56:困惑の一日
朝。
いつものように配達から帰ったレインはセシリアに挨拶をした。
「おはようございます、セシリアさん」
「おはよう、レイン君」
いつになく機嫌が良さそうなセシリア。
優し気な笑顔。
昔から変わらず、とても綺麗な女性だ。
レインには、なぜセシリアが『三優美女』に数えられていないのか不思議だった。
別にオーファやエルトリア、イヴセンティアの容姿がセシリアに劣るとは思わない。
だが、セシリアがその3人に容姿で劣っているとも思えないのだ。
単に知名度の差なのだが、全員が身近な女の子であるレインには、微妙に釈然としなかった。
そんな考えを頭の隅に押しやりつつ、レインはいつものように問いかけた。
「なにか手伝いましょうか?」
「うーん、それじゃあ、朝食の用意を任せてもいいかしら? 私がオーファちゃんを起こしてくるから」
いつもとは役割が逆だ。
「え? はい、わかりました」
レインは不思議に思ったが、すぐに了解を返した。
珍しいことだが、姉が妹を起こすことは変なことじゃない。
むしろ、それこそが自然だとも思える。
「もうほとんどできてるから、盛り付けだけお願いね」
セシリアはそれだけ言い残すと、オーファを起こしに向かった。
◇
うっすら夢見心地のオーファ。
レインといちゃいちゃする夢を見ている。
幸せな夢だ。
……。
「っ!?」
オーファは突然、カッと目を開いた。
ベッドから跳ね起き、シーツを身体にまとい肌の露出を隠す。
レインが見たら目を疑うような素早い目覚めだ。
そして、剣を手に取――コンコン。
と、ノックの音。
「オーファちゃーん、朝よー」
セシリアの声。
「なんだ、お姉ちゃんかぁ。レイじゃないから驚いちゃった、ふわぁ」
オーファは欠伸をしながら、剣を置いた。
次いで、んーっと身体を伸ばす。
飛び起きたのは良いが、なんとなく寝覚めが悪い。
早くレインに会いたい。
そうしないと一日が始まらない。
「レイはぁ?」
「朝ご飯を用意してくれているわ。オーファちゃんも早く起きてきてね?」
「はーい」
返事をすると、セシリアが離れていく足音が聞こえた。
オーファは早くレインに会いたくて、素早く着替え始めたのだった。
◇
オーファが起きてきたので、3人そろって食卓に着いた。
だが朝食を食べ始める前に、レインが不思議そうに問いかけた。
「あの、セシリアさん?」
「なぁに?」
セシリアも不思議そうに首を傾げた。
「その、なんというか……、近くないですか?」
「そうかしら?」
そんなことはないと言いたげなセシリアの台詞。
だが、どう考えても距離が近い。
丸テーブルなので、いつもは3人とも等間隔に座っている。
しかし今はセシリアとレインの距離がとても近い。
ほぼ真横だ。
レインとセシリアが並んで座って、向かい側にオーファがいる。
3人の位置関係がおかしい。
絶対に変だ。
「お姉ちゃん?」
「なぁに、オーファちゃん?」
「え、いや、なにって」
オーファもセシリアの奇行に驚いているようだ。
たまに変なイタズラを思い付くセシリアだが、どうもそんな感じじゃない。
なにか変な物でも食べてしまったのだろうか。
それとも疲れが溜まっているのだろうか。
レインはそんなことを考えて心配になった。
一方のオーファは、とりあえず自分が仲間はずれになっている現状を改善しようと考えた。
自分もレインの横に座りたいと思って、椅子を引きずって動こうとした。
しかし、即座にセシリアに咎められる。
「オーファちゃん、お行儀が悪いわよ?」
「で、でも」
「でもじゃありません」
「うう、はい」
素直に言うことを聞くオーファ。
セシリアの機嫌が少し良くなった。
レインは混乱を極めた。
セシリアのお説教は正しい。
なにも間違ったことは言っていない。
だがなんだろう、この状況。
意味がわからない。
結局、そのまま朝食を食べ始めた。
いつものように、お互いの予定を確認し合う。
朝食を食べ終わっても、レインの困惑が収まることはなかった。
◇
王立学院、昼。
「わあ、レイ君の今日のお弁当、とっても可愛いです!」
エルトリアがレインの弁当を覗き込みながら言った。
弁当箱の中に広がる、桃色の食材で形作られた大きなハート。
ハートは昔から恋愛の象徴とされている。
女の子が好きそうな、可愛らしいお弁当だ。
エルトリア以外の女子も感嘆の声を上げている。
だがレインはお弁当の中を見て、固まった。
なんでお弁当にハート?
どういう意味だ?
考えても答えは出ない。
「ほお、セシリア殿、今日は随分と気合が入っているな」
イヴセンティアも感心している。
「イヴ先輩、これって、どういう意味かわかりますか?」
「どうって、それはやっぱり、…………どういう意味だろうな?」
イヴセンティアは首を傾げた。
最初は当然、恋愛的な意味だろうと思った。
だが、セシリアが作った弁当なのだから、それは違う気がする。
でも他の意味なんか思い付かない。
頭を捻るレインとイヴセンティアに、エルトリアが自信満々に言い放った。
「『レイ君のことが大好きです!』という意味だと思います」
エルトリアは、世界中の女の子がレインを好きになることは、当然のことだと思っている。
だからセシリアがレインのことを大好きでも、不思議とは思わない。
他の女子たちも、うんうんと賛同するように頷いている。
しかしレインとイヴセンティアは、いやいやそれはないだろうと思った。
もちろん、家族としての『大好き』ならあり得る。
レインもセシリアが大好きだ。
だが、どうにも腑に落ちない。
ハートで家族の親愛を表すだろうか。
こういうのは普通、男女の仲を表すものだろう。
でもそれはない。
だって、あのセシリアだ。
そんなことはあり得ない。
結局、昼休みが終わっても、レインの疑問が晴れることはなかった。
◇
放課後。
レインはキュリアに誘われたお茶会に参加していた。
場所はキュリア宅だ。
貴族街にある豪邸である。
ちなみにオーファには朝のうちに予定を話してあるので、今日の放課後は別行動だ。
オーファはギルドへ行くらしい。
いつものことといえばいつものことだが、おそらくセシリアのことが心配なのだろう。
レインもお茶会が終わり次第、すぐにギルドへ行くつもりだ。
「レインさん、今日はお越しいただき、ありがとうございます」
「いえ、僕の方こそ、お招きありがとうございます」
キュリアのお辞儀に、レインもお辞儀を返す。
お茶会が開かれているのは中庭のような場所だ。
草木がよく手入れされた綺麗な庭である。
お茶会には、高等部の女子14人が参加している。
エルトリアだけは王女の仕事があるらしく、不参加だ。
しきりに残念がっていた。
「さあ、レインさんはこちらの席にどうぞ」
キュリアに促され、椅子に座るレイン。
だが座ってから、ふと気付いた、
座らされた椅子が、明らかに他の椅子よりも豪華だ。
しかも、位置的にはここが一番上座である。
つまり一番偉い人が座るべき椅子だ。
ちなみにこの場で一番家格が高いのはキュリアである。
「あの、キュリアさん?」
別の席に移った方がいいだろうか。
そう思って問いかけた。
しかしキュリアはレインを豪華な椅子へと押し留める。
「レインさん、どうぞ掛けたままお待ちください。給仕は私たちが務めますので」
「え? キュリアさんたちが?」
「はい」
レインは使用人などが給仕を務めると思っていたので驚いた。
普通に考えれば、貴族令嬢であるキュリアたちが給仕を務めるのはおかしい。
だがキュリアたちは楽しそうにお茶の用意をしている。
「お手拭きをどうぞ」
「ティーカップはこちらをお使いください」
「お茶菓子をお持ちしました」
甲斐甲斐しくレインの世話を焼く、お嬢様たち。
もとい、レインのクラスメイトたち。
見ているだけというのはなんとなく落ち着かない。
「僕も手伝います」
「いいえ、レインさんはゆっくりお待ちください」
レインが立ち上がろうとすると、それをやんわりと止められる。
給仕をするキュリアたちはすごく楽しそうだ。
その楽しみを取り上げるのは可哀想かもしれない。
レインはそう思って、大人しく座っていることにした。
「それでは、お言葉に甘えさせていただきますね」
「はい、ありがとうございますレインさん。お任せください」
にっこりと微笑むキュリア。
キュリアたちはレインに尽くすことに喜びを感じている。
そうすることで、過去の罪を償えるような気がしているのだ。
もちろん、そんなことでは何も変わらないことくらいわかっている。
でも、キュリアたちにはそれくらいしかできることがなかった。
◇
お茶会が始まった。
だがほとんどの女子が立ったままだ。
一応、キュリアを含めた3名の女子は椅子に着いている。
しかし他の女子たちは座ろうとしない。
「あ、あの、皆さんは座らないのですか?」
レインが問うと、女子たちはにこやかに答えた。
「私たちも交代で休みますから、お気になさらず」
「レインさんはお茶を楽しんでください」
「お茶が冷めたら言ってくださいね。すぐに淹れなおしますから」
どうやら女子たちは給仕に徹するつもりらしい。
レインは申し訳なく思いつつも、淹れてもらった紅茶をそっと口もとに運んだ。
ふわっと漂う果実のような香り。
口に含むと、わずかな渋みと少しの甘みが広がった。
「とても美味しいです」
レインがそう言って褒めると、女子たちは嬉しそうに微笑んだ。
実はこの紅茶はとても高価だ。
添えてあるお茶菓子もすごく高い。
合わせて楽しもうと思うと、レインの一週間分の稼ぎが吹き飛ぶ。
それくらい高価だ。
だが誰もそれを言わない。
言ってしまえば、レインが遠慮して紅茶を飲んでくれなくなるかも知れないからだ。
一口、二口と紅茶を口に含むレイン。
その度に、キュリアたちは気分が良くなった。
◇
「あの、キュリアさん、これは?」
レインは目の前に置かれた革袋を見て首を傾げた。
「お茶会に参加してくださったレインさんへの贈り物です」
「それは……、いえ、ありがとうございます、開けてみてもいいですか?」
レインは、流石に贈り物までもらうのは気が引けた。
だがいきなり突き返すというのも悪い気がする。
なので、とりあえず中を確認してみることにした。
高価な物なら返そうと思ったのだ。
「ええ、もちろんです」
「では、失礼します」
キュリアの許可を得て、中を確認するレイン。
出てきたのは革の装備一式だった。
見るからに高そうだ。
「レインさんのお役に立つものをと考えまして、そのような物にしてみました」
そう言って微笑むキュリア。
だがレインは、当然のように恐縮した。
「あ、あのキュリアさん、こんなに高価そうなものをいただくわけには……」
装備を袋に戻し、すっと押し戻す。
するとキュリアたちが悲し気な表情になった。
心が痛む。
しかし、あまり高価な物をもらうわけにはいかない。
「でも、これはレインさんの身体に合わせて仕立てていただいた物です。ですので、レインさんに受け取っていただけないのなら捨てるしかありません……。この装備を無駄にしないためにも、どうか受け取ってください。お願いします」
「「「お願いします」」」
キュリアたちは一斉に頭を下げた。
断りづらい。
というか、断れるわけがない。
「あ、頭を上げてください。せっかくの贈り物を無下にするようなことを言ってしまって、申し訳ありませんでした」
「あの、でしたら?」
「はい、有難く頂戴いたします」
レインが受け取ると言ったことで、キュリアたちは満面の笑みを浮かべた。
「ありがとうございます、レインさん!」
「「「ありがとうございます!」」」
レインは、なぜ自分が感謝されているのだろうかと困惑したのだった。
◇
レインはキュリアたちの申し出で、革の装備を試着してみることになった。
だがそこにキュリアの妹、カルアがやって来た。
他の中等部の女子たちも一緒だ。
カルアは、キュリアによく似た可愛らしい女の子だ。
「レインお兄さまー、私たちとも遊んでくださーい」
カルアは甘えたような、媚びたような声でそう言いながら、レインのひざに跨った。
やや過剰に見える触れ合い。
アイシアの真似をしているのだ。
他の女子たちも、レインへと抱き着くようにスキンシップを取ろうとした。
レインは身体中を女の子の柔らかさに包まれて慌てた。
「カ、カルアさん、あの――」
「お兄さま、私たちとお部屋で遊びましょ? ね? お願いします」
「えっと、ですね、カルアさん。今はキュリアさんたちと――」
「たっぷり可愛がってください、お兄さまぁ♡」
カルアがレインの耳元で囁くように媚びた声を出す。
レインは背筋がぞくぞくとした。
深まる困惑。
キュリアは呆気に取られてその様子を見ていた。
しかし、はっと我に返ると、怒った声を出した。
「カルア、いい加減にしなさい!」
妹の行動を窘める姉。
極めて常識的な行動。
そんなキュリアへと、カルアはゆっくり視線を向けた。
その視線には侮蔑の色が混ざっている。
「あら、お兄さまをイジメていたキュリアお姉さま、いたのですか?」
嘲笑したような、馬鹿にしたような声。
レインに向けていた媚びた声とは全然違う。
冷たい声。
キュリアは苦い顔になった。
「そ、そのことは」
「言わないでほしいですか? いいですよ? それでイジメていた過去が無くなるわけではありませんけどね、イジメっ子のキュリアお姉さま」
ふん、と鼻を鳴らすカルア。
レインは、会話の内容から自分が姉妹喧嘩の理由だとわかってしまう。
そのせいでとても心苦しい。
もともと仲が良い姉妹の喧嘩だ。
なんとなく、セシリアとオーファが不仲にしているような光景を思い浮かべてしまう。
そんなの放っておけるわけがない。
「あの、カルアさん」
仲裁のために声をかけるレイン。
するとカルアは笑顔を作りなおし、媚びた声を出した。
「はい、なんでしょうか、お兄さまぁ」
「今日は、キュリアさんたちのお茶会にご招待いただいているので、カルアさんたちとは遊べません。せっかくお誘いいただいたのに、申し訳ありません」
「ああ、お兄さまは悪くありません、頭を上げてください」
わたわたと慌てるカルア。
根は悪い子ではないのだろう。
ころころ変わるカルアの態度に、レインは笑ってしまいそうになった。
だが今は真面目な話をしているところだ。
笑っている場合ではない。
「僕はキュリアさんたちに思うところはありません。ですからカルアさんも、キュリアさんを悪く言うのは、どうかやめてあげてください」
「……わかりました」
「わかってくれて、ありがとうございます」
「お兄さまは、やっぱり優しいです」
うっとりとレインを見つめるカルア。
ちなみにレインは、カルアをひざに乗せ、他の女子たちも身体中に抱き着いている状態だ。
そんな状態で真面目な話をしたことが、後から恥ずかしくなったのだった。
◇
なんだかんだとありながら、レインはようやく革の装備を試着するに至った。
軽くて動きやすい。
大きさも丁度いい。
強度もかなりありそうだ。
やはりとても良い装備なのだろう。
「とてもお似合いですよ、レインさん」
キュリアたちは、口々にレインを褒めた。
そしてこんなことを思った。
この装備を貢いだのは、王女エルトリアでも、神童オーファでも、騎士イヴセンティアでもない。
自分たちだ。
そのことにキュリアたちは興奮した。
優越感を覚えた。
もっといろいろと貢いで、レインの身の回りのものを、すべて自分が贈ったものにしたい。
そんな欲望が湧いたのだった。
◆あとがき
常識人がいないΣ( ̄□ ̄;!?
い、いや、マフィオさんたちは常識人ですので大丈夫です(・ω・´;)




