61:雨がふる夕方
以下、ネタバレを含む注意事項。
前回のあとがきにも書きましたが、オーファちゃんと一緒にいるのはミディアちゃん(♀)です。
昼過ぎ。
どんよりとした雲。
夕方には通り雨が降りそうな天気だ。
レインは王立学院から自宅への道を歩いていた。
卒業試験の説明を聞いた直後なので、頭の中では今後の予定について考えている。
「明日の朝出発しろ」と言われているので、大慌てで用意しなければならない。
まずは家に戻って装備や荷物の確認。
それからギルドへ行って、しばらく留守にすることを報告。
「試験の詳しいことを話してはいけない」と言われているが、黙って留守にするわけにもいかない。
報告の後は、足りない物や携帯食料を買い足して、早めに就寝。
明日の早朝に東門から馬車に乗り、王都を出発。
とりあえずの予定はこんなところだろう。
レインは足早に中央区から東区に渡り、家路を急いだ。
公園の横を通り、商店街へと入る。
この先の住宅街に家がある。
だが商店街へ入ったところでレインの足が止まった。
オーファを見かけたからだ。
オーファは1人ではなかった。
知らない男と歩いていた。
大好きなオーファが、知らない男と手を繋いで――。
その光景を見た瞬間、レインの足は硬直したように動かなくなった。
ズキリと心臓が痛む。
呼吸が乱れ、声を出すこともできない。
視界が揺れ、嫌な汗が吹き出る。
苦しい。
無意識の内に、右手が腰の剣を探していた。
だが幸か不幸か、今は帯剣していなかった。
◇
オーファもレインに気付いた。
喜んでレインに声をかけようとした。
次に、ミディアもレインに気付いた。
男の子みたいな自分の姿を見られたくないと思った。
だから自分の姿を隠すために、オーファにしがみ付いた。
レインに背中を向けるようにオーファに抱き着き、顔を隠すために深く密着する。
「ご、ごめん、オーファちゃん」
「仕方がないわね」
オーファは、ミディアの気持ちがなんとなくわかったので振り払わなかった。
男の子っぽい姿を見られたく気持ちは、理解できなくもない。
それに、レインの友達でもあるミディアを無下に扱うのは憚られる。
もしミディアが本物の男だったら、しがみ付かれそうになる瞬間に殴り飛ばしていたが、今回は仕方がないだろう。
オーファは基本的に面倒見が良い。
怯えたように身体を震わせるミディアを軽く抱き、頭を優しく撫でる。
よっぽどレインに今の姿を見られたくないのだろう。
それだけレインを大切に想っているということだ。
オーファとしては、このようなミディアの反応は好感が持てる。
レインをイジメるクズ共より何倍も良い。
大好きなレインを大切に想ってもらえることは嬉しいことだ。
レインが人気者なら、自分も嬉しい。
仕方がない。
と、オーファはミディアを庇うように抱き、レインに視線を送りつつ、手で離れてくれるように合図を贈った。
それを見たレインは進路を変えて、去っていった。
やけに足早だ。
ミディアの様子に何かを察してくれたのだろうか。
なんにせよ申し訳ない。
オーファは後で謝りに行こうと思った。
それからしばらくして、ようやくミディアが落ち着いてきた。
「レインくん、もういない?」
「ええ、速足で向こうの方へ行ってくれたわ。あんたが震えているから、気を遣ってくれたみたいね」
「えっ、レ、レインくん、私ってわかったのかな?」
不安そうなミディア。
「さあ、わからなかったんじゃ――」
言いかけてオーファは思った。
――あれ? じゃあ、レイはいったい誰だと思ったんだろう?
オーファは首を傾げつつ、チラッとミディアの姿を見た。
今のミディアは遠目に見たら男の子に見える。
もしかしたら、レインからも男の子に見えたかもしれない。
――それじゃあつまり、レイからは、あたしと誰か知らない男の子が抱き合っているように……。
そう考えて、オーファの顔から血の気が引いた。
オーファは慌てて、さっきの自分の行動を思い出した。
ミディアを軽く抱き、頭を撫で、レインに離れるように合図を送った。
視線と手だけの合図だ。
声さえかけていない。
レインには、まるで邪魔者を追い払うように見えたかもしれない。
最低だ。
去り際のレインはまったくの無表情だった。
いつもとは様子が違った。
なぜさっき気付かなかった。
いつもレインを一番に考えているのに。
なんで、さっき気付かなかったんだ。
オーファの心に焦りが募る。
「ど、どうしたのオーファちゃん?」
「ごめん、ミディア。買い物はまた今度!」
オーファは走った。
どこへ向かえばいいかなんてわからない。
だがとにかく走った。
早く誤解を解かなければ。
さっき一緒にいたのはミディアだったと言わなければ。
でもどこだ、どこを探せばいい、どこへ。
家か、ギルドか、公園か。
どこだ、こういうときレインはどこへ行く。
どこを探せばいい。
どこへ。
行く先もわからず、オーファは走った。
◇
レインは今日の予定を大幅に変更した。
家に帰り、荷物をまとめて、そのまま試験のために家を出ることにしたのだ。
今日は王都の外れの宿に泊まり、明日の未明に馬車に乗る予定だ。
準備をしながらも、さっき見た光景が脳裏にチラつく。
知らない男がオーファに抱き着いて、オーファがその頭を優しく撫でていた。
それから自分を追い払うような仕草をした。
邪魔者は失せろと、そういう意味か。
レインはイラだった。
オーファは最初から、自分が見ていることに気付いていた。
つまり見られているとわかっていて、男と抱き合い、頭を撫でたのだ。
わざわざその光景を見せつけてから、追い払ってきた。
なぜそんなことを?
わからない。
女の子の気持ちなんてわからない。
考えても答えなんて出ない。
そもそもあの男はオーファのなんだ?
抱き合うような関係。
つまり恋人。
そう考えるのが普通だろう。
一方の自分はオーファのなんだ?
ただの友達。
自称、親友。
自称、家族。
それだけだ。
レインは暗い気持ちになりつつ、装備を整えていく。
ブーツをはき、革の装備を着け、剣を帯びる。
気持ちが落ち着かない。
頭の中がざわつく。
剣の鞘に手を当てて、ふと考えた。
さっき帯剣していたら、自分はなにをしていたのだろうか。
あの男に斬りかかっていたのか。
その結果どうなる?
オーファはあの男を守るだろう。
そうなれば、自分はオーファに斬り殺されていた。
当然の結果だ。
では、帯剣した今の自分はこれからどうする?
あの男を殺しに行くのか?
なんのために?
大好きなオーファを独占するために?
馬鹿な。
そんなこと許されるはずがない。
それに、そんなことをした自分を、オーファが許すはずがない。
そもそも、オーファの大切な人を殺すなんてできない。
きっとオーファが悲しむ。
不幸になる。
それはできない。
そんなことできるはずがない。
オーファを悲しませることなんて、絶対にしたくない。
それでは、これから先、自分とオーファの関係はどうなるのだろうか。
恋仲にはなれない。
オーファがそんな不義理をするはずがない。
なら友達のままだろうか。
いや、それすらも無理かもしれない。
オーファが彼氏への操を立てるために、男友達との縁を切ると言い出すかもしれない。
真面目で優しいオーファのことだ、彼氏のためを思ってそうすることは十分にあり得る。
さっき追い払われたのは、つまりそういうことだろう。
最早、自分はオーファの友達ではなく、ただの邪魔者。
友達ですらいられない。
オーファと一緒にいられない。
それは辛い。
例え、オーファに彼氏がいるのだとしても、他に好きな人がいるのだとしても、ずっと一緒にいたい。
自分は友達のままでもいいから、一緒にいさせてほしい。
ときどきでいい、少し会話させてもらえるだけでもいい。
手を繋ぎたいだなんて言わない。
一緒にいられればそれでいい。
友達でもいいから――。
「はは……」
なんて未練がましい。
そう思って、レインは自嘲気に笑った。
自分のような男、オーファに好きになってもらえなくて当然だ。
湧き出るのは後悔ばかり。
なんでもっと好きになってもらう努力をしなかったのだろうか。
どうすれば好きになってもらえたのだろうか。
オーファはどんな男が好きなのだろうか。
照れたりせずに、もっと積極的に接するべきだったのだろうか。
もっと正直に気持ちを伝えていれば。
素直になっていれば。
「オーファ……」
だが、なにを考えても遅い。
全部手遅れ。
なんで自分は生きているのだろうか。
レインは暗い考えに支配されつつ、手荷物を持って部屋を出た。
◇
レインが部屋を出ると、オーファがいた。
レインはどんな顔でオーファと話せばいいのかわからず、表情を消した。
オーファの顔を見るのが辛い。
だから視界が狭まるように、すっと目を細めた。
オーファの顔を見ないように、オーファの首の辺りに視線を固定する。
「レイ、あのね、あたしがさっき一緒にいたのは――」
その先の言葉は聞きたくない。
そう思ったレインは、咄嗟に言葉を被せた。
「僕、行くところがあるから、話してる時間ないんだ。ごめん」
もしオーファに「あたしがさっき一緒にいたのは彼氏なの」と言われたらと思うと怖い。
友達ですらいられなくなるかもしれない。
決定的な言葉を聞くのが怖い。
これからも友達としてでいいから一緒にいたい。
だから今はオーファと一緒にいたくない。
一緒にいたいから、一緒にいたくない。
もう、自分でも、どうしたいのかわからない。
胸の奥が気持ち悪い。
「き、聞いて、さっきのは――」
聞きたくない。
「ごめん。急いでるから」
レインはオーファの顔を一瞥たりともせずに、その横を通り抜ける。
視線を地面に移し、足を速める。
「あ、あたしも一緒に」
オーファがついてこようとした。
だがレインは思った。
嫌だ、一緒にいたくない。
話しの続きを聞きたくない。
だから、言ってしまった。
「ごめん、ついてこないで」
少しだけ、冷たい声が出てしまった。
大好きなオーファに酷いことを言ってしまった。
嫌われてしまったかもしれない。
そんな現実、知りたくない。
考えるのが怖い。
「……あたし待ってるから、レイが帰ってきたら、話し、聞いてくれる?」
「…………うん」
レインはなんとかそれだけ答えると、足早にその場を立ち去った。
オーファが付いて来る足音は聞こえない。
そのことに安堵する自分が、心底、嫌だった。
◇
レインが立ち去った家の前。
オーファは涙が溢れそうになるのを必死に堪えていた。
レインにあんな表情を向けられたことも、あんな声をかけられたことも初めてだ。
明確な拒絶だった。
嫌われてしまったのだろうか。
そう思うと、怖くて仕方がない。
「レイ……」
オーファはレインが向かった方を見た。
もうレインの姿は見えない。
追いかけていきたい衝動に駆られる。
だがそんなことをすれば、間違いなく嫌われる。
今は我慢だ。
焦らなくても、レインが帰ってくれば話を聞いてもらえる。
夕食には帰ってくるだろう、
遅くても夜までの辛抱だ。
じきに夕暮れだし、すぐに帰ってくるはずだ。
そう自分に言い聞かせる。
だが、もし帰って来なかったら?
それだけ自分と話すのが嫌だということだろうか。
嫌われてしまったということだろうか。
考えると怖い。
レインにフラれたら生きている意味なんてない。
そのとき、空からぽつぽつと雨が降り始めた。
ただの通り雨だ。
今の時期はよくある。
慌てることはない。
だが、無性に不安になる。
早く帰ってきてほしい。
オーファはレインが試験のためにしばらく帰らないことを知らない。
◆あとがき
いわゆる勘違いイベント。
すごいぞ、まるで恋愛小説みたいなイベントだ(・ω・´)←




