78:初対面
突然のゼルダリアの暴言に。エルトリアがすっと表情を消した。
奇跡とまで称される王国の美姫。
表情を消しても、なお美しい。
だがその感情は誰にもわからない。
レインはゼルダリアの言葉を聞いて考えた。
『汚れる』という類いの言葉をかけられるのは久々だ。
だがそんなことはどうでもいい。
問題は自分のせいでエルトリアに迷惑がかかってしまったことだ。
やはり人目のある場所で仲良くし過ぎるべきではなかっただろうか。
これ以上迷惑をかけないためにも、すぐに離れるべきだ。
レインはそう判断し、即座に行動に移した。
「ご無礼、申し訳ありませんでした」
ぺこりと頭を下げ、身を引こうとするレイン。
だがゼルダリアがさらに言った。
「本当に反省しているなら、誠意を見せてくださいまし」
「誠意、ですか?」
首を傾げるレイン。
お金でも払えと言う気だろうか。
しかしゼルダリアが求めるものは、そんなものではなかった。
「土下座してくださいまし」
簡潔な一言。
ざわっと会場が騒めく。
会場にいる大半は、レインが噂の『英雄』だと気付いている。
『他国の姫が、自国の英雄に土下座の強要をした』
これはただ事ではない。
会場の緊張感が高まる。
当のレインは、土下座くらいなら手早く済ませてしまおうと思っていた。
これ以上大事にするわけにはいかない。
謝って済むならそれが一番だ。
自慢にならないが、土下座には慣れたものである。
早速、地にひざと手をつき、頭を下げる。
「ごめんなさい」
簡単な謝罪の言葉。
慣れたものだ。
今更、土下座なんかで何も思うことはない。
そんなレインを、帝国女騎士たちが罵倒しはじめた。
「情けなく最底辺を這いつくばるウジ虫め!」
「節操のない汚らわしい無能の平民には、土下座がお似合いだな!」
「無能の雑魚が、もし少しでもゼルダリア様に醜い情欲を向けてみろ、容赦なく叩き斬るぞ!」
嫌悪感に満ちた言葉と表情。
すっかりブラードたちの言葉を真に受けている。
会場全体が自分たちをどう見ているのか気付いていない。
レインへの罵倒はしばらく続いた。
どこかでブラードが大笑いしている。
次に帝国女騎士たちは、自らの主君へと賛辞を贈った。
「これで王国女性の被害も減ることでしょう」
「すべてゼルダリア様のご活躍あってこそ」
「流石ゼルダリア様であります」
ゼルダリアは満足気に頷き、さきほど教えられた通りにレインの頭を軽く踏んだ。
それからエルトリアへと声をかけた。
「さあ、エルトリア姫もこの者の頭を踏んでくださいまし。そうすればこの者も懲りるはずですわ。平民の分際でエルトリア姫に――」
「死んでください」
静かに呟くエルトリア。
表情は無い。
だが、かざした手には無数の魔術陣が光っている。
視認できるほどの濃密な魔力。
確実に殺る気だ。
呟いた声は普通なら聞き取れないくらいの小声だった。
だが、『聴覚強化』のスキルを持つレインには聞こえていた。
「いけません、エルトリア様!」
慌てて跳ね起き、エルトリアの手を握り、打ち消し魔術を使う。
徐々に霧散していく魔術陣と魔力。
「レイ君……」
エルトリアの方がレインよりも圧倒的に魔術技量が高い。
本来ならば完全に打ち消すことは不可能だった。
だが冷静になったエルトリアが自ら魔力を散らしたことにより、魔術陣を不発に終わらせることに成功した。
そんな一連の様子に、帝国女騎士たちは驚愕していた。
誰一人として、跳ね起きたレインの速度に反応できなかったのだ。
あの速度でゼルダリアに斬りかかられたら守ることなんて不可能だ。
無能ではなかったのか!?
そんな戦慄に包まれた。
一方のゼルダリアは、何が起きているのかまったく理解できていなかった。
◇
重い空気が会場を包む中、1人の男がレインへと声をかけてきた。
「んぶふふ、やあ、レイン君」
肥え太った身体。
ブタのように醜い顔。
大貴族プリミスト家の当主、パピルメ・プリモ・プリミストだ。
レインはいろいろと親切にしてくれるプリミストのことが好きだ。
ぺこりと腰を折り、丁寧に挨拶をする。
「お久しぶりです、プリミスト卿」
「ぶふふ、クワティエロでは大活躍したようだね。話は聞いているよ」
「お、恐れ入ります」
恐縮しつつ、照れたような表情のレイン。
プリミストはそんな様子を微笑ましく見てから、さり気なく話題を変えた。
「んぶふふ、そういえば、向こうに美味しそうなモモのタルトがあったよ。姫様と一緒に食べてくるといい」
そう言いながら会場の端の方を指す。
レインにはそれが、自分たちをここから遠ざけるために言ってくれているのだとわかった。
その心遣いに感謝しつつ、素直に甘える。
「ありがとうございます。行きましょう、エルトリア様」
「はい、レイ君」
「それでは失礼します、プリミスト卿」
レインはプリミストに丁寧に一礼してから、エルトリアとこの場から離れていった。
ゼルダリアは、「待ちなさい、平民!」と言いかけて止まった。
今は汚らわしい平民に構っている場合ではない。
帝国にとっての重要人物であるプリミストに、きちんと挨拶をしなければならない。
プリミストは帝国に様々な援助をしてくれている人物だ。
地方村への食料援助。
孤児院への資金援助。
被災地への復興援助。
病院等への機材提供。
救われた帝国民は数知れない。
だから絶対に蔑ろにはできない。
ちなみにプリミストはそれらの援助に貴族としての公金を一切使っていない。
全て個人で行った、募金活動などで集めた資金を使っている。
最早、偉人。
絶対に怒らせてはいけない人物である。
だが、
「ぶふんっ、さて、まさか帝国が王国との戦争を望んでいるとは知らなかったよ」
すでに怒っている。
先ほどレインに向けていた朗らかな笑顔から一転、その表情はオークより恐ろしいことになっている。
形だけの帝国からの援軍なんて必要ない。
戦争がしたいなら望むところだ。
そんなことを言いたげな雰囲気。
実はゼルダリアは空気を読むことが苦手だ。
だからなぜプリミストが怒っているのかわからない。
考えるゼルダリア。
自分がやったことといえば、汚らわしい平民を教わったばかりの『王国式』とかいう方法で懲らしめただけ。
悪いことはしていないはず。
むしろ良いことをしたはずだ。
そう思って、諸々の情報源であるブラードたち男子の方へ視線を向けた。
が、すでに誰もいなかった。
そのとき、会場の自分たちを見る視線がおかしなことにようやく気が付いた。
貴族令嬢らしき集団が向けてくる視線には殺気がこもっている。
空気が読めないゼルダリアにも、ただ事ではないとわかった。
焦るゼルダリア。
とにかくプリミストに言い訳をしなければならない。
「わ、私たちには、戦争の意思はありませんわ」
「ぶふんっ、そうなのかね? まあ、どうでもいいがね。とりあえず、ワシからの帝国への援助は打ち切らせてもらう。それではな」
プリミストはそれだけ言い残すと、のっしのっしと歩き去っていった。
「お、お待ちくださいまし、プリミスト卿!」
ゼルダリアは慌てて呼び止めたが遅かった。
プリミストは会場から出ていってしまった。
思わず途方に暮れそうになる。
次に仕方なく、事の元凶である平民の姿を探した。
この状況の説明をさせようと思ったのだ。
会場中を見渡す。
だが、件の平民はどこにも見当たらなかった。
◇
「エ、エルトリア様、どこまで行くのですか?」
エルトリアに手を引かれて歩くレイン。
パーティ会場から抜け出し、王城の廊下を歩いている。
すでにレインには、ここがどこなのかわからない。
王城の中は広くて複雑。
1人になったら確実に迷子になってしまう。
一方のエルトリアは、勝手知ったる自分の家なので迷うことはない。
足早に歩を進め、レインを人気の無い小部屋へと引っ張り込んだ。
物置部屋のような場所。
埃っぽくはないが、少し薄暗い。
「レイ君、ここなら2人だけですね?」
「そうですね?」
確かにその通りだ。
だがレインにはエルトリアの意図が掴めない。
「ここには人目がありませんよね?」
もじもじと上目使いのエルトリア。
「……はい」
今度はレインにもエルトリアの意図がわかった。
レインは少しだけ気恥ずかしく思いつつ、腕を広げた。
するとそこにエルトリアが飛び込んできた。
むぎゅっと熱い抱擁。
レインも優しく抱き返す。
「レイ君、さっきは迷惑をかけてしまって、ごめんなさい」
ゼルダリアを焼き殺そうとしたことを謝るエルトリア。
だが、レインは、
「迷惑だなんて……」
思っていない。
確かに、あの豪華なドレスの女性に攻撃魔術を放とうとしたのは良くない。
でも、それは自分のために怒ってくれた結果だ。
迷惑だなんて思うはずがない。
むしろ自分のために怒ってくれたことが――不謹慎だが――嬉しい。
そんなことを考え、エルトリアを抱きしめる腕にも力がこもる。
レインにぎゅっとしてもらって、エルトリアの頬が「でへへぇ」と緩んだ。
自分からも強く抱き返し、レインの胸に顔をぐりぐりと押し当てる。
それからちらっと目線だけを上げて、レインに問いかけた。
「レイ君、さっきの人たちが言っていたこと、気にしていませんか?」
「……気にしてませんよ」
答えつつ、レインは優しく微笑んだ。
『無能』や『ゴミ』と罵られることなんて今更だ。
そんなもの、気にはならない。
だが、まったく気にしていないわけではない。
『平民』というエルトリアとの身分違いを揶揄する言葉は、少しだけ気になった。
でも、やっぱり今更だ。
そんなレインの言葉に、エルトリアは安心したような表情を浮かべた。
それから少し頬を染め、潤んだ瞳でこう言った。
「レイ君、わたくし……、キス、したいです」
期待したような、恥ずかしいような、そんな複雑な表情。
大好きな女の子にそんな表情でそんなことを言われて、拒めるはずがない。
年頃の男の子が世界最高峰の美少女に誘惑されて、抗えるはずがない。
五感の全てがエルトリアを求めてしまう。
相手は王女様。
罪悪感はある。
だが、今更だ。
「エルトリア様……」
「レイ君、今だけは『エルトリア』って呼んでほしいです。……あの、わがままばかり言って、ごめんなさい」
不安気なエルトリアの表情。
庇護欲を刺激される。
望む通りにしてあげたい。
「……エルトリア」
「レイ君……、んっ♡」
◇
キスの後。
「はぁはぁ、レイ君、わたくしの部屋に行きませんか?」
エルトリアは息を荒げ、恍惚とした表情で言った。
「エルトリア様の部屋に……、ですか?」
「そうです。そこで、つづきをいたしましょう?」
「つ、つづき……」
キスのつづき。
その先にあるもの。
その想像に、オスの本能を刺激される。
ごくりと生唾を飲み込むレイン。
まだ、その味も感触も知らない。
きっと最高なのだろう。
味わってみたい。
そんな衝動に駆られそうになる。
だが理性を総動員して、すんでのところで思い留まる。
流石にそれは不味い。
衝動的にして良いことではない。
エルトリアのことを大切に思えばこそ、そんな欲望に負けるわけには――。
「はぁはぁ、お願いしますレイ君、わたくし、レイ君とつづきがしたいです……。ダメ、ですか?」
エルトリアの懇願。
切なさをうったえかけるように、身体をむにゅむにゅとレインに押し当てる。
そんな、全身を使った懇願。
レインは伝わってくるエルトリアの柔らかさに、がりがりと理性を削られた。
気持ちが良い。
温かい。
いい匂いがする。
もっとエルトリアを感じたい。
我慢できない。
そもそも我慢する必要があるのだろうか。
なんで我慢しているのだろうか。
我慢したらどうなるのだろうか。
誰のためになるのだろうか。
わからない。
とにかくつづきがしたい。
だから言った。
「ダメ、じゃ、ないです」
「ありがとうございます、レイ君♡」
エルトリアが喜んでくれた。
レインはそのことが嬉しかった。
◇
エルトリアがレインの手を引いて歩く。
向かう先はエルトリアの私室。
つづきをするためだ。
当然、誰かに知られるわけにはいかない。
自然と声を潜める。
だが、以外にも人とすれ違わない。
もともと人通りが少ない廊下なのだろうか。
それともパーティの最中だからだろうか。
レインがそんなことを考えていたとき、廊下の正面から足音が聞こえてきた。
このまま手を繋いでいるのは不味いだろう。
「エルトリア様」
「はい、レイ君」
名残惜しそうに、レインの手を離すエルトリア。
レインも名残惜しく思ってしまった。
だが人前でエルトリアと触れ合っているわけにはいかない。
また不要な騒ぎを起こすわけにはいかない。
そう自分に言い聞かせる。
静かな廊下。
やがて足音の主が目前までやってきた。
レインはその人物を知っていた。
王国民なら誰もが知っている人物。
エルトリアが声を出した。
「お父様」
エルトリアの父。
すなわちヴァーニング王国、国王。
レインは素早く片ひざをつき、頭を下げた。
◆あとがき
帝国女騎士たちも実はそれなりにアホの子です。
帝国側は、どうせ王国で危険な目に遭うことなんてないだろうと思っているので、ほとんどが顔だけで決められた人選です。
イヴ先輩率いる王国の近衛騎士隊のように実力兼備ではありません。




