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2-2 新しい生活のはじまり(2) ファリンダとの出会い

 三階の廊下の隅にある一室の前で、シスター・アメルは止まった。


「ここが、あなたに用意された部屋です」


 そう言いながらシスター・アメルが扉を開けると、質素ながらも広々とした、とても住心地の良さそうな空間が、私の前に広がった。

 部屋の中央にはダブルベッドが一つ置いてあり、その脇には鏡のついた化粧机がある。部屋の隅にはクローゼットや、引き出しが六つもついたチェストまである。


「……まるで、貴族が泊まる宿屋みたい」

 私は呟いた。


「まるでというより、そのものです。ここは貴族のご婦人が礼拝に来た時に、彼女達をもてなすために用意されていた部屋ですから」


「えっ?」


 さも当然というような顔をして言ったシスター・アメル。

 私は彼女に聞き返す。


「他のシスター達はこんな部屋ではないのですか?」


「当たり前でしょう。この修道院に何人のシスターがいると思っているのです? 他のシスターは、この部屋の半分程度の広さの部屋を二人で使います。この上の四階と五階がそういったシスター達の部屋です」


 シスター・アメルは上を指さしながら言った。


「……この待遇の違いは、私が辺境伯令嬢だからですか?」


「ええ。それもあります」


「も?」


 私は再び聞き返した。シスター・アメルがうなずいて答える。


「あなたがここに入るにあたり、あなたのお父上から多額の寄付がありました。ですから、あなたを特別扱いしないわけにはいきません。あなたのためではなく、寄付をしてくださったあなたのお父上のために」


 シスター・アメルは淡々と言った。

 私は溜め息をついてうつむいた。


 あくまで私が修道女になったのは私の意志。そんな娘の意向を尊重し、修道女となる娘のために多額の寄付をする良き父親――それが父の筋書きらしい。いかにも風評をとかく気にする利己的な父のやりそうなことだった。


「……私、もう少し小さい部屋の方が落ち着くのですが、部屋の変更は――」


「できません」


 私を突き放すように、シスター・アメルが言った。


「それについては他のシスターと同樣です。部屋割りはその者の年齢や身の上を考慮し、私が決めています。よほどの事情がない限り、変更は認めません」


 それからシスター・アメルは、起床時間や就寝時間、食事や沐浴のルールといった簡単な注意事項だけを説明した。全てを説明し終えて部屋から出ていこうとした時、彼女は何かを思い出したような仕草をした後、私に振り返って言った。


「……そうでした。お父上からの要求で、あなたには小間使いが一人付きます」


 私は首をかしげる。


「小間使い? 修道女にですか?」


「はい。他のシスターの手前、常に自由に奉仕させるというわけにはいきませんが」


 おそるおそる、私は尋ねる。


「それも拒否は……」


「できません。お代はすでに頂いてしまっていますから」


 シスター・アメルは無表情で言った後、部屋を去っていった。


 一人部屋に取り残された私は、入り口に置いてきた荷物のことなど忘れ、そのまま部屋のベッドに倒れてしまった。ベッドは私の部屋にあるものよりも質が良く、マットも(わら)ではなく綿を詰めた高級品で、とてもふかふかだった。


(この部屋は父が用意した、これから私を一生閉じ込めるための牢獄なのね)


 私が大人しく修道女として生きれば良し、私が修道女としてあるまじき行いをしても自分は娘のために最大限良くしてやったと言い訳できる。そして仮に、私が何らかの功績を成した時は、父はそれを自分の手柄にしてしまう気なのだ。

 私は枕に顔をうずめる。全てが父の手の内かと思うと、枕の柔らかい綿の感触すら憎らしく感じた。


 その後、修道院までの長旅で疲れていたのか、私はそのままベッドの上で眠ってしまったようだった。


 次に意識が目覚めた時、部屋の中には、誰かが部屋の扉をノックする音が響いていた。

 起き上がってみるとまわりは真っ暗で、窓からこぼれる月明かりの光だけが部屋の中をかすかに照らしていた。


「どうぞ、開いているはずです!」


 私はチェストの上にある油皿に火をつけようと、持ってきた小箱の中から火打ち金を探した……が、部屋があまりに暗すぎて、箱のどこに何があるのか全くわからなかった。


 そうこうしていると、扉が開いて外の廊下から明かりがもれる。

 扉を開けたのは、ランタンと食事の載ったトレイを持った十歳前後の少女だった。シスター達とは明らかに違う、すそのほつれた麻の服を着ていて、私はひと目見て彼女がシスター・アメルの言っていた小間使いなのだと気が付いた。


 少女は扉を開いて私を見た途端、小箱の中を必死で漁っている私の姿を不思議そうに眺めていた。

 私は状況を弁解するため、少女の方へ振り向いて言った。


「火打ち金が見つからないの。そのランタンの火を貸してくれない?」


 少女は無言でうなずくと、チェストの上にランタンと食事を置いた。

 私は彼女の置いたランタンの火を、わら縄を使って油皿に火をつける。


「ありがとう。助かった。もしかして、それは私の食事?」


 食事を指さして私は尋ねた。

 少女は再び無言でうなずく。


「わざわざ持ってきてくれたのね。ありがとう。あなたが私の小間使い?」


 うなずく少女。


「名前は?」


「ファリンダ」

 少女は小さくつぶやくように言った。


 何だしゃべれたんだ、私は心の中でつぶやいた。


 それから私はファリンダが持ってきてくれた食事を部屋の小さなテーブルに置いて食事を始めた。

 パン、スープ、チーズ、リンゴ……全体的に味があまりにも薄すぎるとは思ったけれど、ファリンダ達小間使いはもっと質素な食事を食べているだろうと考えると感想を口に出すことは出来なかった。


 一方、私が食事を食べ始めた後、ファリンダは、他のシスターか小間使い達が運んでくれたらしい、廊下にあった私の荷物をせっせと部屋の中に運び始めた。


「ファリンダ、別にいいわよ。あとで自分で運ぶから」


 私が言うと、ファリンダはきょとんとした顔をして動きを止めた。


「あ」


 私はファリンダの表情を見て、シスター・アメルに言われたことを思い出した。この修道院では、食事中の私語は基本的に厳禁なのである。

 そうと気づき、私は食事を再開した。すると、ファリンダも再び荷物を運び始める。

 

 私はファリンダが荷物を運ぶのを止めようと、手の平を見せたり、手を伏せたり色々ジェスチャーを試してみたが、無視されているのか伝わっていないのか、彼女は全く動きを止めなかった。


 あまりの伝わらなさに、私は仕方なく急いで食事を終えることにした。


 その時、


「う……」


 私は思い切り喉をつまらせた。


 慌てて水を飲み、せきこんで喉につまったパンを吐き出す。

 そんな私を見て、ファリンダも荷物を置いて私のところへ駆け寄ってきて、私の背中をとんとんと叩いた。


「大丈夫……ですか?」


 ファリンダが私の顔をのぞきこむ。


「……ええ、平気。慣れないことはするものじゃないわね」


 食事は会話を楽しみながらゆっくりと……それが貴族流の食事作法だ。早く食べることは、一緒に食べている相手と会話を楽しみたくないという意思表示にとらえられてしまうため、完全なマナー違反なのである。


「ファリンダ。荷物はあとで一緒に部屋の中へ運びましょう。どのみち、あなた一人で運ぶよりもそうした方が早く終わるでしょう?」


 私が言うと、ファリンダは少し考えた。

 やがて、彼女は小さくうなずいた。


「じゃあ、私の対面に座っていてくれない? 私は一人で食事をするのが苦手なの」


 ファリンダはそんな私の言葉に従い、私の対面の席に腰かけた。

 ……とはいえ、食事中に話をすることもできないのに、私の食べているところを黙って見させ続けるのはどうなのだろう。

 そんなことを、私はふと考えてしまった。


「ファリンダ、ちょっと待って。いいものがあるの」


 私はそう言い、席を離れて木箱の中から大きな瓶を取り出した。

 そして、瓶の中から黒いゴツゴツした飴を一つ取り出す。

 私はそれをファリンダに見せ、言った


「岩飴よ。私の故郷の名産なの。口の中に入れると甘い味がするのよ」


 すると、ファリンダは突然、とうてい食べ物とは思えない黒々としたグロテスクなそれの見た目に、露骨に食べたくなさそうな顔をして見せた。

 初めて感情を見せたファリンダの表情に私は笑う。


「ちょっと! この飴、見た目はこんなだけれど高級品なのよ!?」


 飴をファリンダの口元へ近づける私。

 思い切り眉をしかめて、顔をそむけるファリンダ。


 ……仕方ない、あの手を使うか。


 あー、と私は口を大きく開けた。

 ファリンダもつられて、口を開ける。

 ――その瞬間を見計らい、私はファリンダの口へ岩飴を一気に突っ込んだ。


「くくく……、しょせん子どもね」


 勝ち誇った笑みを見せる私に、ファリンダは険しい表情を浮かべた。

 けれど、それはだんだんと和らいで、やがて彼女の口元に笑みがこぼれはじめる。


「……あまい」


 微笑むファリンダに、私は腕組みをして得意げに笑って見せた。


「ほら、言ったとおりでしょ? 何事も見た目で判断してはいけないのよ」


「……うん」


 ファリンダは納得し、うなづいた。


「けれど、私があなたにこの飴をあげたというのは、皆には内緒にするのよ。小間使いの人達や、この修道院にいる人達全員にあげられるほど、私はこの飴を持っていないから」


「はい」


 ファリンダは言って、うなづいた。


「それじゃあ、ファリンダ。あなたが飴を舐め終えるまでには食べ終えるから、少しの間、待っててね」


 そうして、私は再び席につき、自分の食事を食べ始めた。

 食べながら私が笑顔を向けると、ファリンダは笑顔を返してくれた。


 その時、私はファリンダとは良い友達になれそうだと直感した。


 そして、私はふと思った。

 父が私を利用しようとしなければ、きっとファリンダとこんな風に出会えることはなかっただろう。父に利用されまいと生きていくことは、結果として私の自由をせばめるだけなのではないか、と。


(……そうだ。父が何を思っていようと関係ない、私は私だ。父が何をしてこようと、私はしっかり前を向いて生きていこう)


 ファリンダの笑顔を眺めながら、私はそんな小さな決意をしたのだった。

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