第二話
次の日。
日が高くなりきる前に、ソラはルイシュの家を訪ねた。
「おはよう」
中からゴソゴソと音がして、ルイシュが顔を出す。
できるだけ愛想よくソラは笑ってみせた。
「案内される前に、患者の様子を見に来たわ」
「……おはよう」
ルイシュは寝起きなのか、少し不機嫌そうな顔でソラを家の中に通す。
昨日はぐったりとしていたアロルドは、今日は目を覚ましてその体を半分起こしている。
「誰だ?」
少し不信感の入り混じった声に、ソラは小さく頭を下げる。
「正確には二度目だけど、初めまして。君の熱が高いって、ルイシュに呼ばれた薬師。本来の目的の一つは、この里にいる淫魔の女性に会うこと。今日は案内してもらえるって話だから、そのために来たの」
「そうか、ルラ兄が……」
「アロルド君ね。薬の効果を確認したいから、様子、確認させてもらって大丈夫?」
「あ、あぁ」
ソラの勢いに押されたのか、アロルドは戸惑ったようにうなずいた。
後ろで水を注ぐような音がする。ルイシュがなにかしているのだろう。
「失礼」
ソラは少年の前にしゃがみこんで視線を合わせる。
額に手を当ててみたが、熱は下がっているようだった。
「ちょっと舌を出してくれる?」
「舌?」
言われるがまま、アロルドは舌を出す。
少し赤く荒れている。
「はい、おしまい。薬がきいて、熱は下がっているみたいだけど、やっぱり水分が不足しているみたい。また熱が上がると思うから、なにもないなら無理せず寝てたほうがいいね」
「ありがとう。姉ちゃんの薬はよく効くんだな」
「特別性だからね」
ソラは仕事ぶりを褒められて、作りものでない笑顔を浮かべた。
「姉ちゃん、名前は?」
「あぁ。ごめんなさい。私はソラ」
「よろしくな! ソラ姉ちゃん」
ルイシュとは違い、人懐っこい質なのだな。
そう思ってソラも口元を緩める。
「よろしくアロルド」
アロルドの警戒心はひとまず解けたようだ。
ソラの瞳を覗き込んで、首をかしげる。
「ソラ姉ちゃんは、母さんに会いに来たのか?」
「母さん? 君は淫魔と竜人の間の子なの?」
マジマジとアロルドを観察する。
黒い髪は竜人でも淫魔でも見る特徴だが、水縹色の瞳は、確かに竜人にはあまりない特徴だった。生粋の竜人なら、瞳は同じ青でももう少しくすんだ色となりやすい。
「兄ちゃんと俺は、母さんが淫魔だな。でも母さんは去年なくなったけど」
「そうなの? 私が会いに来たのは、3年位前にこの村の竜人の番になったはずだから、アロルドのお母さんじゃないと思う。年が合わないから」
「そっか」
アロルドは少しがっかりしたような顔で頷いた。
「兄ちゃんて、ルイシュ?」
「いや、ヴィット兄ちゃん。兄ちゃんはこの村にはいないんだ。番を見つけて出ていったからな」
「そいつは従弟だ」
後ろからそう声をかけられて、ソラはルイシュの方を向いた。
いつのまにか汁物ができている。
「できたぞ、来れるか?」
「おぉ。ありがとな、ルラ兄ちゃん」
アロルドは寝床から降りると、ルイシュの側によった。ルイシュはアロルドの分を、汁椀に取り分けて渡す。
「食べたら今日は寝ておけ」
「あぁ。悪かったなルラ兄、心配かけて」
「別にいい」
水瓶と小さな釜。家の中に小さいながら台所があった。
料理はルイシュが行ったのだろう。ソラにも馴染みのある香草の香り。
二人を眺めているソラに気づいたのか、ルイシュは片目を眇めてソラを見やる。
「何だ。……あんたも食うか?」
「いや、私は結構。食べてきたから」
汁物の中には2~3の具が浮いている。中身はソラの位置ではよく見えない。
パンは無いのだろうか。飲み物は? そういえば昨日もすんなりと水が出てきた。どうやらエールやワインを飲む習慣は無いようだ。近くに川もあったことだし、水源に不足はないのだろう。
「おい!」
ソラはルイシュと目線を合わせる。
「あ、ごめん。何?」
「何を見ている」
「あぁ。ごめんごめん。考え事。不躾だったね、失礼」
ソラの反応に諦めたのか、ルラは床に座ると汁物を流し込む。
ろくに味わう様子もない。そのまま水で汁椀を流すと、棚の上に汁椀を伏せておいた。
「行くぞ」
「あ、うん。じゃあアロルド、お大事にね」
「またなー。ソラ」
細い路地を歩き出したルラの後に続いて歩く。
村の奥へと進むと、外から見たとき明らかに作りの違った区画の前で止まった。
「この先だ。……多分、道なりに行って、2つ目の角を左に曲がった2軒めだ」
「ここ?」
ルイシュの住んでいた場所とはうって変わって、強固な柵が並び、屋敷もそれなりに立派なものが並んでいる。
「ずいぶん町並みが違うのね」
竜人にも貴族社会があるのだろうか。その割には村の中は地続きだ。
「あっちは番持ちの区画だ」
「? こっちは?」
「番がいない」
番、とは竜人における配偶者に相当する概念、のはずだ。
ソラは竜人に対し、事前に仕入れてきたはずの情報を思い返す。
竜人は、番を作る。番以外とは性交せず、異常な執着を見せる。竜人は番を害されるのを最も嫌う。
何をどう考えても、家の作りが違う理由がわからない。
「番がいるとお金を持つの?」
「……番をボロ屋にすませるわけ無いだろう」
その答えに、今ひとつ納得いかないものを感じたが、うなずく。
質問してもこれ以上の回答は引き出せないだろう。
「ありがとう、ルイシュ。またね」
言われたとおりに2つ目の角を左に曲がり、2軒目の家の前に立つ。
一呼吸置いて、扉を叩いた。
中から、人の動く気配がする。だが声がかからない。
もう一度扉を叩くと、小さな声が聞こえた。
「だぁれ?」
「川向の里のソラです。里長からお届けものです」
「ソラちゃん?」
戸惑ったような気配のあと、細くドアが開く。
「こんにちは、初めまして」
「本当に、川向の里のソラちゃん?」
「えぇ。ローラさん。里長から届け物です」
細い隙間から荷物を差し出すと、ローラは扉を開けてソラに抱きついてきた。
肩が冷たい。泣いているのだろうか。
「ここに来ちゃだめよ。ここは竜人の里なのよ?」
「もちろん。存じ上げておりますよ」
しゃくりあげている背をぽんぽんと叩きながら、依頼された手紙を渡す。
ローラは、それをぎゅっと握りしめた。少しソラから体が離れる。覗き込むと、若葉色の大きな瞳からは大粒の涙が溢れ出していた。
「みんな元気?」
「大きな問題はないようです」
「ありがとう、ソラちゃん。本当ならもっとお話したい。お家にもお招きしたいけど……」
ローラは涙を流したまま、ゆるく首を振った。
ソラは指先でその涙を拭う。
「もう行きます。番の竜人に見つかると厄介です」
「そうね」
足元を見て、寂しげにため息をつく。
ローラの豪奢なアンクレットには、金でできた鎖が繋がっていた。
「お手紙、ありがとう」
「もう一人、ここにいるはずですが、ご存知ですか?」
「亡くなったわ。……遺髪を、預かっているの。里に運んでもらえる?」
「もちろん」
ソラがうなずくと、一度ドアがしまる。そう待たないうちにもう一度扉が開いて、そっとハンカチに包まれた遺髪を渡された。
「これを」
「預かりました」
「本当にありがとう、ソラちゃん」
最初よりは幾分スッキリした面持ちで、ローラはソラの髪を撫でる。
「愛してるわ。家族の顔が少しでも見れてよかった」
「私もです」
「さ、行って。そろそろ帰ってくるから」
「はい。では」
そっとしまった扉に、ため息をつく。
光を反射する金色の髪。飾られている宝石だって大きくて豪華で、白い手は爪の先まで綺麗なものだ。
足元の鎖がなければ大切にされていると思っただろう。
踵を返して先程の入り口まで戻る。
ルイシュはまだそこに立っていた。
「あれ、まだいたの?」
「あんたが万が一番を逃しでもしたら俺が殺されるからな」
「親切ね。大丈夫よ、逃したりしないし、出来ないから」
ソラはハンカチと共に遺髪を袋に入れ、荷物の中にしまう。
「さて。お使いは終わった」
「帰るのか?」
「まさか。お使いはついで。別の目的があるの。一週間ぐらい滞在する。ありがとうルイシュ。しばらく隣の空き家を借りて商売する気だから、よければ宣伝しておいて」
ソラはひらひらと手を振ると、ルラをおいて空き家に帰っていった。