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第一話

 麓の里からそれなりに歩いて、やっと目的地が見えてきた。


 竜人の里に向かうつもりだから届け物はあるのか、と親切心で父親に声をかけたとき、里の皆に大反対された理由の一つはこの便の悪さだっただろうか、そうではなかったはずだけど。


 そんなことを考えながら、ソラは目を細めて光の向こうに見える竜人の里を見上げる。

 体に鎖で巻き付けてある宝石を隠すためのマントは、陽射しと良からぬ人間の目は隠してくれるものの温度を下げてくれるわけではない。

 マントの下のシャツもショートパンツもしっとりと汗で濡れている。しゃらりと鎖の音が響くが、それすらも耳障りだ。

 肩にかけた荷物は、寝袋などかさばるものはだいぶ麓の村においてきたというのにそれでも肩に食い込む。

 里の人間は成人男性の足なら1時間程度と言っていたが、ソラの足では倍はかかった。

 上り坂はひどく体力を使う。


 もう少し。そう考えて少しペースを上げた。

 村の境界を示すのだろう低い木の柵の横を通り過ぎると、そこに12〜3歳に見える少年が立っていた。

 意図的に、にこやかな表情を作って、ソラは少年に声をかける。


「そこの少年、こんにちは。悪いけどここに淫魔の女性はいない?」


 ソラの呼びかけに、少年はビクリと肩を震わせてこちらに視線を向けた。

 竜人にはよく見られる茶色い髪と、赤褐色の瞳。褐色の肌に鱗。まだ幼体だろう。

 出かける途中だったのか、竜人独特の武器である大剣と、麻袋を背負っている。


「……あんたは?」


 少年の声は警戒心に満ちていた。

 閉鎖的な竜人の村だ。旅人というだけで不審者だろう。

 ソラはこれ以上警戒心を煽らないように、できるだけ明るい声で答えた。


「今は旅の薬師かな。お使いを頼まれてて」

「くす、し?」


 少年は驚いたように目を見開いた。

 その反応に、ソラは首をかしげる。その反応には覚えがある。すぐに表情を引き締めた。


「誰か病気?」


 もしかしたら、医者でも呼びに行くところだったのだろうか。

 そう考えたソラの問いかけは、逆に少年の警戒心を煽ったようだ。先程より険しい目で睨みつけられる。


「本物か?」

「へぇ」


 そっと、心がくすぐられるのを感じた。


「本物の定義は?」

「は?」

「なんで本物かって聞いたの? 判断基準は?」


 少年の顔がみるみるこわばっていく。


「……何者だ?」


 あ、失敗した。

 考えてみれば当たり前の結末だ。不審者にそんなことを聞かれて不審に思われないはずがない。

 

「失礼」


 仕切り直して、警戒心を解くためにソラは一歩、後ろへ下がる。マントの中で、鎖がしゃらりと音をたてた。

 残念なことに、その音がより警戒心を強めたようだ。少年はがっちりと背負っていた大剣の柄を掴んだ。

 ついでに無抵抗を表すために両手を上げてみせた。


「一応薬師。本物かって言われると証明する手段はないけど。暫定旅の途中。信用出来ないのは仕方ないね。私の目的はひとまずこの里で竜人の番として住んでる淫魔の女性に会うことで、淫魔の女性のとこに案内してほしい」


 少年は大剣から手を離さない。

 ソラは少し考えて、懐にちょうどいいものが入っていたことを思い出す。


「ちょっと物出すけど、斬りかからないでね」

 

 そう断りを入れて、懐から、小さな袋を取り出す。


「これあげる」


 差し出したものの、もちろん少年は手を伸ばさない。


「……なんだこれは」

「商売品。薄荷茶。さっぱりするから。はい」


 再度押し付けるように袋を差し出すと、少年は恐る恐る左手でそれを受け取った。だが右手は相変わらず柄から離そうとしない。眉間にシワを寄せたまま、片手で袋を開けて香りを嗅ぐ。


「どう?」


 覚えのある香りだったのか、眉間の皺が僅かに緩んで、入っていた力が徐々に抜けていく。

 やっと少年は柄から手を離した。

 両手で袋の口をそっと閉じると、持て余した様子で手元の袋とソラを交互に見つめる。


「それは贈り物。もし病人なら先に見てもいいよ。淫魔の女性に会うのは急ぎの用件じゃないから。お代は病人を見て応相談、もちろん断る権利は君にある」


 少し考えて、少年は袋を懐にしまった。


「……支払い、現物でもいいか?」


 なんとか警戒心を解くことに成功したようだ。


「とりあえず案内して」


 少年はくるりと反転すると村の奥へと歩き出した。

 着いてこい、ということか。そう判断してソラはその後に続く。

 そう歩かないうちに、小さな広場にたどり着いた。一気に視界がひらける。ソラが辺りを見回すと、広場を囲むように商店が、その奥には粗末な掘っ立て小屋が並んでいる。

 そして広場を奥に行くと随分と立派な建物が立ち並んでいた。その奥は壁のように森の木々が見える。

 少し気をそらしたうちに、少年は随分先を歩いていた。小走りでソラは少年の後ろに並ぶ。


「あんた」

「少年、名前は?」

「ルイシュ」

「そ」

「あんたは?」

「ソラ。あっと、終わったら宿も紹介してくれる? しばらくこの村に滞在したいの」


 ちらりと振り返って少年……ルイシュはため息をついた。


「この村に宿なんてあると思ってるのか?」

「ないの? まぁ別に野営でもいいけど」


 そう答えたものの、野営の道具はほとんど麓の里に預けてきてしまった。

 ここには番として各種族の女性がいるのだ。宿くらいあるだろう。そう考えていたのに、竜人の閉鎖性を甘く見ていたようだ。

 そんなことを考えているうちに、ルイシュは脇道を進んだ先にある一軒の小屋の前で足をとめた。

 外壁は木がぼろぼろだ。それとなくあたりを見回しても、このあたりはどの家も似たようなものだった。


「ここ?」

「あぁ」


 これは貨幣での支払いは望めそうもないな。現物を楽しみにするか。

 そう考えて、ルイシュの後に続いて布で仕切られた扉をくぐる。

 内装も外装と変わらず粗末なものだ。藁の上に小柄な少年が横たわっていた。


「さて。彼が患者でいいの?」

「あぁ」


 ソラは少年の傍らに膝をつく。

 少年は明らかに赤い顔をして、荒い呼吸を繰り返している。


「患者の名前は?」

「アロルドだ」

「じゃあとりあえず見てみましょうか」


 肌に斑点模様や不自然な痣、傷などは見当たらない。

 額に手を当てて熱を見る。思っていたよりもだいぶ高いようだ。

 唇が乾いてひび割れていた。肌も髪も荒れている。難しい病気、というわけでもなさそうだが、明らかに脱水と栄養失調の症状は出ていた。


「見たとこ栄養失調と風邪。熱はいつから下がってないの?」

「昨日からだ」

「薬飲ませたいから水持ってきておいて。その後で。体拭く用の水も」

「あぁ」


 べたりと張り付いた髪を指先で拭う。ソラの手が冷たかったのか、アロルドは身を捩った。だが目を開ける様子がない。

 一旦熱を下げなければ危険だろう。

 荷物の中から熱冷ましが入った袋を取り出す。袋を開けて一回分を小分けにすると、ルイシュが、ソラの指示通りに銅製の器に水を運んできた。


「ありがとう」


 ソラは寝ているアロルドの下に体を入れると、うっすら開いた唇に薬と水を流し入れた。

 嚥下したのを確認して、またゆっくりと体勢を戻す。


「水分が足りてないみたい。とにかく水を飲ませて。あと消化に良いもの食べさせて」

「あぁ」

「熱の薬は3回分だすね。熱が高いときだけ飲ませること」


 熱冷ましを3回分分けて、小袋に入れるとルイシュに渡してやる。


「汗かいてるから体拭く。あと着替えもあればほしいかな」

「あぁ。それは俺がやる」

「はい。じゃあとりあえずできることはこんなとこかな」


 ルイシュは追加で持ってきた水に布を浸してアロルドの体を拭き、服を着替えさせた。

 そうこうしているうちに薬がきいてきたのか、先程より呼吸が穏やかになっている。どうやら無事効いたようだ。ルイシュも微かに頬を緩めた。


「助かった」

「それは何より」


 とりあえず薬師として信用はされたようだ。

 ソラは本題を切り出す。


「さて、薬代は払えるの?」

「いくらだ」

「んー。まぁ熱の薬だけだし。飲ませた分含めて、銀貨5枚かな」


 値段を聞いて、ルイシュは一瞬ビクリと揺れた。

 銀貨5枚というと大体一月の食費くらいだろう。薬代としては法外な値段ではない、むしろ安いくらいだが、このボロ屋に住んでいるルイシュには大金だろう。

 値段は伝えたものの、ソラだってルイシュにそんな金額が払えるなんて微塵も思っていない。


「体で払ってくれてもいいよ。即金で出ないでしょ?」


 にっこり笑ってそう言った。

 むしろソラとしては体で払ってくれた方がいい。


「何をさせるつもりだ?」


 ルイシュは、腰の引けた様子でそう問いかける。


「まぁ、別に奴隷になれとか言いたいわけじゃないから」


 ソラは自分の荷物の中から試験管を取り出す。


「ほしいのは君の血液。量はこのくらい」


 硝子瓶の8分目位を指差す。

 もちろんこのぐらいの分量で死ぬことはない。

 だがソラの提案が意外だったのか、ルイシュはまじまじと試験管を見た後、眉をしかめた。


「血なんて何に使うんだ?」


 何に使うのか知りたがるということは、比較的好感触だな。

 そう考えてソラは試験管を振る。


「一部の薬に使えるから、結構するの。亜人の血液は。君はまだ成体じゃないでしょ?」

「よくわかったな」

「そりゃあね。で、幼体の竜人の血液は珍しいし高いの」


 ルイシュがなんとも言えない目でソラと試験管を交互に見る。

 明らかに困惑していた。

 もうひと押しだな。そう判断して、ソラは追加で荷物から注射器を取り出す。


「これ。先端が中空の針になってて、これを君の腕に挿して吸い出すから。ちょっと痛いとは思うけど、傷口も目立たないし、もちろんこのぐらいの量なら健康に影響もないでしょ?」


 新たに増えた注射器に、明らかにルイシュは嫌悪の表情を見せていた。

 だがきっとルイシュはこの申し出を受けるだろう。


「で、どうする?」


 ソラは確信を持って問いかける。この申し出は、ルイシュにとって破格のはずだ。

 ルイシュはじっと注射器を見つめた後、ためらいがちに頷いた。


「……体で払う」

「それはどーも」


 ソラは紐と皿を取りだして、注射器と試験管、紐を2本。まとめて皿の上においた。

 合わせて小瓶と布を取り出して、皿の上に重ねる。

 荷物の脇に座り直して、ルイシュに向かう。


「んっと、ちょっと座って」

 

 ルイシュは及び腰で、ソラに向かいあうように座った。

 ソラは懐から紙と筆記具。荷物から革装丁の本を取り出す。


「今日は、統一歴822年4月5日、採血者の名前はルイシュ。男性。竜人の幼体」


 革装丁の本の上に紙を広げて、文字を書き付けていく。


「今の年齢は?」

「15」

「15ね。特徴として褐色の肌、焦げ茶色の髪、ゆるやかなくせ毛。静脈の血の色の瞳、頬部に黒灰色の鱗が3枚。ってとこかな」


 そこまで書き終わると、くるくると紙を試験官に巻き付け、出してあった紐で括る。


「じゃあ始めるね。腕出して」

「……左でいいか?」

「どちらでも」


 ルイシュはためらいがちに左手を出した。ソラはその手を掴み、肘を伸ばすと二の腕に紐を巻きつける。

 小瓶の蓋を開けて、布に液体を垂らす。自分の手を清めた後、ルイシュの腕にこすりつけた。

 ヒヤリとした感触に、ルイシュは眉をしかめたまま腕を見る。


「これは?」

「あぁ。お酒。強いやつ」


 ソラは気にした様子もなくルイシュに注射器を挿し入れた。


「っ!」

「あ、ごめんごめん。手、強く拳握って」


 注射器の中に血液が溜まっていく。八分目まで抜いたあたりで、針を引き抜いた。

 布を当てて傷口を圧迫する。


「血が止まるまで押さえといて。その布は使い終わったら捨てて」

「……わかった」


 注射器から試験管に血液を移して、封をする。ルイシュの瞳と同じ色に揺れる血液に、ソラは唇を緩めた。


「ご協力どうも。お金に困ったらいつでもどうぞ」


 そう告げたとき、布で傷口を押さえているルイシュの腕は桃色に染まっていた。


「あれ、もしかしてお酒飲めない?」

「は?」

「ごめんね。赤くなっちゃった。ま、ひどく腫れてないし、大丈夫だと思うけど。気になるようなら後で洗っておいてね」


 荷物の中から保冷箱を取り出して、試験管を中に入れると、血に汚れた注射器を布で包んで荷物の中にしまい直す。


「で? ルイシュ。この村に淫魔の女性はいない?」

「……いる」

「案内してくれる? もちろん、嫌なら断ってもらって結構」


 ルイシュは眉間の皺を深くして、立ち上がった。

 圧迫していた布を取り外して、棚の上に置く。


「入り口までなら案内してやる」

「入り口?」

 

 ソラは首をかしげたが、それに答えてくれる気はないらしい。

 さっさと外に出たルイシュに続いて外に出ると、もうすっかり日が暮れていた。


「ちょっと人様のお家を訪ねるには遅いかな」

「そうだな。やめたほうがいい。もう帰ってきてるだろうしな」

「うんうん」


 ソラはあたりを見回す。

 日が落ちきる前にどこか泊まれる場所を探さねば。


「さって、宿……というか寝れる場所? 探さないとね」

「……泊まりたければ、そこが空き家だから使えばいい」


 ルイシュは、隣の家を指差す。


「本当? ありがとう。私はついてるね」

「川はそこの道を下ったところだ」


 家とは逆側を指差す。

 ルイシュが指さした先には、木の陰に隠れていたが獣道に続いて小川が見えた。

 ソラは小さくうなずいた。


「ありがとう、ルイシュ。じゃあ、また明日。案内よろしく」

「あぁ」

これから毎日1話ごと投稿予定です。

よろしくお願いいたします。

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