29:レインの部屋
遠征訓練の日から数日経った。
現在、王立学院は全学年ともに休みとなっている。
遠征訓練の後処理で、授業どころではないからだ。
そんなわけで、本来は登校する必要はないのだが、レインはエルトリアに会うために学院へと来ていた。
もちろんスキル鑑定をしてもらうためだ。
エルトリアとは教室で待ち合わせている。
レインが教室に入ると、エルトリアはすでに到着していた。
教室の中はエルトリア1人だった。
護衛や付き添いなどもいないらしい。
とはいえ、普段から学院で護衛がつくことはないので、レインはさして気にしなかった。
「おはようございます、エルトリア様」
「おはようございます、レイ君」
レインが教室に入って挨拶をすると、エルトリアは嬉しそうに、ぱたぱたと駆け寄ってきた。
お淑やかな見た目に反して、意外と活発だ。
「お待たせしてしまって、申し訳ありません」
「いいえ、わたくしも今来たばかりですから、気にしないでください」
笑顔でそう言ってくれるエルトリア。
レインは、エルトリアの貴重な時間を借りしているのだから、無駄な時間を過ごさせるわけにはいかないと思った。
なので、早速、今日の本題について尋ねた。
「ところでエルトリア様、スキル鑑定はこの教室でしていただけるのでしょうか?」
レインが初めてスキル鑑定を受けた場所は、カーテンを閉めて薄暗くした応接室だった。
レインはその時の印象が強かったので、スキル鑑定は暗い場所でやるのだろうと予想していた。
だが、
「あ、あのですね……、その」
なぜか、もじもじと言いづらそうにするエルトリア。
レインは、急かさずに待った。
「……わたくし、レイ君のお家にいってみたいです」
「…………はい?」
エルトリアの言葉が予想外過ぎて、レインは思わず聞き返してしまった。
「以前、お昼をご一緒したとき、お話ししてくれましたよね? とあるお家の2階に住まわせてもらっていると」
「は、はい、その通りですが」
「わたくし、レイ君のお部屋にいってみたいのです。ダメですか?」
エルトリアの懇願。
胸の前で手を組み、大きな瞳を潤ませている。
そんな仕草をされてしまっては、レインに「ダメです!」とは言えない。
だがしかし、エルトリアを街中に連れ出すなんて、危険ではないかと不安になる。
エルトリアは普段、王城から学院までの間を馬車で移動している。
街中を歩くなんてことは、そうそうないだろう。
せめて、護衛の1人くらいは必要なのではないだろうか。
そう考えたレインは、エルトリアの提案に賛成してはいけないような気がした。
しかし、それでもやはり「ダメです!」とは言い辛い。
なので、とりあえず、そのことを聞いてみることにした。
「エルトリア様、失礼を承知で伺いますが、護衛もつけずに外を出歩いても大丈夫なのですか?」
「大丈夫です!」
自信満々に言い切るエルトリア。
「そ、そうなのですか?」
「そうなのです!」
レインは、その勢いに押され、思わず納得させられかけていた。
そして考えた。
遠征訓練ですら護衛がいなかったのだ。
治安の良い王都なら、なおのこと護衛なんて必要ないのかもしれない。
レインは、結局、エルトリアの提案を受け入れることにした。
「わ、わかりました」
「いいのですか? わたくし、レイ君のお家にお邪魔しても?」
さっきまで、ぐいぐいと押してきていたエルトリアだったが、いざレインが首を縦に振ると、本当にいいのかどうか不安になってきた。
それは別に、護衛をつけずに街中を出歩くことへの不安ではない。
レインが嫌がることを強要しているのではないかという不安だ。
レインを幸せにしたいエルトリアにとって、レインが嫌がることを無理やりするのは本意ではない。
だが、
「はい、僕の部屋にはなにもありませんが、それでよければ」
レインが軽く微笑みながらこんなことを言ってくれたので、そんな不安は即座に吹き飛んだ。
「もちろん、なんの問題もありません。わたくしは、レイ君のお部屋ならどんなところだって喜んで行きます。ですから、是非、お邪魔させてください!」
部屋になにもなくても、エルトリアにはレインがいればそれでいいのだ。
◇
レインとエルトリアは、歩いて東区へ向かった。
幸い、道中に大きな問題が発生することはなかった。
だが、知り合いの冒険者と遭遇して、「デートか?」と冗談を言われる、小さな問題は発生した。
そのとき冒険者はエルトリアの顔を見て、どこかで見たことがある女の子だなぁ、と思っていた。
しかし、まさかその正体だお姫様だとは思い至らなかった。
エルトリアが王立学院の制服を着ていたので、レインのクラスメイト程度にしか考えていなかったのだ。
一方のレインは、そんな不敬な冗談を言う冒険者に、気が気ではなかった。
不敬罪に問われるのではないか、と不安になった。
いつもお世話になっている冒険者がそんな目に遭うのは心苦しい。
だが、エルトリアがその冗談に嬉しそうに笑っていたので、ほっと胸をなで下ろしたのだった。
そんなこんなで、家へとたどり着いた2人。
「どうぞ」
レインは2階の扉を開き、エルトリアを招いた。
ちなみに今の時間は、セシリアはギルド、オーファは女学院へ行っている。
「し、失礼いたします!」
エルトリアは、ぎくしゃくと緊張した動きで中へと入った。
男の子の部屋など生まれて初めてだ。
レイン以外の男の子の部屋になど、行く予定もないし、行く気もない。
なので、この部屋が最初で最後の男の子の部屋ということだ。
とはいえ、もしレインが引っ越したら、引っ越した先にもお邪魔したい。
なので、やっぱり最後にはしたくない。
だがしかし、初めてということに間違はない。
レインに初めてを捧げられて嬉しい。
よくよく考えてみれば、そもそも他人の部屋に入ること自体が初めてだ。
妹の部屋には入ったことがあるが、あれは他人に数えないだろう。
ということは、やはり初めてを捧げることができたのだ。
嬉しい。
そんな考えが、一瞬でエルトリアの脳内を駆け巡った。
次にエルトリアは、部屋の中をそれとなく観察してみた。
確かにレインの言っていた通り、物が少なく感じる。
しかし、まったく物がないわけではない。
本や生活雑貨、装備品などが、よく整理されて置かれている。
言い換えれば、しっかり整理整頓されているからこそ、物が少なく見えるのかもしれない。
少ない飾り気ながらも、確かなレインの生活感がある部屋。
エルトリアは奇妙な興奮を覚えた。
「なにもない部屋でお恥ずかしい限りです」
「そんなことありません、とっても素敵なお部屋です!」
恥ずかしそうに恐縮するレインに、エルトリアは思ったままのことを告げた。
部屋の趣味趣向も素敵だが、ここが『レインの部屋』だと思うと、なおのこと素敵だ。
「ありがとうございます、エルトリア様」
レインはエルトリアが部屋を褒めてくれたことを嬉しく思った。
なんだかんだと言ってはいるが、セシリアに住まわせてもらっているこの部屋は、レインにとってすごく大切な場所なのだ。
どんな立派なお屋敷よりも、この部屋こそが素晴らしい場所だとさえ思っている。
だからこそ、率直な言葉で褒めてもらえたことが、なにより嬉しかった。
レインはそこで、ふと、気付いた。
せっかくエルトリアが家に来てくれたのだから、お茶くらい出すべきなのではないだろうか、と。
今まで客など招いたことが無かったので、完全に失念していた。
レインの部屋には嗜好品のようなものはない。
だが、1階に行けば、いろいろと揃っている。
レインは、セシリアから1階の合鍵を渡されており、好きに出入りしていいと言われている。
世の男性陣に聞かれれば、要らぬ嫉妬を買いそうな案件である。
「今、下でお茶を入れてきますね。エルトリア様はどこか適当なところで、くつろいでいてください」
その言葉に、エルトリアが想像以上に喰いついた。
「ど、どこでもいいのですか!?」
「え? はい」
「た、例えば、レイ君のベッドの上、でも?」
ごくり、と生唾を飲み込むエルトリア。
「ど、どうぞ」
「わあ、ありがとうございます」
レインは、なぜベッドなのだろうと首を傾げたが、すぐに合点がいった。
よく考えたら、自分の部屋でくつろげそうな場所など、ベッド上くらいしかない。
なにせソファーもクッションもないのだ。
机と椅子はあるものの、背もたれなどはやや硬く、あまりくつろげないだろう。
だからなのか、オーファも2階に来たときは、いつもベッドでゴロゴロしている。
「それでは、すぐにお茶を入れてまいります」
レインはそれだけ言うと、部屋から出ていった。
エルトリアはそれを見届けると、いそいそとベッドの傍へと移動した。
普段、自分が使っている天蓋付きのベッドとは違う。
素朴な味わいの簡素なベッド。
レインのベッドだ。
「ししし、失礼いたしましゅ」
レインからはちゃんと許可を取っている。
だがエルトリアは、なぜか自分がものすごく悪いことをしているような気分になった。
そして無性に興奮した。
そっとベッドに腰を下ろす。
ぎぃ、と少しだけベッドが軋んだ。
そんな小さな音でさえ、エルトリアの興奮は高まった。
靴を脱ぎ、脚をベッドに上げ、ころりん、とベッドの上に転がる。
「ふ、ふふ、うふふふ」
なんだかとってもいい匂いがするレインのベッド。
エルトリアは思わず顔がにやけてしまう。
その表情は完全に蕩けきっている。
溢れ出る多幸感に、表情が緩んでしまい、勝手に笑い声が漏れ出てしまう。
できれば、枕に顔をうずめて、思いっきり深呼吸してみたいとさえ思う。
しかし、流石のレインでも、自分の寝具にそんな変態的なことをされるのは嫌だろう。
エルトリアは、レインの嫌がることをしたくない。
でも、ベッドの上を転がるくらいは問題ないだろうと思い、ころころ転がる。
そんなとき、偶々、ベッドの上に1本の髪の毛が落ちているのを見つけた。
それはレインの髪より明らかに長い。
そして、その髪は赤い色をしていた。
◆あとがき
※重要:オーファちゃんの髪色は赤。
少しだけ、1章の誤字を直しました。
○尋ねる
×訊ねる
○無下
×無碍




