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55:変わりゆく夜

 夜、ラインリバー宅。


 セシリアは2階へと上がり、ノックをしてからレインへと呼び掛けた。


 「レイン君、お夜食作ったから一緒にどうかしら?」


 セシリアがときどき用意する夜食は、健康や美容にも配慮された一品だ。

 そうでありながら味も良く、レインとオーファには極めて好評である。


 なので、こうやって呼びに来ると、レインはいつも嬉しそうに出てきてくれる。

 美味しそうに食べてくれるので、セシリアにも夜食の作り甲斐があるというものだ。


 だが、今日はレインの返事が聞こえてこない。


 「レイン君?」


 もう一回呼びかけるが返事がない。

 夜なのであまり大声は出せない。


 ドアノブに手をかけてみると鍵が開いていた。

 外出はしていないようだ。

 寝ているのだろうか。

 それなら寝かせておいてあげるべきだろう。

 だがしかし、もしかしたら急性の病気で倒れているかもしれない。

 だとしたら大変だ。


 そんなふうに考えたセシリアは、部屋の中に入ってみることにした。


 「レイン君、入るわよ?」


 ただ寝ているだけなら起こすのも可哀想だ。

 なのでそっと中に入る。

 部屋の中は明かりがついたままだった。


 「レインくーん?」


 小声で呼びかけながらレインの寝室へと向かう。


 だが、ベッドには誰もいなかった。

 戸締りもしないで、どこかに出かけているのだろうか。

 そう考えたとき、お風呂場の方から音が聞こえた。


 ざぁー――。


 という、水が流れる音。

 どうやら、ただお風呂に入っていただけのようだ。

 なら安心である。


 セシリアは、ほっと胸をなで下ろし、外に出ようとした。


 そのとき、


 「あら?」


 ベッドの下から1冊の本がはみ出しているのを見つけた。


 セシリアは、レインが普段から整理整頓や掃除をきちっと行っていることをよく知っている。

 だからこそ、こんなところに本が落ちていることを不思議に思った。


 レインが知らないうちに、ベッドの下に入り込んでしまったのだろうか。

 だとしたら、本が見つからなくて困っているかもしれない。

 ここは本を拾って、棚の上にでも置いておいてあげるべきだろう。

 

 そう考えたセシリアは、その本を拾い上げた。

 そして、


 「え? これって……」


 本のタイトルを見て固まった。


 『お姉さんと僕~淫欲の夜~』


 どう見てもフェムタイ小説である。

 端的に言って、男性向けのエッチな本だ。

 15才未満のお子様には禁止されている。


 セシリアは真面目なレインがこんな本を持っていることに驚いた。

 そして、昔はあんなに小さかったのに、今はもう立派な大人の男なのだなぁ、としみじみと思った。


 だが嫌悪感は抱かなかった。

 聞きかじりの知識ではあるが、男の子がこういう本を持っていることは普通のことなのだと知っていたからだ。

 よく分からないが、きっと健康である証拠なのだろう。

 なら、こういう本を持っていることは良いことに違いない。

 そう思い、無理やり納得した。


 それから、なんの気なしに、その本の中を見た。

 見てしまった。

 普段のセシリアなら、人の本を勝手に見たりしない。

 だが、エッチな本を見つけて動揺している今は、完全に正常な判断力を失っている。


 『僕は大好きなお姉さんの身体へと触れた。お姉さんの大きな胸を――』


 本には少年と女性との情事が色濃く書かれていた。

 親に捨てられた少年と、それを拾った大人の女性の淫欲に満ちた物語だ。


 セシリアは、登場人物を自分とレインに置き換えて読んでいた。

 大人の女性を自分に、少年をレインに。

 それが自然で、それこそが当然の配役だと思った。


 『レインお姉さんセシリアと唇を合わせた。すると、お姉さんセシリアの舌がレインの口の中に――』


 ねっとりと濃厚なキスの場面。

 セシリアにはキスの経験がない。

 だから、それがどれほど気持ちのいいことなのか、想像することが難しかった。


 でも、頭の中ではしっかりと、レインと自分がキスする場面が想像されていた。


 『レインはついにお姉さんセシリアと一つになった。お姉さんセシリアの脚がレインの腰に巻きつき、決し離さないように――』


 少年レイン女性セシリアが結ばれた。

 脳内に浮かぶ、裸で求め合う2人の姿。


 すごく胸がドキドキする。

 ページをめくる手が震える。


 「はぁ、はぁ……ごく」


 呼吸が乱れ、身体が熱くなる。


 そして、ふと思った。

 レインも同じように、登場人物を置き換えて読んでいるのだろうか、と。

 もしそうなら、つまり、レインは――。


 ――ガラッ。


 脱衣所の扉が開いた。

 レインがお風呂から出てきたのだ。


 「きゃ」


 セシリアは小さな悲鳴を上げ、慌てて背中に本を隠した。

 そのまま部屋の隅まで後ずさり、軽くタンスにぶつかる。


 「え? セ、セシリアさん?」


 レインは部屋にセシリアが来ているとは思っておらず、驚いた声を出した。


 レインの格好は、下はズボンを穿いているが、上半身は裸だ。

 お風呂に入っていたせいか、身体はわずかに上気している。

 黒い髪には滴がしたたり、そこはかとない色気がある。


 「あ、あの、私、あの、レイン君を呼びに、お夜食を作ったから、それで、あの」


 セシリアはいつになく動揺していた。

 レインを直視することができず、目が泳ぎ、必死に言い訳を捲し立てる。

 早くこの場所から立ち去るべきだとは思う。

 だが、本を隠し持っているから逃げ出すことも出来ない。


 そんな様子のセシリアを見て、レインは自分が半裸だから驚いてしまったのだと思った。


 「こんな格好でごめんなさい、替えの上着を用意するのを忘れていて」

 「ううん、レイン君は悪くないわ。私が勝手に入っちゃったのが良くないんだから」


 セシリアは首を振りながら、レインの姿を見た。

 よく鍛えられている身体。

 だが筋肉達磨というわけではない。

 全体的には細く、引き締まっている。

 均整がとれた、見事な肉体だ。


 あんなに小さな男の子だったのに。

 そう思いつつ、息を飲む。


 ちなみに、レインが筋肉達磨になっていないのは、冒険者たちの努力の結晶ともいえる。

 冒険者たちは、レインを筋肉達磨にしてしまったら、オーファやセシリアに怒られると思ったのだ。

 筋肉達磨の女性受けが良くないことは、身をもってよく知っている。

 そんなわけで、筋肉がつかない女性向けの訓練方法なども取り込みつつ、レインの肉体を創り上げたのだ。


 さらに余談だが、成長したレインは表情の作り方が非常に上手い。

 顔の造りは普通なのだが、きりっと引き締まった凛々しい表情だ。

 そのせいで、どことなく男前に見えなくもない。


 セシリアは男の外見など重視しない。

 だがしかし、それが自分と一番親しい男の子レインだと思えば話は別だ。

 別にレインがどんな容姿でも良いのだが、急に大人の男になったことを見せつけられた気がして、ひどく落ち着かない気分になる。


 鼓動が早まり、顔が熱い。


 「セシリアさん」


 レインがゆっくりと近付いて来る。


 「レ、レイン君?」


 セシリアはなぜレインが近付いて来るのかわからず、さらに動揺を深めた。

 後ろ手に本を隠したまま、タンスの前に立ち、そわそわとする。


 レインが目の前まで来た。

 レインの方が背が高い。

 昔はあんなに小さかったのに。


 「セシリアさん、いいですか?」

 「ダ、ダメよ、レイン君。下にオーファちゃんもいるのに……」


 もし、いなかったら?

 混乱したセシリアには、その先を考えることができなかった。

 すでに顔は真っ赤だ。


 「え? あの、タンスから上着を出したいので、少し横に退いてもらってもいいですか?」

 「へ? ……あっ、ご、ごめんなさい!」


 慌てて、ささっと横にずれるセシリア。

 自分の勘違いに気付き、恥ずかしさのあまり倒れてしまいそうだった。



 レインがタンスに手をかけたとき。


 ――コンコン。


 ノックの音がした。


 「レイ、入っていい?」


 オーファだ。


 オーファはさっきまで、1階の夜食の前で大人しく待っていた。

 だがいつまで待っても下りてこない2人に、いい加減に痺れを切らして様子を見に来たのだ。


 レインは服を着るまで待ってもらおうと思った。

 でも、セシリアが中にいるのに、オーファだけ外というのは可哀想だと考えて、入室の許可をした。


 「いいよ、オーファ」


 だが、レインが許可を出したことで、セシリアは慌てた。


 「あっ、オ、オーファちゃん、待って、今はダメ――」

 「もー、お姉ちゃん、遅い――。 ……なんでレイが裸で、お姉ちゃんが真っ赤になってるの? ……2人でなにしてたの?」


 すぅっとオーファの目が据わった。

 その目は真っすぐにセシリアを捉えている。


 ビクッと震えるセシリア。


 「あ、あのね、オーファちゃん、これは、その」


 しどろもどろになりつつも、言い訳をしようとする。

 だが、なにを言えばいいのかわからない。


 エッチな本の登場人物を、レインと自分に置き換えて読んでいたこと。

 レインの身体を見て、妙な気分になっていたこと。

 そんなことばかりが脳裏に浮かぶ。

 そんなことを言っては駄目だ。


 ちらっとレインに視線を向ける。

 目が合った。

 なぜか心が落ち着いて、安心できた。


 セシリアの視線を受けたレインは、自分が事情を説明するべきだろうと思った。


 「オーファ、僕が上着を忘れてお風呂に入っちゃって、そのまま出てきたからセシリアさんを驚かせちゃったんだ」

 「ふーん、そっか。そうだよね」


 レインの説明に、さもありなんと納得するオーファ。


 「わかってくれた?」

 「うん、まあ、そんなことだろうと思ったわよ。まったくもう、レイはおっちょこちょいなんだから」


 そう言って笑うオーファ。


 おかしな誤解が解けてよかった。

 そう思って然るべきだろう。

 事実、レインはそう思っている。


 だが、セシリアは少しだけ、むっとした。

 言外に、自分とレインが良い雰囲気になるはずがないと言われた気がしたからだ。


 レインが求めているのは大人の女性だ。

 この本が証明している。

 つまり自分こそが求められている。

 オーファではなく自分が。


 そう思ったが、セシリアはなにも言わなかった。

 そっと後ずさり、こっそりと後ろ手でタンスの裏に本を隠し置く。


 その間も、レインとオーファの会話は続いていた。

 オーファがレインの身体を見ながら問いかける。


 「ね、ねえ、レイが嫌じゃなかったらで良いんだけど、ちょっとだけ触ってみてもいい?」


 オーファはレインの身体に興味津々だ。


 別にオーファは、『ほどよく筋肉のついた引き締まった異性の身体』に興味があるわけではない。

 レイン以外の引き締まった体系の男が半裸で立っていても、まったく興味など示さない。

 だが、レインの引き締まった身体には興味がある。

 もし、レインがぷくぷくに太っていても、それはそれで興味がある。

 がりがりに痩せていても、もちろん興味がある。

 つまり、レインそのものに興味があるのだ。

 世界で一番大好きな男の子なのだから、当たり前である。


 そんなオーファの興味を引いてしまったレインは少し困ってしまった。

 上半身の裸を見られるくらいなら、なんとも思わない。

 だが触られるのは、流石にちょっと恥ずかしい。

 特に今はセシリアがいるのだ。

 そんなことをしたら怒られるに決まっている。

 そう思い、断ろうと声を出そうとした。


 だがその前に、オーファが言った。


 「あ、あたしだけが触らせてもらうんじゃ、不公平よね? そ、そうだ、代わりにあたしも触らせてあげるわ! レイが触りたいって思ってくれるならだけど……。も、もし触ってくれるなら、どこでも好きなだけ触ってもいいわよ? ももも、もちろん、あたしも脱ぐわ!」


 オーファは早速とばかりに自分の服に手をかける。

 レインは慌ててそれを取り押さえた。


 「待ってオーファ、脱いじゃダメだよっ!?」

 「レイはあたしの身体、見たくないの?」


 微妙に不安そうで、ちょっと泣きそうな表情のオーファ。


 当然ながら演技ではない。

 アイシアとは違い、素で不安がっているのだ。

 いまいち自分の魅力を理解しきれていない。


 レインは思った。

 見たくないわけがない。

 見たいに決まっている。

 だって大好きな女の子・・・・・・・なのだ。

 触っても良いなら触りたい。

 当たり前だ。

 だが、そんなことを正直に言うのも間違っていると思う。

 だから邪念を押しやり、必死にオーファを止める。


 そんなレインとオーファに、本を隠し終えたセシリアがぷんぷんと怒りながら声をかけた。


 男と女がみだりに触れ合っちゃいけない。

 そういうことは子供には早い。

 いつも言っていることだ。


 今日も2人のお姉ちゃんとして、しっかりと注意しなければ。

 そんな決意に燃えている。


 「もう! 2人とも、大人になるまではそういうことをしちゃダメって」


 だが、そこまで言いかけて止まった。


 あれ? 2人とも、もう大人だ。

 もう2人とも子供じゃない。

 だったら、なにも問題ない?


 仲が良い大人の男女が、夜に仲良くするのは当然かもしれない。

 だったら、自分はただのお邪魔虫なのだろうか。


 朝は3人で、あんなに楽しかったのに。

 夜は2人だけで仲良くして、自分は1人お邪魔虫。


 2人ともあんなに小さな子供だったのに。

 今ではこんなに大きくなってしまった。


 いつかは皆、変わってしまう。

 当たり前のことだ。

 そんなこと、ずっと前からわかっていた。


 いつまでも変わらないのは自分だけ。

 昔からずっと変わらない姿、老いない心。


 みんなは年を重ね、相応の姿に変わり、心も変わっていく。

 なのに、自分はずっと変わらない。

 レインやオーファも変わってしまったのに、自分はなにも変わらない。


 これから先も、ずっと1人だけで、変わらないまま生きていく……。


 そう考えたとき、セシリアの心に暗い影が差した。

 どろどろとした、嫌な感情が溢れ出そうになる。


 しかし、セシリアがなにかを言う前に、レインが謝った。


 「ごめんなさい、セシリアさん」


 その言葉に、セシリアはほっとした。


 レインは昔から変わらない、素直な良い子のままだ。

 自分に懐いてくれている、可愛い良い子のままだ。

 真面目で努力家で優しい、そんな良い子のままだ。


 なにも変わっていない。


 だって、あんな本を隠し持ってまで、自分への情欲を隠していたのだ。

 ずっと我慢していたに違いない。

 なんて意地らしい、良い子なのだろうか。


 でも、こんな良い子なのに、いつかは変わってしまうのだろうか。

 いつかは誰かの手で、変わってしまうのだろうか。

 ずっと自分が大切に育ててきたのに、誰かがレインを変えてしまうのだろうか。


 そう考えると心が冷える。

 さっきはあんなにも身体が熱かったのに、今はすごく寒い。

 レインがいなくなるのが怖い。

 2階から出ていかないでほしい。

 ずっと一緒にいてほしい。

 変わらないでほしい。


 そうだ、どうせ変わってしまうのなら、いっそ自分の手で大人の男に変えてしまおう。

 そうすれば、自分も一緒に、大人の女に変われる。

 そうだ、そうすればいいんだ。

 だって、レインは自分のことを求めて――。


 「……あたし、もう大人だもん」


 オーファがそっぽを向いた。


 ああ、可愛いオーファが変わってしまった。

 昔は悪いことをしたら、素直に謝ってくれたのに。

 今は反抗的な態度をとって、謝ってくれない。


 変わってしまった。

 自分を差し置いて、変わってしまった。

 あんなに良い子だったのに。


 もう、戻らない。


 「オーファ、セシリアさんに謝らなきゃダメだよ」

 「うぐっ、ご、ごめんなさい、お姉ちゃん」


 オーファが素直に謝ってくれた。


 レインがオーファを戻してくれた。

 可愛くて素直なオーファに戻してくれた。


 これで今まで通り3人一緒だ。


 「ふふ、わかってくれたらいいのよ。さあ、2人とも、下で一緒にお夜食を食べましょう」


 いつものように、にこにこ優しい笑顔のセシリア。

 レインもオーファも、そんなセシリアが大好きだ。


 「はい、セシリアさん」

 「……実はあたし、ちょっとだけ先に食べちゃったけど」


 笑顔で頷くレインと、バツが悪そうに自供するオーファ。


 「もう、ちゃんと待ってないとダメでしょ?」

 「うう、ごめんなさい」


 セシリアがたしなめ、オーファが謝る。


 「ちゃんと素直に謝ってくれたから、許してあげるわね」


 セシリアは、にこにこと機嫌が良さそうだ。


 「セシリアさん、今日のお夜食はなんですか?」

 「今日はオーファちゃんの好きな――」


 そんな会話をしながら3人で1階に下りる。


 夜食の日はいつも楽しい。

 翌日に変な空気は残らない。 

 昔からそうだ。


 だが、セシリアはこの日、妙に興奮して、なかなか寝付けなかった。

◆あとがき


どっかのあとがきで、

『現状、ヒロインの中で一番病んでないのはアイシア様です』

と書いた通り、実はセシリアさんも少し(?)病んでます。


その病みは、ずっと若いままの自分に対するコンプレックスに端を発するものなので、オーファちゃんたちとは微妙に質が違います。


が、今回の話でその微妙に病んだ心が、レイン君への想いと混ざり合いました。

ヒャッハー、これはややこしいゼ!

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