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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
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短編置き場

満たされない幸せに一滴(ひとしずく)

作者: 東川 善通


「幸せになってね」


 そう言っていなくなった幼馴染みの小さな魔女。一緒にいるのが当たり前だったのに、気づけば王子の婚約者になっていて、気づけば婚約破棄されて、辺境の修道院に連れていかれてしまった彼女。最後に会ったのは婚約破棄された時だっただろうか、力もなく、そんなことはないと声をあげる勇気さえなく顔面を涙でぐちゃぐちゃにした僕の両頬に小さな手を添え、ぐにぐにと遊ぶように慰めるように弄った後、彼女はそう言って笑った。





「……幸せってなんだろう」

「急に哲学ですね」


 僕の言葉に反応したのは補佐官のフィト。ただただ、普通に仕事をこなしていたら、いつの間にか上の方に来ていた。でも、ふとした瞬間にあの時の光景が広がり、どうしようもない気持ちになる。今回も思わず、口から出てしまっていたようだ。


「仕事があるのは幸せだろう、食事をとれるのは幸せだろう、まともな寝床があるのは幸せだろう」

「そうだろう? というような目で見ないでください」


 幸せなど人それぞれですよと言うフィト。そういうものなのか。では、僕の幸せとはなんだろうか。


「……フィト、幸せがわからない」

「例えばの話でもよろしいですか」

「もちろん」


 はぁ、やれやれとばかりにフィトは口を開いた。


「心という入れ物を満たすものと考えてはどうでしょうか。そうですね、例えば、傍にいると落ち着く、話していると楽しいなど心が満たされる状態が幸せという風に。逆の傍にいなくて落ち着かない、話していてもつまらないなどありますがそれは不幸せ、不幸というわけではなく、心が悲しみなどで満たされてないと考えてみては?」


 子供を諭すような口調にはムッとなったけど、なんとなくストンときた。

 あぁ、なるほど、そうか、ともすれば、僕の幸せは単純なのかもしれない。セラフィナを思うだけで幸せなんだ。


「ルシアノさん、考えるのは大いに結構。けど、手は動かしてください。仕事、溜まってるんですから」


 あ、ちなみにこれ追加ですと山の上に顔がにやけそうになる僕を余所目に山を追加で重ねるフィト。これ、僕の所に関係ないのも交ざってない?? 交ざってないのか、そっか。領収書や請求書がいっぱいなんだけど、随分研究熱心だね、みんな。


「これ、明らかに研究のじゃないでしょ」

「そうですね。ご丁寧に店名まで書いてくださってるので、後で店の方に確認してみますね」

「よろしく」


 とりあえず、優先順位が高いと要調査の分とに分けよう。にしても、最近、変な領収書、多いな。湯水の如く、金が湧いて出るわけじゃないんだけど、分かってるのかしら。


「わかってないんだろうな」

「多分、変な領収書はほぼ提出者の実費になるでしょうね。えぇ、払ってやる義理などありませんとも」


 ただでさえ、どこぞの王子妃のせいで予算がないというのに。いっそのこと、持ってきた人の記憶を確認できる魔導具を作ってやろうか。ん? あ、それいいかも。


「ルシアノさん、なんか変なこと思いついてません? お花舞ってますよ」

「いやいや、ちゃんとしたのを思い付いたんだよ。人の記憶を一時的に映させる魔導具とか真偽を見るのにちょうどよくないかい? いずれは偽証するものも出てくるかもしれないが、最初なら上手く誘導すれば簡単に引き出せるはずだ」

「で、本音は?」

「僕のセラフィナがいつでも見れる」

「そんなところだと思いました。でもまぁ、思い出を振り返れるなど需要はありそうですね」


 作るのはいいですが仕事は済ませてからにしてくださいと言うフィトに需要がありそうなら先にと口にすれば、期限が近いのでこちらが優先ですと押しきられてしまった。

 セラフィナ。僕の幼馴染みの小さな可愛い魔女。僕に色んな魔法を教えてくれた彼女。会いに行きたくても、距離が遠い。何故か王子妃の許可制だし、隔離されてるし、侵入しようにもそれもできないようになっている。魔術で侵入しようと思ったらできそうなところなんだけど、僕ができないようにする魔導具を作っちゃったんだよね。使用用途をよく確認しておくべきだったよ。ま、だから、記憶の中だけでも夢の中だけでもいい、セラフィナを見ていたい。心を満たされるのが幸せなのならば、少しでも満たせるようにしたい。

 僕は何時もよりもハイペースで仕事を終わらせると最近はあまり使っていなかった研究室に立て籠った。まぁ、立て籠ったところで仕事になればフィトが扉を蹴破って、僕を回収に来るのだけど。




「フィト! 見てくれ! 完成した!」

「そうですか、おめでとうございます。はい、こちらは本日分の仕事です」

「もう少し、見てくれてもいいと思うんだけど。僕、頑張ったんだけど」

「はいはい、わかりました、あとでしっかり拝見させていただきます。まずは先に仕事を終わらせてください」


 ドサッと机の上に落とされた書類。量の減らない用途不明の領収書。


「フィト、これ端末機ね。それから、こっちが本機」


 見ててねと端末機と呼んだ薄曇りの水晶をフィトに渡す。そして、フィトが何かを言う前に僕は本機の水晶を持ち、それを作動させた。


「……!」

「わかった? わかったなら、この用途不明の確認よろしく」


 水晶に写し出されたのは幼いセラフィナの姿。僕の思い出の一部。それは端末機である水晶にも映し出されたはずだ。目を見開いて驚いたのはその証拠。本当はフィトにも僕のセラフィナを見せたくなかったんだけど、他にいい思い出や風景なんてないからね、しょうがない。


「本機をフィトが持って、端末機を対象者に。持たせたら、作動するようにしておくから、上手く記憶を呼び出してみて」

「……かしこまりました」


 本機で端末機を読込みに設定し、本機にも映し出されるように設定して僕はフィトを領収書とともに送り出した。

 さて、どのくらい減るかな。フィトとは別の水晶を取り出し、机上に置くと本機に繋ぐ。仕事を片す傍らで確認すれば、会食の様子が映し出されていた。


「へぇ、この会食、王子や王子妃が参加してるのか」


 随分と豪華なものだねと目を細める。国庫が大変だからと節制に努めてる陛下や妃殿下、他の王子殿下を蔑ろにしてるねと口元に薄く笑みが浮かぶ。


「……妃殿下もだいぶ王子妃に悩まされてたよね。セラフィナを陥れたのも王子妃だったし、彼女の言い分が正しいのか確認してみてもいいかもしれないね」


 そうすれば、僕の心は満たされるかな。だって、セラフィナが関わることだし、上手くいけば、セラフィナに会えるようになるかもしれない。

 会いたい会いたい、セラフィナに会いたい。いっそのこと、この国を消してセラフィナのもとに行こうか。あぁ、でも、そんなことをするとセラフィナが悲しんでしまうかな。彼女の笑顔が曇るのは嫌だな。ふわりと花のように笑う彼女がいい。


「まずは陛下にこれをプレゼントしてあげよう」


 いつでも見られるように数日程度だけど保存機能をつけておいてよかった。王子妃には音声機能も付けてあげよう。きっと泣いて喜んでくれるにきまっている。まぁ、その前に陛下にでも顔合わせの機会を頂かないとね。





「…………」


 陛下に茶菓子とお土産を持っていったら神妙な面持ちでお土産を見つめ、拳を震わせている。いやー、あの用途不明の領収書のほとんどが王子と王子妃関連のものだったよ。僕も驚いた。


「…………」

「これ、数日記録残るから、好きにしていいよ。出来れば、ココに関わった連中排除してくれるとスッキリしていいんだけど。あ、褒美は王子妃に会わせて欲しいな」

「……何を、するつもりだね」

「んー? ただ、確認がしたいだけだよ。彼女が本当に僕のセラフィナに苛められてたのかどうか、ね」

「わかった、許可しよう」


 ふーっと息をつきながら、背もたれに凭れかかる陛下。この数秒で少し老けたかも。でも、仕方ないよね。それだけのことをやらかしてるんだもの。


「感謝するよ、陛下」

「その代わり、我々も同席する、構わんな」

「もちろん。ただ、僕の予想だと今日のよりもっと酷いかもだよ、覚悟しておいて」

「……」


 これ以上にかって目を見開いて僕を見つめないで欲しいな。見つめてくれるならセラフィナがいいな。セラフィナだったら、いつまでも見ていて欲しいし、僕も見ていたい。


「……覚悟しておこう」


 あまりの小さな声に聞き逃すところだった。よろしくと言って僕はあれに音声機能につける方法を考えながら、執務室に戻った。

 まぁ、戻ったら、フィトにどこに行ってたんですかと問い詰められたけど。


「それ、私も同席いたします、よろしいですね」


 いつも以上にフィトの圧が凄かった。思わず許可してしまったけど、まぁ、いいか。


「仕事片付けたら、ちょっと籠るから」

「なぜです? すでにこれがあるから何か用意する必要などないでしょう?」

「いやいや、音声機能も付けたら面白いかなって」


 きっと面白いことになるよとニヤッと笑えば、フィトは大きな溜息。仕事が終わった後にフィトに言われた一言は「死なないでくださいね」だった。待って、なんで僕が死ぬのかな。変なフィト。




『ルシアノ』

『ありがとう、ルシアノ』

『ふふっ、ルシアノは凄いわね。きっと私よりもすごい魔術師になれるわ』

「あぁあああああああ!!」


 死にそう。いや、今なら、死ねる。もう、天国が見えるよ。僕は床をゴロゴロと転がった。もう、悶絶だよ。


「僕はなんて恐ろしいものを作ってしまったのだろう」


 もはや兵器だよ。僕による僕を殺すための兵器だよ。思い出だけでも殺傷力が高かったのに、声までついたから殲滅兵器だよ。なんてこった、フィトの言葉は正しかった。


『ルシアノ』


 笑顔の彼女にそう言われて、僕はぶっ倒れた。明日、フィトに言わんこっちゃないと言われそうだ。





 王城の会議室。今回特別にこの会議室の許可をもらった。勿論、理由は簡単。王子妃に問うための場だ。王子妃は最近、うちの連中との会食がなくなって随分と不機嫌らしい。知ったからには通すわけないじゃないか。それに実費になってまでやる力はアイツらにはないよ。


「で、わたくしに何の御用かしら。これでも、勉強で忙しいのよ」

「貴重なお時間をいただき、感謝しております。えぇ。本日はこちらを献上いたしたく思いましてね」


 そう言って、僕が彼女の前に差し出したのは薄曇りの端末機。まぁ、読み取りのだけど。そして、陛下、王子、フィトにそれぞれに同期機を。妃殿下は陛下と一緒に見てもらう形をとらせてもらった。驚きすぎて落とされたら勿体ないからね。で、僕は本機。細かな操作をしたいし。


「なによ、コレ」

「ちょっとした魔導具ですよ」

「ただの水晶じゃない。わたくしのような美しいものに献上するのだから、もっといいものを渡しなさいよ」


 もう、あれだね。妃殿下の前でも猫被らなくなってるってことは王子と結婚したし、自分の地位は絶対だとでも思ってるのかな。人生そんなに甘くないよ。ま、丁度、手に持ってくれたようだしサクサクやっちゃおうか。


「いいものなんですよ。えっとですね、そうそう、とある令嬢に教科書を破られた時の事って覚えてます」

「はぁ!?」


 そう言いながらも、視線は宙を彷徨う。さぁ、引き出しの取っ手に手をかけて。そうすれば――。


 ビリビリッ

 ダン、ダン、ダン!


 その時の光景が水晶に映される。


「え? な、なによこれ」

『あははははは、これも、あれも、あの女がやったことよ! そう、あの生意気な女』


 水晶に映ったのは高笑いをしながら自分の教科書を破ったり、踏みつけたりしているかつての王子妃の姿。水晶を振り落とそうとするけど、落とさせはしない。僕が許可を出すまで離れないように設定してあげたんだから。


「そうそう、魔法で階段から突き落とされたとも言ってましたっけ」

「なに? かい、だん?」


 にこにこと笑みを浮かべながら、尋ねると王子妃は混乱しながらも何のことと引き出しを漁ってくれる。ありがたいね。


『キャー!』


 そう階段に飛び込み、叫ぶかつての王子妃。けど、途中でふわりと体が浮き上がるも舌打ちし、自らの魔法でそれを打ち消して階段に体を打ち付ける。


『あの子よ! あの子がわたくしに魔法を当てて突き落としたの!』


 そうヒステリックに叫ぶ。いやいや、セラフィナは君を守ろうとしたんじゃないか。全く、どうしようもないね。


「素晴らしいでしょう。記憶を読み取る装置なんですよ」


 どうでしょう、素晴らしいでしょと言えば、ふざけないでと顔を真っ赤にして僕に水晶を振りかざす。


「夕月の七日、楽しかったですか」

「は? なにが、たのし、って――いや、だめ」


 気づいた時には遅い、水晶に映し出されたのは近衛騎士の一人と目合(まぐわ)う姿。喘ぎ声に甘く強請る声。それに反して王子妃の顔からはみるみる内に赤みが引いている。旦那たる王子は呆然としているし、妃殿下は目を下げ、陛下は顔に手を当て嘆息。そして、僕は笑ってるし、酷い空間だね。あ、フィトは顔を背けてて何を思ってるのかわからなかった。


「陛下、セラフィナの無実はこれで証明されたよね」

「……あぁ、そうだな」

「僕が迎えに行っても問題ないよね」

「……あぁ」


 脱力気味にそう言われたけど、言質は取った。早速行こうとすればフィトに止められた。一応、先ぶれを出すなど手順を踏めと。まぁ、それもそうか。いきなり行って驚かれるのも、外出中でいないなんてパターンもあるし、先ぶれとその返事くらいは待とう。


「ルシアノ」

「はいはい、なに?」

「あとはこちらでする。下がってよい」

「どーも」

「フィト、行こうか」

「はい」


 陛下にそっと簡易設定にした本機を渡しておいた。勿論、説明を書いた紙も渡した。王子妃の処分は好きにするといいよ。セラフィナの無実は証明できたからね。

 あ、でも、あんまり心は満たされなかったな。うん、やっぱりセラフィナじゃないとだめなのかもしれないな。ま、すぐに会いに行けるからいいけど。







 (はらわた)が煮えくり返るってこういうことを言うんじゃないのかな。


「あら、もしかして、ルシアノ? 大きくなったわね」

「せ、らふぃな」


 会えたセラフィナは牢屋のようなその部屋でぺたりと地面に座ったままの酷い姿だった。首には魔術封じの首輪がつけられていた。それなのに昔のように僕だとわかると昔と変わらない笑顔をくれる。だけど、僕はとてもじゃないが笑顔を返せる状態じゃなかった。フィトも歯を食いしばり、拳から血を流していた。


「ごめんなさい。私、臭いし汚いわよね」


 どうしようもできなかったのと謝るけど、セラフィナが謝ることじゃない。セラフィナをこんな目に遭わせた連中がセラフィナに謝るべきだ。


「あら、ルシアノ、私を抱きしめたら汚れてしまうわ」

「セラフィナだから、大丈夫。もう、ココに居なくていいから、僕の家に帰ろう」

「ありがとう。でも、私、なにもないわ。あなたに返せるものなんて」

「いいんだ。セラフィナがいてくれるだけでいい。セラフィナでいい」


 臭い、汚いなんて知らない。僕は折れてしまいそうに細くなったセラフィナを抱きしめた。

 さぁ、帰ろうと立ち上がってもらおうとしたけど、彼女は首を振った。まさかと思って、セラフィナの足を確認すれば、腱が切られた痕。修復できないようにするかのように踵も少しずれていた。

 ここまでするのか!? 何の罪もないセラフィナに!! 憤っていた僕に先に冷静さを取り戻したフィトが調べてきたことをそっと耳打ちする。王子妃と王子の独断であると。


 ――消えてしまえばいい。


 フッと笑った僕はそう声に出さず呟いた。もう、これで、セラフィナがアレらと会うことはない(・・・・・・・)


「ルシアノ、ごめんなさい」

「大丈夫だよ。セラフィナ。これからは僕があなたを守るから」

「でも、私じゃあなたを幸せにできないと思うわ」


 こんな酷い状態の女よ? というけれど、セラフィナは全く心が変わってないと思う。


「幸せというのはわからないけど、僕の心を満たせるのはセラフィナだけだよ」


 帰ったらまずはお風呂で、次の日は服を買いに行こうと提案する。フィトが仕事がありますよとちゃちゃを入れるけど、多少休んだところで綺麗になった仕事場なら大したことないよ。


「じゃあ、えっと、そう、失礼するね」

「え、あ、ルシアノ、汚れてしまうわ」

「すでに君を抱きしめた後だ、それに抱えたのはセラフィナだから問題ないよ。それに侍従もいないし、うん、フィトに抱えさせるのもイヤだし」

「あら、あなた、そんな我儘だったかしら」

「そうだよ、セラフィナ限定の我儘だよ」


 クスクスと笑うセラフィナに僕は笑みを向ける。どんな酷い姿でもやはりセラフィナはセラフィナだった。セラフィナを抱き上げた僕は彼女に上着を被せる。いくら彼女が平気と大丈夫だと言っても、その姿を人目に晒すのは嫌だろうから。




 屋敷に戻った僕はセラフィナをお風呂に入れてあげようとした。けど、侍女たちが飛んできて、セラフィナを奪われてしまった。


「ちょっと、僕がする!」

「バカなことをおっしゃらないでくださいませ。旦那様は男性です! お嬢様は私どもがきっちりお綺麗に致しますので外でお待ちくださいませ」

「ルシアノ、ありがとう」

「う、セラフィナ、嫌なことされたら、叫んでね」


 すぐ助けるからと言えば、きりりと目をつり上げたメイド長にそんなことはいたしません! とピシャリと言われてしまった。だって、不安じゃないか。

 あ、料理準備してもらっておこう。あんなにガリガリだったんだもの、きっとお腹すいてるよね。沢山作ってもらおう。


「旦那様、その、私どもが言うことではないかと思うのですがお嬢様はあまりまともな食事を摂られてはいなかったのでは?」

「そうだと思うよ。それがどうかした?」

「そうですと、あまり固形物は摂らない方がよろしいかと。まずは少量の流動食から少しずつお嬢様の体調をみながら固形物へと変更していくのいいのではないでしょうか」

「……そうなの?」

「えぇ、久しぶりに食べてしまうとお嬢様の胃が驚かれるかと」

「そっか、じゃあ、料理長に任せるよ。美味しいものを頼むよ」

「はい、勿論でございます」


 なるほど、久しぶりに食べると胃が吃驚するのか。沢山も食べられないのか。まさか、そんな風になってるなんて思わなかった。料理長から説明を受け納得した僕はとぼとぼと厨房を出て歩いた。ふと、玄関にフィトが何かをもってたっているのが目に入った。


「今日は仕事しないよ」

「わかっています。ただ、ルシアノさんにはこちらだけ書いていただきたく」

「なにそれ」


 契約書か何か? そう思ってフィトの手から受け取り確認すると婚姻届だった。


「こん、いん? 誰と誰が?」

「もちろん、ルシアノさんとセラフィナ様のです」

「は?」

我が父(・・・)から流石に冤罪ではあったものの罪人とはいえ未婚の娘を未婚の男の所においておくのは世間体が悪いとのこと」

「待って、え、セラフィナとフィトは姉弟なの?」

「そこですか、そこに今気づきますか。えぇ、まぁそうですよ。それが何か?」


 とりあえず、さっさと書いてもらっていいですかというけど、いやいや待って。今までそんなこと言わなかったじゃないか。


「セラフィナのサインがすでに入ってるのおかしい」

「おかしくありませんよ。だって、先程、書いていただきましたから」

「は?」

「睨まないでくれますか。丁度お風呂上がりだったそうでタイミングがよかったようで。それから、現在は私が呼んでおいた医師の診察を受けております」


 勿論、説明して本人の意思で書いてもらってますよというフィトだけど、僕がセラフィナと夫婦になる? え、なに、それ。今までそんなこと考えたこともなかったんだけど。


「さ、いつものようにサインするだけで大丈夫ですから」


 書類にサインするのと婚姻届にサインするのとでは重みが違くない? セラフィナ以外に興味がない僕でも知ってるよ?


「しぶといですね。では、はっきり言いましょう。姉さん、セラフィナを守りたいのであれば、夫という立場は実に優位ではないでしょうか。それとも、他人のまま、セラフィナを守るつもりですか? それは難しいでしょうね。だって、夫という身内ではなく他人(・・)でしかないのですから」


 貴方なら確かに他人であっても守れるでしょう。けれど、貴方がセラフィナに肩入れすることを他から見たらどのように思うでしょうねとフィトは笑顔で告げる。冤罪であったとはいえ、罪人として過ごしたことのあるセラフィナを嬉々として叩くだろうね。鬱陶しいあの羽虫どもは。やっぱり、一回はこの国自体消してしまった方がいいんじゃないかな。


「それにセラフィナが夫なら貴方がいいと言ったんですが」

「……えっと、どこに書けばいいんだっけ」

「こちらにお願いします」

「ん」


 セラフィナが望んでくれるのなら、その役目を頂戴しようじゃないか。決して、ちょろいとかそういうのではない。目の前でフィトが満足げに頷いた後にちょろいですねとか感想をこぼしてるけど、僕の耳には届いていない。


「あの、旦那様でいらっしゃいますか?」

「ん? そうだけど、どうかした?」

「いえ、奥様のことについてなのですが」


 奥様。セラフィナの事だよね。うん、中々に良い響きかもしれない。あ、いや、そういう話じゃなかったね。僕に話しかけてきた医師によると料理長が言ったように食べるものは流動食から胃を慣らしていってほしいという事。それから、魔法に関してもゆっくりと少しずつ使用していくようにということだった。うん、そうだね、魔法に関しては僕もそう思ってた。昔のようにいきなり使ってしまうと今まで使ってなかった分魔法がコントロールできなかったり暴発してしまう可能性が出てくるからね。その点は気をつけないとね。


「うん、ありがとう。僕の方も注意しておくよ」

「はい、それでは失礼いたします」


 ペコペコ頭を下げながら医師は帰って行った。それに続くようにフィトも提出と仕事があるのでと去って行った。結婚式については後日話し合いだとか。うん、結婚式いる? いや、でも、セラフィナの花嫁姿は見たいかも。うん、いるね。




 セラフィナが僕の家に来てから数ヶ月。セラフィナは昔のような艶やかな髪に柔らかな肢体を取り戻していた。結婚式は未だにしていないけれど、二人で街に出ることも多くなったし、不本意だけど社交界にも顔を出すようにした。不躾な目がセラフィナに向くのは耐えられなかったけど、僕がずっと抱き上げていていいということだったから、まぁ我慢できたよね。


「そういえば、ルシアノは幸せになれたかしら」


 膝の上に僕の頭をのせて、僕の髪を梳きながら思い出したかのようにセラフィナはそんなことをいう。うーん、と僕は考え、目を細めてセラフィナを見上げる。


「そうだね、毎日セラフィナが傍にいてくれるから心は満たされつつあるかな」

「あら、それは幸せになるまでまだまだ時間がかかりそうね」

「かかるだろうね。だからね、セラフィナ、ずっと傍にいて」

「えぇ、もちろんよ」


 僕の答えにくすくすと笑って、セラフィナは僕の額に口づけを落とす。

 心が凄く温かい。あぁ、人はこれを幸せだとか愛おしいだとかというのかな。


「やはりここにいましたか。ルシアノさん、仕事ですよ」

「……もうちょっと」


 冷めた。フィトのせいで冷めたよ。

 セラフィナを抱きしめて、断固拒否の構えをするけど、襟首をつかんで引き摺ってでも行こうとする。


「隣国との緊迫状態なのに筆頭魔術師が何をやってるんですか」


 最近、きな臭くなってきたとかでピリピリしてたけど、そんなことでセラフィナとの時間を邪魔されるとか最低じゃないか。うん、よし、プチッとしよう。


 ――潰れてしまえ。


 やれやれと立ち上がりながら、そう声をなく呟く。とりあえず、向こうの頭潰しとけばいいよね。


「とりあえず、行ってくるよ」

「えぇ、気を付けて」


 セラフィナの両頬に口づけを落として、僕は王城へと向かった。きっと、王太子になられた第二王子殿下が頑張ってるはずだ。


「フィト、僕、幸せがわかったかもしれない」

「そうですか、よかったですね」














 私はあの時の光景をよく覚えている。

 宰相だった父に連れられて行った屋敷。部屋で大人しくしているように言われたけど、そっと抜け出した先の庭園で見つけてしまった。どんより雲のせいで美しいとは言えない庭園。そこに雲の切れ間から光が差し込み、一か所を照らしていた。

 光の中、ぼんやりと空を見上げて佇む男の子。ただただ、美しかった。こんなに美しい人がいるのかと幼いながらも私は思った。


「……」


 かさり、そんな物音に男の子はゆったりとした動きで私を見た。その目には何もなかった。ただ、音がして見てみただけ。


「こんにちは、私はセラフィナよ」


 そう、挨拶をして見たけど、特に反応はなく、また空へと目を移してしまった。折角、私を見てくれたのに。

 それから、私は彼に話しかけ続けた。だって、彼の声を聴いてみたかった。彼と仲良くなりたかったから。けれど、その日は何の反応も返ってこなかった。私を探す声が聞こえて、名残惜しかったけど、帰るしかなかった。




 次に彼に会った時、私は父に教えてもらった魔法を披露して見せた。すると、興味が出たのか口に小さな笑みが浮かんでいた。


「どう、すごいでしょ」


 他にもこんなことができるのよと披露してみれば、目がキラキラしてきてとても可愛らしかった。そんな魔法のおかげで彼がルシアノという名前だと知った。そこから、ぽつりぽつり会話もできるようになって、私は嬉しかった。


「ルシアノも魔法使えるわ」

「ほんと?」


 どこか幼い仕草のルシアノに私は父に教わったように会うたびに教えていった。けれど、それが崩れるのはあっという間だった。




「セラフィナ、こっちに来なさい」

「……お父様、でも」

「いいから来なさい!」

「はい」


 父にルシアノと会っていることがバレた。そして、私兵に押さえつけられたルシアノ。彼を見て、父を見てと戸惑う私に父は強く命令。私は怖くて逆らえず、恐る恐る父の方へと向かう。


 ――…………。


 何か声が聞こえた。そんな気がしたと思ったら、ぎゅっと抱きしめられた。周りにはルシアノを押し付けていた人たちが無残な形で転がっていて、目の前の父は顔を強張らせ、蒼くしていた。


「セラフィナ」

「大丈夫よ、ルシアノ。怖いものはいないわ」


 温かなルシアノに先程までの父への恐怖が消えていた。きっと、父よりもルシアノの方が怖いのだろう。恐ろしいのだろうというのは父の顔を見たらわかる。けれど、私はルシアノを怖がることはなかった。


「また、会いに来るわ」


 だから、大丈夫。心配しないでと優しく言えば、ルシアノも落ち着いたのかそっと私を放してくれた。そして、私は帰りの馬車の中、父からルシアノの事を聞いた。

 稀に高魔力を持つ子供が生まれることがある。そして、その子供は“破滅をもたらすもの”や“破滅の魔王”と呼ばれるようになると。だから、幼いうちに処分するようになっている。けれど、過去に現れた“破滅の魔王”は総じて迫害されていたがために怨恨が重なって、国を亡ぼすことになったのではないかというのが父の派閥の考えだそう。だから、きちんとした教育と愛情を与えれば、こちらの大きな武器になるだろうと考えたのだが、ルシアノは愛情を受け入れる器を持っていなかった。そのため、私など年の近い子で上手くやろうと思ったらしい。とはいえ、私は婚約者候補との顔合わせも含めてあったらしく、部屋で待たされていたのはそのせいだった。


「まさか、目を離したすきに交流を持っているなどとは」


 しかも、よりにもよって魔法まで教えているなんてと父は項垂れるけど、私は彼に会えたのが私だけというのに喜んだ。

 それからは父は何も言わず、私をルシアノのもとに送り出してくれた。私はダメなことはダメと教えながらも、彼に感情が出てくるのを見るのが凄く楽しくて愛おしかった。


「セラフィナ、見てて」


 彼の魔法はとても美しくて、すぐに私の手の届かないものになった。それでも、彼が魔法を披露してくれるのは私の前だけ。

 一度だけ、本当に一度だけ、彼が別の人の前で魔法を使った時、私はなんで、どうしてと彼に怒ってしまった。けれど、ルシアノはその感情が分からないようで困惑したようだった。


「ごめんなさい、ごめんなさい、ルシアノ」

「大丈夫だよ。やり方は色々あるから」


 そう言ったルシアノは本当に私の前以外では魔法を使わなくなった。その代わり、魔導具を作り、様々な人が使えるようにと研究するようになっていった。

 私はルシアノを縛り付けていた。だからかしら、王子との婚約が決められ、卒業パーティの時に婚約破棄され、修道院に送られることになった。あの時のルシアノの顔はぐちゃぐちゃだったわね。それすらも愛おしく感じるなんて、私はきっとあの時からルシアノに心を捕らわれていたのねと思った。修道院のことは思い出したくもない。私はあそこではただの家畜でしかなかった。




「セラフィナ、大丈夫?」


 寝ながら、泣いてたのかしら、ルシアノが私の目もとを拭う。あぁ、そう、修道院から出てルシアノの妻になったのよね。


「フィトに言って、今日仕事休むよ」

「……平気よ、ルシアノ。それに大事な会議もあるのでしょう。私がフィトに怒られてしまうわ」


 眉毛を下げて、どうしようかと考えているルシアノ。相変わらず、美しい人だけど可愛い人。歩けなくはなったけど、その分、ルシアノが私の傍に居てくれる。その上、私のためにと魔導椅子を作ってくれた。


「椅子のせいで疲れてた?」

「ううん、そんなことないわ。むしろ、魔導椅子のおかげで移動も楽だもの」


 魔力を流すことによって移動ができる魔導椅子。椅子に乗ったまま移動ができるのはいまだに不思議な感覚だけど、これのおかげで多少は不便なこともあるけど普通の人と同じように生活ができるもの。私の旦那様はとても優秀だわ。




「フィト、この書類は何かしら」

「父が」

「突き返してきて。私がルシアノの妻になったからといってルシアノを利用できるなんて思わないで」


 まだ父は諦めてなかったのね。“破滅の魔王”を使って思い通りにしようだなんて、私が許すわけないじゃない。フィトには悪いけど、父でも容赦しないわ。


「あぁ、それから、フィト」

「はい」

「ルシアノに名前を呼んでもらえるからと言って、貴方なら利用ができると思わないでね」


 元婚約者とその妻が人型の血痕だけ残して消えたという噂は聞いた。恐らく、私と再会した時にフィトがルシアノに耳打ちした時のことだと思うけど。だから、よくよく注意しておかないといけない。


「……はい、わかってます」

「そう、ならいいの」


 沈黙を挟んだけど、フィトは父と違って物分かりのいい子だから、きっと大丈夫ね。


「また、フィトがいる。ここ、君の家じゃないんだけど」

「えぇ、すぐにお暇しますとも。馬には蹴られたくありませんので」


 えー、なにそれという顔でフィトを見送ったルシアノはさっきの顔はなんだったのというくらいのニコニコ顔で見て見てと果物籠をテーブルに乗せる。


「あら、美味しそう」

「うん、果物屋の奥さんが奥様とどうぞって」


 ふふっ、奥様だってと嬉しそうに笑うルシアノ。相変わらず可愛いわ。


「あと、大丈夫だよ」

「え?」

「宰相にも利用されるつもりはないし、フィトに利用されるつもりもないから。セラフィナのためならって言われてもちゃんと考えるから。それにセラフィナの前以外では魔法、使う気しないし」


 セラフィナが綺麗だって言ってくれるから、セラフィナにだけ披露するんだよと笑うルシアノ。一体、どこから聞いてたのかしら。


「愛してるよ、愛とかよくわからないけどこういった方がいいのかな」

「ルシアノらしいわ」


 くすくす笑った私にルシアノも満面の笑みを浮かべる。


「家族が増えたら、また色々教えてね、僕の小さな魔女さん」

「……ほんと、あなたはどこまで知ってるのかしら」

「全然知らないよ。でも、セラフィナの事なら、知りたいと思うだけだよ」


 家族を知って、ルシアノは変わるかしら。いいえ、変わらないわね。ルシアノはルシアノのまま。そして、私もまた私のまま。

 だけど、彼の心がいつか愛情で満たされるように、幸せで満たせるように私はルシアノの傍に居続けよう。

 私はきっと“破滅の魔王”の幸せの一滴(ひとしずく)で彼を人であり続けさせることのできる一滴の雫。



ここまで読んでいただきありがとうございます!


元々別のお題で書いてた話だったのですが、予定を変えて突っ切った形です。

純愛とは、と言われそうですが、本人たちからすれば純愛なので、はい。


ちょっとした小話的な設定的なアレ

ルシアノ:破滅の魔王とかと呼ばれる大抵なら願えば叶えられるほどの高魔力保持者。感情的なものが希薄だったが、セラフィナと関わることによってある程度は分かるようになったし、自身にも出てくるようになった。でも、愛だの幸せだのはちょっと難しい。けど、少しずつ改善中。名前で呼ぶのはセラフィナとフィトの二人だけ。家族が増えたら増えるかも。

セラフィナ:小さな魔女というのはルシアノがつけたあだ名。父親から許可が下りた以降はルシアノもとい美しいものを独り占めできることに優越感をもっていた。ルシアノに誰かが近づくのが嫌だし、ルシアノが誰かと親しくなるのも嫌。だから、別れ際に幸せになってねと呪いの言葉を渡した(無自覚)。

フィト:ルシアノのストッパーであり、監視役。のちは姉と父どちらにつくのがいいのか考えることが増えそう。苦労人枠。ルシアノのことは厄介な人と思いつつも、目が離せない面倒な人だと思ってる。嫌いではない。

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― 新着の感想 ―
[一言] 企画からお邪魔します。 このカップル、どっちも可愛いなぁと思いました。周囲の色々差し置いても、お互いに想い合う気持ちだけはいつも穏やかでよかったです。ルシアノくんの才能の使い方も面白かった。…
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