8:冒険者
セシリアは「それじゃあ少し待っててね」とレインに告げ、カウンターの奥へ入っていった。
レインはその後姿を見送ると、ふぅ、と一息ついた。
その直後、背後から、
――ガシっ!
と肩を掴まれた。
「ひぃっ!?」
と、短い悲鳴を上げるレイン。
そして、恐る恐る振り返った。
そこには、冒険者と思わしき1人の男が立っていた。
逞しい身体つき。
まるで一枚の岩壁だ。
筋肉達磨。
そんな言葉がレインの脳裏に浮かんだ。
端的に言って、ものすごく強そうだ。
殴られたら、死ぬ。
「坊主、いや、レインとか言ったか?」
男の声は低く、腹に響くような重厚感があった。
何かを堪えるように、少し声が震えている。
ふぅふぅ、と息遣いも荒い。
もしかしたら、怒っているのだろうか。
「っ、はい」
レインは慌てて返事をした。
なぜ自分の名前を知っているかは疑問に思わなかった。
おそらく、さっきのセシリアとの会話を聞いていたのだろう。
そして、会話が終わったタイミングを見計らって話しかけてきたのだ。
いったい、何が目的なのだろうか。
緊張が高まる。
男が言った。
「俺はマフィオだ。ぐすっ、話は聞かせてもらったぜ。うぅ、こんなにちっさいのに苦労してんだな」
よく見たらマフィオと名乗った男は泣いていた。
号泣だ。
怒っているわけでは無くて、泣いているだけだった。
「え? いや、あの? え?」
「いや、いいんだ、みなまで言うな!」
レインは状況が飲み込めなくて、少し混乱していたが、マフィオは一人で、うんうんと頷いて勝手に納得していた。
「は、はあ」
レインはもはや生返事を返すだけで精いっぱいだった。
「さあ、こっち来いよ! 一緒に飯を食おうぜ! 金は心配すんな、俺たちが全部奢ってやっからよ!」
俺たち?
その言葉に疑問を感じたレインは、壁のように立っていたマフィオの後ろを覗き込んだ。
すると、他の冒険者らしき男たちも、涙ぐんだ瞳でレインのことを見ていた。
何人かは目頭を指で押さえたり、おしぼりで目元をぬぐっている。
そして、マフィオの「奢ってやる」という言葉を聞いた数名が、それに追随するようにレインへと呼び掛けた。
「おう、俺たちが好きなもん食わせてやるぜ、レイン!」
「ほら、早く来いよ!」
「おーい、注文追加だ!」
男たちは料理を注文し、店のテーブルをくっつけてレインを出迎える。
「え、えっと、ごそうはんに、あずかります?」
レインは軽い混乱の中、こういうときはなんて言えばいいんだったかを必死に思い出していた。
ごちそうになりますだっけ?
それとも、いただきます?
「がはは、難しい言葉を知っていて偉いぞ、レイン! でも、ここではもっと楽にしていいんだぜ?」
「は、はい」
レインはおっかなびっくり頷いた。
「よーし、俺のお勧めはこれだ! 食ってみろ、絶対に美味しいから」
マフィオは、テーブルの上に置かれた皿をレインの前へと引っ張り寄せた。
その皿に乗っているのは、チーズたっぷりのピザだ。
とても美味しそう。
レインは、最近はずっと固いパンばかりを食べていた。
こんな御馳走は久しぶりだ。
目の前のピザを食べたくて仕方がない。
ごくり。
喉が鳴った。
一切れ手に取って、先端を、少しだけ、かじる。
濃厚なチーズの味が口いっぱいに広がった。
「おいしい!」
思わず、叫んだ。
残った分も食べた。
すぐに食べきった。
こんなに美味しい物は、本当に久しぶりだ。
「そうかそうか! こっちも食ってみろ、美味いぞ! あ、食べるのは少しずつにしとけよ、一度に一杯食べるとお腹がビックリするからな!」
マフィオはレインの食べっぷりに喜び、次の皿を引っ張り寄せた。
イモを油で揚げて、塩で味付けした料理。
ポテトフライだ。
「うん、わかりました!」
美味しい物を食べて、レインの警戒心は完全になくなっていた。
冒険者たちは、もちゃもちゃと料理を食べるレインを嬉しそうに眺めていた。
◇
「ほんで、レインは金を稼いで何に使うんだ?」
マフィオは元気が出てきたレインの様子を見て、そう聞いた。
レインはマフィオの質問に少し考えた。
金を何に使うのか。
その答えは、公衆浴場に行くことだ。
だが、その答えを言うということは、自分の境遇を晒すことに等しい。
自分が掃除用具入れにすんでいることや、そのせいでお風呂に入っていないことを他人に言うのは、やはり怖い。
学院でみんなにイジメられているように、ここでも軽蔑されないか、不安になる。
しかし、ここにいる冒険者たちなら大丈夫そうな気がした。
そもそも、この人たちは、さっきのセシリアとの会話を聞いたうえで軽蔑せずに優しくしてくれているのだ。
それならば正直に言ってもきっと大丈夫だ。
そう思った。
「わらったり、ばかにしたり、しないですか?」
「ああ、絶対に笑わないし、馬鹿にもしない。俺たちを信じろ!」
笑わないと言っているそばから、がはは、と笑い声を上げるマフィオ。
だが、そんな姿にレインはなぜか安心感を覚えた。
「うん、ぼく、しんじます!」
「よし、偉いぞレイン!」
レインは、何が偉いのかよくわからなかったが、褒められたことが嬉しかった。
他の冒険者たちもよくわかってないようだが、ノリで「偉いぞ!」と褒めたたえた。
「がんばれ!」「いけ、レイン!」と次々に声援が飛ぶ。
ノリと勢いで場が盛り上がっていく。
「さあ、言ってみろ、レイン!」
マフィオが吠えた。
「ぼく、こうしゅうよくじょうに行きたいんですっ!」
「「「うおおおっ!」」」という歓声が上がる。
「なるほど! 風呂か! レインは綺麗好きだな! お前らも見習えよ!」
がはは、と笑いながらマフィオが言う。
お前が言うなよと、周りの冒険者も笑った。
レインもそんな周りの様子に楽しい気分になっていた。
◇
ひとしきりみんなで笑い合って、場が収まりかけた頃、1人の男がグラスを片手に近付いてきた。
「マフィオ兄さん、公衆浴場は冒険者お断りじゃなかったか? よお、レイン。俺はルイズ。マフィオ兄さんの弟だ、よろしくな」
レインは「よろしくおねがいします」と返事を返し、ルイズと名乗った男を見た。
マフィオより線が細く、知的な印象をうける。
だが、シャツの下には引き締まった筋肉が詰まっていることが見てわかった。
やはり、とても強そうだ。
「あん? そうだったか?」
マフィオはルイズの言葉に小首を傾げた。
「中央区には、冒険者のことを野蛮人だと思っている奴らが多いからな。身体中に血や泥を付けた奴を、店に入れたくないんだろうよ。中央区は冒険者立ち入り禁止の店が大半だ。確か公衆浴場もそうだったはずだ」
ルイズは「まあ、中央区の奴らの気持ちもわかるけどな」と付け足しながら話を続けた。
そして、
「だが、心配しなくても良い。風呂ならこのギルドの裏手にある。しかも無料だ」
そう言いながら、ギルドの裏手の方を指した。
「ほんとうですか」
レインは公衆浴場に入れないと聞いて気を落としかけたが、次なるルイズの言葉で瞳を輝かせた。
タダでお風呂に入れるなんて、思わぬ行幸だ。
「ああ。この建物の裏にギルドの訓練所があるんだ。そこの脇に簡易風呂がある。冒険者なら無料で使えるから、公衆浴場に行くより経済的だ。ほとんどの奴らはそこを使っている。レインもそこへ行けば良い、後で案内してやる」
「うん、よろしくおねがいします!」
「なに、気にするな。ほら、ジュースだ、甘くて美味いぞ」
そう言いながら、ルイズは片手に持っていたグラスを差し出した。
ちなみに、このルイズという男。
格好を付けてなんだかんだと言ってはいるが、実はレインにジュースを渡したかっただけである。
他の冒険者と同様に、自分もレインを構いたかったのだが、しばらく号泣していたせいで完全に出遅れてしまったのだ。
だから、話に加わるタイミングを見計らっていたのである。
「わあ、ありがとうございます! ……おいしいです!」
レインは、差し出されたグラスを受け取り、まず一口だけ飲んでみた。
よく冷えた濃厚な果汁のジュースだった。
甘くてとても美味しい。
ルイズは、レインの反応に満足げに頷く。
ちなみに、マフィオとその他冒険者たちもレインに構いたくて仕方がない。
「おい、ルイズ! 1人でレインに良いとこ見せようなんて、ずるいぞ!」
「馬鹿言うな兄さん、早い者勝ちだ」
「ぐぬぬっ!」
勝ち誇った顔のルイズに、マフィオが悔し気な声を上げる。
「あ、そうだ、レイン! お前は確か王立学院の生徒だったな!」
良いことを閃いた! とばかりにレインに問いかけるマフィオ。
「そうですけど?」
ジュースを啜っていたレインが顔を上げてマフィオの問いに答えた。
「王立学院だったら剣術の授業とかあるだろう? 俺が稽古をつけてやるよ!」
「いいんですか?」
レインは、今日出会った騎士のようになりたいと思っている。
騎士になるには強くなくてはいけないだろう。
だから、マフィオに稽古をつけてもらえるなら、とても助かる。
「ああ、もちろんだ! 俺に任せろ! 強く鍛えてやんぜ!」
「ありがとうございます、よろしくおねがいします!」
喜ぶレインを見て、マフィオは、がはは、と笑った。
そして、それを見ていた冒険者たちも次々に立候補し始めた。
「ちょっと待った。だったら俺は冒険者の仕事のコツを教えてやるぜ? 子供でもできる王都内の簡単なやつだ。絶対に役に立つぜ?」
「待て待て、それなら俺の方が詳しい。俺が教える」
「だったら俺は勉強見てやるよ」
「え? お前が?」
「文句あんのかよ!? 流石に俺でも初等部の勉強くらい教えられるっつーの!」
みんなでぎゃあぎゃあと騒いでいるとセシリアが戻ってきた。
そして、レインと楽し気に騒いでいる冒険者たちを見て、何があったのかと驚いたのだった。
◇
「それじゃあレイン君、行きましょうか?」
セシリアは、冒険者たちに囲まれているレインのもとへ寄ると、開口一番そう告げた。
「どこに行くんですか?」
「レイン君の新しい家よ?」
「え? 家?」
当然でしょ? といったふうに言うセシリア。
だが、レインにはよく意味がわからなかった。
今の家は掃除用具入れだ。
だがセシリアは『新しい家』と言った。
どういう意味だろうか。
新しい掃除用具入れにでも引っ越すのだろうか。
いやいや、セシリアはそんな酷いことを言わないだろう。
そんなことを思うくらい、レインはセシリアのことを信用していた。
セシリアはレインが混乱していることに気付いたが、あえて細かく説明しなかった。
ここであれこれ説明するより、実際に連れて行った方が理解も早いと思ったのだ。
「そうそう、新しい家よ。ついてきてね? あ、レイン君はもらっていきますね」
セシリアは、レインの手を取って、冒険者たちにそう告げた。
マフィオたちは「しゃーねーなぁ」と言いながら、馬鹿騒ぎの片づけを始めた。
ルイズを含めた数人は、まだ残念そうにしている。
セシリアに微笑みかけられた若手冒険者たちは頬を赤らめて固まっていたが、年配の冒険者に小突かれて正気に戻っていた。
レインはセシリアの柔らかい手に、少しドキドキした。
だが、手を引かれて数歩ほど歩いたところで立ち止まって、冒険者たちの方へ振り返った。
「あの、ぼく……」
すごく楽しかったのに、まだちゃんとお礼も言ってない。
こんなときは、なんて言えばいいんだろうか。
すぐに言葉が出てこない。
そんなレインの様子に、マフィオが気付いた。
そして、一言。
「レイン、明日も来るんだろ?」
「あしたも、きます」
「じゃあ、続きは明日だな! 明日は稽古もつけてやるぞ! 約束だ!」
そう言ってマフィオは、がははと笑った。
「うん!」
レインも元気よく返事した。
「みなさん、きょうはありがとーございました! またね!」
「おう! またな!」
最後はみんなで手を振って別れた。
ギルドの外に出ると、背後から「明日も早く仕事終わらすぞー!」「おー!」という声が聞こえてきた。
「レイン君、すっかり人気者ね?」
セシリアは、ギルドから出てレインの手を引いて歩きながら、そう言った。
「そうなんですか?」
レインにはよくわからなかった。
「ふふ、そうよ」
セシリアは楽しそうに笑った。
セシリアが笑うと、レインも嬉しい気持ちになった。
◆あとがき
超ハーレムなのに、男キャラクターの方が多い、だと!?
大丈夫です。
そのうち、ちゃんと女の子も増えます。