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4-16 Walpurgis

 流雫は入院から1週間で退院することになった。もっと掛かると思っていたが、意外と早かった。今後は日常生活を送りながら、時々通院することになる。

 歩く時に少し違和感が残り、やや不自由が有る。だから普段より歩くのは遅いし、走るなんて以ての外。当然ながらロードバイクにも乗れない。しかし、それも時間の問題だと医者は説明していた。尤も、全ては流雫次第なのだが。

 退院は日曜日の朝で、それに合わせて澪が河月に来ることになっていた。経緯はどうあれ、3週間連続で澪と会うことになる。

 母アスタナが洗濯して持ってきたお気に入りの服と新しいカラージーンズを着ていた流雫は、入院で使ったルームウェアなどの荷物を、母が流雫の部屋から持ってきた彼のスーツケースに半ば適当に詰めていた。

 ジッパーを閉めていると、ドアをノックする音が聞こえる。

「おめでと、流雫!」

と、澪はドアを開けながら言った。

「澪!わざわざサンキュ」

と返した恋人に澪は

「約束したからね」

と言ったが、彼女の曇りが無い微笑みは久々に見たような気がする。

 それは秋葉原、福岡2件、そして河月と、10日足らずの間に4件も起きた事件の余波が、少しずつ落ち着いてきたことを意味していた。

 そこに退院手続きを終えたアスタナが戻ってくる。互いに挨拶を済ませると、先に流雫の母は

「ルナのために、悪いわね」

と切り出す。澪は

「いえ、あたしが世話焼きなだけで……」

と言いながら、パッキングを終えた流雫のスーツケースを手にする。

 「持つよ?」

「サンキュ」

と流雫は答え、彼女に甘えることにした。何時もなら自分で持とうとするのだが、偶には甘えても悪くないだろう……とは思った。

 3人は、病院の前に乗り付けるよう予約していたタクシーでペンションに向かった。鐘釣夫妻から退院祝いの言葉を掛けられた流雫は、澪の助けを借りてスーツケースを自分の部屋に持って行くと、数十分前に荷造りしたばかりの荷物を荷解きする。

 ……しかし、今日はもう何もすることが無い。

「……アウトレット、行きたい」

流雫は言った。

「少しは歩く練習もしたいし、母さんには1週間、何もしてやれなかったし」

と続けた息子のことが、アスタナは少し心配だった。

 元々ルナの見舞いのためにフランスから駆け付けただけで、何かされたいとは思っていない。ただ、歩く練習も兼ねて、なら……とアスタナは思い、

「無理そうならすぐに帰る。それならいいわよ」

と条件を付けた上で答えた。

「判ってる」

と流雫は返した。

 しかし、遣り取りを聞いていた澪は、別の意味で心配だった。……歩くだけなら河月湖畔の方が近いし、母に何かしてあげたいのなら、河月駅の方が近い。アウトレットに行くのは、わざわざこのタイミングで無くても……。……それでも行きたい理由……。

 そこに別の、本当の理由を察した澪は問うた。

「あたしも……いい?」

母子のデートの場に混ざるのは、場違いなのは判っていた。ただ、場所が場所だ。気にならないワケがない。

 「当然よ」

流雫より早く、アスタナは言った。

「……有難う、ございます……!」

と澪は頭を下げた。流雫も微笑んでいたが、同時に彼女が何を思っているかも、判っていた。


 帰りは場合によってはタクシーを使うが、行きは河月駅経由でバスを乗り継ぐことにした。

 オープン3日目でテロ事件の現場となったカワヅキ・レイクシティ・アウトレットは、1週間前の事件が響いて客足が鈍った、とニュースで報じられていた。それでも、先週よりは多少歩きやすい程度の混み具合だろう、とバスを降りた流雫は思った。

 アウトレットに着いたのは、12時を少し回っていた。……1週間前のこの時間、全ては救急車のサイレンから始まった。それがまさか、通り魔殺人から始まった銃撃テロだとは思わなかった。

 オープンから10日しか経っていないのに、既に何箇所かに花束が置かれていた。それは犠牲者が命を落とした場所を示し、そしてあの事件が夢ではなかったことを、行き交う人に伝えようとしていた。

 太腿に疼痛を感じて突然立ち止まった流雫は、無意識に撃たれた箇所をズボン越しに触れる。

「流雫……」

その様子を隣で見ていた澪は、思わず彼の名を呟いた。

 ……通り掛かったのは、血痕こそ綺麗に掃除されていたものの、自分が撃たれた場所だった。……撃たれた時を思い出すと、疼く。

「やっぱり、未だ無理が有ったんじゃ……」

と言った澪に、流雫は返す。

「……歩く分にはいいんだけどね。ただ……」

 ……澪の叫び声と理性を壊したような泣き顔が、強制的に脳で再生を始める。唇を噛む……その仕草が自然に出た流雫に、澪は今彼が何を思いだしているのか、何となくながらも判った。

 アスタナは数歩先にいたが、2人に振り向き、流雫のところに戻りながら問う。

「痛むの?」

「痛くないけど……つい思い出して」

と答えた流雫に、アスタナは周囲を見回し、

「……あの店でランチにしよう?」

と言いながら日本食レストランを指した。


 4人掛けのテーブル席、流雫と澪が隣に並び、その向かい側にアスタナが座った。オーダーを済ませると

「……着いたばかりなのに、心配させて……」

と流雫は言い、俯く。やはり、無理だったのか……。

「……仕方ないよ」

と、澪は彼の顔を見ながら言った。そして白状すれば、澪も思い出していた。

 ……カラージーンズに滲む血、苦痛に歪む顔。怒りを超えて殺意すら帯びたような目。その末に見た、あまりにもラディカルな起死回生の反撃。

 ジャンボメッセの時も、空港の時も、秋葉原の時もそうだった。どんな時でも正気を失わず、何時だって勝機を何処かに見出し、必ずその手に掴む。見ている方が心臓に悪いと思っても、一緒にいるのが流雫だから、澪は希望を捨てることなく、戦える。

 それでも、あの時ばかりは初めて、最悪の結末と云う恐怖に襲われ、振り切ろうとしても振り切れなかった。


 あの時何が起きていたか、アスタナは流雫から全てを聞いていた。中性的で可愛い顔立ちや体付きとは裏腹に、とにかくラディカル。それが我が子への印象だった。しかし、とにかく死ななくて済んだ、それだけが幸いだった。

「……手、洗ってくる」

と言って流雫は席を立った。この店に洗面所は無く、一度店外に出る必要が有る。テーブル席には流雫の母と恋人だけが残った。

 「……ルナは優しいから」

とアスタナは切り出した。

「でも、あたしが見る限り、自分自身には厳し過ぎて……」

と澪は言う。

 「……ルナには秘密だけど」

と前置きしたアスタナは続けた。

「……ルナ、ミオさんたちが帰った後、泣いていたの。弱いから撃たれて、だからミオさんが泣いた……そう言いたげだった」

 「流雫は……弱くない……」

澪は反射的に呟く。……彼が弱いワケがない。あれだけ、絶望の深淵に突き落とされても、絶対光を手繰り寄せられるのに、弱いワケが……。

「或る意味では、弱くないと思うわ。でも、どうしても追い詰めるクセが有るの。それは、ミオさんにも判るんじゃないかしら」

アスタナの落ち着いた声に対して、

「……心当たりは……」

と澪は答える。初対面から8ヶ月近く、何度もそう見える場面を見てきた。

 「人は生きる限り迷うもの。色々解釈は有るけど、私が好きな話の台詞なの。と言ってもドイツ文学だけど」

そのアスタナの言葉に

「時よ止まれ、汝はいかにも美しい……」

と澪は反射的に呟く。

 ……4月の渋谷の夜、澪の頭に浮かんだ言葉。流雫から聞いていたことで覚えていた。そして、彼の母が口にしたのも、一度聞いた記憶が有る。

「そう、それが最も有名かしらね。他にも名言は幾つか有るけど。……でも、ルナは迷うあまり、何が強さなのかも判らなくなってる」

その言葉に

「強さ……ですか」

と澪が繰り返したところで、流雫が戻ってくるのが見えた。

 「迷って、迷う自分を追い詰めてる。それがルナの、何よりの弱さね」

とアスタナは言って、この話を打ち切ろうとしたが、澪は何も言わなかった。

 しかし、目の前に座るフランス人の淑女が言いたいことは、何となくでも判っている……と思いたかった。

 ……人は生きる限り迷うもの。この一文の解釈の一つに、人間は野心に燃えれば、必ず過ちを犯すと云うものが有る。言い換えれば、流雫は絶対に澪を護ると云う野心に燃えるあまり、今の自分が弱過ぎると思い詰めて自信を見失っている……。


 ランチを終えると、アスタナはショッピングを始めた。事情が事情だっただけに最低限の荷物で来日したことが仇となり、最後に立ち寄ったバッグショップで小さなスーツケースを購入する必要が有った。

 その場で他の店で購入したものを詰め、手に入れたばかりのスーツケースベルトを十字に掛けるアスタナ。そのまま明日、空港に持って行って預ける気か。

 「明日帰るんですか?」

と澪は問う。アスタナは

「ええ、16時半の飛行機で。ルナも退院したことだし」

と答え、スーツケースを地面に置いた。流雫も金曜日の昼間に、月曜日にフランスへ帰ることを告げられていた。明日学校から帰れば、また今までと同じ日常に戻る。

 ……母親がショッピングを楽しむ間、流雫は足を労わるような様子を見せてはいなかった。歩く分には問題は無い……澪にはそう思えた。ただ、やはり気にはなる。

 「足、きつくない?」

と母が問うたが、流雫は

「別に。だから帰りもバスでいいよ。澪も送らないと、だし」

と答えた。

 3人は直行バスで河月駅まで戻ることにした。街の中心部になる河月駅前も、アウトレットの相乗効果で以前より幾分ながら混んでいるように思える。

 せめてもの礼だと、アスタナが澪の分の特急券と乗車券を渡す。礼を言った澪は流雫に

「また連絡するね」

と言って、2人に改めて頭を下げ、改札へと消えていく。その背中を見送ったシルバーヘアの母子2人は、河月湖へ向かうバスに乗った。


 ペンションで親子が過ごす最後の夜は、他の宿泊客が全員自室へ戻った後、ダイニングで鐘釣夫妻も交えてひっそりと行った。グラス1杯のシャンパンを口にしたアスタナは、夜中まで夫妻と楽しく過ごしていた。

 元々は鐘釣家と宇奈月家の関係だが、父正徳が母アスタナに一目惚れし、半ば勢い任せで結婚まで至ったことがきっかけで、クラージュ家との縁もできた。その後2人はパリに移住し、やがて流雫が生まれ、今のレンヌに引っ越したのだが、今に至るまで関係は非常によい。

 だから流雫が日本の学校に通うことになった時も、鐘釣夫妻は二つ返事で親代わりを引き受けたのだった。 

 1週間ぶりにガレットを焼いて3人に振舞った流雫も、アルコールの代わりにジンジャーエールを口にしながら同席していた。

 ……その直前までは、流雫の部屋で母と話をしていた。この1週間、病院で色々話したハズが、やはり足りなかった。最後は澪の話になった。

 「迷うのは、悪いことじゃないわ。でも、追い詰めることでもない」

母アスタナは、昼間澪に話していた言葉を息子に切り出す。当然、流雫はその話を何も知らない。

「ルナは弱くない。ただ優しいだけだから」

と言った母に、流雫は

「優しくはないよ……」

と答えた。しかし

「弱いなら、今頃ルナもミオさんも生きていないわ」

と母は言い返す。

 日本に着いた日、20年ぶりに再会した澪の母美雪から、流雫に今まで何が有ったか聞いていた。トーキョーアタック以外の事件に遭遇したことは、流雫は母に何も話していなかっただけに、アスタナは溜め息しか出なかった。

 ……心配を掛けないように、思ったからなのは判る。ただ、そうやって遭遇して辛いハズなのに何も言わなかったことは、母を呆れさせた。

 「無いもの強請りはだめよ?……撃たれたと云ってもその怪我だけで済んだし、ミオさんは怪我しなかった、それだけでも凄いわよ」

と言った母の言葉は、間違っていなかった。これだけで済んだのは、奇跡と言ってもよかった。

 しかし流雫は

「でも澪は泣いて……泣き叫んで……」

と言って俯く。やはり、どうしても思い出す。

「それは、ミオさんはルナが好きだから、ルナを愛しているからよ。ルナのために泣けるなんて、それだけルナが愛されていると云うこと。それは、ルナだって判ってると思うけど」

母は言った。

 ……そう、澪はそう云う少女だ。ただ、福岡のホテルで泣き叫ぶ澪にスマートフォン越しに言ったように、彼女が泣くことは流雫自身が耐えられない。だから笑っていてほしかった。

 それに返す言葉を見つけられない流雫の、アンバーとライトブルーのオッドアイの瞳をライトブルーの瞳で見据えた、母アスタナは言った。

「……折角掴んだ手を、放してはだめよ?もし、死ぬまで愛したいと思うなら」

その言葉に、流雫は頷いた。

 澪を失うことは、或る意味自分が死ぬことより怖かった。だから、何時も必死だった。自分が死なないために、そして澪が殺されないために。

「でも、そのために思い詰めてもダメよ」

それが、母が今の息子に最も言いたいことだった。

 ……多分、それぐらいのことは判っている。ただ、今はあまりに不器用過ぎるだけ。母の目にはそう映った。

 流雫は

「……うん」

とだけ頷く。

「……それでこそ、我が子だわ」

と言った母は、流雫の頭をそっと叩く。子供扱いにされているように見えるそれは、しかし今の流雫にとって、何だか嬉しかった。


 時計が23時を半分ほど回ると、落ち着いた大人の上品な会話から離脱した流雫は、自分の部屋に戻る。

 静かな部屋で1人、流雫はあの目まぐるしかった1週間あまりのことを思い出していた。

 ……一言で言えば、見たこと全てが狂気の沙汰だった。

 衆人環視の中心に身を置かされ、それはさながらリアルなデスゲームのプレイヤーキャラクターだった。しかし、ヤジ馬は犯人を殺さず、警察に引き渡した流雫と澪に期待を裏切られ、罵声を浴びせた。

 正当防衛として、相手の動きを封じることに特化した……だから殆ど下半身を狙っていた……流雫にとっては、何も知らない連中から、謂わばエンターテイメント性が無いと云う理由だけでその前提を全否定されたように思える。

 そう云う、言ってみれば魑魅魍魎のような連中を愉しませるために、テロや通り魔と戦ってきたワケじゃない。そして、美桜の死すらバカにされたような気がした。

 ただ、河月のアウトレットで起きた事件は、そうやって見世物扱いされたのは自分だけだから未だマシだった。ただ、秋葉原は澪までも、そう扱われていた。

 ……あの場に、流雫の味方は澪しかいなかった。立山結奈と黒部彩花……澪の同級生2人は、流雫は味方だと思っていない。

 澪のツテで、連絡先こそ知らないが知り合った彼女たちは、死と隣り合わせの恐怖とは無関係な安全地帯にいるべきだ。澪の恋人だからと云う理由なのか、自分を心配していることは有難いが、もし彼女たちにも影響が及ぶのなら、味方であってほしくなかった。

 そして、できるなら澪も。危険地帯で戦うのは自分だけでよくて、澪にも安全地帯にいてほしかった。尤も、彼女の性格が最後まで拒み、自分から危険地帯に飛び入ってくるのは目に見えているが。


 「ルナ、起きてる?」

スマートフォンを鳴らしたのは、澪からのメッセージだった。既に日付は変わっていた。流雫は打ち返す。

「起きてる。眠れなくて」

「あたしも、何か眠れなくて……」

と澪は返したが、同時に何から切り出そうか迷った。1分ぐらい経って

「……また離れ離れになっちゃうね」

と澪は送った。流雫と母アスタナのことだった。

「こればかりはね。仕方ないよ」

と流雫は返す。

 ……互いに元の日常に戻る、たったそれだけの話だ。ただ、押し寄せる寂しさだけが違う。

 ビデオ通話じゃ拭えない、それほどに両親と云う存在を何処かで求めていたのだと、この1週間で気付かされた。

 父は来ることができなかったが、ビデオ通話で話す限り、やはり怪我を心配していた。死ななくてよかった、が口癖になっていたが、それは親として当然なのだと思った。

「でも、いきなりだけど嬉しかった」

流雫は少し間を空けて打った。澪は問う。

「嬉しかった?」

「……わざわざ日本に飛んで来て、毎日見舞いに来て……」

と流雫は打ち返した。

 流石に1万キロ近く離れたフランスから、息子の見舞いのために飛んでくるとは思っていなかった。

 ……話すことは色々有った。真面目な話もした。それこそ、今流雫や澪が直面しているテロの話もした。アウトレットの事件以前にも、澪と2人で何度も遭遇したこと、引き金を引いたこと、全て話した。思い出すのも躊躇いそうになる話、それさえも話のネタにしたいほど、話し足りなかった。

 そして、話が尽きても、ただ隣にいるだけでよかった。言葉が無くても、その存在を感じられるだけでよかった。

 流雫は手を止め、軽く唇を噛む。

 ……ダメだ、今は……。

「ミオ、サンキュ……昨日も、わざわざ」

とだけ打った流雫は、不意に襲われそうになる寂しさからの逃げ道を探そうとしていた。


 次の日、流雫は軽い寝不足を抱えたまま1週間ぶりに登校した。結局、澪とはあの後も1時半過ぎまでメッセンジャーアプリで色々遣り取りしていた。眠れなかったからだが、寝不足は完全に自業自得だ。

 1週間ぶりに会う流雫に対して、同級生の目は相変わらずだった。否、入院前の方がまだマシだった気がする。一連の経緯は知っていたようだが、銃が絡むだけに、やはり

 昼休み、ランチボックスに詰めたサンドイッチを頬張った流雫は、スマートフォンと飲みかけのベジタブルジュースを手に屋上へと消える。

 自転車に乗れるようになるまで、当分の間はバス通学になる。そのために持ち歩くことにしたブルートゥースイヤフォンを耳に着け、雲に覆われた空を見上げた流雫は、ふと病室で目を覚ました時のことを思い出していた。


 ……ありがと、美桜さん……。

 澪は呟くように言った。顔も声も知らないハズの彼女を意識していた。ただ、あたしだけを見てよと言われることは無く、寧ろ時々は思い出してあげなきゃ、と言っていた。

 そして1ヶ月半前、渋谷の慰霊碑の前で

「……流雫を、あたしを……護っていてください……」

と頭を下げていた。空港で2人が撃たれなかったのは、美桜が2人を護ったからだ、と澪は思っていた。そして、アウトレットでも。

 流雫が撃たれたが命に別状は無くて済んだこと、澪自身が撃たれなかったことは、やはり美桜が2人を護ったからだ、と澪には思えた。あんな場所でテロなんかで死ぬべき、殺されるべきじゃない、と。


 「澪らしい……」

と流雫は呟いた。その背後から

「何が澪さんらしいって?」

と言って近寄ってくる少女に、流雫は振り向かず、ただ空を見上げている。単にイヤフォンから流れる音楽で聞こえていないだけだが。

「宇奈月くん?……宇奈月くん!」

彼女は流雫の肩を叩く。シルバーヘアの少年は僅かに苛立った表情を浮かべ、イヤフォンを外した。

 「……何?」

と問うた流雫に

「アウトレットのこと……」

笹平は早速切り出す。流雫はそれに被せるように言った。

「笹平さんの身代わりになったのは澪だから、僕に言われても……」

「そうじゃない」

と学級委員長は即座に否定する。流雫は次の心当たりを探して、言った。

 「……笹平さんを介抱したのは澪だから、僕に言われても」

「そうじゃない!」

それも彼女は否定する。……他に心当たりはもう無い。

「……何か、あの日気に障るようなこと、した?」

と問うた流雫に

「足のこと!撃たれたって……!」

た、笹平は苛立ち混じりに言った。

 ……最初からそうだとは思っていたが、同級生が気にするほどのものでもない。だから流雫ははぐらかそうとしていた。

「大したことないよ。そこまで問題無いし」

「でも歩きにく……!」

 「お前の女が、俺を叩いた罰が当たったんだ」

と、笹平の声に被せた低めの声が響く。隣り合う2人は、険しい目付きで同時にその方向に振り向いた。……黒薙。腕を組みながら、流雫に険しい目を向けている。

「最低な男に最低な女……。ふん、お似合いじゃないか」

その言葉に笹平が

「黒薙くん!!」

と怒鳴る。相変わらず、流雫をバカにすることだけは天才的だと、中学時代からの同級生に対して思っている。

 ……最低な女が澪を指していることは、学級委員長には判っていた。そして、澪が黒薙を叩いた話も全て、彼女自身から聞いていた。

 自分を介抱したり身代わりになったりした、同い年の東京の女子高生を、最低だとは思わない。思うハズがない。

 その澪までバカにされた気がした笹平は、つい大声を上げた。

「完全に自業自得じゃない!」

と同級生に向けるその口調は、冷静さを欠いていた。

 ……澪が笹平の身代わりになった直後に流雫が撃たれ、2人が反撃に出て、結果流雫は入院したものの生き延びることができた。

 その経緯も何も知らず、ただ自分の正論を通り魔のような突発的な暴力で、捻じ伏せようとしたことへの天罰が、澪ではなく一緒にいた流雫に下った、と黒薙は思っている。その笹平の読みは、しかし3割ほどしか当たってはいなかった。

「それは撃たれた宇奈月がな」

と黒薙は顔色一つ変えず言い返し、続ける。

「あんな女と一緒にいるからだよ」

「宇奈月くん!大概何か言い返しなさいよ!」

と言いながら、笹平は流雫に振り向く。散々バカにされていることに対して、何も言わないことへの苛立ちが、顔に滲んでいた。

 相手にするだけ無駄だと思っていたが、学級委員長が五月蠅いと云う理由も有る。流雫は溜め息をついて

 「……最低な女呼ばわりしたことだけは忘れない」

とだけ、流雫は言った。笹平はその隣で、呆れ半分の表情を露わにする。その理由も、流雫は判っていた。

 ……黒薙に、澪と云う名前を知られることさえ、流雫は避けたかった。美桜と結び付けた挙げ句、更に澪をバカにされることは容易に想像できたからだ。

「笹平の前だからとカッコつけるな。1対1じゃ何も言い返さないクセに」

黒薙は言い、対峙するシルバーヘアの少年に人差し指を突き付けて続けた。

「……言い返さないのは、俺が正論だからだよな」

 「はぁ……」

その言葉に笹平は頭を抱え、溜め息をつく。どうして、黒薙は何時もこうなのか。

 あの河月湖で遭遇した時に、黒薙は流雫と澪のデートを、熱りも冷めないうちに新しい女と夜遊び、と言った。そして、熱りを冷まさせるか、と怒りを露わにした。

 恐らく、美桜を見殺しにしたと云う熱りは冷めない。それどころか黒薙が卒業まで……否、卒業しても事有る毎に蒸し返そうとして、熱りを熱いままにしようとするだろう。

 相容れることなど有り得ない2人。流雫はそれどころか、恋人の澪にしか心を開こうとしない。強いて挙げれば、笹平がこの学校では流雫と最も仲がよいが、それでもこの程度だ。

 この差の激しさは、感心しないが判らなくもない。尤も、美桜が今この光景を目の当たりにすればどう思うか、それは言うまでもないが。

 笹平は、もう我慢できなかった。黒薙に顔を向け、怒りを露わにしながら問い質す。

「……どうしてそこまで、宇奈月くんを目の敵にするの?」

「目の敵?」

黒薙は4年来の同級生を睨み付ける。ここまで笹平が噛み付いてくるとは、黒薙にとっては予想外だった。

 「美桜が死んだ時、そのことを宇奈月くんに最初に教えたんでしょ?しかも直接!」

と笹平は問う。その言葉に、流雫は不意に黒薙から目を逸らし、しかし笹平にも向けなかった。1人下を向き、歯を軋ませる。


 あの日、渋谷駅前で既に事切れた美桜を目の当たりにし、気を失った笹平志織は改札前で駅員に介抱され、そして警察から改めて、美桜の死を知らされた。その証拠に、気を失っている間に彼女の手首に取り付けられたトリアージタッグは黒を指していた。

 あまりのことに混乱しながら、笹平は黒薙に連絡した。彼とは中学の頃からの仲で、彼女にとって誰より話しやすかった。

「……美桜が……美桜が……死……っ……」

その第一声に、黒薙は苛立ちに襲われた。何故そうなったのか、何故同級生が死ななければならなかったのか……。

 笹平は事実を受け止めるのが怖くて泣き崩れ、最初から会話にならなかった。しかし、河月のショッピングモールで遊んでいたところに連絡を受けた黒薙は、冷静に話を聞いた後

「……俺が代わりに全員に連絡する。お前は無理するな」

と言って通話を切った。そしてメッセンジャーのグループ画面を開いたが、すぐに閉じるとその連絡先から宇奈月の3文字を探し、男でルナと読む名前も珍しい、と思いながら通話ボタンを押した。

 ……流雫は、東京中央国際空港で起きたトーキョーアタックの件で、空港島の空港署での事情聴取を終えたばかりだった。母アスタナと親戚の鐘釣夫妻から立て続けに連絡が来た後、最後にスマートフォンを手にした彼が

「何?」

と云う第一声を発するより早く、

「……宇奈月。落ち着いて聞け」

と前置きした上で、黒薙は残酷な事実を告げた。

「欅平が……死んだ」

 ……黒薙が笹平に言った限りは、流雫はそれこそ狂ったように泣き叫ぶだけで、その声を聞いていられなかったらしい。それに続く言葉も言えず、何と言ってやればよいかも判らず、居たたまれなくなった黒薙はただ通話を切るしかなかった。


 それだけのことだったが、流雫と美桜の関係上、メッセージで一括りにせず、最初に直接伝えるべきだと思うだけの優しさは、あの時の黒薙明生には有った。

 それが、笹平との仲すら悪くしてまで、流雫に対して攻撃的になる、目の敵にする必要が有ったのか。それは未だに笹平には判らないし、判りようが無い。

 人の心ほど、よくも悪くも……特に悪い方向に変わりやすいものは無い。とは云え、笹平にとって、あまりにも目に余る。

 「……もう忘れた。細かいこと、どうでもいいだろうが」

と黒薙は言ったが、笹平は

「よくない!!」

と食らい付いて離れない。それは、学級委員長としてではなく、中学時代から彼を見てきた4年来の同級生としての抵抗だった。

 しかし黒薙は、笹平の言葉を無視して、目を背けたままの流雫を再度指した。

「宇奈月!せいぜい女の前ではイキってろ。……化けの皮はすぐ剥がれるぞ。お前のことは死ぬまで弄ってやる。これでも構ってやってるんだ、有難く思え」

何も言わない流雫への勝利宣言を満足げな声で放った、黒いショートヘアの同級生は踵を返すと

「おっと、死ぬまで弄ってやると言われたからって俺を殺すな?お前は銃を持ってるからな、俺なんかすぐ殺せるだろ」

と顔を向けず続け、そのまま階段へ消えて行く。

 流雫は険しい表情を崩さないまま、ただ汚れたコンクリートの床に目線を落としている。

 ……美桜の死を知らされた時のことを思い出す。全てが変わったあの日を。


 「はぁ……」

と我に返った笹平は溜め息をつき、俯いた流雫に顔を向け、言った。

「……もう、担任に話すしかないわね……」

「……いいよ、今のままで」

と、顔を上げながら拒否した流雫に、険しい目付きを向けた笹平は

「流石にもう看過できない!」

と言った。それに対して

「言ったところで、どうにかなるワケでもないから」

と言い返した流雫は続ける。

 「……あと1年半もすれば全員と別れる。それまで耐えていればいいだけじゃない。耐えるも何も、気にしないようにはしてるから……」

「あと1年半もこのままでいる気なの?それに、そもそもそう云う問題じゃないわ」

と笹平は言う。……気にしないようにする、それは普段から何処かで気にすると云うこと。やはり、思うことは有るが言おうとしないだけか。

 流雫は他の同級生や同学年の生徒から避けられているが、しかし全員が黒薙の味方と云うワケでもない。殆どが全く無関係の第三者でしかなく、つまりは黒薙の一方的な叩きのとばっちりでしかない。そして、それに辟易した末に距離を置いているだけだ。触らぬ神に何とやら、だ。

 「……ただ、澪を最低な女呼ばわりしたことだけは……」

と河月の景色に目線を移しながら言った流雫は、フェンスを鷲掴みにした。

 澪から聞いただけでも、彼が彼女しか見えていないことは笹平にも判る。だから、その感情は判る。

 ただ、その怒りを自分が貶められていることへの怒りに変える気は、毛頭無いらしい。宇奈月流雫と云う高校生は、元からそう云う性格なのだが、それが笹平には引っ掛かる。

 笹平は話題を変えた。流雫が泣きながら抱いていた人が、見た目からしてそうだろうが少し気になっていた。だが、今の彼の気を逸らさせるには、笹平にはそれしか思いつかなかった。

 「……ところで」

と切り出した同級生に、流雫は

「……何?」

と身体を向けて問う。

「あの三つ編みの人、宇奈月くんの家の人……?この前、見舞いに行った時に……宇奈月くんが抱いてたから……」

その笹平の問いに、流雫はふと苦笑いを浮かべる。あの光景を見られていたとは。頷いた流雫は

「……それならそうと、部屋に入ってくればよかったのに」

と言ったが、笹平は言い返す。

「入りにくいわ、流石に」

確かに、入ってくる側が逆に気まずいか。そう思いながら、流雫は

「……親戚から、僕が撃たれたと聞いたらしくて。次の日には日本に着いてた。僕だって驚いたよ」

と先刻の笹平の問いに答え、表情を緩める。

 驚いたし、経緯が経緯とは云えあの入院生活は少しだけ幸せだった。しかし、それも昨日で終わった。

 「今日、夕方の飛行機で帰るんだ。出発、16時半……だったかな?」

そう続けた流雫は、腕時計を見る。もうすぐ13時半。

 「……未だ間に合う……よな」

そう呟いた流雫は

「……今日、もう帰る」

と言って、教室へ戻ろうと踵を返す。突発的な早退宣言に

「宇奈月くん!?」

と笹平は声を裏返すが、シルバーヘアの少年は同級生に向けたまま

「……病院、行ってくる」

とだけ言い残し、階段を下りた。

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