51:橋
オーファたちは全力で走り、獣人たちから逃げていた。
すでに路地裏は抜けている。
もう夜だ。
時間が時間だけに人通りは少ない。
しかし、別に街が無人というわけではない。
にも関わらず獣人たちは、人目も憚らずにレインたちを追い回していた。
「待ちやがれガキどもッ!」
「八つ裂きにしてやる!」
「邪魔だぁ、退け人間ッ!」
口々に声を上げ、通行人を突き飛ばしながら走る獣人。
すでに秘密裏にことを運ぶ気はないようだ。
その追跡の足は速い。
「しつっこいわね」
うんざりとした様子で呟くオーファ
そのとき、イヴセンティアが問いかけてきた。
「はぁはぁ、オーファ殿、くっ、はぁ、どこへ向かう?」
体力の限界が近いのか息が上がっているようだ。
隠し切れない疲労が窺える。
長くは持たないだろう。
「イヴセンティアさん、わたくしの腕はまだ拙いですが、治療魔術を使います」
「はぁはぁ、エルトリア様、はぁ、助かります」
横抱きにされた状態のエルトリアが、イヴセンティアの体力を少しでも回復させようと魔術を使い始めた。
だが魔術での体力回復は難しく、効果は少ない。
イヴセンティアは依然として苦しそうなままだ。
オーファは走りながら、どこに逃げるべきかを思案した。
使節団――他の獣人――が待機しているかもしれない王城の方面は駄目だ。
学院という選択肢も、今の時間だとほとんど人がいないため、論外。
地の利がある東区でなら逃げきれるだろうが、少し遠い。
「イヴ、まだ走れる?」
「はぁはぁ、余裕だっ!」
イヴセンティアの男前な言葉を受け、オーファは逃走の足を東へと進路を向けた。
ついでに激励の言葉を送る。
「流石、エッチなパンツをはいてる女は違うわね!」
「そ、それは関係ないだろうっ!?」
顔を真っ赤にして反論するイヴセンティア。
思わず脱力してズッコケそうになってしまった。
もしこけてしまっても、オーファならそのまま引きずってくれそうではある。
だがそんな無様は晒したくない。
そう思い、必死に走る。
そんなイヴセンティアに、エルトリアが訝し気な視線を向けた。
「イヴセンティアさん?」
「ち、違うのです、エルトリア様! 私は別に、またレインにお仕置きして欲しいだなんて――」
――と、イヴセンティアは焦って、言わなくても良いことまで口走りそうになっている。
オーファはそれを背中越しに聞きながら、きっと今日もエッチなパンツを穿いているんだろうなぁ、と思った。
そのとき、オーファに抱き着いていたレインが、なにやらもぞもぞと動き始めた。
「ひゃっ、レ、レイ?」
「オーファ、ちょっとごめんね」
オーファとしては、レインにもぞもぞ動かれるのは嬉しい。
だが、今は全力で走っている最中だ。
「べ、別にあたしはいいんだけど、落ちないように気を付けてね!?」
そんなオーファの心配を余所に、レインは持っていた小物入れから、粉末薬を取り出した。
水と混ぜると潤滑性が高まり、ぬるぬるになる粉末薬だ。
器用に片手でふたを開け、すべての粉末薬を魔術で作った水へと混ぜこむ。
そして、それを水弾に見立て、追っ手くる獣人たちの足元へと放った。
「喰らえっ!」
――バシャッ!
と、地面に弾ける水弾ふうのぬるぬる薬。
それを見ていたイヴセンティアは、小声で「もったいない」と悲痛な声を漏らしていた。
「下手くそが、逃げ足は速いがただのガキだな!」
獣人たちは、レインが魔術の操作を誤って、水弾を地面に着弾させてしまったのだと思った。
だから構わず濡れた地面の上を駆け抜けようとした。
だが、
ぬるっ!
「ぬおぉっ!?」
と、1人の獣人が盛大に転んだ。
他の獣人たちは、レインが放った水弾が欺瞞であったことに気付き、咄嗟に濡れた地面を飛び越えた。
しかし、さらなる水弾ふうの何かが、何発も獣人たちの足元へと打ち込まれる。
――バシャン! バシャッ! バシャン!
実は、最初の1発以外は本当にただの水弾だ。
だが、獣人たちはそれに気が付かない。
「くそ、小癪なガキめ!」
地面を濡らされる度に、獣人たちはわざわざその場所を回避していく。
歯がゆいが、正体不明の転倒魔術を避けるためには慎重にならざるを得ない。
そんなこんなで、レインたちは、体力が切れかかったイヴセンティアの走行速度が落ち始めても、なんとか獣人たちに追いつかれずに、東区へと繋がる橋までたどり着くことができたのだった。
◇
橋へと踏み込むオーファ。
オーファはここさえ渡りきれば自分たちの勝ちだと思った。
この橋を渡れば細い道まで知り尽くしている、自分の庭のような東区だ。
そこまで行けば獣人たちの追手を振り切ることができる。
だが、橋の中腹へと差し掛かったとところで、1つの影が立ちふさがった。
オオカミの顔を凶悪に歪めて笑っている獣人、グレイだ。
剣を抜き、オーファの行く手を阻むように仁王立ちしている。
「ここを通すわけにはいかねーな」
チャイゲダやハイゲより一回り大きな体躯。
隙の無い立ち姿から漂う風格。
とてもではないが油断できる相手ではない。
横を素通りすることは不可能だ。
オーファは仕方なく立ち止まって、グレイを見据えた。
イヴセンティアから手を離し、レインも地におろす。
「誰だか知らないけど、邪魔よ」
「こいつは失礼、俺はグレイ・ウルフロード。今回、ヴァーニング王国を訪れた使節団の――」
「あんたの名前なんかどうだっていいのよ」
グレイの名乗りを遮って、八卦刀を構えるオーファ。
すぐ後ろには他の獣人たちが迫ってきているのだ。
のんびりと話している場合ではない。
イヴセンティアもエルトリアを地面におろし剣を抜く。
その顔には隠し切れない緊張が走っている。
「オーファ殿、奴は手強いぞ」
「そうみたいね」
だが、だからといって、大人しく捕まる気はないし、殺されてやる気もない。
「追いついたぞ、ガキども!」
「グレイ様、こいつらハイゲとチャイゲダをっ!」
「ぶっ殺してやりましょう!」
ついに獣人たちが追い付いてきた。
「ちっ」
オーファは思わず舌打ちした。
一瞬、レインだけでも川に投げ込めば助かるだろうかと考えた。
だが、空中に放り出されたレインは無防備になってしまう。
そこに短剣でも投げつけられたら、避ける手立てはない。
やはり自分の傍にいてもらうのが一番確実に守り切れる。
グレイが部下の獣人たちへと声をかけた。
「おい、他は殺しても構わんが、エルトリアだけは生かしたまま捕らえろよ。だが、エルトリアも生きてさえいりゃ、腕の1本や2本くらい無くなっても文句は言わん。好きにやれ」
グレイの言葉に、獣人たちは暴力的に笑った。
各々、武器を取り出し、牙を剥きだし、じわじわと距離を詰めてくる。
レインたちの頬に嫌な汗が伝った。
後方から迫る獣人たちも脅威だが、グレイから目を離すこともできない。
万事休す。
だがそのとき、獣人たちから悲鳴が上がった。
「ぎゃああああっ!」
「な、なんだテメェら!?」
「3人がかりなんて卑きょ――、ぐわぁっ!!?」
阿鼻叫喚の獣人たち。
どうやら獣人たちは背後から奇襲を受けているようだ。
レインは何が起こっているのかと目を凝らした。
獣人を奇襲しているのは、良く見知った男たち。
冒険者だ。
「おい、オオカミども、俺たちの弟分を随分と可愛がってくれたみたいじゃねーか」
「礼はたっぷりしてやるぜっ!」
「腕の1本や2本で済むと思うなよ」
冒険者たちは複数人で獣人を囲み、1人ずつ確実に無力化していく。
巧みな連携で、息もしっかりあっている。
この場の制圧は時間の問題だ。
冒険者の中から、1人の男がレインたちの前へと歩み出た。
レインが最も信頼し、尊敬している男――。
「マフィオさん!」
「おうレイン、怪我はねーか? ちょっとばかり中央区を探し回っちまったぜ!」
そう言って、がはは、と笑うマフィオ。
マフィオたち冒険者は、約束の時間になってもレインがギルドに戻って来ないことを心配して、中央区まで探しに出ていたのだ。
まずは、事前にエルトリアを王城に連れていくと聞いていたので、とりあえず王城に向かった。
だがその間に、裏路地にいたレインたちと入れ違いになってしまっていたのだ。
しかし、王城付近で子供たちが獣人から逃げ回っているという騒ぎを聞きつけて、慌てて引き返してきたのである。
「マフィオ? まさか、『黒騎士』マフィオディードか!?」
グレイは目を見開いて驚いた。
『黒騎士』の噂は獣人連合国でも有名だ。
人間の中でも屈指の実力者であることは確実。
もし本人だとすれば、少しばかり厄介だ。
『黒騎士』はヴァーニング王国の人間では無いはずだが、なぜこんな場所に。
そんな驚きの言葉に、マフィオは不愉快そうに眉をしかめた。
「懐かしい呼び名じゃねーか。だが、今はただのマフィオで通ってんだ、間違うな」
マフィオの片手には紫電が走る巨大な剣が握られ、もう片方の手には魔術陣が浮かんでいる。
「マフィオ兄さん、1人で良い格好をするのは、少しばかりずるいだろう」
ルイズが前へと歩み出て、マフィオの横に並んだ。
気の抜けた口上だが、その立ち姿にはまったく隙が無い。
片手に細身の剣を構えつつ、反対の手からは緑の炎を立ち昇らせている。
グレイはマフィオと並び立つ男を、『黒騎士』の弟、ルイゼンガルドだと判断した。
2人の男の迫力に、わずかに後ずさる。
それから自身の仲間たちへと視線をやった。
獣人たちは冒険者たちに取り囲まれ、1人ずつ着実に打ち倒されている。
まだ何人か立ってはいるが、このままでは全滅も時間の問題だろう。
作戦は完全に失敗だ。
であれば、やることは1つ。
「各自撤退ッ!」
グレイは大声で叫ぶと同時に、即座に撤退を開始した。
仲間のことを思えばこそ、ここで打ち倒されるわけにはいかない。
東門へ向かって一目散に駆ける。
マフィオとルイズは、その後を追わなかった。
敵の殲滅が目的ではないからだ。
他の獣人たちも、グレイの号令を受けて逃走を始めた。
「おい、撤退だ、俺たちも逃げるぞ!」
「頼む、連れていってくれ、脚をやられた!」
「俺に掴まれ!」
全員が散り散りになって、四方八方へと駆けだす。
北へと逃げ出す者。
倒れた仲間を担ぎ、南へと走る者。
冒険者たちの気を引きつつ、西へと向かう者。
冒険者たちは、逃げる獣人を追わなかった。
後は警備隊の仕事だろう。
――アオオォォォォォォォン。
どこかでオオカミの遠吠えが聞こえた。
するとそれに応えるように、王都中からオオカミの遠吠えが上がった。
仲間同士で連絡を取り合って、王都からの撤退を始めたのだろう。
冒険者たちは周囲に獣人が残っていないことを確認すると、勝利や無事を喜び合った。
「しゃあっ、勝ったぜっ!」
「全員、たいした怪我はねぇみてーだな」
「子供に手を出すふてぇ野郎どもに、俺たちが負けっかよ!」
口々に上がる喜びの声。
中には、獣人と戦ったことの感想も聞こえる。
「獣人の身体能力って、やっぱ半端ねーな」
「ぶっちゃけちょっとヤバかったぜ」
「そうだな。それでも勝ったのは俺たちだ。ほら、負け犬の遠吠えが聞こえるぜ」
――アオオォォォォォォォン。
「はは、確かに聞こえるな」
「まあ、全員無事ならなんでもいいぜ」
「ちげーねー」
「はっはっは」と冒険者たちは笑いに包まれたのだった。
◇
レインたちは冒険者たちの笑い声に、ようやく、助かったのだと実感することができた。
緊張から解き放たれ、全身の力が抜ける。
「マフィオさん、ルイズさん、ありがとうございました」
レインはマフィオたち冒険者全員に、お礼を言って回った。
冒険者たちは一様に、気にするなと言って笑ってくれた。
そして、お互いに無事を喜び合った。
その様子を眺めつつ、オーファは持っていた八卦刀を適当に投げ捨て、ぐったりと疲れた表情になった。
そして、しみじみとした言葉を発した。
「今更だけど、あたし、オオカミって嫌いなのよね」
イヴセンティアは、オーファが『狼殺し』の異名を得た経歴や、今回の出来事を考えれば、それも当然だと思った。
こんな経験が続けば、誰でもオオカミ嫌いになるだろう。
だが一応、苦言を呈しておくことにした。
「オーファ殿、十把一絡げにオオカミっぽいものを嫌うのは、いかがなものだろうか」
「あたしもなかなか素直でしょ?」
笑顔でそう言うオーファ。
イヴセンティアは、それを『素直』と表現しても良いのかわからずに、苦笑して誤魔化した。
そんな反応に、オーファは「冗談よ」と言いながら軽く肩を竦めてみせた。
それから、エルトリアへと視線を向け、気になっていたことを尋ねてみた。
「ところで、エルはよく炎弾をオオカミ人間に当てられたわね?」
いくら自分とイヴセンティアが陽動をかけていたとはいえ、簡単なことではない。
あの威力の炎弾を高速で正確に飛ばすには、かなりの技量が必要なはずだ。
それなのにエルトリアは、チャイゲダの鼻先に、見事に炎弾を命中させてみせた。
今の自分たちの年齢では、魔力強化系のスキルを持たないと難しいはずである。
そんなオーファの疑問に、エルトリアは胸を張って答えた。
「わたくし、魔術の扱いには自信があるのです」
エルトリアは、スキル鑑定の訓練をしている都合で、この年齢にしては魔力の操作が格段に上手い。
ひとえにレインのためにと磨いた技術である。
だからこそ、エルトリアは誇らしく胸を張っているのだ。
「ふーん、意外とやるわね。まあ、レイはあたしが守ってあげるから、あんたのことはどうでもいいんだけどね」
「わたくしの扱いがぞんざいですっ!?」
オーファがそうやってエルトリアを揶揄っていると、冒険者たちにお礼を言い終えたレインが戻ってきた。
そして、なぜか憤慨しているエルトリアの様子に小首を傾げたのだった。
◆あとがき
一波乱を終えたところで、次回は第二章エピローグです。
その後、小話を2つほど挟んでから第三章スタート予定です。
三章からはレイン君16才編となります。
Q:幸福の守護者って誰のことなの?
A:『答え』の候補は以下の通り。
レイン君を幸せにしたいと考えているエルトリア様。
そのエルトリア様ごとレイン君を守る決意を見せたオーファちゃん。
騎士(王国の守護者)であるイヴ先輩。
獣人からレイン君たちを守ってくれた冒険者たち。
レイン君に家や食事を与え、実質的な幸福と守護を与えているセシリアさん。
ぶっちゃけレイン君と仲が良い人は、みんな『答え』だと思っています。
え? キュリアちゃんたちですか?
キュリアちゃんたちは44話『うらやむ』以降、話の裏で病むことに忙しいですからね←
それにレイン君とそんなに仲がいいわけじゃないですし。
残念ながら『答え』じゃないです。




