86:着火剤
王城へとやってきたレインとオーファは、イヴセンティアの案内で中へと入った。
数分ほど廊下を歩くと、レインの来訪を聞いたエルトリアがパタパタと駆けてきた。
そして、
「レイくううううううんっ!」
がしっとレインに抱き着いた。
もう婚約したので人目を憚ることはないと思ったのだ。
でも、そんなエルトリアの行動にレインは困ってしまった。
なにせ今はオーファも一緒なのだ。
オーファに見せつけるようにエルトリアと仲良くするわけにはいかない。
だから、
「エルトリア様、ごめんなさい」
レインは、そっとエルトリアを引き剥がした。
「レイ君?」
エルトリアはレインからも抱き返してもらえると思っていたので驚いた。
なにか嫌われるようなことをしてしまっただろうか。
もしかしてこのまま婚約破棄されてしまうのだろうか。
そんなことを考えて不安になった。
そのとき、不意に涙目のオーファと目が合った。
「うぅ、あたし……、ここにいたら、じゃま?」
涙目じゃなかった。
泣いていた。
この世の終わりみたいな表情だ。
おや、これはどうしたことだろうか。
不思議に思ったエルトリアは、レインへと視線を向けた。
そしてレインの表情を探る。
オーファから視線を逸らすレインの表情はとても辛そうだ。
その表情は、幸せとは程遠い。
レインが言った。
「エルトリア様、実は『スキル共有』のことで相談があるのですが、よろしいですか?」
イヴセンティアに『スキル共有』について説明すること。
今後の『スキル共有』を隠し続けるのは難しいだろうということ。
主に、その2つについての相談だ。
レインはオーファやセシリアと添い寝したことや今朝の一件が後ろめたくて、エルトリアとも視線を合わせられない。
可能なら素直に謝ってしまいたい。
でも自分の気持ちを軽くするためだけの謝罪は、するべきではないとも思う。
下手に謝っても、エルトリアを傷つけるだけだろう。
それなら黙っている方が良いのかもしれない。
なにが正しいのかわからない。
どうすることが一番良いことなのかわからない。
悩むレインに再びエルトリアが、がしっと抱き着いた。
「わかりました、レイ君。それではわたくしのお部屋でお話ししましょう!」
さっきは胸に飛び込んできたエルトリアだったが、今度はレインの左腕に抱き着いている。
エルトリアがオーファに視線を向けながら言った。
「ふっふっふ! ほらオーファさん、見てください。わたくしとレイ君の仲睦まじさを!」
「う、腕を組むくらい……、あ、あたしは、昨日、添い寝してもらったもん……」
ぼそぼそと言い返すオーファ。
いつもの覇気がない。
「添い寝ですか?」
と首を傾げるエルトリア。
添い寝がバレて内心で焦るレイン。
でも黙って見守る。
「あ、あたしが無理言って、添い寝してもらったの……」
「添い寝なら、わたくしも何度もしていただきました!」
「な、何度も!?」
ぎょっ驚くオーファ。
「そうですとも! 卒業試験の間は、宿に泊まる度に同じベッドで朝を迎えておりました! しかも夜中、レイ君は時々寝ぼけてわたくしを抱きしめてくださったのです! 思わぬ行幸です!」
なぬ!? と驚くレイン。
寝ているときに抱きしめた記憶なんてない。
起きたときはいつも普通の寝相だった。
だからエルトリアの言葉が嘘か本当か全然わからない。
取りあえず、黙ってことの成り行きを見守る。
エルトリアの自慢話が続く。
「レイ君との2人旅はとっても楽しかったですよ! 2人っきりで食事をして、いろんなところを見て回って、夜には2人でベッドの中に……。羨ましいですか、オーファさん? ええ、羨ましいでしょうとも! なにせわたくしは、レイ君の婚約者なのですから! あーっはっはっはー、です!」
これでもかというほどの挑発。
悔し気な表情のオーファ。
「ぐにに、羨ましい! コンニャクトリアめええええっ!」
「こにゃ!? エルトリアです! エ・ル・ト・リ・ア!」
「おっぱいが小さいくせにいいいいっ!」
「ち、小さくありません! ほどよい大きさです! ほら、こうやってレイ君の腕を包み込めます!」
抱きしめている腕を見せつけるエルトリア。
オーファがそれを鼻で笑う。
「ふふん、ほとんど包み込めてないじゃない」
「つ、包み込めてます! そんなに言うなら、オーファさんもやってみてください!」
オーファは「言われなくたって」と、レインの右腕に抱き着こうとした。
しかしレインと目が合い、ぴたっとその動きを止めた。
そして恐る恐る聞いた。
「レイ、あたしも、いい?」
「ぁ、僕は――」
「レイ君、わたしくの胸がほどよい大きさだとオーファさんに証明したいのです。どうか、お願いします」
エルトリアにそう言われて、レインに断る理由はない。
「わかりました」
と頷く。
それからオーファに一言。
「オーファ、さっきから変な態度取っちゃって、ごめん」
「ううん、レイは悪くないんだから、謝らないで?」
「それでも、ごめん」
結局レインにはオーファを突き放すなんてできなかった。
中途半端に気を持たせるくらいなら、少し距離を取った方がオーファのためになるのではないか。
家を出てから、そんなことを思っていた。
だが半日も経たないうちに、罪悪感に耐えられなくなってしまった。
なにが正しいかなんてわからない。
でもオーファが泣くのは辛い。
そう思った。
その気持ちはオーファにもなんとなく伝わった。
だから言った。
「大好き、レイ」
「うん、僕も――、あっ、ごめん、なんでもない」
慌てて訂正するレイン。
思わず手拍子で、「僕も大好きだよ」と言ってしまいそうだった。
そのとき、ぐいっとエルトリアに腕を引かれた。
「さあ、レイ君、行きましょう」
「は、はい」
エルトリアに腕を引かれて歩きはじめるレイン。
レインからは、エルトリアの表情が見えなかった。
オーファが慌ててレインの右腕に抱き着く。
そしてエルトリアに言った。
「ねえねえ、聞いたエル? さっき『僕も』って。でへへ」
「聞いてません。それはオーファさんの聞き間違――」
「レイ、あたしも大好きよっ!」
エルトリアの言葉を遮って叫ぶオーファ。
レインの腕にぐりぐりと頭を押し付ける。
「話しかけておいて無視しないでください、オーファさん!」
「ん? 何か言った? エルコンニャク?」
「えるこ!? 人をイトコンニャクみたいに言わないでくださ――」
「レイ、大好きっ!」
「だから無視しないでください!」
レインの両腕に抱き着いて騒ぐ2人。
なんだか子供のころに戻ったみたいだ。
レインはオーファに「大好き」と言われる度に、嬉しさで、つい顔が緩んでしまいそうになった。
ちなみにイヴセンティアは会話に入り損ねて、微妙にいじけていた。
◇
エルトリアの私室。
中にいるのはレインとオーファ、エルトリア、イヴセンティアの4人。
侍女は紅茶とお茶菓子の用意をすると、一礼して出ていった。
レインとオーファが豪華なソファーに座り、エルトリアとイヴセンティアは立ったままだ。
「――というわけで、今のレイ君には56ものスキルがあるのです」
エルトリアが、『スキル共有』についての説明を行った。
当然ながらオーファとイヴセンティアは驚愕している。
驚き過ぎて言葉が出ていない。
「イヴ先輩、オーファ、今まで黙っていてごめんなさい」
レインは謝って頭を下げた。
「い、いや、事情は理解した。レインが黙っていたのは妥当な判断だ。謝る必要はない」
「うん、レイは悪くないわ」
「イヴ先輩、ありがとうございます。オーファもありがとう」
「ああ。だが、スキル数56というのは、なんというか……、無茶苦茶だな」
苦笑するイヴセンティア。
レインにもそう言いたくなる気持ちはわかる。
だが、あまりのん気に構えているわけにもいかない。
「イヴ先輩も『スキル共有』しているんですから、55個のスキルを持ってるんですよ? 巻き込んでしまった僕が言うのもなんですが、自覚しておいてくださいね?」
レインは『スキル共有』を持っている分、スキル数56で他の人より1つ多い。
「あ、ああ、そうか、私も他人事じゃなかったな。だが正直、スキル数55と言われても実感が湧かないな。確かに最近はやたらと身体の調子はいいが」
そんなことを言いながら手を握ったり広げたりするイヴセンティア。
不思議そうな表情だ。
エルトリアが言った。
「わたくしも、レイ君のおかげでスキル数55です! もうオーファさんにも負けません! わたくしは『狼殺しの王女』エルトリアです!」
誇らしげに胸を張る。
獣人を相手にしても戦えたので、きっと今の自分はオーファと同じくらい強い。
そう思っている。
対するオーファが不敵に笑った。
「へー、スキルが増えただけであたしに勝てるつもり? 勝負してみる?」
言いながら立ち上がり、軽く柔軟体操を始める。
獰猛な笑顔。
その視線を受けたエルトリアはビクっと身体を震わせた。
「あっ、い、いえ、その、えっと、え、遠慮しておきます! わたくしはオーファさんと違って、乱暴なことはちょっと」
しどろもどろ言い訳をする。
「それじゃあたしが乱暴者みたいじゃない!」
「ひゃ、ご、ごめんなさい」
逃げ出そうとするエルトリアだったが、一瞬でオーファに捕まった。
一応スキルの効果でエルトリアの素早さもかなり上がっている。
だがオーファはそれ以上だ。
「ふふん、あたしに勝とうなんて100年早いのよ。まいった?」
オーファが勝ち誇りながらエルトリアのほっぺを揉みくちゃにしている。
「みゃー、ま、まいりまひはー、やめれくらひゃい、こめんなひゃい、調子にのりまひはー」
謝りつつ、もがくエルトリア。
だがオーファの拘束からは逃げられない。
今やオーファは最強の人間の一角に数えられているのだ。
その実力は伊達ではない。
みょんみょんとエルトリアのほっぺを引っ張っている。
「ほら、レイに面白い顔を見てもらいなさい!」
「み、見らいれくらひゃい、レイ君」
「なんでほっぺ引っ張ってんのに、まだ可愛い顔なのよ! このこの!」
「みゃー、理不尽れしゅーっ!」
スキル数55のエルトリアが手も足も出せずに弄ばれている。
あまりにも一方的だ。
レインとイヴセンティアも、オーファと模擬戦をして勝てるとは思えなかった。
◇
「――しょんなわけなので、レイ君の『スキル共有』をこれ以上隠しておくことは難しいと思いましゅ。レイ君と親しい人を中心に、少しずちゅ情報を広めていきましょう」
エルトリアが赤くなったほっぺを押さえながら言うと、レインとオーファも頷いた。
騒ぎになると面倒なので、あくまで少しずつ広めていく予定だ。
レインと親しい相手、例えばマフィオたち冒険者なら変な騒ぎにはならないだろう。
だが、イヴセンティアが難しい表情で問いかけた。
「エルトリア様、『スキル共有』の噂が広まることで、レインを害される危険がありませんか?」
その危険性を考慮したからこそ、今まで『スキル共有』のことを隠し続けてきたのだ。
隠し通せる限りは隠していた方が安全なのではないか。
そんな意見だ。
「レイ君は第一王女であるわたくしの婚約者です。表だって害することはできないはず」
「なるほど」
納得するイヴセンティア。
確かに王国内で、王族に喧嘩を売るようなことはできないだろう。
「他にも理由はあります。まずレイ君自身が『英雄』として知られていること。次に大貴族であるイヴセンティアさん、プリミスト卿のお2人と仲が良いこと。さらに貴族令嬢であるキュリアさんたちと親しいこと。これだけの条件がそろえば、レイ君が害される危険はかなり減らせます。むしろ、いざというとき後手を踏まなくても良いように、ある程度情報を開示して、レイ君の味方を増やしておくべきでしょう。さらに――」
――と説明を続けるエルトリア。
イヴセンティアがそれを真面目に聞いている。
その横でオーファがレインに話しかけた。
「ねえレイ?」
「どうしたの、オーファ?」
「あたしのスキルも欲しい? あたしともチューする? する?」
期待したような表情。
レインは思った。
確かに『神童』と謳われるオーファのスキルは魅力的だ。
子供のころ、『スキル共有』だけを目的に、オーファとキスしたいと思ってしまったこともある。
でも――。
「僕がオーファとキスしたいって思うのは、『スキル共有』だけが目的なわけじゃ――、あっ、ご、ごめん、違うんだ! 今のはそういう意味じゃなくて」
うっかり本音を口走ってしまい、焦って前言を撤回しようとする。
だが時すでに遅し。
「レイ……」
オーファは真っ赤になってレインを見つめている。
レインの本音を聞けて、喜びに満ちた表情だ。
レインは誤魔化しきれないと悟り、強引にこの話題を終わらせることにした。
「あ、あのね、オーファ、とにかく、そんなに気軽にキスしようとしたらダメだよ? わかった?」
「そうね、わかったわ! レイの寝込みを襲ってキスしたエッチなイヴとか、エロいことばっかり考えてるどこかのコンニャクみたいに、女の子がほいほいキスしちゃダメよね! あたし、レイからしてくれるまでちゃんと待ってるわ!」
いや、待っていられてもキスはできない。
そうレインが言う前に、エルトリアが割り込んできた。
「コンニャクではありません! エルトリアです! エ・ル・ト・リ・ア!」
「あたし、『エロいことばっかり考えてるどこかのコンニャク』がエルのことだなんて、一言も言ってないけど?」
「ほえ?」
と固まるエルトリア。
にやりと笑うオーファ。
「自覚があるのね? エロピッピ?」
「エ、エロくないです! ピッピじゃないです!」
「うんうん、わかってるわ、エロトリア」
「わかってないです!」
怒りましたぁー! とオーファに向かっていくエルトリア。
しかし再び返り討ちにあって、ほっぺを弄ばれたのだった。
◆あとがき
具体的に『スキル共有』の説明をするシーンとか、面倒な内容はバッサリとカットしていくスタイル!
今話は『着火剤』というタイトルですけど、ぶっちゃけ『ガソリン』の方が作者的にはしっくりきます。
『着火剤』なんて使わなくても、そもそもオーファちゃんの心は鎮火なんてしませんし、常に燃え上がっているわけです。
なのでエルトリア様が焚きつけたりレイン君が本音をポロリしたのは、着火剤というよりガソリンを投下しているイメージの方がしっくりきます。
ですが流石にサブタイ『ガソリン』は世界観的に合わないので没です。
で、ちょっと考えた結果、もう『着火剤』でいいや(適当)みたいな感じで(以下略




