38:田舎の農村
馬車から降りたレインたちは、さっそく依頼人を探して挨拶をした。
依頼人はこの農村のお婆さんだ。
「あんれまあ、えんれぇめんこい娘っ子さ、依頼ば受けてくれたんね。肌もまっちろで、まっこさお人形さんみてぇだなぁ。おらの若けぇころとは、まんろ大違げぇだばよ」
ものすごく訛った言葉遣いのお婆さん。
レインにはお婆さんの言葉の意味が半分くらいわからなかった。
だが一応、オーファたちの容姿を褒めてくれているらしいことはわかる。
友達が褒められることは嬉しい。
なので素直にお礼を言った。
「はい、ありがとうございます。2人とも自慢の友人です。お婆さんも笑顔が素敵で、とても魅力的な方だと思います」
と、ついでに本心からの褒め言葉も贈った。
ときには依頼人と良好な関係を結ぶことも、依頼を円滑に進めるためには必要なことだ。
「んばぁんばぁ、んめぇこと言んだばぁ、んがががっ!」
レインの言葉を聞いたお婆さんは、愉快そうに笑った。
どうやら喜んでもらえたようだ。
ちなみに、オーファとイヴセンティアは、9割以上もお婆さんの言葉をわかっていない。
なので、いまいち自分たちが褒められたことを理解していなかった。
そして、よくレインはあのお婆さんの言葉がわかるなぁ、と秘かに感心していた。
その後、お婆さんは依頼について教えてくれた。
レインがさり気なく2人に通訳しながら、その話を聞く。
曰く――。
まだハチの巣の場所はわかっていない。
この村に若者が少なく、今の時期は人で不足で、なかなかハチの巣探しに人手を割けない。
村の近くの森には、魔物や危険な獣は生息していない。
だが、ハチやヘビには気を付けろ。
「おめぇさんらも、あったらデっけぇハチん巣ばぁ運ぶん、てぇへんだばぁ? んだで、んなこたぁ、せんでええばってん。わったら、言うてくれりゃあ、ええがばよ」
難解なお婆さんの言葉に、オーファとイヴセンティアの頭上には『?』が飛び交う。
そこにレインのさり気ない通訳が入る。
「口頭で報告だけすればいいなんて、助かります。仰る通り、ハチの巣を駆除した証拠を持ち帰るのは大変そうですから」
ああ、そういう意味だったのか、と納得する2人。
さらにお婆さんの説明は続く。
曰く――。
ハチは1日に何度も畑にやってきては、作物を奪っていく。
なので畑で待っていれば、すぐにハチとは遭遇できる。
作物を抱えたハチは飛ぶのが遅いので、そのハチを追いかけていけば巣が見つかるはず。
説明をしていたお婆さんが、突然、隣の畑の方を指さした。
「ほんれ、あっこさ飛んじょるハチさ、オオカラスバチだばぁ。やっこさ何度もきょおるばってん、まっこ迷惑しちょるんよ」
レインたちがお婆さんの指した方を見ると、大きなハチがいた。
スイカを抱えて、ふらふらと飛んでいる。
あれがオオカラスバチだろう。
「追いかけよう!」
「そうね」
「ああ!」
レインの呼びかけに、オーファとイヴセンティアが短く同意する。
「お婆さん、僕たちはさっそくあのハチを追いかけます」
「たのむんね。がばぁ、せぇっがくんのぉめんこい顔さぁ怪我ばすったら、えれぇことだば、気ぃつけでなぁ?」
「はい、十分に気を付けます。巣を見つけたら一度報告に来るつもりですので、それでは!」
言うが早いか、レインたちはオオカラスバチの後を追って走り出した。
オオカラスバチはスイカを抱えているせいか、飛行速度があまり早くない。
毎朝、配達の依頼で走り込みをしているレインなら余裕でついていける。
オーファやイヴセンティアも当然ながら、余裕がある。
3人は畑を踏み荒らさないように気を付けながら農道を駆け、ハチの後を追跡した。
◇
3人はしばらく農道を走ってハチを追いかけた。
だが、ハチが森へと入ったところで木々に阻まれて、その姿を見失ってしまった。
とはいえ、ハチの飛行進路をたどれば、そう苦労もせずに巣を見つけることができるだろう。
「それじゃあ森に入るけど、あたしが前、レイが真ん中、イヴが後ろね」
「うん。イヴ先輩もいいですか?」
「私は構わないが、ヘビがいる森では2人目が危険だと聞くぞ?」
ヘビは、1人目が通ったときに警戒態勢を取る。
そして、ヘビが警戒している所に2人目が通りかかると、驚いて攻撃してくるという説がある。
イヴセンティアはその話を聞いたことがあったので、2番目には自分が歩いた方がいいのではないかと思った。
だが、オーファの考えは違った。
「大丈夫よ、レイがあたしの後ろにいてくれれば、絶対に守ってあげられるから」
「そ、そうか」
自信満々に言い切るオーファに、イヴセンティアは大人しく引き下がった。
「ただし、イヴは自分で身を守りなさいよ?」
「わかっているさ」
イヴセンティアとて、ヘビに負ける気はない。
相手が魔物であれば話は別だが、ヘビはただの野生動物だ。
『王国の守護者』たる騎士が、ただの野生動物から自分すら守れないとあっては、笑い話にもならない。
だからオーファに守ってもらうつもりは毛頭ない。
一方のレインは、女の子2人に気を遣われていることを情けなく思っていた。
「2人ともごめんね?」
自分が実力的に一番劣っていることを自覚しているので、オーファの決定に異論はない。
ここで、ごねても誰も得などしないとわかっている。
ただ、少しだけ、男の子として恥ずかしいと思ってしまう。
しかし当然ながら、女の子2人はそれを恥ずかしいこととは思っていない。
「別にあたしが好きでしていることだから、あんたは謝らなくていいのよ。あっ、す、好きっていっても、今のは別にそういう意味じゃないんだからね、勘違いしないでよね! ああ、いや、でも、もちろん、あんたのことが嫌いなわけじゃないからね? すすす、好きな気持ちがなくもないことは――」
「気にするなレイン。お前はまだこれからだ。期待しているぞ?」
「はい、ありがとうございます。頑張ります」
レインは、不甲斐ない自分を助け、気遣ってくれる友人2人に感謝した。
そして、その期待に応えられるようになりたいと思った。
◇
邪魔な枝や葉を剣で絶ち落としながら、森の中を進む3人。
ヘビがいないか十分に注意を払う。
ヘビは熱を感じ取る能力と、振動を感じ取る能力が高い。
視界の悪い森では厄介だ。
数十分ほど歩いたところで、ぶぶぶぶぶ、という音が聞こえてきた。
オオカラスバチの羽音である。
レインたちは羽音がする方に視線を向けた。
すると、少し離れた木の枝に、2メーチルほどの大きなハチの巣がぶら下がっているのを見つけた。
「あれね」
「うん」
「それなりの数がいるようだな」
巣の周りには、何匹ものオオカラスバチが飛んでいる。
巣の周りを旋回しながら、激しい羽音を立て、ガチガチとアゴを鳴らしている。
ハチが出すそれらの音には、威嚇の意味がある。
ぶぶぶぶ。
引っ切り無しに聞こえる激しい羽音。
どうやら、巣に近付いてきたレインたちに気が付き、警戒しているようだ。
これ以上巣に近付くのは危険だろう。
襲われてもオーファたちなら返り討ちにできるだろうが、わざわざ無茶をする必要はない。
「いったん引き返しましょう」
「わかった」
「ああ」
オーファの提案にレインとイヴセンティアが頷く。
ゆっくりと後ずさり、巣から離れる。
少し離れると、羽音は聞こえなくなった。
ハチが追いかけてくるということもない。
3人はそのまま森の中を引き返し、再び農村へと戻った。
◇
お婆さんのところに戻ったレインたちは、ハチの巣を見つけたことを報告した。
「んだばぁ、あすんくさぁ森だばぁ、巣ぅっこさぁあったんけぇ」
「はい、夜になったら駆除します」
いつの間にかお婆さんの訛りになれたレインは、完全に言葉の意味が理解できるようになっていた。
「ほがぁ、うっだらぁよろすくたのむんね」
「はい、お任せください」
オーファとイヴセンティアは、レインがいなければお婆さんとの意思の疎通ができず、依頼が難航していただろうなぁ、と思った。
その後は日が暮れるまで、のんびりと時間を過ごした。
携帯食料を食べながら雑談をしたり、村の中を散歩したり、家畜にかまってみたり。
王都では見ることができない物や景色を、3人は大いに楽しんだのだった。
やがて日が暮れて、夜になった。
◇
夜。
レインたち3人は、森の外から、中の様子を窺った。
照明魔術は、ハチが明かりに興奮して襲い掛かってくる可能性があるため使用しない。
わざわざ夜まで待ったのに、そんなことで危険を冒すのは馬鹿らしい。
だが、照明無しで覗き見る夜の森は、かなり暗い。
月明りも木々に遮られている。
暗闇の中から葉が擦れある音や、夜鳥の鳴き声が聞こえてくる。
どことなく、不気味な雰囲気だ。
レインは、巣の直前までなら照明魔術を使っていても良いのではないか、とも考えた。
しかし昼間、ハチたちはかなり離れたところからレインたちに気付き、威嚇してきていた。
警戒範囲がかなり広い証拠だ。
やはり万全を期するなら、照明魔術は使わないべきだろう。
「レイ、手を繋いであげるわ」
オーファがレインへと手を差し出た。
レインが不気味な雰囲気を苦手なことを知っているからだ。
だが――。
「オ、オーファ、イヴ先輩の前で恥ずかしいよ」
照れるレイン。
イヴセンティアの前で子ども扱いされると、妙に恥ずかしい。
確かに、オーファと手を繋ぐと心強くて安心できる。
2人きりなら迷わずオーファの手を取っただろう。
だが、流石にイヴセンティアの前でオーファに甘えすぎるのは、男の子として恥ずかしさが勝る。
不気味な雰囲気の森が怖いという理由で手を繋いでもらうのは、やはり格好が悪い。
そんなわけで、手を繋ぎたいのは山々だったが、レインはそれを辞退した。
遠征訓練のときの、ゴブリンの群れが潜んでいる闇を駆ける恐怖と比べたら、不気味な雰囲気くらいなんということはない。
……と、自分に言い聞かせて気合を入れた。
ただの強がりともいえる。
「私のことは気にしなくていいぞ?」
「いえ、そう言われましても」
気になるものは気になるし、恥ずかしいものは恥ずかしい。
レインもなんだかんだでお年頃なのだ。
ほぼ無自覚ではあるが、女の子を相手に格好をつけたくなってしまう。
悲しい男の性だ。
オーファとしても、レインが嫌がることを強要する気はない。
ちょっと残念だが仕方がない。
「レイがそう言うなら仕方がないわね。それじゃあ、しっかり後をついてくるのよ」
「うん」
「転んじゃだめよ?」
「うん、気を付けるよ」
「べ、別に後ろから、あたしにしがみ付いてくれてもいいんだからね?」
「い、いや、それもちょっと」
レインがやんわりと断ると、オーファは少しだけがっかりした。
◇
結局、3人は昼間と同じ隊列で森へと入った。
足元を踏み外して転ばないように、慎重に足を運ぶ。
森の奥へ歩みを進めると、ときどき、足元でガサガサとなにかが動く音がする。
虫かネズミでもいるのだろう。
「レイン、虫は平気なのか?」
「はい、毒さえ無ければ平気です」
「ふむ、そんなものか」
都会っ子のレインだが、気持ち悪いだけの虫なら問題ない。
とはいえ、積極的に触りたいとも思わない。
身体に触れると、あまり良い気分はしない。
だからなるべく踏まないように気を――。
バサバサッ――。
不意に頭上の枝から夜鳥が飛び立った。
「わっ!?」
と驚くレイン。
「レイ、大丈夫?」
「うん、驚いたけど平気だよ」
「レイン、なかなか可愛い声で驚くじゃないか?」
「か、揶揄わないでくださいよ」
心なしかイヴセンティアが笑っている気がする。
恥ずかしい。
レインは夜鳥が飛び去った方を一瞥し、再び歩き出した。
森の中では、そこかしこで生き物の気配がする。
落ち葉の中で、茂みの奥で、木の上で。
暗闇に少しずつ目が慣れてきたころ、
ゲェコ。
どこかで、カエルが鳴いた。
そのとき、
――ガチャ。
オーファが腰に下げた剣に手をかけた。
鞘の留め具から、小さな金属音がなる。
レインは、なにかあったのかと思い足を止めた。
その瞬間、オーファが振り返って、レインの真横に剣閃を走らせた。
目にも留まらぬ速さで踏み込み、抜刀しながら一閃。
――ザンッ!
と、一拍遅れて枝葉を薙ぐ音が鳴り、葉が舞い散った。
――キン。
と、静かな納刀音が鳴る。
レインはその音で、はっ、と我に返った。
オーファの突然の動きに反応できず、呆けてしまっていた。
「ど、どうしたのオーファ!?」
いったい何事かと驚き問いかけるレイン。
急に剣を振られれば、驚くのは当たり前だ。
「ヘビがいたのよ」
オーファが指さすほうを見ると、暗くて見えづらいが、おそらくヘビであろう死体があった。
正確な全長は把握できないが、おそらく全長3メーチルくらいありそうだ。
オーファに言われるまで、まったく気が付かなかった。
「よく気が付いたね?」
「まあ、あたしはすごいからね。感謝しなさいよね」
「うん、ありがとうオーファ、助かったよ」
「でへへ」
デレデレするオーファ。
和やかな2人。
だが、その様子を後ろから見ていたイヴセンティアは戦慄していた。
オーファの踏み込みと斬撃が速すぎて、まったく反応できなかったからだ。
もしあの斬撃を自分に浴びせられたら、防ぐことは不可能。
間違いなく、死ぬ。
イヴセンティアも騎士の資格を得るほどの実力を有している。
決して弱いわけではない。
むしろ、王立学院の生徒の中では最上位に位置する実力だ。
だが、オーファと戦えば、一合すら剣を合わせられずに死ぬだろう。
オーファの能力を過小評価したつもりはなかったが、まさかここまでとは思っていなかった。
同世代の人間では最強。
その評価に偽りなし。
イヴセンティアはそのことを改めて思い知り、人知れず息を飲んだのだった。
◆あとがき
【悲報】お婆さんはヒロインではない
今回の話で謎言語をバシバシ使っていた『お婆さん』ですが、残念ながらメインヒロインではありません。
もちろんサブヒロインでもありませんし、アクセントヒロインでもありませんし、ミーンヒロインでもありませんし、モブヒロインでもありません。
あえてカテゴライズするなら、モブババアです。
ネームド・モブババアですらありません。
ただのモブババアです。
だから、お婆さんとレイン君のチュッチュペロペロ展開は、いつまで待っても作中には描かれないのじゃよ(・ω・`
ロリババアならともかく、
モブババアの相手をするのは、ちょっとレイン君にはハードルが高いです。
次話、1万文字を超えてしまって、流石に長すぎる気がするので、明日は朝と夕方の2回に分けて投稿しようと思います。




