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68:海の森

 レインとエルトリアは、王都から数日かけて『海の森』にたどり着いた。


 ドゥーエの街を過ぎたあたりで南下し、トーレの街を避けるように『海の森』へと入った。

 レインが学院理事に指示された通りのルートだ。

 そのまま森の中を通り、クワティエロを目指す。


 『海の森』とは、陸上の森であるにも関わらず海中のような景色が広がる不思議な森だ。

 陸生樹木に交じって海洋植物が生え、驚くべきことに、生息する生物までがまるで海洋生物のような風体をしている。

 例えばサメやイルカ、イカやタコ、カイやイソギンチャクなどである。

 しかもそれらは空中を泳いでいる。

 森の中を魚群が泳ぎ回る光景は、摩訶不思議そのものである。


 さらに大気中の魔力の関係で少し空気も青みがかって見える。

 そんなふうに、『海の森』は陸海折衷りくかいせっちゅうの不思議な森なのである。


 ちなみに『海の森』に生息するサカナは生態が一切不明であり、魚類ではなく精霊の仲間に分類されている。

 見た目がサカナっぽいので便宜上『サカナ』と呼ばれているだけだ。


 「見てくださいレイ君、とても大きなおサカナが泳いでいますよ!」


 エルトリアが遠くを指さし、楽しそうにはしゃいでいる。

 あまり王都から出たことがないので、こういう場所はとても面白い

 レインと一緒なのでなおさらだ。


 レインも初めての光景を楽しんでいた。

 エルトリアの指さす方を見ると、家よりも大きな生物が泳いでいた。


 「エルトリア様、あれはクジラのようですね」


 レインも海に行ったことはないが、本で読んだことがある。


 「クジラというおサカナですか、大きいですね」


 クジラは魚類ではない。

 だが、そもそもここにいるクジラは哺乳類でもない。

 なのでレインは、エルトリアが「おサカナ」と言ったことを修正しなかった。


 「エルトリア様、クワティエロは向こうの方角です」


 レインたちは空中を泳ぐことができないので、歩いて森を進みクワティエロを目指した。



 2人がしばらく歩くと、サンゴ礁のような場所に出た。


 「レイ君、綺麗なおサカナが一杯いますよ!」


 熱帯の海に生息しているような色鮮やかなサカナやサンゴが、レインたちの目を楽しませる。

 青いサカナ、赤いサカナ、淡水では見られないような、変な形のサカナ。

 見ているだけで面白い。


 レインは、オーファとも一緒にここに来てみたいと思った。

 だが頭を振って、すぐにその思いを追い出す。


 「綺麗な場所ですね」

 「はい! わあ、見てくださいレイ君、あんな高いところまでウニョウニョがいますよ」


 ウニョウニョとはイソギンチャクのことだ。


 見上げると、頭上の枝葉の中にもサカナたちが泳いでいるのが見えた。

 さらに木々の上空をイワシのような魚群が通っていく。

 神秘的な光景だ。


 だが頭上にばかり気を取られてはいられない。


 「エルトリア様、足元にお気を付けください」


 足元には大きなシャコガイが口を開けている。

 うっかり足を突っ込んでしまったら大変だ。


 他にも大きなハサミを持ったカニやエビ。

 鋭いトゲのウニなどがいる。

 襲い掛かってくることはないだろうが、安全でもない。


 「大きなウニョウニョです」


 『海の森』のイソギンチャクは、触手を伸ばすとレインたちよりも大きい。


 「エルトリア様、触手には毒がありますから、触れないように気を付けてください」


 イソギンチャクの毒は神経に作用する。

 体が大きな分、毒の量も多く、強力だ。

 もし毒を受けてしまえば、心臓が麻痺してしまい、死に至る可能性もある。

 触ってしまうと危険だ。


 しかし毒があるのはイソギンチャクだけではない。


 「レイ君、あそこにトゲトゲしたサカナがいます」

 「あれはオコゼですね、トゲの先には毒があるらしいので、近付かないようにしましょう」


 他にもクラゲやエイ、ウミヘビなど、様々な生物が毒を持っている。

 油断はできない。


 一応、レインたちは妖精スイと『スキル共有』したことで、『毒耐性上昇』のスキルを持っている。

 だが、あくまで『耐性上昇』であり、『無効化』ではない。

 過信は禁物だ。

 触らないに越したことはないだろう。


 そんなことをレインが考えていると、パキパキと何かを砕く音が聞こえた。

 音の方を見てみると、大きなアゴのサカナが、カイを殻ごと食べているところだった。


 「あのカイは美味しいのでしょうか?」

 「味はわかりませんが、『海の森』の生物は特殊な身体を持っているので、人間には食べられないらしいですよ」


 人間には、『海の森』の生物たちを消化吸収することはできない。

 消化吸収できないので、食べると消化不良を起こし、お腹が痛くなる。

 死にはしないが地獄を見ることになるだろう。


 人間以外の通常の陸生生物にも、『海の森』の生物を食べることはできない。

 だから『海の森』は特有の不思議な生態系を築いているのだ。


 ということを、レインはエルトリアに説明した。


 「レイ君、いろんなことを知っていて素敵です!」

 「あ、いえ、たまたま本で読んだことがあっただけですので」

 「それでもすごいです! 格好いいです!」

 「……ありがとうございます」


 レインはエルトリアの直接的な褒め言葉に、妙に気恥ずかしくなり、ソワソワと落ち着かない気分になった。



 『海の森』を一日で突破することはできない。

 なので野宿を挟みつつ、数日かけてクワティエロを目指す。


 夕暮れ。

 『海の森』も茜色に染まる。

 レインとエルトリアはその光景を、少し高い丘の上から眺めていた。


 「わあ、とっても綺麗です」

 「そうですね、エルトリア様」


 夕日に照らされた森は昼間とは違った美しさを見せる。

 色鮮やかだったサンゴ礁は温かい赤一色になり、サカナたちが夕日を反射しながらキラキラと輝く。

 遠くの空にはクジラの親子が泳いでいた。

 王都では見ることができない雄大な自然。

 まるで空想の世界にいるような気分になる。


 レインはちらりとエルトリアの横顔を見た。

 美しく、いつも優しい王女様だ。

 だが王都を離れた自然の中では、王女という肩書に意味はない。

 エルトリアは王女ではあっても普通の女の子である。

 この場所にいると、そんな思いが、否が応にも強くなってしまう。


 「どうかしましたか、レイ君?」

 「い、いえ、そろそろ野宿の準備をしましょう」


 王都を出てから数日経っているが、野宿は今日が初めてだ。

 『海の森』の表層部分は観光地としても人気なので、森に入る直前の町までは宿泊施設が充実していたのである。

 だが今日から数日の間はベッドで眠ることを諦めなくてはならない。


 日が沈み切る前に、レインとエルトリアは適当な場所に布を張って、簡易テントを作った。

 とはいえ骨組みがあるようなしっかりとしたテントではない。

 木々の枝に薄い布を張っただけのとても簡単なテントだ。

 心もとないが無いよりはマシだ。


 「「いただきます」」


 2人で仲良く携帯食料を食べる。

 『海の森』では食糧調達ができないため、携帯食料は貴重だ。


 敵占領地であるクワティエロに着いてからは、敵に見つからないように街の外から偵察を行い、そのまま来た道を引き返す予定だ。

 つまり帰りも『海の道』を通る予定なのだ。

 だから往復分の食料を計算しながら食べなければならない。

 食料がなくなれば引き返すことができなくなり、敵占領地に乗り込まざるを得なくなる。

 それはあまりにも無謀だ。

 なので携帯食料はとても重要なのである。


 ちなみに携帯食料の種類は、試験説明のときに理事から指定されたものだ。

 レインは指定された通りの携帯食料のみを持ち込んでいる。


 食事の後は交代で眠る。

 もう1人は見張り役だ。


 流石にレイン1人で一晩中見張りをすることはできない。

 だからエルトリアと見張りを交代しつつ、順番に休息を取る。

 日が落ちてからすぐに休むため、交代での休息でも睡眠時間は十分だ。


 レインは近付いてきたイソギンチャクを適当に追い払い、エルトリアの寝顔を眺めた。

 すやすやと気持ちよさそうに眠っている。

 すべすべな白い肌。

 長い睫毛。

 そして小さくて柔らかそうな唇。


 キスしたい。

 失いたくない。

 後悔したくない。


 そんな考えが浮かんだ。

 だが自らの頬をつねり、見張りを続ける。


 静かな時間。

 夜行生物が薄っすらと発光している。

 夜になっても不思議な光景の森だ。


 やがて交代の時間になった。

 レインは申し訳なく思いつつも、エルトリアを起こす。


 「エルトリア様」

 「むにゃ?」


 と目を開けるエルトリア。

 まだ少し眠そうだ。


 寝かしておいてあげたいが、明日以降のことを考えるとそうもできない。


 「エルトリア様、目が覚めたら見張りを交代していただいてもよろしいですか?」

 「ほえ? ……、あっ、はい、わたくし、レイ君と交代します!」


 エルトリアはそう言いながら、がばっと起き上がった。

 オーファよりも寝起きが良い。


 見張りを交代してから数分後、レインが静かな寝息を立て始めた。

 エルトリアはレインの寝顔を見つめながら思った。


 キスしたい!

 キスしたい!

 キスしたい!


 レインとイヴセンティアがどんなキスをしたのかは知らないが、それと同じか、それよりも激しくキスがしたい。

 あの日の夜のように、レインに情欲を向けてもらいたい。

 激しく求めて、求められたい。


 エルトリアは自らの欲望に耐えながら、悶々と夜を過ごした。



 数日経った。

 その間、特に問題も起きず、道程は順調そのものだった。


 だがクワティエロへの到着を明日に控えたとき、重大な問題が起こった。

 時は夕刻、レインが絶望の声を上げる。


 「食料が……」


 携帯食料が帰りの分を含めて、全て腐ってしまったのだ。


 実は理事たちがレインに指定した携帯食料は、もともと長期の保存には向かないものだった。

 数日で食べきることを前提に作られた携帯食料なのだ。

 それが『海の森』という特殊な環境で、さらに腐敗を早めてしまったのだ。


 食料が無くなった。

 つまり生き残るためには、敵占領地に乗り込まざるを得なってしまったということだ。


 獣人たちに占領されているのはクワティエロの街だけではない。

 そこら一帯はすべて占領されている。

 クワティエロより西には占領されていない農村もあるはずだが、その辺りは戦争の最前線だ。

 武装した獣人たちが跋扈しているはずだし、度重なる戦いで食料が手に入れられるような状態ではないだろう。


 どうすればいい。


 レインは頭を悩ませた。

 今の位置関係だと、どうあがいても敵占領地に乗り込む以外の手はない。

 だが獣人に見つかったら終わりだ。

 敵対して勝てる相手ではない。

 理想は見つからずに潜入して食料を奪い、逃げることだ。

 しかしそんなことが可能なのか?

 普通に考えて不可能だろう。

 なら投降するか?

 投降してどうなる?

 敵に自分を生かしておく理由はない。

 死ぬだけだ。

 それは良い。

 しかし問題はエルトリアだ。

 なんとしてもエルトリアだけは守らなければならない。

 もし投降した場合、エルトリアはどうなる?

 エルトリアは王女だ。

 敵にとって生かしておく価値があるはずだ。

 だからきっとエルトリアだけは助けてもらえる。

 扱いは捕虜だろうか。

 その後はどうなる?

 取引の材料か?

 それだけならマシだろう。

 5年前に起きた『エルトリア姫襲撃事件』の際、獣人たちはエルトリアが生きてさえいれば、手足が無くなっていても構わないという残虐性を見せていた。

 それにエルトリアは誰から見ても美しい女性だ。

 もしかしたらもっと酷い目に――。


 苦悩するレインに、エルトリアが声をかけた。


 「大丈夫ですよ、レイ君」


 穏やかな声。


 「エルトリア様?」

 「レイ君は、わたくしを手土産にしてクワティエロに入ればいいのです。そうすればレイ君は獣人たちから厚遇されるでしょう。殺される心配はありません」


 確かにそうかもしれない。

 しかし、


 「そんなことをすればエルトリア様が」


 きっと酷い目に遭わされる。


 「大丈夫です、わたくしのことは心配ありません」


 ――酷い目に遭わされる前に、自ら命を絶ちますから。


 エルトリアは、その言葉を口から出さなかった。

 もし言ってしまえば、レインがこの案に納得しないとわかっているからだ。

 きっとオーファならもっと上手くレインを助けることができるのだろう。

 そう思うと悔しい。


 でも今、このとき、一番レインの役に立てるのは自分だ。

 レインを幸せにできるのは自分だけだ。

 そのことが誇らしく、嬉しい。

 そう思った。


 「エルトリア様……」


 レインは思った。

 この女性を失いたくない。

 後悔したくない。

 エルトリアは自分が学院でイジメられていたとき、唯一、優しくしてくれた女の子なのだ。

 『無能』と蔑まれた自分に、いつも笑顔を向けてくれた。

 それだけではない、自分にスキルがあることを見出みいだしてくれた。

 イジメがなくなるように取り成してくれた。

 そんなかけがえのない人だ。

 相手は王女。

 不敬かもしれない。

 こんな気持ちを持ってはいけないのかもしれない。

 今まで考えないようにしてきた。

 でも、もう自覚してしまった。

 この人が好きだ。

 大好きだ。

 絶対に失いたくない。

 もう後悔したくない。


 レインは考えた。

 どうすればエルトリアを助けられる?

 現状、困っていることはなんだ?

 もちろん食料がないことだ。

 つまり食料さえあればエルトリアは助かる。

 食料はどこにある?

 危険な場所はダメだ。

 安全な場所。

 この近く。


 レインは自分の手足を見た。

 食べてくれるだろうか?

 そんなことを思った。


 そのとき、


 ――早くこっちに。

 ――ぜぇはぁ、追ってきてる?

 ――わからないけど、急いで逃げなきゃ。


 『聴覚強化』のスキルが、遠くを走る少女たちの声を拾った。


 イヴセンティアとの『スキル共有』で手に入れたスキルだ。

 レインとエルトリアは顔を見合わせた。


 「レイ君」

 「はい!」


 2人は頷き合い、声の方へと走った。

◆あとがき


昔、兄がイソギンチャクを飼っていて、作者はそれを見るのが好きでした(´ω`*)

今の作者は触手プレイ的なものが好きで(以下略

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