三毛猫と少年
「にぁーお…」
どこからだろう?猫の鳴き声がする。夜も更けた時間なのにと思いながら、猫はどちらかといえば夜行性なのかと思う。夜中には猫の集会とかあると聞くし。
まあそれはどうでもいいか。明日は週末、彼女と街へお出かけだ。朝怒られないように早く寝ないと…
その後も鳴き続ける猫の声を聞きながら、ボクは布団を被り直した。
「…いつも思うんだけど、キミは飽きたりしないの?」
「何に飽きるって言うの?」
相変わらず彼女はご機嫌な感じで、軽くステップを踏む様に歩く。特に変わった景色でもない、ありふれた雑踏を。
ボクにはそんな景色を楽しむなんて出来ないけれど、楽しそうな彼女を見ているのは素直に嬉しい。なんだかこちらまで和んでしまう。と、彼女は突然一つのお店の前で立ち止まった。
「何をしているの?」と聞きそうになりながら、言葉にする前に理解する。どうやらボクに開けて欲しいらしい。
そんな彼女を微笑ましく思いながら、お望みどおりに扉を開けて差しあげる。お店に入る彼女の満足そうな表情を見てしまえば、このくらいお易い御用だ。むしろこちらから開けさせて欲しくなってしまう。
そんな風にあちらへこちらへと歩く彼女を眺めるボクの視界に、一人の少年が映った。小学生くらいだろうか?何かを探すようにキョロキョロと忙しなく動いている。ボクは思わず足を止めた。
「どうしたの?」
「うん、子供がね。何かを探してるみたいなんだ」
「…?どこにも居ないよ?」
ボクの視線の先を追った彼女は、不思議そうな顔で首を傾げる。そんな筈はない。ついさっきまで居たはずなのに…。彼女の言葉に今度はボクが首を傾げて辺りを見やる。
「あれ?その路地の辺りに居たんだけどな…」
おかしい。本当に、ついさっきまで少年が居たのだ。僅かに目を離した隙にどこかに行ってしまったのだろうか…はたまたボクの見間違いか…
少し不安気な表情が出ていたのだろう、彼女はボクを見て優しく微笑んでいた。なんだか見透かされているようで面映ゆい。思わず顔を背けてしまった。
「アハハ、大丈夫だよ。まだ暗くなるには早いし」
「それはそうなんだけど…」
確かにまだ日は落ちていないし、人通りもそれなりにある。問題ないと言えばその通りだし、なによりボクの見間違いなのかもしれない。
それでも、もしさっきの少年が見間違いではなく本当に探し物をしていたのなら…もしかしたら誰かとはぐれてしまっていたのだったら…そう思うと不安になる。
「仕方ないなぁ、じゃあ探そっか!」
また表情に出ていたのだろう、彼女はわざとらしく首を振りながらも、笑顔でボクの腕を掴み歩き出した。
「ところでさー」
彼女はキョロキョロと辺りを見回しながら、思い出したように声をかける。少し意地悪な表情を浮かべているのは気のせいだろうか?
「君はその少年を仮に見つけたとして、どうするつもりなの?」
彼女のニヤニヤは止まらない。どうやらボクの考えていることなど、全部お見通しとでもいうように。そして彼女のその推測は正しいだろう。
「…困っているのなら、何かしてあげたい、と思ってるけど…」
彼女の表情は意地悪なニヤニヤから、優しい表情に変わる。やっぱり、といったような表情だ。ここまでボクの内面を見透かされてしまうと、もういっそ清々しいくらいだ。…しかしボクはそんなに考えが顔に出るのだろうか?
「んー、顔に出てるっていうより、君ならそうするだろうなぁ…って感じかな?」
「…別にそんないつもお節介をしているつもりはないんだけどな…」
ボクは気恥しさを隠すように、そっぽを向きながら頬を少し掻く。…ボクだって誰彼構わず手を差し伸べようなんて思っていない。基本的にはあまり人とは関わらないように暮らしたい方だ。それでもやはり困っている人を見てしまったら、それを無視する事は難しい。自分でも難儀な性格をしていると思ってはいるが、そこだけはどうしても譲れない理由がボクにはあるのだ。
「ま、私は君のそんな所を気に入っているんだけどねー」
相変わらずキョロキョロと探しながら、なんということもなくそんな事を言う彼女。ボクの鼓動が少し早くなった。もしかしたら顔が赤くなっているかもしれない。そんな自分を誤魔化すように、ボクは歩く速度を早めた。
それから程なく、ボクは少年を遠目に見つけた。少年はやはり先程と同じように何かを探しているようで、こちらに気づいた様子はない。ボクは驚かせないように、ゆっくりと少年に近づいた。
「えっと、もしかして何かを探してるの?」
なるべく怖がらせないように、優しく声をかけたつもりだった。…だったのだが…
「!待って!」
少年はボクの姿を見ると驚いたように顔を上げ、そのまま走り出し角を曲がった。正直、この反応はかなりへこんでしまう。
「行っちゃったね…。どうするの?」
こういう時の対応が一番迷ってしまう。本当に困っているのなら、諦めず追いかけて手助けするのも一つの方法なのだろうが、それだとただの自己満足にしかならないのではないかとも思ってしまう。拒絶されたのなら、そこで関わる事を諦めるのも正解な気がする。過ぎたるは何とかという奴だ。以前のボクなら、ここで間違いなく後者を選んでいただろう。ボクはなるべくなら人と関わりを持たずに生活したい人間なのだ。だったのだ。
「…走って追いかけたら、また逃げられるかもしれないし…。なるべくゆっくりと、でも見失わないように追いかけよう」
この選択は、或いはもう少し大きな子供や大人だったら選ばなかったかもしれない。しかし今回の相手は小学生くらいの子供だ。知らない人には着いて行かない、という当たり前の行動を取っただけかもしれない。ならばもう少しボクも諦め悪くお節介をしたっていいだろう、と自分を納得させる。
彼女を見れば意外そうな表情など少しもなく、むしろ「やっぱり」といった表情で頷いた。
「でもあんまりゆっくりだと見失っちゃうよ?」
そこの加減が難しいところだ。普通に歩くくらいの速度でも大丈夫かな…などと一人悩んでいると…
「あれ、さっきの子だよね?なんか君の事見てるよ?」
彼女の言葉に視線を向けると、確かにさっき逃げたはずの少年が、角からこちらを伺うように顔を出していた。と、ボクの視線に気づいたのかまた姿を隠してしまった。
「待って!」
思わず追いかけてしまった。何がゆっくりだ。体が勝手に動いてしまったのだから仕方ない。そのままの速度で少年を追いかける。
「…って、あれ…?」
ボクは角まで来て首を傾げた。後から来た彼女も同じように首を傾げる。
…居ないのだ。さっきまで確かにこの角に隠れていたはずなのに…
狐につままれたような気持ちになりながら、辺りを見回す。気づいたのは彼女が先だった。
「あ、あそこ!そこの角だよ!」
見ればいつの間に移動したのか、少し離れた角から少年はさっきのようにこちらを伺っていた。しかしボクの視線に気づくや否や、先程と同じように姿を隠す。なんなんだ一体…多少の苛立ちを覚えながら、ボクは少年を追いかける。当初の目的と何か変わっている気もするが、とにかくあの少年に追いつかなければと思った。
近づいたと思ったら居らず、また別の角からこちらを伺う。そんなちょっと変わった鬼ごっこを続けながら、ボクは少年を追いかける。
「ハァハァ…あれ?ここって…」
どれくらい続けていただろう。見慣れた風景にボクは立っていた。そこは家の近くにある小さな公園だった。遊具なんてない、少し大きな木があるだけの小さな公園。それに気づいたのは彼女が先だった。
「木のとこ、何かいる…」
公園に立つ木の根元、そこにはぴくりとも動かない三毛猫が横たわっていた…
「結局、なんだったんだろう…」
帰り道、ボクは誰ともなく呟いた。
「…見つけて欲しかったんだよ、きっと」
横を歩く彼女が遠い目をしながらそう零す。
あの後、三毛猫はあの木の根元の多少掘りやすい所に穴を掘って埋めた。あちこち傷だらけのその姿に心を痛めながらも、ボクにはそれしか出来ることがなかった。死んでしまっているものをどうにかなんて、奇跡でもない限り出来るはずもない。三毛猫が安らかに眠ってくれる事を祈るくらいしか出来ない。
ボクは疑問に思っていた事を彼女に聞いた。
「…あの少年がボクをあそこまで導いたのは?」
「それはきっと君だからだよ」
彼女は優しい笑みを浮かべながらそう答える。なんだろう、答えになっているようななっていないような…正直よくわからない。
「あの少年は実は三毛猫で、自分の死体を見つけてもらうためにボクの前に現れた…そういう事?」
「そうだね。少なくとも私はそう思うよ」
なんとも不思議な話だ。三毛猫の、それも幽霊が自分を見つけて欲しくてボクの前に現れた。とても信じられた話ではないが、彼女が言うのならきっとそうなのだろう。だって彼女も幽霊なのだから。
「君は優しいから…きっとあの子もそれに縋りたかったんだよ…」
「…優しい…のかな?ボクは自分ではそうは思わないけれど…」
「過ぎた謙遜は却って嫌味になるよ?あまり自分を卑下しちゃダメだよ。君は優しい。私が保証してあげる」
自分ではあまり分からないけれど、彼女の言葉なら信じられると思った。ならばボクはボクに、もう少し自信を持ってもいいのだろう。たぶん人はそうして成長していくのだろう。
そんな風に思いながら、ボクは新たに湧いた疑問を彼女に訊ねる。
「あれ?でも、優しいからって幽霊が見えるものなのかな?」
「うーん…それは私にはわかんない」
ちょっと申し訳なさそうに彼女は笑った。しんみりして暗くなった雰囲気を、その笑顔が少し変えてくれた。
布団の中で、ボクは今日の出来事を思い返す。彼女の言う通り、きっと少年は三毛猫だったのだろう。…そして自分を見つけて欲しくて現れた。
三毛猫の少年は自分の心残りが無くなったから、その後一度も姿を現さなくなったのだろうか?事実あの公園での出来事から今まで、少年は現れていない。だとすると…
「…やっぱり彼女も、いつか消えてしまうのかな…」
きっとそれは当たり前で正しい事なのだろう。でもそれを認めたくない自分が居るのも事実なのだ。正しさだけではどうにもならない事だって、きっとあるのだ。
そもそもボクは彼女をどう思っているのだろうか?好きな事はたぶん間違いない。間違いないのだか、果たしてこれは恋なのだろうか…
意識してしまうと、頭の中がグルグルと混乱を始めた。どうしたいのか、どうしていいのかわからない。
ボクはそれ以上考える事を放棄して、頭まで布団を被った。もう今日はこのまま眠ってしまおう…
「にぁーぉ…」
意識を手放す寸前に、猫の鳴き声が聞こえた気がした。それはどこか温かな音色を持って…