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愛された者  作者: 雪咲
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幕間

幕間 慈愛



 クマゼミの鳴き声が降り続ける中、児童自立支援施設で美咲みさきの担任を務める菖蒲あやめあかねは、美咲の父親の実家である御戸神ごとがみ神社の鳥居をくぐり抜けた。田舎の森の中にぽつんと建っている御戸神神社は、その本殿に至るまでに階段が五段しかなく、ほぼ低地に位置している。茜はハンカチで汗を拭いながら短い石畳の参道の端を進み、境内の奥にある社務所兼住宅のインターホンを押し込んだ。社務所の外壁は最近塗り替えたようで、古い建築様式と鮮明な壁の色がアンバランスに感じた。

玄関の網戸の向こうには高級そうな壺が妖しく光っている。しばらくすると、浅黄色の袴を履いた老夫が奥から現れた。彼がこの神社の神主にして、御戸神美咲の祖父である。加齢による顔の皺よりも一層深い皺を眉間に寄せ、今にも怒り出しそうな表情で茜を見下ろしている。網戸を開けて茜を玄関に招き入れるつもりはないようだった。仕方なく、その場で茜は深々と頭を下げる。

「お忙しい中お時間いただき申し訳ありません。先日お電話させていただきました、御戸神美咲ちゃんの担任をしております菖蒲茜と申します」

「あの殺人犯は引き取りませんよ」

 老夫が食い気味に吐き捨てた。茜がここを訪れた用件は、美咲が児童自立支援施設を卒業したときに、彼女の引き取り手になってもらえないか頼み込むことだった。既に一度電話で断られていたのだが、相談するためにこうして直接足を運んだ次第である。

 美咲を殺人犯と呼ぶ、その男の言い草に苛立ちを覚えるが、怒りを無理やり押し込めて、茜は礼儀正しくあろうと心がける。

「しかし美咲ちゃんの母親は行方が掴めず、彼女の血縁で頼れるのはもうこちらしかないんです」

 網戸に顔を擦り付けるほどに近付いて縋る茜を睨めつけて、男は腕を組む。

「勝手に家を飛び出したあの馬鹿など、とうに勘当しておりましたわ。その上、殺人犯を神聖な神社に迎えるなどあってはならんことですよ」

 そんな言い方はあんまりでしょうと怒りのままに叫びたい気持ちを抑え、茜は低姿勢で頼み込み続ける。

「そこを何とか……」

「無理です。人殺しなぞ、それも自分の父親を殺した娘だぞ」

 老夫は父親を殺したことを殊更に強調している。彼は、尊属殺人は通常の殺人よりも罪が重いという価値観を持ったまま生きているようだった。尊属殺人とは祖父母や両親などの血族を殺害することであり、かつては刑法によって通常の殺人罪よりも重い罰則を与えられていた。そのような尊属加重規定は一九七三年に違憲とされ、一九九五年には正式に刑法から削除されているのだが、二〇一七年現在でもなお彼の中には古い価値観がそのまま残されているらしい。

 また前科者が神職についてはならないという規則や、神社の敷地に入ってはならないという決まりなどはないはずだ。つまり彼は、単に美咲のことを受け入れたくない一心で御託を並べているだけに過ぎない。

「美咲ちゃんの気持ちも考えてあげてください。あの子はずっと一人で耐えてきたんですよ。……あなたの息子さんの虐待に」

 頑なに受け入れようとせず、更には美咲を罵るような男の言い草に、つい茜は強く言い返してしまう。だが、涼しい顔をする老夫の意見は依然として変わらない。

「その娘は確かに哀れな子だが、私は引き取れん」

 自分の孫に当たる子のことであり、更には実の息子の虐待を受けていた子であるというのに、終始他人行儀で時には美咲を殺人犯と罵りつつ、口先だけ美咲を哀れむような男の態度に怒りすら覚え、茜は深く思考する前に感情のまま吐露した。

「では、私が美咲ちゃんを引き取ります」

 老夫の口角がぴくりと動いた。対照的に、それを見逃さなかった茜の眉が揺れる。

「そうしてくださると助かります。では手続きはまた後ほど」

 ようやく終わったとでも言わんばかりに話を切り上げ、老夫は床をミシミシ鳴らしながら廊下の奥に消えていった。

 何なのあのじじいは! と怒りのままに叫び出したい衝動を抑え、茜は社務所を後にした。しかし、あのような者に美咲を任せる方が美咲にとって良くないだろうし、今回彼と言葉を交わすことができて良かったのだとポジティブに考えることにした。

 折角神社に来たのだから帰る前に拝んでおこうと思い、手水舎に寄って柄杓で水をすくい、右手、左手と水をかける。プリーツスカートのポケットからハンカチを取り出して両手を拭くと、本殿の前で拝礼の一連の動作を済ませ、再び鳥居をくぐった。

 施設の人達にはどう説明しようか。手続きはどうしようか。教員が自らの教え子の里親になるのは大丈夫なのだろうか。様々な不安が茜の脳内を駆け巡る。

 茜色の空に、ひぐらしの鳴き声が響き渡っていた。

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