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4-14 Apex Of Knight

 救急車に乗った澪は、塞がれた窓に背を向けて座ると流雫の右手を握る。隣には、自分のミントグリーンのトートバッグと流雫の黒いショルダーバッグが並んでいる。

 未だ新しいハズなのに、メタルのロゴが削れて色が剥げているのは、それだけ事件に遭遇しては戦いを見守っていた証左だった。

 ……この手に、何度も護られてきた。初対面の日も、あの台風の日も、そして先刻も。しかし、今は力を感じられない。体温が有ることだけは救いだが、慰めにはならない。

 「流雫……」

澪は彼の名前を呟く。今日だけで、何度声に出しただろうか。

 左手を彼から放さず、右手にスマートフォンを握るとメッセンジャーアプリを開く。父の名前をタップし、

「るなうたれた」

「あたしうった」

「かわづきそうごうびょういん」

とだけ書き殴るように打つ。変換する冷静さや気力すら、残されていない。

 着信音が鳴ったのは、既読が付いた3秒後だった。

「澪!……河月総合病院だな。今から行く。取調も俺がやるから待ってろ」

「……」

澪は父の言葉に無言で切った。今何か言えば、それだけでまた泣き出すから。


 河月総合病院。河月市のほぼ中心部に位置する9階建ての市立病院で、規模としては市内最大。急患センターの役割も果たしている。大町の死亡宣告もこの病院で下された。

 流雫を載せたストレッチャーがICUのドアの奥に消えるのを見送った澪は、コートを着たまま待合室の椅子に座る。

 広い待合室に置かれた大画面テレビでは、アウトレットでの事件の速報が流されていた。澪はそれから目を逸らそうと俯く。自分を抱き締めるように腕を組み、唇を噛む少女の目線は、自分の膝に落としている。

 ……澪が身代わりとなることで解放された、笹平の安否は判らない。連絡先も教え合っていないし、そもそもそうする時間も無かった。今は、ただ無事であることを願うしかない。

 澪が拾った流雫のショルダーバッグには、弾切れでスライドが引かれたままの銃が、無造作に入れられていた。……撃たれても決して勝機を見失わなかった。あの殺意を帯びた目は、今も澪の脳に焼き付いている。

「流雫……」

澪はまたも、その名前を口にした。ここで呟いても、澪と呼び返す声など返ってくるハズもないのに。

 病院に着いて30分ほどが経った。ふと顔を上げた澪の目には、流雫が居候するペンションの親戚夫婦が映る。ICUから出てきたところだ。保護者として駆け付け、医者と話をしたのだろう。

 「あ……」

と小さい声を上げた澪は、思わず立ち上がる。……自分といたばかりに、流雫が撃たれた。会わせる顔が無い。しかし、会わないワケにはいかない。

 「あの……」

澪の言葉を封じるように

「……君は無事かい?」

と主人は問うた。以前澪が受け取ったペンションの名刺には、鐘釣一貴と書かれていた。

「あたしは……無事です……。でも流雫が……!あたしが……!」

と言った澪の言葉を遮った一貴は

「……言いたいことは、流雫に直接言いなさい」

と落ち着いた声で諭す。しかし、

「でも……!」

と澪は食い下がる。……何もかも悪いのは自分なのに、どうして頭を下げさせようとしないのか。

 「……私たちは当事者ではないから。……明日、彼の母が来るわ。流雫以外に言いたいなら、彼女に言いなさい」

婦人……鐘釣安莉は澪に言い、続けた。

 「……寧ろ、私たちから礼を言わなければ。澪さん、だったかしら。何時も有難うね」

「どうして……ですか?」

予想外の言葉に、澪は問い返した。安莉は

「貴女と出逢って、流雫が明るくなったから。私たちの手伝いよりも、夢中になるだけの人ができたから」

と答え、

「……また何時でも来てね、流雫が喜ぶから」

と言い残して去って行く。

 ……自分と出逢って、流雫が明るくなった。婦人の言葉に他意は無い。今まで、逆に心配になるほど手伝いだけに没頭していた彼が、それ以上に澪と云う夢中になる存在に出逢ったことは、鐘釣夫妻にとっても大きかったからだ。

 ただ、今の澪には逆効果だった。……そう云う存在だからこそ、こんな事態は何が何でも避けたかったのに。


 ……最初のサイレンから2時間以上経った。壁の時計の針は、14時半近くを示している。慌ただしい靴音が止まると同時に聞こえた、

「澪……!」

と自分の名を呼ぶ、聞き覚えが有る高めの声に澪が顔を上げる。目の前には母、美雪がいた。

「あ……っ……!」

澪は声を上げる。

 ……でも、どうして?父が連れてきた……?

 しかしそう思うより一瞬早く、澪は座ったまま母の腹部に顔を埋める。ベージュのワンピースパーカーに、小さな染みが滲む。

 「流雫が……っ!あたしが……っ……!」

抑え付けていた感情が、また爆発した。母の手が、娘の頭を撫でる。その様子を見ていた父の常願は、奥の自販機へと向かった。

 ……今の娘に必要なのは、父ではなく母だった。男が陥りがちな、アドバイスのような言葉を投げるのではなく、今この瞬間の混沌とする感情をぶつけても、文句一つ言わず、ただ受け止める存在だ。それができるのは、室堂家では美雪だけだった。

 妻を連れ出したのは正解だった、とベテラン刑事は思いながら、少し2人きりにさせることを選んだ。オープンしたばかりのアウトレット施設で何が起きたか、整理する必要も有る。

 しかし、娘の恋人と話をできないのは痛手だった。正直、あの日本人とフランス人の混血の少年の証言に、期待している……いや、最早頼り切っている自覚は有る。それが、ICUに運ばれているとは。

 ただ、彼の取り柄はどんな時でも、目の前に絶望しか無くても決して光を見失わないことだった。容体が気になるが、すぐに回復するだろう。いや、そうでなければ、何より娘が困る。

 そう思った常願は、漸く自販機の前に立ち、コーヒーを選び始めた。


 「あたしが……悪いんだ……何もかも……あたしが……」

と泣きじゃくっていた澪は、やがて肩を上下させ、呼吸を整える。息が切れるほどに散々泣いて、目を赤く腫らせていた。何分ぐらい泣いていただろう?

 「……落ち着いた……?」

母は頭を撫でながら、娘に問う。澪は頷きながら

「……少しは……」

とだけ言った。

 「澪は優しい子だから……」

と囁いた母に

「優しくない……我が侭な……だけだもん……」

と言い返した澪は、顔を腹部に強く押し付ける。……こうしていると、安心する。

 「……辛いのに悪いが……」

と父の声がした。……泣いてばかりじゃいられない。澪は覚悟を決めた。母の体から顔を離すと

「……何から……話せばいい……?」

と問うた。

 室堂一家は待合室の最も端に固まった。母は娘の背を擦りながら、父娘の会話を見守る。

 1時間ぐらい掛けて、途切れ途切れに自分が見たことを語った澪は、父から渡されたボトル缶の紅茶を既に飲み干していた。そう言えば、彼女が最後に口にしたのは、あの事件の直前に流雫の奢りで飲んだフルーツジュースだった。それからあのテロに遭遇して、全てがノンストップだった。

 「……しかし、流雫くんも大概無茶するな……」

と父は言った。

 ジャンボメッセで見せた、エスカレーターでのバク転体当たりもそうだったが、見ている方が心臓に悪い。だが同時に、日本には火事場の馬鹿力と云う言事が有る。

「……まさかだったわ……」

と澪は呟くように言う。

 流雫は左腕で身体を支え、利き足の左足だけで跳び、犯人が驚いた一瞬の隙を突く形で引き金を引いた。そして着地点は、流雫が転がした澪の銃が届く位置。

 ラディカルな少年が、右の太腿に走る激痛と戦いながら見出した、唯一の勝機。それは狂気の沙汰と紙一重だった。しかし、澪の力を借りながらその手で手繰り寄せた。

「でも、やっぱり……」

澪がそう言って俯くと同時に、ICUのドアを開けた医者が寄ってくる。

 「室堂澪さん……ですね?」

「はい……」

医者の問いに答える澪。その隣にいる中年の男を見ながら、医者は問う。

「こちらは?」

「警視庁の室堂です。澪の父親です」

と言って、常願は警察手帳を見せる。

 医者によると、弾は貫通していたため、摘出手術には至らなくて済んだ。出血は少なくないものの、辛うじて輸血にも至っていないらしい。撃たれたのは太腿の比較的外側で太い血管を外れていたのは幸運だった。

 そして今は麻酔の影響で眠っていて、数日間は入院の必要が有る、とのことだった。

 ICUから、流雫を乗せたベッドが運ばれてくる。シャツとパーカーは畳まれ、そして右半分が血塗れのカラージーンズはビニール袋に入れられている。それは全て常願が引き取った。

「流雫……!」

その寝顔を見て、澪はようやく安堵を取り戻したが、すぐ医者に問うた。

 「……今晩だけでも、彼についていてあげたいんです……。……ダメですか?」

両親は、やはりと言う顔をしたが、医者は静かにすることを条件に承諾した。

「ありがとう……、……ございます……!」

そう言って頭を下げた澪の目は、またも滲んでいた。しかし同時に、先刻鐘釣夫妻が言っていたことを思い出し、呟いた。

「……流雫の、母……?」


 昨日、流雫が自分の部屋でビデオ通話をしていた相手。しかし、フランスにいるハズでは……?

 ……澪は怖れていた。もし鉢合わせになるなら、初対面がまさかの病室。しかも、自分が原因で流雫が大怪我をしたのだから、会わせる顔が無い。何と言えば、どんな表情をすればよいのか。

 そう思いながら

「……俺たちは鐘釣夫妻のペンションに泊まることになった。流雫くんの回復を待って、事情聴取をせねばな」

と父の常願は言う。

 元々今日も満室だったが、今朝になって1部屋だけキャンセルになったらしい。室堂夫妻が予約を入れたのは、その数分後だった。前回は後輩刑事と2人だったが、殊の外過ごしやすかったらしく、次は家族で行ってみたいと母に話していた。図らずもその念願が叶った形だ。

「2人でゆっくりしてきなよ。……あたしは此処に残らなきゃ」

澪はそう言って微笑む。

 予想外の事態から生まれたとは云え、一家3人での外泊は殆ど記憶に無いだけに、流雫には悪いがいい機会だった。

 しかし、やはり事件捜査の一環と云う事情が付き纏っているし、澪は流雫が気懸かりで、ペンションでのんびりするなんてできない。せめて両親だけでも、と澪は思った。

 その前に、家族で近くのファミレスに入った。澪はランチタイムを完全に逃していたからだが、何か食欲が無く、小さなパフェだけにした。それも完食するのに一苦労したほどだ。その様子は、両親も今まで見たことが無く、それだけ一人娘が参っていることを思い知らされた。

 そしてコンビニに入った澪は、流雫の病室で過ごすための飲食物を入手する。小さなブロック状の栄養補助食品とミネラルウォーターのペットボトル、そして1本だけの缶コーヒーをトートバッグに詰める。これから一晩、それだけで過ごす……明らかに足りないのは判っているが、今はそれで十分なほどだった。

「何か有れば、連絡するね」

とだけ言った澪は、医者に教えられた病室に入る。殺風景な個室で、流雫は院内用の室内着のままベッドに寝かされている。

 鐘釣夫妻に渡すべく、両親が持って帰ろうとした流雫の服に乗せられていたブレスレットだけを預かっていた澪は、小さなテーブルに丁寧に置いた。その隣に、今晩の食料を適当に置いて小さな椅子に座った。


 ベッドで眠る流雫を見つめる澪は、笹平と先刻話していたことを思い出した。

 ……同級生すら知らない、宇奈月流雫と云う少年の喜怒哀楽の全てを知る唯一の存在。それが東京に住む恋人だった。それだけ、澪は彼にとって特別だった。……それほどの存在なのに、あたしは何をしているのか。

 今は何をしても、何を思っても、気が沈む。全ては自業自得なのだが。

 夕陽が病室の白い壁をオレンジ色に染めた頃、ドアを叩く音が聞こえ、そしてゆっくり開いた。

「宇奈……、澪さん……!?」

自分がいることに驚く声に、澪は顔を上げた。

「志織さん……?」

流雫を起こさないように、2人は小声になる。

 「宇奈月くんへの通話が繋がらないから、ペンションに掛けてみて、此処にいると聞いたから……」

笹平は言った。……最初に話した時に、連絡先を交換していればよかったか。

「……一体何が……」

と戸惑う笹平に、澪は答えた。

「撃たれて……あたしを助けようとして……」

その言葉に、反射的に大声を上げそうになった笹平は

「撃……それって……!」

と急に声を落とした。

 「あの直後に……」

そう言った澪は、笹平から目を逸らす。……ダメだ。また視界が滲む。

「……足に1発。先刻、処置は上手くいったと……」

と、ゆっくり言った澪は、瞬きをしながら深呼吸をする。襲ってくる感情を押し殺して笹平に向ける目は、刑事の娘らしい鋭さを見せて問うた。気になることが多過ぎる。

「……あの時……何が起きてたんですか?」


 澪が出て行った直後、女子トイレに侵入し、唯一閉まっていたドアを壊し、中にいた人を人質に取った。運悪く其処にいたのが、笹平だっただけの話だ。

 ただ、やはり動機だの何だのを、笹平は一言も聞いていない。そして身代わりになった澪と流雫から逃げろと言われたことで、我を忘れて走り、そして警察に保護された。

 笹平が一通り話し終わると、

「……志織さんが、無事でよかった……」

と澪は言った。しかし流雫の同級生は

「でも、宇奈月くんが……」

と肩を落としたままだ。

 澪は立ち上がると、笹平を椅子に座らせた。自分の方が参っているハズだが、今はとにかく彼女を安心させたかった。トイレで、この世界にいない少女に助けを求めていた、あの声が澪の耳に残っている。だから澪は

「流雫は……すぐに退院できますよ」

とだけ言ってみせた。しかし、それは何よりも彼女の願いだった。

 容体は安定しているようだから、もしかすると退院は早いだろう。しかし、それ以外に何も言えなかった。今は澪が耐えられなくなる。

 笹平も、澪に負い目を感じていた。自然と零れる流雫の微笑に、突然美桜がいた頃を思い出して心配させたこと、澪が身代わりになったこと……。その詫びや礼など、澪は求めていなかったが、彼女は気に懸けていた。

 その流れで、最後に2人はメッセンジャーアプリの連絡先を交換した。そして笹平が帰った後、7階の病室には再び静寂が訪れる。外は既に真っ暗で、澪はLEDのライトスタンドの電源を入れると椅子に座ったまま、机に置いたスマートフォンで無音の動画を見ていた。

 巡回の看護師が位置と入ってきたが、半ば虚ろな目をした少女が見ていたのが、隣で眠っている恋人が撃たれた昼間の事件のニュースだったことを知ると、何も言えなかった。

 ……河月のアウトレットで起きたテロ事件の犯人は6人。うち4人が射殺された。しかし特殊武装隊が撃ったのは1人だけで、残り3人は居合わせた買い物客が正当防衛として発砲したものと見られている。残りの2人も、それぞれ撃たれた状態で取り押さえられ、病院で手当を受けている。

 犯人以外の死亡者は3人で、怪我人はエスカレーターで将棋倒しになって人も含めて29人。オープンしたばかりで密集する大型商業施設を狙った凶悪犯罪の捜査はこれからだが、ハロウィンを狙った秋葉原のテロや福岡の暴動も絡み、改正銃刀法の見直し議論も高まるものと思われる。

 そこまで見て、澪はニュース動画を止めた。その怪我人の1人は、今少女の目の前で眠っている。

 ……護身のためにと持っているハズの銃が、護身を隠れ蓑にした凶器として扱われることが、銃刀法改正の議論が白熱の一途を辿る中でも常に危惧されていた。それが現実になったことは、この1週間で思い知らされた。

 そして、そうではないと思いたいが、もし今日の発砲もその類が発端になっていたのだとすれば……。コートを羽織ったままの澪は、しかし暖房も入っているのに肌寒く感じていた。その原因は、やはり今も拭えない恐怖感か。

「はぁ……」

澪は溜め息をついて、栄養補助食品のブロックを1本だけ口に入れ、ミネラルウォーターを喉に流し、床に膝を突いた。

 彼の室内着越しに二の腕に触れると、ほのかに体温が伝わる。そして、胸がゆっくり上下に動くのが判る。……それだけで、澪は正気でいられる。

「流雫……」

温かい腕に触れたままシーツに顔を埋めた澪が囁くと、呟くような声が聞こえた。

「……み、……お……?」


 視界が急に開けると、少年は暗い部屋にいるのが判る。視界の端に、白いLEDの光が見えた。

 最後に見たのは、アウトレットの天井だったハズ……、と戸惑っていた流雫は、しかし右足に痛みと違和感を抱えていることで、此処が病院なのだと判った。……助かった、か……?

 しかし、外は暗くなっている。あれから何時間が経ったのか。

 ベッドの縁では、右腕に触れる少女がシーツに顔を埋めていた。

「流雫……」

囁くような小さい声が、流雫の耳に聞こえる。

「……み、……お……?」

少年は呟くような小さい声で、その名を呼んだ。

 澪は反射的に顔を上げ、LEDライトの明かりで薄らと照らされた流雫の顔を見つめながら、もう一度その名を呼ぶ。

「流雫……?」

細めた目の奥、アンバーとライトブルーのオッドアイの瞳が、少女の瞳を捉えた。

「……澪……、……怪我、してない……?」

その一言に、澪は耐えられなかった。見つめられたダークブラウンの瞳が一瞬で滲む。

「流雫……!流雫ぁ……っ……!」

澪は彼の胸板に顔を埋め、何度もその名を呼ぶ。流雫は彼女の頭を撫でながら、細い声で言った。

「僕が、撃たれなければ……澪が、……澪が泣かなくて……済んだのに……」

 ……撃たれて、澪を泣かせた。それは僕が彼女に犯した、最大の過ち。そう流雫は思った。だから正義感が強く、悪い意味でも自分に厳しい恋人には、自分の罪だと思ってほしくなかった。

「流雫が……流雫が撃たれたのは……あたしが……!」

澪は慟哭混じりに、言葉を絞り出した。


 全ては自分の過ちで、最愛の人は何も悪くない。流雫も澪も、そうやって自分が悪者になりたかった。自分への罪の意識で沈んだ表情を見るのが、耐えられなかった……、たったそれだけの理由で。

 ただ、その役目は何時も流雫だった。流雫が強引に押し切ってきた。澪は、自分が彼の代わりに背負えない苛立ちに襲われる。

「あたしは……怪我して……ない……。でも流雫は……!」

「……澪が生きてる……。それだけで……救われる……」

「……っ……!」

澪は言葉を失った。

 ……2人が生きている。それだけでよかった。こんな風に喜怒哀楽をぶつけ合えること、それがどれだけの幸せか。今までも、何度も思い知らされてきた。

 それでも、今だけは……全然足りない。澪は、未だ混乱していた。

 彼の胸板から伝わる熱と、心臓が動いている音にまだ触れていたい、と云う未練を残しながら、澪は顔を上げた。滲む視界は、しかし流雫の瞳を鮮明に捉える。

 不意打ちで見つめられると息が一瞬止まる、あの左右で異なる色の瞳が濡れているのが、少女には判る。

「……笑いなよ……澪……」

「流雫だって……笑ってよ……」

少年の声に、澪は返す。

 ……泣きながらも微かな微笑みを滲ませる少女は、流雫の頬に触れた。……しばらく、目が乾く様子は無かった。


 一頻り泣いて、澪は我に返ったようにナースコールのボタンを押した。彼が意識を回復した後に呼ぶよう、看護師から言われていたことをすっかり忘れていた。

 病室に入ってきた男の看護師は部屋の照明を点けると、流雫の患部を確かめようとした。下半身を露出させることになるから、と澪は一度部屋の外に出された。

 その隙に澪は、父の常願と笹平に、流雫が意識を取り戻したことをメッセージで伝える。父経由で、鐘釣夫妻にもその旨が伝わる手筈になっていた。

 父は5分後、明日の朝から流雫の取調を病室で行う、との返事を寄越した。笹平はそれから1時間遅れて、明日改めて見舞いに行くと返してきた。

 澪は流雫に一晩同伴する。彼女は医者から承諾を得ていたが、彼からも改めて看護師に問うた。消灯後は必ず音を立てず寝ることを条件に特別に認められた。

 2人きりになった病室で、澪は言った。

「……流雫は、あたしだけのヒーロー……じゃない。騎士だよ」

「え?」

電動ベッドのリモコンを触って上体を起こしながら、流雫は問う。

「あたしを護るために、命懸けだったんだから」

と澪は答えた。

 足を撃たれた流雫が、激痛と戦いながら必死に希望を手繰り寄せた。テロ犯に一矢報いるどころか、あの数秒が2人にとってのターニングポイントになった。澪はそう思っていた。

「今日だけじゃない。何時だって、あたしのために……」

と続ける澪に

「澪だって、あの時撃たなければ……澪も僕も生きているか……」

と流雫は被せた。

 8月の空港でも、今日のアウトレットでも、決着を付けたのは澪だった。流雫にとっては、自分が仕掛けたあの起死回生は、そのためのきっかけに過ぎないと思っていた。……仕方ないことだった、とは云え澪に撃たせたことに、大きなリグレットを抱えながら。


 ……修学旅行からの帰りの飛行機で、澪は彩花が言っていたことを澪は思い出した。

「流雫くんは澪のヒーローじゃないよ、ナイトだよ」

と。それが彼女の隣、窓側の座席に座るセミロングヘアの少女に無意識に染み付いていた。

 ……ヒーローは、誰に対しても平等で、どんなに自分だけの存在であってほしいと願っても、特別扱いはされない。しかし、ナイトは護るべきプリンセスだけを護る、謂わば不公平で特別扱いしかしない存在。そして流雫は、結奈から見ても彩花から見ても、澪にとってのナイトだった。

 ……澪は、流雫には騎士であってほしかった。そう、澪への支配欲に塗れた、悪魔の魂を宿した騎士。もし、澪を慕う結奈や彩花も同じように騎士だったとしても、流雫がその頂点に立っていることは揺るぎなかった。

 「……この疵痕すら、勲章になるのかな……」

と流雫は言いながら、下半身だけ被された布団の上から撃たれた太腿を撫でる。

「……バカ」

と澪は言い、その手に自分の手をそっと重ね、囁く。

「怖かったんだから……」

 ……流雫は勲章だと言った。それすら、自分が生きてきた、澪を愛していた証にする気だった。

 「……澪の泣き声が聞こえながら、意識が遠くなってきて。一瞬、死ぬのかな……なんて思いながら、生きたいとだけ願ったんだ」

そう言った流雫は、澪から目を逸らし、白い天井を見上げながら続ける。

「……生きてるのは、美桜が助けたからだと思ってる。こんな場所で死ぬべき、殺されるべき人じゃない。そう言ってる気がして」

 「美桜さんなら、言ってるかもね」

と言った澪は、

「……ありがと、美桜さん……」

と呟いた。彼女に護られたのは、流雫を託されたあたしもだと思いながら。

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