37:馬車
『ハチの巣駆除』の依頼日、当日。
今日は学院が休みなので、レインたちは朝から王都の北門で待ち合わせていた。
そこから、馬車で北東の農村に向かうのだ。
徒歩でも2時間ちょっとの距離なので、当初は歩いて向かう予定だった。
だが、イヴセンティアが「ボーディナ家の馬車を出す」と言ってくれたので、その話に甘えた。
馬車での移動なら1時間ほどで目的地に着く。
農村に着いてからの予定は、まず依頼者に挨拶。
それからハチの巣を探し、夜まで待ってから駆除。
そして、夜のうちに王都まで帰ってくる予定である。
明日は授業があるため、日帰りでの強行軍だ。
レインとオーファが北門に到着すると、そこにはすでにイヴセンティアが待っていた。
「おはようございます、イヴ先輩」
「おはようイヴ」
「ああ、おはよう2人とも」
無事に合流した3人は、軽く挨拶を交わした。
それからお互いの体調や持ち物に問題がないかを確認し合う。
武器は、全員が剣を一振りずつ帯剣している。
防具は、レインが革の装備一式。
イヴセンティアは金属製の膝まであるブーツと、胸当てを着けている。
動き易さを重視したのか、遠征訓練のときと比べると、やや軽装だ。
今日は珍しく髪を後ろで縛って、ポニーテールにしている。
オーファは防具を着けていないが、森に入るので長めのブーツを履いている。
他にも各自、携帯食や水などの手荷物を持っている。
イヴセンティアとの挨拶を済ませたレインは、次に御車の女性に挨拶をした。
御車はボーディナ家の使用人の女性が勤めてくれるようだ。
「おはようございます。今日はよろしくお願いします」
「はい、こちらこそよろしくお願いします。いつもお嬢様がお世話になっているようで、ありがとうございます」
「いえ、イヴ先輩には僕の方こそお世話になっております。今日もわざわざこのような立派な馬車を出していただき、たいへん有難く思っております」
「ふふ、そう言っていただけると、御車の務め甲斐があります。さあ、それではどうぞ。到着までの間、ゆっくりとお寛ぎください」
御車の女性が馬車の扉を開いてくれたので、促されるままに馬車に乗り込む。
まずはイヴセンティアが、次にオーファが、最後にレインが中へと入った。
レインが中に入ると、オーファとイヴセンティアが向かい合うように座っていた。
レインは一瞬、どちら側に座るかべきかを考えた。
だが、オーファに無言で腕を引かれたので、オーファの隣に座った。
流石と言うべきか、馬車はかなり豪華だ。
座席はふかふかな上に幅も広く、3人横並びでも余裕で座れそうだ。
さらに車内には、空調の魔術具まで付いている。
少し暑い時期だが、涼しい車内は非常に快適である。
◇
「すやぁ……」
走り出してしばらくすると、オーファが寝たふりを始めた。
さりげなくレインに身を寄せる作戦だ。
とはいえ、レインの肩が凝るといけないから頭を預けたりはしない。
あくまで、さりげなくだ。
対するレインは豪華な馬車にとても緊張していた。
この馬車の借料だけで、今日の依頼の報酬より高くつきそうだ。
「金を払え」とは言われないだろうが、こんなにも立派な馬車では恐縮してしまう。
今までに乗ったどんな馬車よりも揺れが少ない。
というか、まったく揺れていない。
車輪が回るような音すら聞こえない。
どんな技術が使われているのだろうか。
疑問に思ったレインは、そのことをイヴセンティアに聞いてみた。
すると、こんな答えが返ってきた。
「ああ、この馬車は少し宙に浮いているからな」
「え、こんな大きなものが浮いているんですか?」
レインは唖然としつつ、そんなことが可能なのかと驚いた。
「そうだ。私も詳しくは知らんが、軍の新技術で、魔力を流すと浮かぶ金属を使っているらしい。といっても、地面からほんの少し浮くのが関の山だ。当然、空を飛んだりはできん」
「へえ、それでもすごい技術ですね」
レインは感心したように頷いた。
少し浮くだけでも利用価値は高そうだ。
「そうだな。聞いた話じゃ、この技術を用いた新型の『陸戦艇』が、東の街で製造される予定らしい」
陸戦艇とは、簡単に言うと砦のように大きな馬車だ。
その大きさは巨大帆船と同規模で、最大乗員数は数百人にも及ぶ。
それを地竜などの大型竜に引かせるのである。
動く要塞などとも比喩されるが、陸戦艇自体の攻撃能力は低い。
そのため、前線での拠点代わりに使われるのがせいぜいだ。
便利ではあるが、移動速度が極端に遅いことが欠点と言われている。
その陸戦艇をわずかにでも浮かすことができるなら、移動速度という欠点が改善されるかもしれない。
そんなことを考えたレインだったが、少し疑問に思うことがあった。
「王国の東ってほとんどが穀倉地ですよね、なんでそんなところで作るんでしょう?」
王都から東には広大な穀倉地帯が広がっている。
穀物生産量の過半数は、その一帯で占められている。
この国の台所を支える重要地帯だ。
また、東部地域は『魔の森』――魔物が生息している森――などの危険地帯が少ないことでも知られている。
あるのは『海の森』と呼ばれる、比較的穏やかな森くらいだ。
そんな平穏な場所で陸戦艇なんて作る意味があるのだろうか。
というレインの問いかけに、イヴセンティアは神妙な面持ちで答えた。
「これはまだ噂程度の話だが、東にある獣人連合国が不穏な動きを見せているらしい。それで、いざというとき前線に陸戦艇を配備しやすいように、東の街に造船街を造りたいんだろうさ」
レインはその情報の意味を察し、ぎょっとした。
「せ、戦争になるんですか?」
獣人連合国といえば、身体のどこかに獣のような特徴を持った『半獣人』や、獣をそのまま二足歩行にしたような『全獣人』が住んでいる国だ。
全獣人は身体能力が人間と比べて格段に高いことで有名だ。
そのため、人間が1対1で戦っても勝つのは難しいとされている。
過去に起こった戦争では、王国側は何度も苦しめられたらしい。
そんな国と戦争になるかもしれないと聞いて、不安にならないはずがない。
「そう脅えなくていい。もし戦争になるとしても、まだまだ先の話だ」
「そうなんですか」
レインは即座に戦争になるわけではないと聞いて、少しだけほっとした。
だが、やはりいろいろと考えてしまう。
戦争が起こったとき、自分はどうなっているのかだろうか。
騎士になれているのだろうか。
軍の一兵卒になっているのだろうか。
それとも冒険者を続けているのだろうか。
そのとき、自分は誰と一緒にいるのだろうか。
レインが視線を窓の外に向けると、馬車は街道から外れ、農村へと続く田舎道に差し掛かったところだった。
◇
「すぅ……すぅ……」
寝たふりをしていたオーファが、いつの間にか本当に眠ってしまっていた。
小さな寝息を立て、レインのひざに頭を預けている。
レインは、よく手入れされたオーファのさらさらな髪を撫でながら窓の外を見ていた。
見渡す限り一面に農地が広がっている。
農村まではあと少しだろう。
宙に浮いている馬車は、やはり普通の馬車よりもウマへの負担が少ないようだ。
流れる景色が、少し速く感じる。
今通っている道は石畳が敷かれていないにも関わらず、まったく揺れがない。
普通なら、ガタガタと揺れて、オーファのように眠るなんて難しいだろう。
やはり軍の新技術を用いた馬車というのはたいしたものだ。
軍といえば、イヴセンティアの卒業後の配属先はすでに決まっているのだろうか。
少し気になったレインは、直接聞いてみることにした。
「イヴ先輩は学院を卒業したら騎士隊に入るんですよね?」
「ああ、騎士隊の女性部隊に配属予定だ。軍や騎士隊が、男女を分けて部隊を運用しているのは知っているな?」
「はい」
女生と男性を一緒の部隊で運用しようと思うと、多くの『無駄』が発生してしまう。
1つの施設にトイレ、風呂、更衣室などを男女別々に作らなければならないことなどが、『無駄』の良い例だ。
どちらか片方で済むなら、施設に必要な面積も、建築の費用も、大幅に減らすことができる。
また、男女の基礎体力の違いからも、男女を同じように運用するのは難しいとされている。
スキルがあるので一概に女性が体力的に劣るとはいえないが、ないもの同士の部隊ならば男性の方が勝る。
基礎体力の低い女性に合わせて部隊を運用することは、『無駄』が多いといわざるを得ない。
他にも男女の違いは多岐に渡る。
1日に必要な食事量の違い。
体格や骨格の違い。
生理現象の違い。
上げていけば限がない。
その違いを無視して無理やり一緒に運用しようとすると、どうしても『無駄』が発生してしまう。
そのため、ヴァーニング王国を始め多くの国では、男女を初めから分けて運用しているのだ。
「実は、若年女騎士だけの部隊を新設する予定があってな。私はその部隊の部隊長に任命されそうなんだ」
「もう隊長職への任命が決まっているなんてすごいですね。流石はイヴ先輩です。おめでとうございます」
騎士になるだけでも大変なことだ。
その上、部隊長にまでなるなんて、普通は何十年もかかることだ。
なのに、卒業前から隊長になることが決まっているなんて流石だなぁ、とレインは感心しきりだった。
だが、イヴセンティアの表情はどうも優れない。
以前、騎士の資格を得たと告げてきたときも浮かない表情をしていたが、そのときとは表情の質が違う。
なんというか、漂う雰囲気が陰鬱としている。
「正直に言って、気が重い。私には従軍の経験なんてないのに、いきなり部隊長なんて務まるとは思えん」
はぁ、と溜息を吐くイヴセンティア。
胃が痛むのか、わずかに腹の辺りをさすっている。
レインは、憂鬱気なイヴセンティアの様子に、自分までも辛い気持ちになった。
さっきは能天気に祝いの言葉を告げてしまった。
だが確かに、右も左もわからない状態で、人の上に立つことを求められるなんて無理難題にもほどがある。
それに新入りがいきなり隊長職に就くことで、要らぬ軋轢を生んでしまうこともありえる。
もしかしたら周りから嫉妬の感情まで向けられるかもしれない。
不安にならないはずがない。
「イヴ先輩……」
「すまん、弱気なことを言った。忘れてくれ」
自嘲気な笑みを見せるイヴセンティア。
その表情からは、いつもの凛々しさが抜け落ちてしまっている。
そこはかとなく儚げで、弱々しい。
弱音や愚痴は誰かに聞いてもらうだけでも楽になるという。
だからレインは、それでイヴセンティアが少しでも楽になるのなら、もっと言ってもらいたいと思った。
「いえ、僕でよければ、どんなことでも話してください。それで少しでもイヴ先輩の気が楽になるのなら、僕も嬉しいです。他にも僕にできることがあるなら、なんでも言ってください。なんでもしますから」
「ふふ、そんなことを言うと真に受けるぞ?」
イヴセンティアが少しだけ楽しそうに笑ってくれたので、レインも少し嬉しくなった。
だが、「真に受けるぞ?」という言われ方は、さっきの言葉が信じてもらえてないようにも聞こえる。
それは、少々、遺憾である。
「信じてくださいよ」
「……信じているさ」
そう言ったイヴセンティアの表情は、さっきよりも和らいで見えた。
◇
もう到着かな、といったところで、イヴセンティアがレインへと問いかけた。
「レイン、聞いても良いか?」
「なにをですか?」
「セシリア殿が言っていた『お耳ふぅふぅの刑』って……、なんだ?」
冒険者ギルドで聞いたときからずっと気になっていた。
だが、誰かに聞くタイミングがなく、今まで秘かに悶々としていたのだ。
さり気なさを装ってはいるが、イヴセンティアの目は強い興味に彩られている。
レインは少し考えるそぶりをしてから、簡潔に答えた。
「なにって……、お仕置き、ですかね?」
それ以上に答えようがない。
悪いことをしたときに執行されるので、お仕置きだろう。
断じてご褒美ではない。
もちろん、セシリアとのじゃれ合いを嬉しく思ってしまう気持ちもある。
でも、それは秘密だ。
「お、お仕置きか、なるほど」
イヴセンティアが納得した――かどうかは不明だが――ところで、馬車が停まった。
目的地の農村に着いたようだ。
レインは、オーファを起こすために優しく呼びかけた。
「オーファ、おきて」
オーファのほっぺを指でくすぐる。
オーファは朝に弱い。
なので、ときどき、こうしてレインが起こしている。
オーファはくすぐったそうに身をよじりながら、少し眠そうに薄目を開いた。
「うぅん、むにゃ? あぁ、レイだぁ、おはよぅ、ふふふ♡」
ひざの上に頭を乗せたまま、レインの顔に手を伸ばすオーファ。
完全に寝ぼけている。
だが、その顔はこの世の楽園でも見つけたかのように幸せそうである。
レインは優しくあやしながら、オーファの脳が覚醒するのを待つ。
「うん、おはよう、オーファ。もう村に着いたみたいだよ?」
オーファはレインの言葉を、ゆっくりと咀嚼した。
徐々に言葉の意味を理解していく。
そして、本当の意味で目が覚めた。
「ほえ? ……へっ!? あっ、ご、ごめん、レイ、大丈夫だった? 疲れてない? 本当にごめんね」
ちゃんと座り直して謝る。
せっかく、レインを疲れさせないように気を付けながら寝たふりをしていたというのに、まさかずっとひざ枕をさせていたなんて。
完全に失敗だ。
酷いことをしてしまった。
猛省するオーファ。
とはいえ、レインはそんなことで怒るほど狭量ではない。
「ううん、全然平気だよ。実は僕もオーファに謝らなくちゃいけないことがあるんだ」
「な、なぁに?」
「オーファが寝ているとき、頭を撫でさせてもらったんだけど、許してくれる?」
乙女の髪に、無断で触れたことを謝る。
自分にも悪いことがあったから、お互いに手打ちにしよう。
そんな、レインの言葉。
「う、うん」
オーファは、自分の頭を両手で押さえながら、真っ赤になって頷いた。
レインに頭を撫でられたのは嫌なことではない。
むしろ嬉しい。
とはいえ、恥ずかしくもある。
そして、せっかく撫でてもらったのに、寝ていたせいで覚えていないことが悔しい。
そんな複雑な表情だ。
イヴセンティアは2人のやり取りを見て、訝しむように問いかけた。
「2人は本当に恋仲ではないのか?」
レインは恋仲と聞いて、ふと先日のベッドの上でのやりとりを思い出してしまった。
少し気恥ずかしい。
「……へ、変なこと言わないでくださいよ、イヴ先輩。早く降りましょう」
だから、それを誤魔化すために、はやばやとした降車を促したのだった。
◆あとがき
うをおおおおオーファちゃん可愛いっ!!!
前回のあとがきでオーファちゃんのヤンデレ感についてムニャムニャ書きましたが、基本的には『ソフト』にしか病んでないので、デレが強いです。
でも、まだ一応ツンが残ってます。
ジャンル的にはツンデレデレちょっとヤン、みたいな。
オーファちゃん可愛い!←ごり押しで話をしめる
それにしても、レイン君の起こし方は優しいですね。
ほっぺをくすぐって起こすとか、
天使です。
作者も5才くらいのころ、寝ている姉を起こす役目を仰せつかっておりました。
姉の髪の先端で、姉の鼻の穴をくすぐって起こすのです。
ひどい起こし方ですね。
アホです。
悪魔です。
Q:戦争の話になるの?
A:なりません
どこかで戦争しているなぁ、程度の話です。
作者が書きたいのは、あくまでもレイン君とヒロインのなんやかんやです。
Q:イヴ先輩って何才くらいなの?
A:尊大な口調ですが、14才前後です。
11才のレイン君からは、それなりに大人に見える年齢でしょう。




