47:張り合う
放課後。
レインはスキル鑑定をしてもらうために、エルトリアと一緒に家に帰ることになった。
だが、その前にエルトリアがアイシアを馬車の送迎場に連れていった。
アイシアも一緒に来たがっていたが、エルトリアには逆らえないようだ。
レインはその間に一足先に学院から出て、オーファに断りを入れることにした。
レインが学院から出ると、オーファはいつもの場所で待っていてくれた。
「レイ、今日は早かったわね?」
「うん、今日は特別授業だったから、少しだけ早く終わったんだ。……オーファ、あのね」
「なによ?」
微妙に言い淀むレインに、オーファが少しだけ訝し気な顔になった。
「実は今日、エルトリア様が家に来てくださるんだけど……、いい?」
「……いいわよ。別にあたしに気を遣わなくったって」
オーファは、以前レインがクラスの女子を連れて来たときにキレてしまったことを後悔している。
その失敗を繰り返すつもりはない。
それに前から、エルトリアとやらには会っておかねばならないとも思っていた。
実にいい機会だ。
もちろん、レインと学院の女子を取り成してくれたことには感謝している。
おそらく、イヴセンティアと同じく、レインが平穏な学院生活を過ごす上で必要な存在なのだろう。
だから力ずくでどうこうするつもりはない。
あくまで友好的に、誰が一番レインを守るに相応しいかを、はっきりさせてやるのだ。
◇
「レイくーん、お待たせしましたー!」
エルトリアが学院の正門から出てきた。
嬉しそうな笑顔でレインのもとへ、ぱたぱたと駆けてくる。
だが、オーファがレインとエルトリアの間に立ちふさがった。
エルトリアもオーファの前で足を止める。
そして、お互いに感情を消した顔で問いかけた。
「……あんたがエルトリア?」
「あなたがオーファさんですか?」
互いに無言で頷き合う。
高まる緊張感。
「レイが世話になっているようだから、一応、感謝しておくわね」
「わたくしがレイ君を大切に想うのは当然のことです。お気になさらず」
視線を絡ませ、一歩も引かない2人。
口調は平坦で静かだが、そこはかとない迫力が漂う。
「あんた、レイに近付いてどうするつもり?」
「そう言うあなたはどうなのですか?」
声を一段下げ、相手の目的を問いただす2人。
嘘を見逃さないように、すぅと目を細め、お互いの顔を覗き込む。
眼を飛ばし、睨みあっているともいえる。
「あたしがレイを守ってあげるのよ!」
「わたくしがレイ君を幸せにしてさしあげるのです!」
――ダンッ!
と石畳を踏みつけ、己の想いをぶつけ合う2人。
次の瞬間には胸倉を掴みあいそうな勢いである。
それに慌てたのはレインだ。
なぜ2人が険悪になっているのかはわからないが、このまま見ているわけにはいかない。
取っ組み合いの喧嘩になれば、当たり前だがオーファが勝つ。
でも、エルトリア相手にそれは不味い。
オーファが初対面の人に喧嘩腰なのはよくあることだが、流石に相手が悪い。
早く止めなくてはならない。
レインは、オーファがエルトリアに飛び掛かれないように、後ろから腕を回して身体を拘束し、耳元で小声で注意した。
「オーファ、エルトリア様に失礼だよっ」
後ろからレインに抱き着かれて、耳元で囁かれたオーファは、思わず顔が蕩けそうになった。
だがすぐに表情を引き締め直す。
そして、「ふふん」と笑い、勝ち誇った顔をエルトリアに向けた。
エルトリアは思った。
なんて羨ましい。
「レイ君、オーファさんから離れてください!」
珍しく声を荒げるエルトリア。
もちろんレインに対して怒っているわけではない。
だがレインは、エルトリアを怒らせてしまったと思った。
だから、とにかく謝らなければならないと思った。
「ごめんなさい、エルトリア様。ほら、オーファも謝って!」
オーファを羽交い絞めにしたまま、慌てて謝るレイン。
思わず、オーファに回した腕にも力が入る。
ぎゅぅ――。
後ろから強く抱きしめられ、オーファは機嫌が良くなった。
自分とレインはこんなにも親密で、エルトリアには『様』をつけて呼ぶほど他人行儀。
そう思うと、笑いが込み上げてきそうになる。
というか、すでに笑っている。
「えへへっ、わかったわ。ごめんねぇ、エルトリア様」
上機嫌で皮肉たっぷりにエルトリアに謝るオーファ。
殊更に敬称を強調し、レインとの親密度の違いを思い知らせようとする。
挑発ともいえるオーファの態度に、エルトリアは、むっとした顔つきになった。
レインとオーファの関係が妬ましい。
自分ももっと親しくレインと話がしたい。
「レイ君、わたくしのことも『エルトリア』とお呼びください。敬称など不要です」
だがそんなエルトリアのお願いに、レインは難色を示す。
「エルトリア様を呼び捨てにするのは流石に不味いかと……」
レインはエルトリアのことを、身分の垣根を越えて優しくしてくれる、敬愛すべきお姫様だと思っている。
だが、だからこそ、自分が節度を持って接しなければならないとも思っている。
親しき中にも礼儀は必要なのだ。
いくらエルトリア本人からの申し出でも、呼び捨ては自重すべきだろう。
そんなレインの対応に、さらにオーファが調子づく。
「残念だったわね、エルトリア様」
「くっ」
「レイ、ちょっとあたしの名前を呼んでみて?」
「『オーファ』。これでいい?」
「ふふふ、ありがと、レイ」
エルトリアの眼前で名前を呼び合う2人。
しかも、ずっとレインはオーファを後ろから抱きしめている。
まるでイチャイチャしているように見える。
「むぅ! お願いしますレイ君、『エル』でも構いません」
「いや、それもどうかと思うのですが」
エルトリアは、大貴族のイヴセンティアが『イヴ先輩』と呼ばれているのを思い出して、自分も『エル』という愛称で呼んでもらおうと考えたのだが、それすらも失敗に終わってしまった。
それでも、なんとかレインに敬称を付けずに呼んでもらいたい。
なにか手はないかと考え、咄嗟に、ふと思いついた愛称を提案してみた。
「『エルピッピ』でもいいですから」
言いながら、流石にこの愛称はないな、と自分で思ってしまった。
レインも、わずかに口もとを引きつらせるせている。
それに恥ずかしくなって、わずかに頬を赤らめるエルトリア。
オーファがここぞとばかりにエルトリアを揶揄う。
「ちょっと、レイを困らせないでよねエルピッピ」
「あ、あなたはエルピッピと呼ばないでください!」
「じゃあなにピッピって呼べばいいのよ?」
「ピッピじゃありません、エルトリアです」
「わかったわ、エルトリア様」
にこっと笑顔になって、再び敬称を強調するオーファ。
無駄に可愛らしいのが余計に腹立たしいとエルトリアは思った。
悔しさから涙目になりつつ、ほっぺをぷくっと膨らませる。
「むううう! レイ君、わたくし意地悪されています!」
「ああっ、レイに泣きつくなんてズルいわよっ!」
「ちょっ、暴れないで、オーファ!」
レインの気苦労は続く。
◇
「レイ、今日は手を繋いで帰るわよ」
「で、でも、エルトリア様の前だよ」
少し恥ずかしい。
そう思ったレインだったが、オーファに引く気はないようだ。
「いいから、ほら」
「う、うん」
今日のオーファは少し強引だ。
普段なら、レインが拒めば無理強いはしない。
だが、レインを盗られるかもしれないと思うと、つい強引になってしまう。
レインの一番が誰なのかを見せつけてやりたくなってしまう。
当然エルトリアも、それを黙って見ているつもりはない。
「レイ君、わたくしとも手を繋いでください」
レインは、手を繋ぐくらいなら良いかなと思った。
さっき『エルトリア』と呼んであげられなかったことへの罪悪感が残っているのだ。
だからせめてそれくらいは、と考えたのである。
「はい、僕で良ければ――」
「ありがとうございます!」
レインの許可が出るや否や、その言葉が言いきられる前に、エルトリアがレインの腕に飛びついた。
自分の両腕で、レインの腕をぎゅっと抱きしめる。
ふにゅ。
っと、未成熟ながらもしっかり柔らかい女の子の感触がレインの脳髄を刺激した。
温かくていい匂いがする。
鎌首をもたげる不埒な思い。
だが今、男の子の部分が反応してしまうのは非常に不味い。
なにせ女の子2人に両腕を取られているのだ、隠すに隠せない。
前かがみにすらなれない。
レインは必死になって邪念を頭から吹き飛ばした。
「ちょ、ちょっとエル! レイにエッチなことしないでよ!」
心頭滅却しているレインの横で、オーファが吠えた。
大人しそうなエルトリアが大胆な行動に出たことで焦ったのだ。
「いいのです。だって前にレイ君は言ってくれましたもの。わたくしとこうするのは嫌じゃないって」
「なぁっ!? くっ、ぐぬぬぬ!」
つまりレインとエルトリアがこういうふうに触れ合うのは、初めてではないということだ。
レインが嫌じゃないなら、オーファとしても強く文句を言い辛い。
むしろレインがそれで喜ぶなら、そのままにしてあげたい気もする。
だが、それではあまりに悔しい。
オーファは無意識の内に、少しだけ、繋いだ手に力を込めてしまった。
「いたっ」
「あ、ご、ごめん、レイ」
慌てて手を離して謝るオーファ。
「ううん、ちょっと驚いたけど、大丈夫だよ」
レインはなんでもないようにそう言うと、すぐに笑顔を見せた。
「ごめんね」
「ううん、気にしないで」
お互いに気遣い合う2人。
なんとなく良い雰囲気。
当然エルトリアは面白くない。
「さあ、行きましょう、レイ君」
「は、はい、エルトリア様」
抱きしめたレインの腕を引いて歩き出す。
「ま、待ちなさいよ」
オーファも慌てて追いかけて、レインの腕に抱き着いた。
ふよん。
と、オーファの感触がレインの腕を包む。
エルトリアよりも発育が良いのか、少し大きい。
痩せているのになんで女の子はこんなにも柔らかいんだ!? とレインは軽く混乱した。
「あたしと、こういうことするのは……、いや?」
そんなに不安そうな顔で聞かれて、「嫌だ」なんて言えるはずがない。
「い、嫌なわけないよ」
むしろ心地よくすらある。
「そう、ありがと!」
そう言って、満面の笑顔になるオーファ。
レインはなぜ自分がお礼を言われているのかわからなかった。
だが、オーファが笑顔になってくれたのなら、それだけで嬉しい。
「むぅ、レイ君、わたくしにも、もっとかまって欲しいです!」
「ちょっとエルピッピ、レイはあたしと話してるのよ!」
「だからピッピをつけないでくださいと何度も」
レインは、自分を挟んで言い争う2人に引きずられるように、家へと向かって歩き出したのだった。
◆あとがき
キュリアちゃんという緩衝材のおかげで、オーファちゃんとエルトリア様の遭遇戦は比較的穏やか(?)に済みました。
2章開始時点のオーファちゃんは、
お姫様
↓
だぶん学園カーストの頂点
↓
イジメの元凶
みたいに考えていたので、この時に出会っていたらもっと殺伐としていたと思います。
Q:オーファちゃんっていつの間にそんなにもレイン君のことを好きになったの?
A:出会ってから4年の歳月をかけて、ゆっくりジワジワとじゃよ。
急速に固まった火山岩はもろいけど、ゆっくり時間をかけて固まったものは頑丈なのじゃ。




