アイレンルーガの婚約者
アイレンルーガ視点のお話です
俺の婚約者は仕事をしている時は、目付きが鋭い。普段は柔らかい表情なのだが誤字脱字など書類の確認をしている時、更に鋭い目をしている。
教師の採点を受けている気分だな…
フローアが書類から目を話した瞬間、執務室の緊張感が緩んだ気がした。
「こちらは大丈夫です。これはここと…それと…」
フローアは王太子妃付の事務官の女性…ベルアに指示を飛ばしている。
その時、鐘の鳴る音が聞こえた。正午を知らせる鐘だ。そう…俺の婚約者はこの音が鳴るのを心待ちにしている。
フローアは今まで鋭い目付きをしていたのだが、パッと表情を変えると俺の方を見た。
可愛いな…
「殿下…お昼…」
嬉しそうな顔の婚約者、フローアの笑顔に微笑み返した。
「食堂に行こうか」
フローアは俺のその言葉を聞くと、机の上を片付けて俺の横にすっ飛んで来た。
すごく可愛い…
執務室にいる事務官達、皆が一斉に頬が緩む瞬間だ。
俺の婚約者フローアはよく食べる。その細身の体のどこにそんな量の食べ物が収まるのか謎なのだけど、兎に角よく食べる。
婚約してからドレスや装飾品を贈っているんだが、それよりもお菓子を差し入れたりする方が、満面の笑みを浮かべてくれるのを知っている。
以前、魔獣肉の塊を贈ったら大喜びをした後
「野外で丸焼きで食べたい!」
と言って丸焼き用の調理器具まで開発していた。それを使って公爵家の庭で魔獣肉を焼くというので見学に行くと、フローアは変な歌を歌いながら
「上手に焼けましたぁ♪」
と叫んでいた。この上手に…までが丸焼き肉のワンセットなんだ!と叫んでいた。
わんせっと…どういう意味だろう?
そうして丸焼きにした魔獣肉は豪快な味だろうか…と思ったのだが、三日間も香辛料に漬け込んでいたそうで、とても良い香りがする。
フローアは自分の顔より大きな塊肉を更に大きなカルサ生地のパンかな?に包み込んで、かぶり付いている。顎が外れないかな…
「おいひぃぃ…」
本当に不思議なのだが、あんなに大きな肉を口いっぱい食べて…口元が汚れたり食べ方に品が無くなったりしないのだ。
「殿下~ありがとうございます!」
今日も大食いなフローアが可愛い…
ライフェルーガはフローアのこういう一面を知らなかったんじゃないかな?恐らくフローアもライフェルーガの前では上品な食事のとり方しかしていなかったんじゃ…
俺は上司と部下の立場になったからこんなフローアの魅力に気が付いた。何が幸いするか分からないな…
そんなある日の休日、フローアと城下町に出かけた。
フローアにお願いしたところ快く了承してもらった念願の二人きりでの逢引きだ。厳密に言えば隠れて護衛がついて来ているけれど、一応お忍びで逢引きだ。
俺が手を差し出すとフローアは笑顔で握り返してくれる。目的の店までゆっくりと移動する。通りを見ながら物珍しそうに動く翡翠色の瞳を見詰めていると、時々俺を見上げて頬を緩めているフローアが可愛い。
「着いたよ」
俺が目的の店の門扉の前で止まると、フローアはその建物を下から上に見上げてから叫んだ。
「アンファーマ!!ここ有名な菓子店ですよ」
うんうん、満面の笑顔だ。
「さあ、どうぞ妃殿下」
フローアをアンファーマの店内へと誘った。入口では既に店長と支配人が立っていて、俺達に頭を下げている。
「わああっ…あれ?お客様がいませんね…いつもいっぱいなのに…」
歓声を上げながら店内に入ったフローアは店内を見回している。
「ああ、今日は貸し切りにしたから」
「!」
フローアはよほど驚いたのか、目を丸くして俺を見上げた。
「いらっしゃいませ、お決まりですか?」
生菓子の陳列棚には色とりどりの菓子が綺麗に並んでいる。俺は手を振り上げた。
「この陳列棚に並んでいる菓子を全部くれ」
「きゃああ!」
案の定、フローアが歓喜の悲鳴を上げた。その声に嬉しくなってフローアを見ると……あれ?フローアは俺を睨んで頬を膨らませている。どうしたんだ?
「ズルいですよっ!それ私が言ってみたかったのに~」
ん?ズルい?全部くれ…をかな?
「じゃあフローアも言えば?」
何気なくそう言うと、フローアは「それはいいですね!」と言った後、満面の笑みを浮かべて陳列棚に向き合うと女性店員に向かって叫んだ。
「この端から端まで一種類ずつぜーーーんぶ下さい!」
「……っ畏まりました」
…おいっ!身振りをつけながら、陳列棚の前に立ったフローアを見て、女性店員がちょっと吹き出しかけたぞ。笑われてるぞ、フローア!
「やったーー!大人買いだ」
と叫んでいるフローアは興奮しているのか周りから生温かい目で見られているのに気が付いていないようだ。
しかし、おとながい…どういう意味だろう?
店員数名が生菓子を取り分けているのを見ていると、支配人が近付いて来た。
「殿下、菓子は店内で食べられますか?」
「あ…そうだったな。フローアここで頂くか?」
俺がそう聞くとフローアはカッ…と目を見開いた。
「勿論ですっアンファーマの極上茶葉使用のお茶も一緒に頂かないで何を頂くというのですか!」
何故だか、怒られた…
また店長も店員もフローアを見て笑っている。その生温かい微笑みは、菓子を食べ始めたフローアを見て徐々に驚愕の顔に変わって来た。
本日のフローアも絶好調だ。咀嚼速度を落とさずに笑顔のまま、菓子を次から次へと口に入れている。
「殿下はどの菓子を頂きます?」
「あ…この黒っぽいのかな」
「はい、どうぞ。これはマスマスという香辛料を使った大人な味付けの生菓子ですよ」
「詳しいなフローア」
「自分でアンファーマに来るのは初めてですが、ミナに頼んで買ってきてもらったことがあるんですよ。いつも店内は女性客でいっぱいだとかで、私一人が買い占めをするのは気が引けるので、泣く泣く10個だけ買ってくるようにお願いしていたのです」
「10個……」
「だから念願の『大人買い』が出来て嬉しいです~嬉しさのあまり全種類いけそうですね!」
「……そう」
全種類いけそう~と言いながら笑顔で咀嚼速度は落とさず…既に半分は食べているフローア。しかも合間に菓子の薀蓄を挟み込んでいるので、店長も支配人もいつの間にか前のめりになってフローアに質問や味の感想を求めている。
「ミルクを使って発酵させたものを菓子に使えませんかね~」
「おおっそれはどういう感じで?」
「よく似た食材でキーバという発酵させた香料がありますよね。パンに塗る…あれを…」
一旦、菓子を食べるのを止めて支配人と店長に熱く熱く、食べたい菓子の要望を話すフローア。
翡翠色の瞳はキラキラと輝いている。話しながら興奮しているのか、頬を染めている姿はとても可愛い…店長も支配人も思わずそんなフローアに見惚れているのが分かると、俺は咳払いをした。店長と支配人は俺の咳払いに気が付いて姿勢を正した。
「…失礼しました、フローア様のご教授、参考にさせて頂きます」
支配人がそう言って微笑むとフローアも微笑み返している。支配人が笑ってるの初めて見たな。
フローアと話していると、毒気が抜かれるんだよな…
再び、菓子を食べ始めたフローアは俺を見てきた。
「あのぉ殿下、お土産に焼き菓子の詰め合わせを買ってもいいですか?」
何故、そこで上目遣いで俺を見るんだ?分かっててやってるのか?
「ああ…いいよ、全種類買っておいで」
フローアは笑顔になると「ちょっと失礼」と言ってまた陳列棚に向かって行った。フローアが立った後、自分達の座る席に置いてある菓子の乗った皿をよくよく見ると……既に全部食べてしまっていた。
そんなフローアはまた店員に向かって叫んでいる。
「焼き菓子を全種類、全部っぜーーんぶ下さいな!」
本当にあの体のどこに収納されているのかなぁ…




