほっといてほしい。
みんなに不幸を伝染させたくない。
一人でトイレに行って、鏡を見た。
すごい。
我ながらすごい顔だと思う。
今日もあたしは世界一のブス。
目は大きいけど一重で、デッサンが狂って垂れてる。
鼻はぶっ潰れて鼻水がいつでも垂れててもおかしくない形。
口角が下がった口がいかにも不幸そう。
「おい、エキゾ。今日も人間のフリしてるのかぁ〜……」
バスケ部の柿内くんがあたしの席の横を通って行きながら、
「よっ!」
今日もあたしのバッグを蹴り上げた。
エキゾチックショートヘアという猫にあたしは似てるらしい。
とてもブサイクで、いつも目ヤニを出してる猫らしい。
よく知らないけど、画像検索してみたら、確かにとんでもなくブサイクな猫が出てきた。
それに似てるから、あたしのあだ名は『エキゾ』……。
死にたい。
この先、生きてても、絶対にいいことなんて、ない……。
朝、目覚めると、猫になってた。
なんか自分の部屋が広くなってて、おかしいなと思いながら目をこすると、てのひらに肉球がついてた。
鏡を見ると、検索して見たあのブサイクな猫、エキゾチックショートヘアだった。
真っ黒な中に金色の大きな目が光ってる。それが美しければいいけど、デッサンが狂ってついてた。
鼻からほうれい線みたいなブサイクなシワが、クシャッと口角の垂れた口と平行についてる。
「愛美ー? 起きてる? ごはんよー」
階下からお母さんが、いつもの仕方なさそうな声であたしの名前を呼んだ。
お母さんは猫が嫌いだ。あたしのことも愛してない。ただ義務だから育ててくれてるだけだ。
あたしは外へ逃げ出した。
ちょうど窓の鍵を開けててよかった。猫の手でもそれは軽く横に開き、あたしは瓦屋根の上を伝って歩道へ下りた。
『あたし……、どうなっちゃうの?』
そう呟いたけど、猫の声になった。
歩道をとぼとぼ歩いてると、通園する幼稚園児たちがあたしを見つけて、指さした。
「見てー! ぶさいくな猫ー!」
何をされるか怖くなって、あたしは走って逃げ出した。
『このまま……あたし……、ずっと猫のままなの?』
呟いたけど悲しそうな猫の声になった。
『やだ! 猫になるなんて、やだよ!』
でも、すぐに考えた。
このまま猫でいたほうが幸せなのかもしれない。
人間として生きてたってこの先いいことなんて、なさそうだし……
「おっ! 猫ちゃん、どうした?」
突然、爽やかな男の人の声に呼び止められて、あたしはハッとなった。
見上げると、ひじきみたいな髪の男の人が、あたしに向かってしゃがみ込んできたとこだった。
「エキゾチックショートヘアだよな? おまえ……。どこかの飼い猫か? 迷い猫?」
あたしが逃げなかったのは、逃げようとしなかったからだった。
その男の人は、とても綺麗な顔をしてて、スラリと背が高くて、そして、とても優しそうだった。
「はい。ここが俺の部屋だよ〜」
彼に抱っこされ、彼の部屋までついて来てしまった。
狭い部屋で、床に服やマンガ雑誌が散乱してて、でもいい匂いがした。
「腹減ってないか〜? 今、食べるもの作ってやるな〜」
あたしが床にお座りして待つ前で、彼は調理台に向かって何かを作り出した。
すぐに匂いでわかった。
(あ……。チキンラーメンだ)
「じゃんっ!」
彼が小さなお皿に入れたそれを、あたしの前に置いた。
「すげーだろ? 俺の得意料理なんだぜ、これ」
それはチキンラーメンをミルクでやきそばにしたみたいな料理だった。
泣きそうになった。嬉しかった。他人のお皿で料理を出されるのなんて初めてだ。
「あ……。猫はチキンラーメン食わないんだっけ……? 魚とかのほうがいいのかな?」
あたしはタッ!と小走りになると、お皿の中に顔を突っ込んだ。
目を覚ますと彼の寝顔が目の前にあった。
夢じゃなかったんだ。猫になったのも、彼と出会ったのも。
彼が呻いた。
ゆっくりと、大きな目を開けると、朝日の中で、にっこりと微笑んだ。
「おはよ。えーと……、おまえの名前なんにすっかなー」
あたしは『エル』と名付けられた。
大きなLサイズのお目々が印象的なんだそうだ。
彼の名前は山田海。
21歳の大学生だと、彼が電話で話す内容や郵便物の宛名で知った。
「エル〜、ただいま!」
カイが部屋に帰って来るのは夜遅いことが多かった。ホストクラブでアルバイトをしてるようだ。
あたしはカイが帰って来ると、何をしてても迎えに出た。
猫の耳は人間だった時よりもよく聞こえ、だから彼が駐車場に車を停めたところからわかってたのだ。
熟睡しててもすぐに起き上がって迎えに出た。
彼のベッドに寝転んでじゃれ合った。
「おまえは本当にかわいいな〜」
カイはあたしを溺愛してくれた。
「かわいい、かわいいよ、俺のエル」
『ブサイクだよ、あたし……』
あたしはカイとお話をするつもりで喋った。
『人間の時は……もっとブサイクだったけど……』
「ははは。お喋りしてくれてるみたい」
カイがあたしの頭を撫でてくれた。
「おまえはかわいいよ〜。ぶさかわいい!」
『ぶさ……かわいい?』
そんな言葉、初めて聞いたけど、嬉しかった。
お世辞じゃなくて、しっかり褒められてるのがわかった。
カイとの生活は楽しく、充実してた。
いつもあたしを見て笑ってくれて、爽やかな声であたしを褒めてくれた。
ぶさかわいいという言葉が、あたしは大好きになっていった。
まさに自分を表すのに相応しい言葉だって思って、大好きになっていった。
そしてカイのことは、それより比べようもないぐらい、大好きになっていった。
ある朝、目覚めると、あたしは人間に戻ってた。
前を見るといつものようにカイの寝顔があって、だけどいつもよりはそれが小さかった。
自分の手を見ると、人間の手だ。
黒い毛は髪だけで、顔に触れると呪わしいブサイクな起伏があった。
身体には学校の制服が着せられていた。
「う……ん」
カイが、ゆっくりと、目を開けた。
「……あれ?」
慌てて顔を隠した。
急いで逃げ出した。
後ろからカイが何か言ったけど、自分が玄関を開けるけたたましい音で聞き取れなかった。
「どこへ行ってたんだ、愛美!」
「心配したのよ? ご近所さんにあたしたちがあなたを虐待してたんじゃないかって言われて、大変だったんだから!」
お父さんもお母さんも、あたしを叱った。
あたしのためを思って叱ってくれてるんじゃなくて、自分たちのメンツが潰されかけたことを怒ってるようだった。
あたしは学校に戻った。
「どうしてたの?」なんて聞いてくれる人は一人もいなかった。
ただ、あたしが猫になってた一週間の間を開けて、また同じことが始まっただけだった。
臭そうに鼻をつままれる。
ゲロ吐く真似をされる。
カバンを蹴られる。
女子には無視される。
カイに会いたい!
学校帰り、足が自然とカイのアパートのほうへ向いてしまった。
ちょうど彼がアルバイトに出かける時間だ。
会えることを期待したけど、会ってどうなるわけでもないともわかってた。
あたしはもう、猫じゃない。
ただの世界一ブサイクな女の子だ。
あの朝、チラリと顔は見られたかもしれない。
強烈に印象に残っただろうから、会ったら覚えられてたりするかもしれない。
でも、カイはもう、あたしを『ぶさかわいい』とは、言ってくれないだろう。
あたしは学校で、みんなからいじめられてる、ただの世界一のブスなのだ。
猫ならブサくてもかわいがられるけど、あたしは人間だ。カイもきっと、みんなと同じように……
「エル!」
前から彼の声がして、ハッと顔を上げた。
背の高い、ひじきみたいな髪型の彼が、白い目を大きく開けて、まっすぐあたしを見つめ、笑ってた。
「エル! エルなんだよな?」
抱っこする手つきで、カイが駆け寄ってきた。
「なんだよ! おまえ、女の子だったの? 最高じゃん!」
あたしは迷わず、彼の腕の中に飛び込んだ。