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透明な僕と勿忘草

作者: 猫上紅葉

開いてくださりありがとうございます。

季節外れですが夏が恋しくなって書きました。

感想や評価いただけると幸いです。



 夏、青空、アスファルトの上の逃げ水。

 そんな、おそらくは茹だるような暑さの下、僕はただ一人で立っていた。

 蝉の声が耳を襲う。

 八月の初め、幾らか遅い梅雨が明けたばかりだというのに、じりじりと照り付ける日差しはまるでブランクを感じさせない。

 

 今朝の予報によると今日は猛暑日らしい。

 そして、にわか雨に注意だそうだ。

 これだけ晴れているのに、お天道様の気持ちは複雑らしい。 


 そんな取り留めのないことを考えていた僕は、遠くに小さな人影を見つけた。

 その少女は、空色のワンピースに縁の広い麦わら帽をかぶり、いかにも夏を感じさせる格好をしている。

 華奢な体躯と白い肌も合わさって、どことなく僕は勿忘草を連想する。

 一足先に枯れていった花の中で彼女だけが取り残されたのだろうか。

 名前通りの花言葉を思い出して、妙に納得してしまった。


 ――そう、多分彼女は死にたがりなのだ。


 僕は線路の上に咲く彼女を、ただ漫然と眺めていた。

 



***




――貴方の名前を教えてもらってもいい?


 気が付くと、僕の前に勿忘草がいた。

 近くで見た印象も、当初と変わりはなかった。

 歳としては僕とあまり変わらないだろう。中学生か高校生か。何となく、僕と同じ高校生のような気はする。少し長めの黒髪と落ち着いた雰囲気がそう感じさせているのかもしれない。


 あの後、彼女が線路の上からホームにいる僕に気付くのにはそう時間はかからなかった。彼女は僕の姿を見つけるとすぐにこちらに向かってきた。僕としても別段避ける理由も見当たらなかったので、ただ彼女が近づいてくるのを待っていた。


 彼女は僕にかける言葉を迷っていたようなので、僕の方から声をかけてみることにした。

 単刀直入に、僕は彼女に質問を投げかけてみた。

 

 ――君は死ぬつもりなのかい、と。


 それを聞いた彼女は、一瞬目を見開くと、くすりと笑った。


 ――そう見えたの?


 いたずらな笑みを浮かべる彼女の様子を見ると、どうやら僕の目論見は外れたらしい。安堵と落胆の入り混じった複雑さを感じながら、僕はホームにあるベンチに腰を掛ける。寂れた無人駅というだけあって、ベンチも少しすすけた木製のものだ。隣に座ろうとした彼女を、服が汚れるといけないと制止した。

 気を使ったつもりだが自分だけ休むというのも何か罪悪感があるな。

 僕はほどなく腰を浮かせて再び立ち上がることにした。


 少し歩かないかと彼女を促すと、二つ返事で彼女は僕の横に並ぶ。

 特に行く当てもなかったが、彼女のことを考えるとここの日照りは少しきつすぎるではないかと思ってのことだ。我ながら紳士的対応ではないだろうか。


 歩き出して、幾ばくか。

 冒頭の彼女の台詞に繋がる。

 

「……芹沢」

「芹沢くんね。下の名前は?」

「秘密」


 僕の発言を予測していなかったのか、彼女は少し戸惑い、そして、不満そうに口をすぼめる。


「貴方は秘密主義って奴なの」

「別に。ただの気まぐれです」

「そう、変わった人ね」


 そういう彼女の表情はどこか楽しそうだった。


「君の名前は?」

「さあて、何でしょう」

「……意趣返しのつもりかい? この国に名字が幾つあると思ってるの」

「そう。じゃあ、ヒント。植物の名前です」


 その時、彼女を最初に見たときの勿忘草を思い出す。

 そんな名前なわけはないが、考えるのもめんどくさいのでとりあえず言ってみることにした。

 

「勿忘草」

「……本気で言ってる?」

「いえ、全然」


 はあ、と呆れたような彼女を僕は横目で観察する。

 とは言っても、彼女は僕より頭一つ小さいため、下を向いたその表情は帽子の縁で隠れて窺い知ることは出来ない。

 彼女は顔を上げると、僕に尋ねる。


「ところで、どうして勿忘草なの?」

「君を最初に見たときに思い浮かんだだけ」

「『Vergiss mein nicht.』」


 彼女の口からいきなり飛び出した外国語は僕には何語かわからなかった。かろうじて英語ではない事だけは分かったが。

 そんな僕を見て、彼女は続ける。


「勿忘草の花言葉。『私を忘れないで』って。元々ドイツから英語を経由して来た名前でしょう。ルドルフとベルタだっけ」

「詳しいんだね。僕はそこまで知らないよ」

「私もたまたま知ってただけ。嫌いじゃないの、勿忘草は」


 そういう彼女はどこか儚げな笑みを浮かべる。

 勿忘草を好きなんて人物はどれだけいるのだろうか。きっかけとしては、失恋が多いのかな。というか、失恋以外で「私を忘れないでください」なんてシチュエーションが僕にはよく思い浮かばない。

 そんなことを考えると、先ほどまで現実から離れていた彼女が急に身近な存在に感じられ、少し残念に思えた。きっと僕は彼女に非日常の風を期待していたのだ。勝手に期待して勝手に落胆する、なんて自分勝手なんだろうか。

 ……でも、一応確認だけはしてみるか。


「どうして、勿忘草が好きなの?」


 僕の質問に、彼女は少し逡巡する。

 恐らく、答えづらい理由なのかもしれない。やっぱり失恋か。


「答えづらいならいいよ」

「……そうね。少し迷ったけど。でも、教えるわ」


 意外。先ほどまでの彼女の様子はとても答えてくれるようには見えなかった。

 

「3年前の、丁度このくらいの時期だったかな。私、おばあちゃんに忘れられちゃったの」

「おばあちゃん?」


 さらに予想外。恋愛でもなかった。

 僕は驚くと同時に、先ほどまでの自分の邪推にどこか罪悪感を覚えていた。

 忘れられた、つまり、彼女の祖母は認知症かなにかなのだろう。


「それって、もしかして」

「うん、認知症。アルツハイマーって言ってたかな。おばあちゃん、優しい人だったから、私たちに心配させないようにずっと症状を隠してたみたいなの。私たちが気づいたときにはもう結構進んじゃってたみたいで。よく思い返してみると、確かに予兆はあったのにね。私、今でも後悔してる」

「ごめん」

「どうして貴方が謝るの」

「僕、実は君が失恋したのかと思ってた」


 僕の回答は彼女の不意を突いたようで。今までで一番呆けた表情を見せてくれた。

 そして、あはは、と彼女は笑うと、体の前で両手を左右に振る。


「違う違う。実はね、私まだ恋愛したことがないんだ」

「一度も?」

「ええ、一度も」

「それはまた、どうして?」


  僕が理由を尋ねると、彼女は「うーん」と悩むようなそぶりを見せる。


「どうしてなんだろうね」

「いや、聞き返されても困るけど」

「それはごもっともで」

「ええと、特に理由はないってことでいいのかな」

「……ちょっと待ってね」


 僕の言葉に、彼女は目を伏せて再び考え始める。彼女自身、明確に何かを意識しているわけではないようだった。しかし、どうやら何か思い当たる節があったようで、彼女はおもむろに口を開く。


「そうね……たぶん、悪い気がするっていうのが一つかな」

「悪い気がする? 別に恋愛することは悪いことじゃないと思うけど」

「それは、もちろんそうなんだけどね。私の家、あんまり裕福じゃないから、両親が我慢しながら頑張ってくれてる中で自分だけ遊ぶのは何だかね」

「……なるほどね、そういう理由か」


 少し思っていたのとは違った、彼女が親思いだということは理解した。でも、それは恋愛をしない理由にはならないのではないだろうか。だって恋愛っていうものは自分の意志でどうにかなるものでもなく、ある日突然虜になってしまうものだと思うから。

 そんな考えが表情に出ていたのか、彼女は僕に問いかける。


「えっと芹沢くん、私の回答、どこかおかしかったの」

「いや、おかしくはないけど」

「けど?」

「恋愛ってそういう気持ちで抑えられるものなんだろうかとふと思って」

「……なるほどね。それはごもっともな疑問。だとすると、答えはもっと単純かな。私は今まで恋愛をしたいと思う人に出会わなかった、ただそれだけのことなんじゃないかな」


 それならばわからないでもない。かくいう僕も、心の底からいいと思える人には出会ったことがない。それは恐らく、人の悪いところばかり見てしまうこの性格に由来しているのかもしれない。


 僕は薄く微笑んでいる彼女の顔に視線を向ける。彼女の瞳にはどこか吸い込まれそうな魅力があった。じっと、自分の顔を見つめる僕に、彼女は少し照れたように目をそらす。


「ごめん、芹沢くん、そんなにじっと見られると恥ずかしいんだけど」

「え、ああ、ごめん、つい」

「まあ、いいけどね」


 僕と彼女の間に、少し微妙な空気が流れる。

 少し間を開けて、彼女が口を開く。


「……芹沢くんは、少し変わってるね」

「それは、どういう風に?」

「何というか、普通の人よりも薄い感じ」

「それは、影が?」

「え? 違う違う。何というか、存在が?」

「それはもっとひどいと思うけど」


 あはは、と彼女は楽しそうに笑う。

 それから、一呼吸おいて、ごめんねと謝罪してくる。


「でも、本当にそんな感じ。まるで、幽霊かなにかと話してるみたいな気分」

「幽霊は本当に失礼じゃないかな」

「大丈夫、私幽霊はあんまり怖いと思わないから」


 そういう問題じゃない、と僕は突っ込みたくなったが、それをやめる。

 それよりも、彼女が幽霊を怖がらない理由が気になったからだ。


「どうして怖くないの?」

「だって、いてくれた方がロマンがない? 死んだ大切な人と会えるかもしれないって」

「それは、確かにそうかもしれないけど、大抵は幽霊って悪い存在じゃない?」

「あ、決めつけはよくないよ」

「幽霊のことで怒られたのは初めてだよ」


 やっぱり、この人は少し変わっている。

 そして、だからこそ()()()()()()()()()()

 僕はそう思った。


「あ、そういえば結局名前を聞いていなかったね」

「あ、ばれちゃった?」

「うん、ばれちゃった」


 少し謎の間をあけてから、彼女はこちらに向き合う。


「私の名前は篠原です」

「下の名前は?

「秘密」


 あっけにとられる僕を見て、彼女はしたり顔で笑う。僕は彼女の面白くなく、わざとらしく顔をしかめてみせる。


「篠原さん、結構根に持つタイプ?」

「あはは、うそうそ。下の名前は瑞樹だよ」

「なるほど、篠原瑞樹さんね」


 彼女になら話してみてもいいかもしれない、僕の最大の秘密を。


「篠原さん、僕の秘密、知りたい?」

「教えてくれるの?」

「うん」


 彼女は僕の次の言葉をじっと待っている。僕はその真剣なまなざしに応えてあげようと思った。この顔を驚かせてやりたい。今の僕はその一心だった。僕の期待を裏切らず、僕の次の一言は彼女に衝撃を与えるのに足るものとなった。


「――実は僕、透明人間なんだ」


 さて、彼女はどんな顔をするのだろうか。







 

 

彼女の表情はご想像にお任せします。

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