66:宿
乗合馬車に揺られ、王都から東へと街道を移動するレインとエルトリア。
エルトリアは窓の外を眺めながら、レインへと声をかけた。
「レイ君、この街道は随分と広いですね?」
「そうですね、エルトリアさ――、そうだね、エル!」
レインは言葉の途中で慌てて言い直した。
うっかり恋人設定を失念して、いつも通りに「エルトリア様」と言いかけた瞬間、エルトリアの表情が悲し気に変わったのを見てしまったのだ。
言い切る前に気付くことができてよかった。
おかげでエルトリアの表情は満足気だ。
「どうしてこんなにも広いのでしょう。レイ君はご存知ですか?」
「はい。僕も聞いた話ですが、確か」
と言いかけて、またエルトリアの表情が悲し気なことに気付いた。
敬語で話すだけでもダメなようだ。
「レイ君……」
「うっ、すみません。ごほん、えっと僕も聞いた話しなんだけど、確かこの街道は、戦時の行軍に使うために、普通の街道よりも広く作られたみたいだよ。ヴァーニング王国は昔から、獣人連合国と仲が悪かったらしいからね」
確かルイズがそんなことを言っていた気がする。
そんなことを思いながら話すレインに、エルトリアは尊敬したような眼差しを向けた。
「レイ君、物知りです! かっこいいです!」
「いえ僕も知人からの受け売りですから――、僕もただの受け売りだよ、エル!」
気を抜くと、つい敬語に戻ってしまう。
無駄に真面目なレインは、その度にエルトリアのことを『普通の女の子』なのだと自分に言い聞かせて、言葉を直した。
「それでも素敵です、レイ君!」
ちなみに恋人という設定でも、エルトリアの話し方は変わらない様子だった。
◇
夕暮れごろ、いくつかの農村を経由した乗合馬車は、ようやくウノの街へと到着した。
経由した農村で、食事休憩などを挟みながらの移動だった。
だから座りっぱなしだったということはない。
だがレインは、それでも少しお尻が痛いような気がした。
そして胸中でイヴセンティアに謝った。
あんなに叩いてごめんなさい、と。
「エル、宿を探そう」
レインは一日中ずっとエルトリアと会話をしていたので、かなり砕けた話し方に慣れてきた。
しかし、やはり内心では違和感が拭えない。
正直、敬語で話していた方が落ち着く。
とはいえこんな微妙なタイミングで「やっぱり恋人のフリはやめましょう」とは言い出せない。
せめて今日一日は、この設定を続けるべきだろう。
そう考えて、心の中では常に『エルは王女様じゃない、エルはただの女の子、普通の女の子』と自分に言い聞かせている。
必死だ。
一方のエルトリアは、レインに普通に接してもらえて嬉しそうにしている。
「はい、レイ君」
花が咲いたような可愛らしい笑顔。
ウノの街の男たちが、エルトリアに見惚れてしまうのも仕方がないだろう。
レインも他の男たちと同様に、その魅力的な笑顔に見惚れてしまった。
そんなレインの腕に、エルトリアが抱き着く。
ふにゅん――。
と柔らかい感触。
温かくて気持ちが良い。
オーファやセシリアほどの大きさはないが十分である。
レインは、ほわぁと脳が蕩けそうになった。
だが慌てて頭を振って、気を引き締める。
「エ、エル、これは流石に……」
不味いだろう。
そう思ったレインだったが、今は恋人同士という設定だったことを思い出して、むしろこういうことをするべきなのだろうかとも考えた。
だがもう子供ではないのだから、過度な触れ合いは控えるべきだという気もする。
しかしセシリアはよく「子供はそういうことをしてはダメ」と叱っていた。
なら逆に、大人になった今なら問題ないのだろうか。
いやいやそんな馬鹿な。
エルトリアは王女様だ。
子供とか大人とかいう問題ではない。
だがなぜエルトリアはこんなにも触れ合いを好むのだろうか。
もしかしたらお城暮らしの王女様だから、異性との距離感がわからないのかもしれない。
だとすれば自分がしっかりと諫めて差し上げるべきだ。
でも今のエルトリアは王女ではなく『普通の女の子』だ。
そうであるならば、やはり触れ合っていても問題がない気もする。
とはいえ『普通の女の子』というのはあくまでも設定だ。
本質的には王女様なのだから、やはり控えるべきだ。
いやいや、だが、しかし、と頭を悩ませる。
そんなレインの耳に、遠巻きに見ているウノの街の住民たちの声が聞こえてきた。
「あんな美人が、なんであんなに普通な顔の男とっ!?」
「なんて美少女だ! うちの母ちゃんと同じ女とは思えねー!」
「手を繋ぐだけでも羨ましいのに、腕に抱き着かれるなんて!」
どうやらエルトリアの美しさに驚いているようだ。
それなりに遠くで話しているはずなのに、なぜかレインにはそれらの声を聞きとることができた。
そして思った。
あれ? 悪目立ちしないための恋人設定のはずなのに、すごく目立ってる?
この恋人設定、もしかして意味ない?
というか逆効果?
ならばもうやめるべきだろうか?
そう考えて、腕に抱き着いて来るエルトリアに視線を向けた。
にこっ。
と素敵な笑顔を見せてくれた。
とても可愛らしい。
とてもではないが、「エルトリア様が考えてくれた恋人設定は意味がないので止めましょう」なんて言えない。
「エル、行こうか」
「はい、レイ君」
結局、レインはエルトリアに腕に抱き着かれたまま歩き始めたのだった。
◇
宿屋の前。
エルトリアは顔面蒼白になっていた。
いざ宿屋に入ろうとしたタイミングで、とても重大な事実に気付いてしまったのだ。
「レイ君、わたくし、お金を持っていないです……」
だらだらと冷汗が止まらない。
エルトリアは普段から自分の財布を持ち歩いたりしていないので、うっかりお金のことを失念していたのだ。
馬車の乗車券や昼食もレインが買ってくれたので、王都を出てもお金を持っていないことに気付いていなかったのである。
あわあわとするエルトリアを安心させるように、レインが声をかけた。
「大丈夫だよ、エル。僕の所持金だけでも2人分払えるから、気にしないで」
「ごめんなさい、レイ君。わたくし……」
エルトリアは落ち込んだ。
レインの役に立ちたくてついてきたのに、思いっきり足を引っ張っている。
自分など、一緒にいないほうがマシではないだろうか。
でもだからといって、今更引き返すこともできない。
きっとオーファなら、もっといろいろと上手くやれるのだろう。
そう思うと、悔しくて、情けなくて、涙が出そうになる。
だが泣いてしまうと、余計にレインの迷惑になってしまう。
これ以上、迷惑をかけたくない。
その一心で涙が出るのを必死に堪える。
エルトリアは口をむにゅむにゅ動かしながら、瞳を潤ませた。
涙が溢れないように、上を向いている。
意地らしく、とても健気だ。
その姿はレインの庇護欲を激しく刺激した。
思わず、抱きしめたい衝動に駆られる。
頭を撫でて慰めたい。
だが流石に自重して、励ましの言葉だけをかけた。
「エル、元気を出して? こんなことくらい平気だから、一緒に試験を頑張ろうね?」
「レイ君……。はい! わたくし、頑張ってレイ君のお役に立ちます!」
エルトリアはやる気を漲らせたのだった。
◇
宿屋の中に入ったレインたちを出迎えてくれたのは、恰幅の良い女将だった。
「いらっしゃい。おや、ずいぶん可愛らしい娘だね? 彼女かい?」
女将はエルトリアを見て目を丸くした後、むふふと笑い、レインに問いかけてきた。
そういう話が好きなのだろう。
レインはなんと答えようかと思ったが、せっかくなので恋人設定を活かすことにした。
「はい、僕には過ぎた彼女です」
内心を隠しつつ、しれっと言ってのける。
一方のエルトリアは、レインの言葉にきゃあきゃあと喜んでいた。
「むふふ、お熱いねぇ。さて、部屋はどうする? こっちが料金表だよ」
そう言いながら、手書きの料金表をレインへと手渡す。
料金設定は、『1人いくら』ではなく、『1部屋いくら』となっているようだ。
一緒に泊まる人数が増えれば増えるほど、1人当たりの料金が安くなる仕組みである。
王都ではあまり見ない料金設定だ
不思議に思ったレインはそのことについて問いかけた。
「部屋単位で値段が決まっているんですか?」
「ああ、それは今だけの値段設定だね。最近は戦争が原因で、こっちに逃げてくる人が増えてるだろ?」
「はい」
王都にも多くの避難民が滞在している。
「当然、畑を捨てて逃げてくる家族連れも多い。そういった人たちはお金の手持ちが少ないから、家族全員で宿に泊まるなんて無理だ。でも小さな子供たちに野宿は可哀想だろ?」
「そうですね」
穏やかな天気の日ならマシだが、雨風が強い日に野宿は辛いだろう。
「でも、だからといって私たちもタダで泊まらせるわけにはいかない。タダにしちまったら、他のお金を払ってくれているお客様に申し訳が立たないからね。それでも、なんとか人数が多い家族連れにも宿を利用してもらいやすいようにって理由で、今だけこういう値段設定にしてんのさ。ベッド1つの部屋に5人家族で泊まってもらえるなら、1人当たりの料金は、通常の5分の1になるからね」
「へえ、立派な考え方だと思います」
感心したように頷くレインを見て、女将は楽し気に笑った。
「あっはっは、私が考えたんじゃなくて、東部宿場組合が考えたのさ」
つまりこの宿屋だけが特別ではないらしい。
ギルドの取り決めということは、東部一帯の宿屋すべてがこの料金設定になっているのだろう。
「それでも、僕は立派なことだと思いますよ」
弱者を救済するために、宿屋全てがギルドの取り決めに従ったのだから、それはとても立派なことだろう。
そう思った。
そんなレインの言葉に、女将はむふふと笑い、エルトリアへと話を振った。
「なかなかいい男を見つけたじゃないか?」
「はい。なんといっても、レイ君はわたくしの自慢の恋人ですから!」
当然です! というふうなエルトリア。
ほどよく膨らんだ胸を張り、とても機嫌が良さそうだ。
「あっはっは、羨ましいねぇ。さて、それじゃあ部屋はどうするね?」
レインは料金表を見ながら、自分の財布の中身を思い出しつつ考えた。
エルトリアには気にするなと言ったが、それほど所持金に余裕があるわけではない。
「えっと、そうですね……、このベッド1つの部屋をお願いします」
悩んだあげく、一番安い部屋を選んだ。
帰りのことも考えると、あまり贅沢はできない。
女将に1部屋分のお金を渡すレイン。
ちなみにエルトリアはいろいろと想像して真っ赤になっている。
ベッド1つの部屋がいいなぁと思ってはいたが、本当にレインがその部屋を選ぶとは思っていなかったのだ。
顔がニヤケそうになるのを抑えるのに必死である。
女将もお金を数えながら、「若いんだから、そうこなくっちゃねえ」と喜んでいる。
「はい、お代は確かに頂いたよ、これが部屋の鍵ね。外に出かけるときは鍵を受付に預けてからにしておくれ。部屋はそっちの階段を上った先だよ」
「はい、わかりました」
鍵を受け取ったレインに、女将がむふふと笑いながら言葉を付け足した。
「シーツは汚しても良いからね。うちは防音設備もばっちりだから、安心していいよ」
その言葉に、エルトリアの顔がさらに赤くなったのだった。
◇
部屋の前まで来たレインは、エルトリアを部屋の中へ入れると、こう言った。
「僕はもう一部屋借りてそっちに泊まるから、エルはこの部屋でゆっくり休んでね」
一応、恋人のフリは続けている。
朗らかな笑顔の言葉。
とても自然体だ。
だがエルトリアは直感で思った。
絶対に嘘だ! と。
その直感通り、嘘である。
レインはこっそり野宿するつもりなのだ。
部屋を2つも借りるお金なんてない。
ベッド2つの部屋を借りる余裕もない。
だからエルトリアに1人で部屋を使ってもらうには、レインが野宿をするしかないのである。
しかし正直に「野宿する」と言うと、エルトリアが心配すると思って、「もう一部屋借りる」という嘘を吐いたのだ。
「レイ君、うそ、ですよね?」
「あ、いえ、えっとですね」
レインは速攻で嘘がばれたことに動揺して、つい敬語に戻ってしまう。
「わ、わたくしが、お金を持ってこなかったばかりに……」
罪悪感に瞳を潤ませるエルトリア。
「ち、違います、エルトリア様。決してエルトリア様が悪いわけでは」
慌てるレイン。
最早、恋人設定を続ける余裕などない。
「お願いします、レイ君、わたくしと同じ部屋に泊まってください!」
「え!? そ、それはいくらなんでも不味いですよ! 僕は野宿でも平気ですので、お気になさらないでください」
昨晩はよくわからない内にイヴセンティアと一緒に泊まることになってしまったが、流石にエルトリアと一緒に泊まるのは不味い。
イヴセンティアと泊まった部屋は広かったから、同じ室内でも離れた場所で眠ることができた。
だが今日の部屋は広くない。
離れて眠るにも限度がある。
未婚の男女がこんなに近くで眠るなんてよくないことだ。
そう思ったからこそのレインの言葉である。
しかしエルトリアは引き下がらない。
「いいえ、気にします! レイ君が野宿をしてしまうと、わたくしはそのことが気になって、きっと眠ることができません。明日は寝不足で倒れてしまうかもしれません。もしかしたら、それが原因で試験に落ちてしまうことも考えられます」
「そ、そんな」
大げさな。
と思うものの、エルトリアは真剣だ。
自分を盾に取ってまで、レインに野宿をさせまいと必死である。
「ですからわたくしのために、どうか同じ部屋に泊まってください。お願いします、どうかこの通りです! 愚かなわたくしのために、どうかお願いします!」
深々と頭を下げるエルトリア。
「と、泊まります! 同じ部屋に泊まりますから、頭を上げてください、エルトリア様!」
最早レインに断ると言う選択肢はなかった。
◆あとがき
超絶美少女の王女様に同室に泊まるよう頭を下げられるなんて興奮するわぁ、流石レイン君やで(´v`*)←
そんなわけで、あっさり王女様であるエルトリア様と同室に泊まる気になったレイン君。
昨晩、大貴族であるイヴ先輩とお泊りしたことで、レイン君の中でその辺のハードルが少し下がってます。




