45:混沌の校庭
ある朝。
レインが教室に入ると、エルトリアが嬉しそうに駆け寄ってきた。
まずは軽く挨拶を済ませ、それからそっとレインに耳打つ。
「レイ君、獣人用のスキル辞典が届きました」
「もう、スキルの効果はお調べに?」
教室の中なので、『スキル共有』などの単語は伏せての会話。
エルトリアは小さく横に振って答えた。
「いいえ、鏡で見ながらだと、左右反対になってしまうせいで難しくて」
「なるほど」
レインはエルトリアの言葉に納得した。
文字を左右逆さまにしただけでも読むのは難しいのだ。
左右逆さまのスキル紋なんて、さぞ難解なことだろう。
「なのでよければ、今日の放課後、またレイ君のお家にお邪魔してもいいですか?」
つまり、直接レインにスキル鑑定をしたいということだ。
確かにその方法が一番手っ取り早く、確実だろう。
「エルトリア様に問題がなければ、ぜひ、よろしくお願いします」
お礼を言うレイン。
内緒話の最中なので、頭を下げることはできない。
その代わり、精一杯の誠意と謝意を伝えるために、真剣な眼差しをエルトリアへと向けた。
そんなふうにレインに見つめられたエルトリアは、
「はうっ。わ、わたくし、レイ君のために頑張ります!」
と、一層のやる気を出したのだった。
◇
教室に入ってきた教員が生徒たちを見渡しながら言った。
「今日の午前は『特別授業』になった。全員、校庭に移動。女子は制服のままでいいが、男子は訓練着に着替えるように」
ずいぶんと急な話だ。
なにをする『特別授業』なのだろうか。
疑問に思う生徒たちを代表するように、キュリアが手を上げて教員に質問をした。
「特別授業とは、なにをなさるのですか?」
「騎士が臨時講師に来てくれることになったので、男子の実力を測るための模擬戦を行う。あと、その模擬戦の様子を他国の使節団が見学にくるから、そのつもりでな」
レインは他国の使節団と聞いて、すぐに獣人連合国のことだと気が付いた。
エルトリアのもとに獣人用のスキル辞典を届けてくれたのは、その使節団だろう。
レインは自分が考えているよりも、獣人連合国はヴァーニング王国に対して友好的なのかもしれないと思った。
その後も、教員からいくつかの説明があった。
模擬戦には学院の木剣と木盾を使用すること。
魔術は使用しないこと。
他の学年も見学にくること。
エルトリアは使節団の出迎えのために、校庭ではなく教員室へ行くこと。
そんなことが手短に伝えられたのだった。
◇
校庭へ出たのは、レインたちのクラスが一番早かった。
教員たちや臨時講師の騎士、使節団はまだ来ていない。
次に校庭に出てきたのは、初等部の生徒たちだった。
その生徒のなかから、女の子が1人、駆けてきた。
「キュリアお姉さまー!」
その女の子はキュリアへ駆け寄り、そのまま抱き着いた。
おそらく姉妹なのだろう。
2人のやり取りからは、仲の良さが窺える。
「もう、お行儀がわるいわよ」
そう言って怒るキュリア。
その様子に、レインはなんとなくセシリアのことを思い出した。
妹の懐き具合から見ても、良い姉なのだろう。
そんなことを考えていたら、キュリアの妹と目が合った。
キュリアの妹は、じぃとレインを観察して、はっと気づいた。
「黒い髪と目……。あーっ、あなたがキュリアお姉さまが言っていた『無能』ですね!」
空気が凍った。
「や、やめなさいカルア、そんなことを言うのは!」
キュリアが慌てて妹――カルア――を咎めた。
キュリアに怒られた、カルアは不満顔だ。
「えー、でもキュリアお姉さま、言ってたじゃないですか。クラスに無能がいて――」
「カルアっ!」
「むぎゅ」
キュリアはカルアの口を手で塞いだ。
確かに、何度かレインが『無能』だという話をカルアにしたことがある。
だが、それはずっと前の話だ。
レインと和解してからは、そんな話はしていない。
それなのに、今でもそんな話をしているのだとレインに誤解されてしまったら、堪ったものではない。
それで、またレインに嫌われてしまったら――。
――また?
キュリアは考えた。
自分はいつから、レインに嫌われてないと思っていたのだろう。
いつからレインと仲が良いと勘違いしていたのだろう。
そんなはずがないではないか。
なにせ自分はイジメっ子だったのだ。
ずっと嫌われていたに決まっている。
そんなことを考え、キュリアは悲しくなった。
それと同時に自嘲した。
なぜ自分が悲しくなるのか、と。
悲しいのは『無能』扱いされたレインの方だろう、と。
そこに、初等部の他の女の子たちも近づいてきた。
何人かはレインのクラスに姉がいるのか、挨拶を交わしている。
偶然的にも兄がいる子はいないようだ。
その子たちもレインを見て、こんなことを言い出した。
「わたしも、お姉さまに『無能』の話、きいたよー」
「『ゴミ』と同じなんだよね」
「『汚い』のがうつるって、おしえてもらったー」
得意気に、自分たちの姉に教えてもらったことを語っている。
まだ、幼い子供たちだ。
自分たちが悪いことをしているとは思っていない。
それを見ていたブラードは、心底、愉快そうな顔になった。
レインへの加虐心を滾らせている。
レインをイジメるチャンスなのだ。
それを逃す手は無い。
ブラードは爽やかな笑顔を取り繕い、こう言った。
「君たちは『無能』のことをよく知っているようだな。よかったら俺たちにもっと詳しく教えてくれないか?」
他の男子たちもブラードに続き、初等部の女の子たちを褒めながらレインの悪口を言うようにそそのかした。
女の子たちは、先輩たちが褒めてくれることに嬉しくなって、得意になって無能のことを話した。
「『無能』はね、がいあくなの」
「どげざさせると良いらしいよ」
「くさくて汚いゴミなんだって」
無邪気な顔で、自らの姉に教えてもらった言葉を口にする女の子たち。
その姉が慌てて黙らせようとする。
だが、すべてが遅い。
あまりの愉快さに、ブラードたちは大笑いしていた。
今、レインに悪口を言っているのは初等部の女の子たちだ。
そしてその子たちに『無能』について吹き込んだのは、クラスの女子たちだ。
おかしくて堪らない。
笑いが止まらない。
ブラードたちは、久々にレインが虐げられる愉悦に浸ったのだった。
◇
校庭が混沌とするなか、1人の初等部の女の子が歩み出た。
「わたしは、エルお姉様から、レイ様はとても素敵な方だと聞いております」
銀の髪に碧い瞳、どことなくエルトリアに似た女の子だ。
他の初等部の子たちより少しだけ年上のように見える。
その女の子はレインの前に歩み出ると、にこやかに自己紹介を始めた。
「はじめまして、レイ様。わたしは、第二王女のアイシア・セカン・リンセス・ヴァーニングです。どうぞアイシアとおよびください」
アイシアと名乗った女の子は、長い制服のスカートをちょんと摘み、可愛らしくお辞儀した。
とても礼儀正し自己紹介だ。
レインは自らも礼を返し、自己紹介を行った。
「はじめまして、アイシア様。僕はレイン・ラインリバーです」
これといった肩書が無いレインの自己紹介は一言で終わった。
だが、それでもその自己紹介を受けたアイシアは、物語の登場人物に出会ったかのように瞳を輝かせた。
「レイ様のお話は、いつもエルお姉様から伺っております。レイ様は優しくて誠実で努力家で真面目な、とても素敵な男の子だと。それに、お姉様の危機を何度も身体を張って助けていただいたとも聞いております。ありがとうございます」
「勿体ないお言葉です」
レインは、普段エルトリアがどんなことをアイシアに聞かせているのか、少しだけ心配になった。
もちろん、いつも優しいエルトリアが、酷い話をしていないことくらいはわかる。
しかし、逆に親切心から話を美化し過ぎていないだろうかと不安になった。
とはいえ、それを確認する手立てなどない。
初等部の女の子がアイシアに問いかけた。
「そんなに素敵な人なのですか、アイシアさま?」
「そうですよ。レイ様のことを良く見てください。あなたたちがさっき言っていたようなお人に見えますか? 見えませんよね? なので、あなたたちが言っていたことはすべて間違いです。ですよね、キュリアさん?」
アイシアの視線を受けたキュリアは、ビクッと身を震わせた。
そして、エルトリアとアイシアの姉妹も、オーファと同じようにレインのために怒れる立場なのだと理解した。
自分とカルアのような愚かしい姉妹とは違う。
そのことを羨ましく思った。
だが、そんなことを気にしている場合ではない。
せっかくアイシアが、妹たちの行いを正す機会をくれたのだ。
自分たちと同じ過ちを犯させてはいけない。
「もちろんです、アイシア様。レインさんは妹たちが言うような男の子ではありません。今までのことは、すべて私たちが間違っておりました。カルア、あなたたちもレインさんに謝りなさい」
静かな言葉だった。
だが、カルアたちはキュリアが怒っているのだと気が付いた。
よく見れば、他の中等部の女子たちも怒っている。
そのことで、ようやく自分たちが悪いことを言っていたのだと、理解することができた。
なので、すぐに謝った。
「「「ごめんなさい」」」
全員そろって頭を下げる。
キュリアたちも頭を下げていた。
レインはあの程度の悪口で怒ってなどいなかったので、すぐに許す気になった。
ブラードたちの嫌味に比べたら何倍もマシだ。
むしろ、いつまでも幼い女の子に頭を下げさせておく方が気になる。
なので、できるだけ優しい声で、目線を合わせるように片膝をつきながら声をかけた。
「頭を上げてください、僕は気にしていませんから」
頭を上げた女の子たちは、レインの困ったような微笑を見て、レインのことを良い人なのだと思った。
自分たちは悪いことを言ってしまったのに、こんなにも優しく声をかけてくれる。
だから良い人に決まっている。
やっぱりアイシアの言うことは正しい。
そう改めて理解した。
ブラードたちは、あっさりと事態が収束してしまったことに舌打ちをした。
そして、つまらなそうに校庭の隅の方へと歩いて行ったのだった。
◇
「アイシア様、ありがとうございました」
「いいえ、レイ様。わたしは当然のことをしたまでです」
レインはアイシアの言葉を聞いて、性格までエルトリアに似ていると思った。
エルトリアも、いつも当然のことだから気にしなくていいと言って微笑みかけてくれる。
その心優しさに何度も心が救われた。
レインはそんなことを考えつつ、気になっていることをアイシアに伝えた。
「ところで、アイシア様。僕を呼ぶときに『様』など不要ですが?」
相手は一国のお姫様で、自分はただの平民。
様をつけて呼ばれるのは、どうにも決まりが悪い。
「そ、そうでしょうか?」
「そうですよ」
「むぅ……、あっ、それでは『お兄様』とお呼びしますね?」
「……え?」
と意味がわからず、固まるレイン。
なぜ、お兄様?
年上の男の子だから?
それとも、王族流の冗談?
もしかして、揶揄われている?
脳内を様々な可能性が駆け巡るが、答えが出ない。
「だって、レイお兄様がエルお姉様とご結婚なされたら、レイお兄様はわたしの義理のお兄様になりますよね?」
「た、確かにその理屈は間違っていませんが……」
自分の姉と結婚した男性は、自分の義理の兄になる。
なるほどその通りだ。
だが、もっと根本的なことが間違っている。
そもそも第一王女であるエルトリアと平民である自分が結婚をすることなどあり得ない。
確かに、優しく賢いエルトリアと結婚できる男性は幸せだろう。
だが、それはきっとエルトリアの身分にあった、それ相応の男性だ。
それが自分であるとは、レインには思えない。
思えないが、まさか「あなたの姉と結婚することなんてあり得ません」などと、自分の口から言うわけにもいかない。
無礼にもほどがある。
もちろん、もっと当たり障りのない穏便な言い方もできる。
だが、そうすると、いかにもアイシアの言葉を真に受けたような言葉になってしまいそうな気がする。
それはそれで問題だ。
レインが内心で困っていると、アイシアはにっこりと微笑んだ。
「ですから、お兄様とお呼びします。将来はわたしも、エルお姉様と一緒に可愛がってくださいませ」
どうやら、『お兄様』と呼ぶことはすでに決定事項らしい。
まだ幼く可愛らしいお姫様だが、意外にも押しが強い。
そもそも『お兄様』だと『様』がついたままなのだが、そのことをツッコむことなどレインにはできなかった。
そうこうしていると、
「レインお兄さま」
「お兄さまぁ」
「レインお兄さまー」
なぜか他の初等部の女の子たちまでレインのことを『お兄さま』と呼び始めた。
レインは、それを止められなかった。
アイシアが『お兄様』と呼ぶことを止められなかったのに、「他の子はダメ」と言うのは可哀想だと思ったのである。
キュリアたちも、自分の妹がレインのことを『お兄さま』と呼ぶのを止めなかった。
レインをイジメていた自分たちでは、その未来があり得ないことくらいわかっている。
でも、だからこそ、少しでもその気分を味わいたかった。
◇
レインたちが校庭で待機していると、高等部の生徒たちもやってきた。
イヴセンティアはクラスの女生徒たちと一緒にいるようだった。
だがレインを見つけて軽く手を振ってくれた。
レインは少しだけ気恥ずかしかったが、自分も小さく手を振り返した。
それから少しして、使節団の出迎えに行っていたエルトリアが校庭へと到着した。
学院の教員、使節団の獣人、臨時講師の騎士が一緒だ。
10人ほどいる獣人たちは、全員がオオカミのような顔をした全獣人だった。
狼人族という種族だ。
エルトリアはその一団から抜けると、レインたちのもとへ歩いてきた。
普段は意外と活発にぱたぱたと走り回るエルトリア。
だが、流石に他国の人間がいるからか、その動きは大人しく、お姫様然としている。
エルトリアがアイシアに問いかけた。
「アイシア、レイ君に仲良くなっていただいたのですか?」
「はい。お兄様はエルお姉様に聞いていた以上に素敵なお方でした」
「お兄様?」
エルトリアは小首を傾げた。
レインが素敵であることは百も二百も承知だが、お兄様とはどういうことだろうか。
「はい、だってエルお姉様が、お兄様と――」
――と、アイシアは手短に、レインを『お兄様』と呼ぶようになった理由を簡単に説明した。
すなわち、エルトリアとレインが結婚したら自分は義妹になるのだから、『お兄様』と呼ぶのは当然、という説明だ。
レインはその説明を横で聞いていて、エルトリアが気分を害さないかとヒヤヒヤしていた。
だがその心配とは裏腹に、エルトリアの機嫌はすこぶる良かった。
そして、話を聞き終わると、アイシアの頭をこれでもかというほど撫でまわし始めた。
「アイシアは天才です。よしよし」
「エ、エルお姉様、嬉しいですけど。そんなに撫でられると、髪がわしゃわしゃになってしまいますぅ」
姉妹仲が良いのは大変結構なことだが、そろそろ止めないとアイシアの頭が大変なことになってしまう。
そう思ったレインは、エルトリアを止めるためにやんわりと声をかけた。
「あのエルトリア様」
「はい、なんでしょうか、あ・な・た? ふふ、うふふ」
レインへと向き直ったエルトリアは、にこにこと嬉しそうに笑っている。
レインは、そんなにも妹と触れ合うのが楽しいのだろうか、と不思議に思った。
だが、オーファとセシリアも、いつも楽しそうに話していることを思い出して納得した。
自分に兄弟はいないが、もしいれば、きっと楽しかったのだろう。
事実、兄のように慕っている冒険者たちと一緒にいるのは楽しい。
しかし、まだ不思議なことがある。
「『あなた』、とは?」
そんな呼ばれ方をしたのは初めてだ。
「はっ、ももも、もしかして不快でしたか? ごめんなさい、レイ君」
「あ、いえ、もちろん不快ではなかったのですが、初めてそう呼ばれたので不思議に思ってしまって」
「怒ってないですか?」
「え、なぜ僕が怒るんですか?」
『ゴミ』や『無能』と馬鹿にされたならいざ知らず、『あなた』と呼ばれて怒る理由なんて皆無だ。
だから、エルトリアに謝られる必要なんてない。
だが、なぜかアイシアが「お兄様、お優しいです!」と言いながら感動している。
姫姉妹のおかしな反応に当てられたレインは、もしかしたら自分の感性がおかしいのだろうかと少し心配になった。
しかし、
「全員集合っ!」
教員の号令がかかったので、その思考を打ち切ったのだった。
◆あとがき
超ハーレムなので、妹キャラは一気に増える。
アイシア様はオーファちゃんたちと違って、変な思考が混ざってないので、病んでいません。
現段階ではヒロインの中で、一番病みが少ないと思います。
変な思考を混ぜずに女の子が男の子を好意的に見るとどうなるのか。
生物学的に考えて、当然、性欲が伸びます。
なので、アイシア様はレイン君に対する性欲がちょっと強めになる予定です。
ちなみにエルトリア様の病み方がソフトで済んでいる理由は、家族仲が良好だからです。
家族とまで疎遠だったら、おそらくハードヤンデレになっていたでしょう。
はい。
そんなこんなで、キュリアちゃんたちが自分の『持ち点(レイン君からの好感度)』をハコテンだと察しました。
その持ち点計算が正解かどうかはさておき、キュリアちゃんたちは自分の抱えた負債の大きさに気付いてしまったわけですね。
せっかくレイン君と仲直りしたのに、作者が意地悪なせいで可哀想です。
人間には『自分を正当化したい欲求』があります。
誰でも、自分が正しい、大義は我にあり! と思いたいわけです。
でも、キュリアちゃんたちは自分が正しいと思えません。
自己正当の欲求が満たされることがありません。
するとどうなるのか。
ちょっと病みます。
こうやってソフトヤンデレは量産されていくのです(・ω・´;
どーでもいい話ですが、狼人族の嗅覚は人並みです。
犬並みということはありません。
なぜかというと、ヒロインの匂いをクンクンする権利があるのはレイン君だけだと、作者が思っているからです。
とりあえず、獣人が長距離からエルトリア様をクンクンしてハスハスするなんてことはないので、安心してください。
Q:誰もそんな心配してねーよ?
A:作者は変態だからそういうことが心配なんじゃよ(・ω・`
 




