27:土下座
野営地、早朝。
王立学院生たちは、予定より早くトロワの町へと引き返すことになった。
今は、教員たちが周囲の安全を確認するために、偵察に出ている。
その偵察が戻るまでの間、生徒たちは待機だ。
生徒たちの様子は、昨日、トロワの町を出発したときとは大分変っていた。
泥だらけの顔や服、徹夜で疲れ切った表情。
身に纏っている装備の有無。
生徒たちの中で、来たときと同じように装備品を身に纏っているのはレインだけである。
「ふん、やはりゴミのように汚らしい無能の装備など、ゴブリンたちですら捨て置いたようだな?」
ブラードは、レインが革の装備を身に着けていることに気が付いて、嫌味を吐いた。
自分の鎧をゴブリンに奪われたことが癪に障ったのか、単に寝不足でイラついているだけなのか、とにかく不機嫌な様子だ。
他の男子たちも、口々にレインに嫌味を言い始める。
「ゴブリンにすら見向きされないとは、さすがゴミだな」
「誰も汚いゴミの装備なんて欲しがらないだろうさ」
「そりゃそうだ、誰だって無能をうつされたくはないからな」
やはり、かなり不機嫌なようだ。
とはいえ、機嫌が良くても罵倒の言葉は吐くのだから、機嫌の良し悪しなど関係ないと言えば関係ない。
レインは次々に投げかけられる嫌味を、いつものことだ、と聞き流していた。
だが、その様子を見ていたエルトリアやイヴセンティア、キュリアたち女子の目は、心底、冷え切っていた。
エルトリアは以前からレインの罵倒に不快感を示していたが、キュリアたちがこのような反応を示すのは初めてだった。
キュリアたちは、そもそも、レインという男の子のことを今までよく知らなかった。
知っているのは、ブラードが言いふらす、本当かどうかもわからないレインの悪口くらいのものだ。
だが、昨晩、レインに危ない所を助けてもらい、言葉を交わし、戦う姿を見て、その人となりを知ることができた。
そして、レインがブラードの言うような『汚いゴミのような無能』などではないと気が付いた。
本来はもっと早くに気が付くべきだったのだろう。
だが、王立学院の教員たちですら、ブラードの罵倒を止めなかった。
だからこそ、気が付くのが遅れてしまった。
遅すぎるほどに、遅れてしまった。
キュリアたちは、レインという男の子のことを正しく知った今、これまでの自分たちの行いを激しく後悔していた。
レインはこんな罵倒される必要がある男の子なんかじゃなかった。
昨晩は、自分たちよりよっぽど勇敢に戦っていた。
まるで物語に出てくる王子様のように、危ない所へ駆けつけて、自分たちを助けるために命がけで戦ってくれた。
絶対守ると言ってくれた。
そして、守ってくれた。
その姿は、とても『無能』と呼べるものではなかった。
それに、『無能』以外の悪口も、謂れのないものだと気付いた。
レインからは『汚い』ところなど見えない。
むしろ綺麗好きなくらいだ。
ゴブリンの返り血も泥も、いつの間にか綺麗に拭っている。
『臭い』だのなんだのと言われているが、そんなことはない。
助けてもらったとき、むしろ、ちょっといい匂いだった。
ゴミ捨て場に住んでいるという話も信じられない。
だから、『ゴミ』だなんて言われる必要なんてない。
キュリアたちは、ようやく、ブラードの言うことが全部嘘なのだと気付いた。
そして、レインへと浴びせられる罵声を客観的に聞いて、吐き気すら覚えた。
今まで自分は、こんな言葉に同調していたのか、と。
――自分はいったい何を考えて、あんなことを……。
そのときの気持ちを思い出すのはひどく恐ろしいことに思えた。
そのときの自分を許すことができるとは思えなかった。
自分は子供だったから。
大人も止めなかったから。
皆が言ってたから。
そんなの何一つ、言い訳にはならない。
レインは今、ブラードたちにどんな感情を持っているのだろうか。
その感情は、自分たちにも同じように向けられているのだろうか。
それはこれからも変わらない感情なのだろうか。
そう思うと、怖くて、泣きそうになった。
◇
教員たちが偵察から戻った。
周囲の安全が確認されたらしい。
すぐに下山することになった。
「ペアを作れ、15分後には下山するぞ!」
教員たちはそれだけ言うと、再び周囲の警戒や、撤収準備、眠っている副理事長を起こしに向かった。
イヴセンティアも、警戒の手伝いを申し出て、この場を離れた。
生徒たちはそれを見届けると、いつのように、ペア作りのために動き出す。
当然だが、男子はレインがあまった。
あとは女子がクジを引いて『はずれ』が決まれば、ペア作りは終了だ。
だが、女子たちは躊躇した。
レインのペアを、クジの『はずれ』で決めることに忌避感を覚えたのだ。
お互いに無言で表情を探り合い、どうするのか決めあぐねる。
「「「……」」」
クジを用意してくるのは、いつもキュリアの役目だった。
今も、腰にぶら下げた小物入れにはクジが入っている。
キュリアは無意識的に、その小物入れを隠すように身体を斜めに傾けた。
なかなかペアを決めない女子たちに、男子たちがキレた。
「早く決めろよっ!」
「ゴブリンが来たらどうする!」
「クジを引くだけだろ!」
普段はレイン以外には罵声を浴びせたりしない男子たちだったが、やはり相当にイラついているようだ。
罵声に驚いた女子たちの数名は、目に涙が溜まった。
「っ……」
キュリアは小さく息を飲み、震える手でクジを取り出した。
クジは棒の先に色が塗ってあり、その色で『あたり』と『はずれ』を決めるというルールだ。
赤を引いたら『あたり』、お姫様のペアになれる。
青を引いたら『はずれ』、無能のペアにならされる。
これが、このクラスでずっと続いてきたルールだった。
特になんの疑問も持たず、公平なルールだと思っていた。
レインの気持ちも考えずに。
自分がクラス中から『はずれ』だと言われたら、どんな気持ちになるだろうか。
辛いだろうか。
悲しいだろうか。
苦しいだろうか。
皆のことが憎くて堪らなくなるだろうか。
嫌いになって殺したくなるだろうか。
レインは今、どんな気持ちでこのクジを見ているのだろうか。
考えると、怖くて、レインの方を見ることができなかった。
そのとき、一人の女子が名乗りを上げた。
「私、レインさんのペアになってもいいですよ?」
小さく手を上げ、一歩前に踏み出している。
だが、その強張った表情を見れば、緊張していることは一目瞭然だ。
上げた手は震え、顔は蒼くなっている。
ずっと続いてきたクラスのルールに逆らうのだ。
下手をすれば自分がイジメの対象になるかもしれない。
怖くないはずがない。
キュリアは心の中で、この女子のことを称賛した。
「わ、私もです」
「私もレインさんと」
「私も」
他の女子たちも、最初に名乗りを上げた女子に感化され、一歩踏み出した。
皆、一様に緊張した面持ちだ。
声が小さく震えている。
「で、でしたら、話し合いで決める時間もありませんし、今回は、青の『あたり』を引いた方が、レインさんのペアということでいかがでしょう?」
キュリアは自分の喉がからからに乾いていることを感じながら、そう切り出した。
『あたり』と『はずれ』。
やることは同じでも、受ける印象は全然違う。
『あたり』を選ぶのだと思えば、幾分か、心が軽くなる。
もしかしたら、毎回のように『あたり』の景品扱いされているエルトリアも、不快な思いをしているのだろうか。
キュリアは、次回までにペア決めの方法を、皆と話し合おうと思った。
「賛成です」
「そうしましょう」
「決まりですね」
方針が決まってからの行動は早かった。
キュリアが手にクジを握り、他の女子たちが順番にクジを引いていく。
半分ほどクジが無くなったところで、一人の女子が赤のクジを引いた。
それにより、エルトリアのペアが決まった。
残りはレインのペアだ。
1本、また1本とキュリアの手からクジが引き抜かれていく。
だが、青のクジが出てこないまま、最後の1本になった。
キュリアが最後に残ったそのクジを引くと、当然、それは青の『あたり』クジだった。
レインのペアになったのはキュリアだった。
キュリアは『あたり』を引けたことが嬉しかった。
レインとペアになれたのだから、帰り道の途中でいろいろとお話ししよう。
それで、今までのことを謝って、昨日のお礼を言って、それで、それで――。
だが、
「おい無能、ペアが決まったぞ!」
「さっさと土下座しろよっ!」
「そうだ、早くしろよっ!」
男子たちがレインに土下座を強要し始めた。
いつものこと。
それはいつも起きていたことだ。
今が特別なわけではない。
何度も何度も起きていたことだ。
当然、レインもいつものように動いた。
無表情で、キュリアの前まで来る。
なんの感情もこもってない瞳。
「僕がペアでごめんなさい」
そして、土下座した。
いつものように。
ただ、淡々と。
キュリアは目の前の光景に、心臓が握りつぶされたような気持になった。
嫌な汗が噴き出して、呼吸が乱れる。
「あっ……ぅ、あ」
言葉にならない声が、口から漏れる。
謝らないでほしい。
なにも悪くない。
土下座なんてしなくていい。
頭を上げて欲しい。
早く土下座をやめさせないと。
どうすれば土下座をやめてくれる?
いつもどうすれば土下座は終わっていた?
思い出せ、思い出せ、思い出せ。
キュリアは思い出した。
土下座の終わりには、いつも何をしていたかを。
そして、レインの頭を見下ろす。
この頭を踏めば――。
そんなこと、できるわけがない。
踏めるわけがない。
キュリアは思わず後ずさった。
だが、男子たちがそれを許さない。
「早く踏めよっ!」
「終わらねーだろっ!」
「踏めっ!」
さらにブラードが近付いてくる。
「俺が代わりに踏んでやるよっ!」
その顔はレインに対する加虐心と愉悦に満ちていた。
そして、レインの頭を踏もうと片足を上げる。
それを、
「っ!? やめてっ!」
キュリアは堪らず突き飛ばした。
地面に転ぶブラード。
「ってーなっ! 何すんだよっ!」
恥をかかされたと思ったブラードは、激昂し、即座に立ち上がった。
そして、キュリアに掴みかかろうとした。
だが、
「っ、なんだよ『無能』? 邪魔すんのかっ!?」
起き上がったレインが、その間に立ちふさがった。
ブラードの怒りが増す。
気に入らない。
無能のくせに。
怯えた表情すらしない。
それが、堪らなく気に入らない。
「約束、したから」
レインがぽつりと呟いた。
約束?
ブラードには何のことかわからない。
他の男子たちにもなんのことかわからない。
だが、キュリアにははっきりとわかった。
――僕が守ります。
昨晩、レインが言ってくれた言葉。
キュリアの頬に涙が伝う。
「ごめん、なさい……」
その言葉は、キュリアの口から自然と零れおちた。
◇
頭に血が上っているブラードは、レインを殴るために詰め寄ろうとした。
だが、レインを庇うように、他の女子たちが立ちふさがった。
女子たちは一丸となって、ブラードを睨みつける。
「っぐ」
ブラードは一斉に向けられた女子たちの怒りの視線に、驚き怯んだ。
完全に腰が引け、1歩、2歩と後ずさる。
女子たちの中からエルトリアが、さらに一歩、前へと踏み出した。
感情の読めない澄ました顔で、ブラードを含めた男子たちを一瞥する。
そして、淡々と、それでいてよく通る凛とした声で話し始めた。
「わたくし、エルトリア・ストファ・リンセス・ヴァーニングの名において、今後一切、レイン・ラインリバーへの不当な土下座の強要を禁じます」
王女としての覇気をまとったエルトリアには、逆らう気をなくさせるような迫力があった。
エルトリアはかつてより、レインをイジメから救うことができない自分を恥じていた。
何度もレインに助けてもらったのに、自分は助けることができない。
そのことが、エルトリアには苦しかった。
だが、かつてのエルトリアには、『自身の努力でイジメを切り抜ける』というレインの言葉を信じることしかできなかった。
レインが与えてくれた免罪符に甘えるしかできなかった。
そして、一度でもその免罪符に甘えてしまえば、自分からイジメを止めるために動くことができなくなった。
レインを信じて待つしかできなくなった。
そのことをずっと悔いてきた。
レインは、自身の努力でイジメを切り抜けることを望み、数年間に渡って己を磨く努力を続けてきた。
そして、昨日の昼、事実上スキル無しの状態で、ゴブリンに襲われたエルトリアを救い、怪我をした足を治療してみせた。
さらには、夜、多くのゴブリンたちと戦い、クラスの女子たちを助け出してみせた。
その結果を経て、今日、今、この時。
女子たち全員がレインの味方に付き、クラスの大勢が変わった。
入学式の日に決定付けられた大勢が変わった。
クラスの半数以上がレインの味方に付いたのだ。
これは、レイン自身が、己の努力で勝ち取った結果だ。
自身の努力でイジメを切り抜けた証だ。
だから、もう、エルトリアは誰に遠慮する必要もない。
免罪符に甘える弱い感情は、とっくの昔に消えてなくなった。
もはや、自分が虐げられるとしても、なにも怖くない。
レインがこれ以上、不当な苦しみを味わうより何倍も良い。
「レイン・ラインリバーには所有しているスキルがあることを確認できました。わたくしと同じく、『攻撃力上昇』のスキルです。ですから、今後、彼を『無能』と罵ることは、ヴァーニング王国第一王女であるわたくしを罵ることと、同義であるとわきまえなさい」
レインにスキルがある。
その言葉に、全員がざわめいた。
だが、周囲の反応を無視し、エルトリアは言葉を続ける。
「わたくしは、常々より、わたくしたちクラスでのレイン・ラインリバーへの扱いに対し、大変、遺憾に思っておりました。それは、長年続いた彼への罵声の数々と、それを止めることをしなかった、見ていることしかしなかった、わたくし自身への怒りです。それに、レイン・ラインリバーは、レイ君は、わたくしとって、とても大切な人です。ですから……」
エルトリアはそこで言葉を切り、周囲を見渡した。
「ですから、今後、もし、わたくしの前で、わたくしのレイ君を侮辱しようものなら、どうなるか……、覚悟しておくことです」
その言葉を放ったエルトリアの表情は、さっきまでの感情の読めない澄ました表情から一転し、はっきりとした怒りの色が読み取れるようになっていた。
かつてないエルトリアの怒りの形相に、生徒たちは一様に驚いた。
今まで、『可愛らしくて大人しい、クラスで人気者のお姫様』という印象しかなかったのだ。
そのエルトリアが、まさかここまでの怒りを溜め込んでいたのかと恐れおののいた。
男子たちはなにも言うことができずにお互いに顔を見合わせた。
「「「………」」」
王女であるエルトリアに異議を唱える気概はない。
だが、今までイジメてきたレインと、今更、仲良くすることもできない。
だから、全員が黙っていることしかできなかった。
一方、女子たちは、全員が賛同の意を示した。
だが、それはエルトリアを恐れたからではない。
エルトリアの言葉には全面的に同意したからだ。
「わかりました、エルトリア様!」
「もとより、そのつもりです!」
「今までが間違っていました!」
口々に告げられる言葉。
それに満足したエルトリアはレインの方へと振り返った。
そして深々と頭を下げた。
「レイ君、今までごめんなさい」
「「「ごめんなさい」」」
他の女子たちも深々と頭を下げ、レインへの謝罪を告げる。
レインは戸惑った。
エルトリアに対しては、思うところは別になにもない。
「イジメから助けようとしなくていい」と言ったのは自分なのだ。
むしろ、頭を下げられると恐縮してしまう。
だが、他の女子たちに対しては、それなりに思うところがある。
何度となく辛い目に遭った。
悔しくて何度も泣いた。
怒ってないと言えば嘘になる。
謝られたからといって、それを許せるのか。
イジメられなくなるのは歓迎だ。
だが、今までのことを水に流すこととは話が違う。
レインは、ふと、キュリアを見た。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
さっきからずっと、壊れたように、謝罪の言葉を繰り返している。
嗚咽交じりに紡がれるその言葉を聞いて、レインは自分がスキル鑑定を行った日のことを思い出した。
スキル鑑定で『無能』だと診断され、父親だった人に振るわれた暴力。
それをやめてほしくて、何度も何度も、「ごめんなさい」と繰り返した。
でもやめてくれなかった。
そのときに、レインは謝っても許してもらえない悲しさを、怖さを、痛さを、苦しさを、辛さを知った。
だから、
「僕は……、皆さんを、許します」
レインは謝ってくれた女子たちを許した。
まだ、感情はついていかない。
だが、理性で許そうとした。
そうすることが正しいと思った。
「ありがとうございます、レイ君」
「「「ありがとうございます」」」
再び深々と頭を下げる女子たち。
それを見たレインは居心地が悪くなって、早く頭を上げてくれるようにお願いした。
そして次に、まだ泣き止まないキュリアを見た。
「キュリアさん」
「ぐす、はい」
レインはどうすればいいか迷った。
キュリアが泣いてしまった理由が、はっきりわからなかったからだ。
でも、おそらく自分が土下座したことから端を発っしたのだろうと予想できた。
だから、そこからやり直すことにした。
もちろん、土下座をやり直すわけではない。
片ひざをつき、キュリアに手を差し出す。
「『お嬢様、僕とご一緒していただけませんか?』」
いつか、オーファに教わった言葉。
レインには他に、女の子を誘う言葉なんて知らない。
でも、この言葉こそが、今、この時に相応しいだろうと思った。
「ぐす、はい、よろこんで!」
キュリアが笑顔になってくれたのを見て、レインは自分の判断は正しかったのだろうと安心した。
◆あとがき
キュリアちゃん、
レイン君に許してもらえてよかったですね!
うん、よかったよかった。
【悲報】作者はまだまだ【許さない】
ですが、次回は王都に帰って、
とりあえず1章のエピローグです。




